古本虫がさまよう
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古女房は、ガン末期患者の古亭主を古本市会場に連れて行って(くれない)?
(2017・7・19・水曜日)





南陀楼綾繁氏の『町を歩いて本のなかへ』 (原書房)を読了。とても面白いというか、懐かしさも感じる「古本エッセイ本」。

著者の本はいままで大概読了。 『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『谷根千ちいさなお店散歩』 (WAVE出版)、『ナンダロウアヤシゲな日々─ 本の海で』 (無明舎出版)、『路上派遊書日記』 (右文書院)など…。

『古本屋ツアー・イン・ジャパン』(小山力也氏ブログ)の存在を知ったのも、今回の本でも触れていたが、たしか、「彷書月刊」(二〇〇九年五月号)の南陀楼綾繁氏のコラムのおかげ。そうした、ここ十数年に書かれた古本エッセイなどをひとまとめにしたのが本書。

著者は早稲田大学文学部出身ということもあって、高田馬場(早稲田)の古本屋街やビッグボックスの古本市の思い出話も少なくない。ビッグボックスは僕も学生時代からお世話になった。彼によると、1974年から始まったというから、比較的初期のころから通っていたことになる。1977年ごろからか? 僕が通いだした時は一階のコンコースでやっていた。改造前だったから、今よりもっと広かった。

それから、6階(五階か六階か記憶は薄れていたが、本書によると六階だったようだ)の屋内に会場が変更。
社会人になったあたりは、そこに毎月一回通うのが楽しみだった。一階からエレベーターに乗り、六階で下りると、あれ、卓球だったかなにか周辺でスポーツをやるスペースがあったかと思うが、真ん中は古本市会場。エレベーターを出る時、武者震いではないが、さぁ、買うぞ! 今日はどんな掘り出し物があるかな!と期待に胸を膨らませて会場内に進入したものだった。 『オーウェル著作集』 (平凡社)もビッグボックスで全部買った記憶が甦ってくる。1500円ぐらいだったか?(箱入りのほう)。

南陀楼氏が指摘しているように安かった。高い本はめったになかったのでは。たくさん買ったものだ。本当にビッグボックスはよかった…というと…。

当時、デーブ・スペクターさんが、英語について論じた本かなにかの本の中で、和製英語というか、日本で流通している英語でちょっとヘンな「英語」のことに触れていて、その中で、「ビッグボックスってとても卑猥な意味なのに…」といった趣旨のことを書いていたかと。ふふふ、そう言われると、なんとなく「ビッグボックス」って? 「ボックス」が「あそこ」というニュアンスで、それが「ビッグ」となると…という解説だったか?
「ピンク・ボックス」というのもありそう?

ともあれ、当時は、土曜日など、まずはビッグボックスの古本市を覗き、それから馬場の古本屋街を一周するのが常だった。あのころは今より古本屋の数も多かったかと。

最近は、古書会館のある神田(神保町)、高円寺、五反田で古本市があった時には出かけるものの、本郷や高田馬場に出かけることはめっきり減った。馬場のビッグボックスの古本市も、一階コンコースが縮小されてからは立ち寄ることも減った。ブックオフが馬場に二軒あった時、そことビッグボックスに寄っても古本屋街のほうにまで足を運ばないこともあった。

最近は、先日みたいにキリンシティで一杯やるだけのことも(ブックオフに寄って、キリンシティに行っても、その上の階にある芳林堂書店やその古本コーナーにも立ち寄らないことも。池袋の芳林堂書店にも足しげく通ったころもあったが、池袋のほうは書店そのものがなくなった……)。

ともあれ、著者が推進している一箱古本市も、根津は一回行ったきり。柏とか西荻窪とか高遠ブックフェスティバル くらもと古本市(上諏訪駅近くにて開催)なども何度か出かけているが、高齢化(?)脚力低下と共に出無精になりつつある。

そういえば、この前、週末ギャンブルにはまっている古女房の「盟友」(?)が死亡。古稀を少し過ぎた程度。ガンだったそうで、夢の中でも、「ギャンブル」の手に関して、ああだ、こうだ…と呟いていたという。ううむ…。

僕も最近は御茶の水駅から神田の東京古書会館へ向かう時、日本大学病院の前を通るたびに思うことがある。もし、将来、ガンか何かになったら、東京医科歯科大学病院より、日大の病院のほうが古書会館にも近いから、ここに入院したく思っている。そして、車椅子になっても、土曜日夕方に出かけ(金曜日は混雑するから)、本を物色し、長年探し続けていた本を見つけ、「あった!」と車イスから飛び上がり、本をつかんだ途端に興奮のあまり息切れ、心臓が停止し急死する…といった臨終の姿が目に浮かんでしまう。
古女房のギャンブル盟友の臨終話を聞いて、そんな感動的なマイ臨終ストーリーを古女房の前に開陳したが、 「車イスを押して会場まで誰があんたを連れて行くの? 土曜日は私も忙しいのよ」と。あぁ…無情?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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「海の日」(祝日)は、猛暑の町を歩いて図書館(&古本屋)の中へ
(2017・7・18・月曜日)





昨日(月曜日・祝日)も朝早く起きて書類の整理。一区切りつけて、午前10時すぎに神保町へ。祝日ということもあってさすがにお休みの古本屋が多いが、開いている店も。特に買いたいものはなし。
地下鉄・東横線・JR東日本を使って関内へ(日曜日に四回乗って元が取れているメトロのフリー乗車券がまだ使えるので、神保町から使用)。
関内の駅、いつのまにか「改装」というか「改造」されていたようで、出入り口やらトイレやら新しくなっていて、ちょっと戸惑った。
ともあれ、いつものように関内の商店街へ。有隣堂を覗く。そのあと、活刻堂を見たが、閉まっていた。マツモトキヨシで、ほかのマツモトキヨシより安い商品があったので買い占め? それから、ブックオフ、馬燈書房、川崎書店などの古本屋を覗くが買いたいものはなし。馬燈書房には大きめの可愛いインコさんがいつものように鎮座。我が家のボタンインコほど高らかには鳴かないが…。

知人宅へ。やよい軒で、いつもの一番安いしょうが焼き定食(630円)ではなく、豪華にステーキランチを。そのあと、神奈川県立図書館へ一緒に。というのも、ちょっと仕事の調べ物で、ここにある資料をチェックし、出来れば借りたかったので。神奈川県民でないと貸出カードを作れないので、知人に頼んだ次第。入口でロッカーに荷物を預けるシステム。国会図書館並み? 100円玉が必要だったが、ちょうど、やよい軒のおつりで100円玉があったので利用。図書館はなんとなく古い建物。入口の階段も急。いろいろと借り出して館内でチェックしたり……。疑問も氷解し知人宅で一服し帰宅。それにしても暑い一日だった。

南陀楼綾繁氏の『町を歩いて本のなかへ』 (原書房)を車中読み進めて読了。読後感はのちほど。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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わざわざ行きたい(古)本屋なれど、この暑さでは…往復20分以上歩くのはきつい?
(2017・7・17・月曜日・祝日)





昨日(日曜日)も早起きして書類整理。そのあと、午後、仕事場に出かけ雑用。夕方、高田馬場へ。ブックオフを覗くが、買いたいものはなし。そのあと、知人とキリンシティ(全席禁煙)で、バカスカ飲み食い。昼いつものように飯抜きだし、知人が割引券を持っていたこともあり…。タバコの悪臭が漂わないところで、何の恐れもなく安心して美味しく食事できるのはありがたいこと。キリンシティが神保町界隈に進出してくれればいいのに……。打倒ランチョン? 打倒モンカーブ?

ともあれ、和氣正幸氏の 『東京 わざわざ行きたい 街の本屋さん』 (株式会社G.B.)を読んだ。

(内容紹介)→東京には、個性豊かな“街の本屋さん"がたくさんあります。 工夫を凝らした棚作り、見た人がワクワクできるラインナップ、ほっと落ち着ける空間、本の魅力をより多くの人に伝えるイベント……。 その街の風景になじみ、地元の人々に愛されながら、唯一無二の魅力を持つ存在。本書では、そんな東京の“街の本屋さん"を、エリア別に130店紹介したガイド本です。 160ページ、オールカラーで写真と地図付き。すべてのお店の外観写真と、目印になるものも紹介しているので、道に迷うことなくたどり着けます。 本書を片手にぜひ、本屋めぐりを楽しんでください。

昔ながらの古本屋、新刊書店やらブックカフェやらが紹介されている。詳しい地図もあり便利。清澄白河~森下の周辺の古本屋(街)にはこの前も出かけたが、「古書ドリス」の近くに「古書しいのき堂」というのが出来ていることを本書で知った。幻想美術などが多いようだが…。行かねば。

本書の巻頭には荻窪の新刊書店Titleが出ている。先日土曜日、荻窪駅近くの古本屋は散策したが、暑くてTitleまで行く気力はなかった。店主の辻山良雄氏の『本屋、はじめました』 (苦楽堂)を読了して以来、行きたいと思っているのだが……。古本屋だったら行くのだが…?

引き続き、 「オズ マガジン」(2017・7月号)を読む。 「本の町さんぽ」特集号。こちらも巻頭に荻窪のTitleが出てくる。こちらは本屋だけでなく、喫茶店やレストランも出てくるが、相変わらず「禁煙」「分煙」情報は皆無。こういう雑誌で、こういうコーナーの紹介で、そういう情報を掲載しないのには、唖然呆然というしかないが…。タバコが好きな人にとっても、嫌いな人にとっても、そういうのは有益な情報であり、掲載する価値があると思うけど。僕なら「喫煙可能」と書いてあったら、そんな店にはなんの関心も持たなくなるから判別する上で便利。逆もあるだろう。グルメ雑誌編集部には、そういうことに関心を持たない層が少なくないのかしら?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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劉暁波さんや上林暁さんの夢は実現したのだろうか? いつ実現するのだろうか?
(2017・7・16・日曜日)





昨日、紹介した、劉暁波氏の『最後の審判を生き延びて 劉暁波文集』 (岩波書店)は2011年刊行だが、もう品切れ絶版なのだろうか? アマゾンでは中古しか出ていなくて、定価の二倍の価格が提示されていた。発行人は、山口昭男さん。当時の岩波の社長。まだ「良心的」だった人。北朝鮮バンザイ路線の従来の「世界」路線を若干なりとも修正した時に「世界」の編集長をしていた人でもあるから訳出されたのだろうか?
しかし、訳者が、ノーベル平和賞の意義などを低下させる余計な一言を書いているのがマイナスだが? 共産圏の政治権力者に遠慮する物言いには辟易? ともあれ緊急復刊するのかな? 岩波現代文庫で出す? だったらみっともないから、訳者あとがきは「修正」したほうがいいね?


それにしてもこの一節…。

「愛する妻よ、君の愛があれば、私はやがて下される審判に穏やかな気持ちで向き合うことができ、自分の選択を悔やむことなく、明日という日を楽観的に待ち望むことができる。私は、自分の国が自由に意見を述べることができる場所になることを待ち望んでいる。そこでは、国民一人一人の発言がすべて同じように大切にされるのだ。そして、異なる価値、思想、信仰、政治的見解……それらがお互いに意見を闘わせながらも平和的に共存できる。多数意見と少数意見のいずれも平等に保障され、特に権力者の政治的見解と異なる意見が十分に尊重されて守られなければならない。あらゆる政治的見解は陽光の下で明らかにされ、民衆からの選択を受け入れて、国民の一人一人が何の恐れもなく政治的見解を発表することができ、異なる政治的見解を発表したために政治的迫害を受けるようなことが決してあってはならない。私は、自分が中国で連綿と続いている言論弾圧の最後の被害者となり、今後は言論を罪に問われる人が二度とないように望んでいる」

「私は、自分が中国で連綿と続いている言論弾圧の最後の被害者となり、今後は言論を罪に問われる人が二度とないように望んでいる」との夢はまだ実現しないだろう。第二、第三の劉暁波が出てくるのは必至。

ともあれ、昨日(土曜日)は、朝は午前4時前に起きて、若干仕事(書類整理)をして、それから冷凍水と共に外出。神田の東京古書会館では買いたいものはなし。
車中、上林暁氏の『故郷の本箱』 (夏葉社)を読んでいたのだが、住居のあった阿佐ヶ谷界隈、中央線沿線の古本屋や古本市を散策した時のエッセイが大変面白い。ということもあって、久しぶりに荻窪へ足を伸ばした(あいにくと、高円寺の古書会館では古本市もなかったこともあり)。

荻窪駅で下車して、ささま書店などに向かいかけると、地上に出てすぐのところに「青空喫煙所」がある。以前は完全に「青空」で、そこで吸う悪臭が、駅構内にまで漂いかねないものがあった。いまは、ガラスの仕切りを若干しているが「ルーム」でもなく「建屋」のレベルにも達していない。さらにその少し先にバス停がある。バス停でバスを待つ間も、風向きによっては「悪臭」を嗅がされる恐れが大。杉並区役所は何を考えているのだろう。こんな「青空喫煙所」など、ナンセンスということがわからないのか? もう少しマトモなものを作れといいたい。せめて、バス停よりもっと、阿佐ヶ谷寄りのほうに作るならまだマシだろうが。「非喫煙者」の心情を理解しないにもホドがある。

ともあれ、ささま書店など覗くが買いたいものはなし。

近くの地下道を通って反対口へ。ブックオフに行こうとするとこちらのバス停にも青空喫煙所が。バスから降りると目の前にある。ここは仕切りもない。なんでこんな不特定多数が行き来するど真ん中に喫煙所を設置するのだろう。バスを待っている間利用出きる? 区民じゃないので、図書館カードも作れないし、一瞬通りすぎるだけだからまだしもだが(?)、非喫煙者でタバコの悪臭が苦手な住民だったら、毎日利用するところにこんな「建屋のない青空喫煙所」が跋扈していたらタマラナイだろう。

ともあれ、ブックオフへ。人口密集地ということもあるのか、フランス書院文庫はじめエロス文庫の棚は充実している(?)が、特に買いたいものはなし。古着コーナーも見るが、特に買いたいものはなし。古着コーナーは、関内や渋谷や辻堂や町田のブックオフのほうが、広くて充実している?

それから五反田古書会館へ。

宇都宮徳馬氏の『七億の隣人 日中問題を現実的に考えよう』 (東潮社)、俵孝太郎氏の『日本共産党首脳部』 (太陽)、乾孝氏の『ある戦後 心理学者の自伝的回想』 (思想の科学社)、乾孝氏の『ある幼年』 (いかだ社)、榎本隆一郎氏の『回想八十年 石油を追って歩んだ人生記録』 (原書房)、河上光一氏の『中国から見た日本』 (日本教文社)、井上正蔵氏の『私のシュトゥルム・ウント・ドラング 「詩と真実」から』 (新日本出版社)山口健助氏の『青春無頼』 (非売品)、暁剣氏の『滄桑 中国共産党外伝』 (中国書店)を購入。バカスカ買ってしまった?

そして帰宅。仕事の書類を読む気力もなく、テレビニュースを見たり、ビール、スペインワイン、ニッカ…。あと、上林さんの本を読了。山本善行さんの編纂ということもあってか、古本エッセイが大変良かった(そういえば、山本さんがやっている、京都大学近くの古本屋「善行堂」も数年前に一度寄ったきり)。

山王の古本屋の「おやじ」(関口良雄さん)のことも出てくる。当時は荻窪の「古物会館」というのがあって、そこで古本市もよくあったそうな。郷里に本を送り、余生(残生)を故郷でそれらを読むのを楽しみにしたりとか…。

病気療養中、午前執筆、午後昼寝、夜散歩の生活をしていて、散歩がてら「古本屋に立寄って、一冊二冊の掘出物を抱えて帰るのを、唯一の慰めにしている。現在の私には、是非買いたいと思う本、欲しくてたまらぬ本が、別にあるわけではない。ただ、漫然と、古本屋へ寄るのである。戦争前も、戦争中も、戦争後も、古本屋歩きは、私の最大の道楽だった。ことに空襲下の東京に踏み留まっていた時は、古本漁りが救いでさえあった」とのこと。僕も「最大の道楽」。

そして昭和16年に書いたエッセイで、「若し仮りに僕が老後のたのしみを予想するとすれば、少年の日に愛読した本をもう一度読み返したり、愛読したいと思いながら果さなかった本を読んでみたりすることであるかも知れない。そしてそのために、これから集めようと思う本が役立つにちがいない」と書いていた。30代終りの頃のエッセイ。

喜寿まで生きていたから、その夢は実現したのだろうか? 僕が「少年の日に愛読した本をもう一度読み返す」となると、 『女教師』 (フランス書院)とかになるのか? いやいや、 『ヘルマンとドロテーア』 (新潮文庫ほか)とか、『ヘンリ・ライクロフトの私記』 (新潮文庫ほか)とか、 『河合栄治郎全集』 (社会思想社)とか?
ピーター・ヴァーテルの『少年の日』 (角川文庫)は「文字通り少年の日」の物語。ふふふ? でも読んだのは中年になってからだったか? 『おもいでの夏』(角川文庫)以上に、戦争と未亡人と少年の物語。カバーイラストが刺激的で秀逸なり。フランス書院文庫や双葉文庫もびっくり? この『少年の日』は都内図書館だと、目黒区と杉並区とが所蔵しているようだ。是非借り出して読まれるといい? さきほど「日本の古本屋」をみたら、500円で出している古本屋が二軒あった。安いではないか。買ってもいいかも。名作なり。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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劉暁波さんには「敵も味方もいない」のか? 日本には、一人のサハロフも劉暁波もいない!
(2017・7・15・土曜日)





本日(土曜日)は東京周辺はかなりの暑さ。神田の東京古書会館や五反田古書会館にも寄ったりしたが…。収穫の報告は明日にして…。帰宅してシャワーを浴びて、ビール、スペインワイン、ニッカと…。その合間にテレビニュースなど。ちょっと怖い感じの女性キャスターが出てくるニュース番組はあまり「好きではないのだが…。
劉暁波さん死去のニュースが流れていたので、いやいや(?)見てしまったが…。

世界中の心ある人が、米議員や台湾で追悼や抗議の声をあげていたが、日本では政府関係者も市民団体も「沈黙」なのだろうか? 情けない! 中国大使館前で静かに民主的に鋭い抗議をする「市民団体」はなかったのか?

東京新聞(2017・7・15)は、「中国批判各国及び腰」「経済を優先、人権後退」「日本政府も批判避ける」と報じていたが、汝自身は大丈夫だったか? この日の「こちら特報部」では、加計問題で「正論」を述べた愛媛県元知事を貶めたい視点からの記事を長々と書いていたが…。

産経の阿比留記者は、あるテレビ番組でこう語ったそうな。
「東京新聞の記者からね、直接聞いたことあるんですよ。安倍さんが2回目の総裁選に受かって次期総理になるっていうことがほぼ間違いないと言われてる頃に当時の東京新聞編集局長から号令が編集局にかかって『安倍なんか取材しなくてもいいからとにかく安倍を叩け』という指令が出たと。これのどこがジャーナリズムなんですかね?私にはさっぱり分からない。少なくとも産経新聞は絶対にないです」

安倍叩きの前に、より酷い人権抑圧をやっている習近平叩きをやったらいかが?

ともあれ、この局の7時からのニュースが終ったあとに、タモリだの鶴瓶さんなどが、女性アナウンサーや有名タレントととにも、どっかに出かけて、ただ歩き訪ねるだけの番組が流れて、冒頭少し見ることがあるが、なんかつまらないなあ。そもそも、テレビカメラの撮影陣の面々まで画面に映るような番組造りって、見ていて、そんな杜撰な作りでいいの?と思ってしまう。いまはジーパンの穴開き同様、そういうのが先進的な造りなのかしら? アホらし?

ともあれ、劉暁波氏の『最後の審判を生き延びて 劉暁波文集』 (岩波書店)を久しぶりにひもとく。「私には敵はいない」も収録されている。自分自身を取り調べる警察官や検察官や裁判官たちは「自白の強要もなかった」「穏やかで理性的であり、しかも常に善意がにじみ出るものだった」とのこと。だから「私には敵はいない」と。ただ、それはあくまでも、彼がノーベル平和賞受賞者であり、特別扱いされていたからではあろう。そういう人でなければ、中共当局は、非道な扱いを容疑者に対して行なっているから。

それはともかくとして、劉暁波さんの味方となる人々が、日本にはどれだけいるのだろうか? 安倍首相以下、政府首脳たちが気兼ねして「沈黙」や「静観」を決め込むなら、せめて、野党の、「共謀罪」法案にあれほど反対してみせた人権愛好家の面々は?
かつて核実験に反対するにあたって、フランスのタヒチでの実験には現地まで出かけて強く抗議をしながら、そのフランスの核実験とほぼ同時期に行なわれた中共の核実験には沈黙した武村正義などノーテンキリベラルの系列の面々は、少しは恥を知れと言いたくもなる。

口先だけの人権擁護、平和主義など、二枚舌で醜いものでしかない。


「愛する妻よ、君の愛があれば、私はやがて下される審判に穏やかな気持ちで向き合うことができ、自分の選択を悔やむことなく、明日という日を楽観的に待ち望むことができる。私は、自分の国が自由に意見を述べることができる場所になることを待ち望んでいる。そこでは、国民一人一人の発言がすべて同じように大切にされるのだ。そして、異なる価値、思想、信仰、政治的見解……それらがお互いに意見を闘わせながらも平和的に共存できる。多数意見と少数意見のいずれも平等に保障され、特に権力者の政治的見解と異なる意見が十分に尊重されて守られなければならない。あらゆる政治的見解は陽光の下で明らかにされ、民衆からの選択を受け入れて、国民の一人一人が何の恐れもなく政治的見解を発表することができ、異なる政治的見解を発表したために政治的迫害を受けるようなことが決してあってはならない。私は、自分が中国で連綿と続いている言論弾圧の最後の被害者となり、今後は言論を罪に問われる人が二度とないように望んでいる」

日本の何処に、弾圧された幽閉されたサハロフが、劉暁波がいるだろうか? 安倍を倒せを怒鳴り、権力者の政治的見解と異なる意見をいくらでも表明する自由がある日本。残念ながら、彼が「連綿と続いている言論弾圧の最後の被害者どなり、今後は言論を罪に問われる人が二度とないように」はまだならないだろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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