古本虫がさまよう
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渡部昇一氏の訃報を朝刊で報じられなかった朝日、東京、毎日…?
(2017・4・19・水曜日)




昨日(4・18)の朝刊訃報欄を読み比べると、渡部昇一さんの死去を朝刊(社会面)で伝えていたのは、産経、日経、読売だった。産経は一面でも伝えていた。「正論大賞」の一回目の受賞者だから当然の扱いだろう。

しかし、朝日、毎日、東京は報じていなかった。だが、毎日はネットでまずは朝早く報じていたし、朝日もネットでは遅ればせながら昼前に報じた。夕刊ではこの三紙も顔写真入りで、そこそこの大きさで伝えてはいた。

この三紙は、左派イデオロギー的に、渡部さんの逝去など伝えてやるものかというのではなく、まぁ、日頃のおつきあいが希薄だったため、遺族関係者から連絡をもらうこともなかったので、気付かなかったといったところか?

なにしろ、JRの駅の「ニューデイズ」の大きなテレビ画面のニュース板でも、渡部さんの顔写真が大きく出て逝去を伝えていたから、無視するなんてことはありえなかっただろうが。

でも、我が家はちょうど朝日新聞の購読がまもなく切れるところだったので(にもかかわらず、洗剤を持ってこない?)、てっきり、昨日の朝刊で報じていないのは、渡部さんが長年、朝日の左翼論調を徹底的に反論できないほど叩いていたことへの積年の恨みがあったからではないかと思い、そういう情報操作を平然とするようなあこぎな新聞を、金を払ってまで読むことはあるまいと思い、とりあえずは購読を契約通りに終了する旨を伝えた次第(十数年前にも、大学時代から購読していた朝日だったが、若宮某の馬鹿げた単細胞的記事(&社説)を見て、ガマンの限界と思い、購読中止の連絡をしたものだった。「ホワイ?」と朝日販売店の人がやってきたので懇切丁寧に購読中止の理由を説明したのも懐かしい?)。

渡部氏の『朝日新聞と私の40年戦争』 (PHP研究所)や『萬犬虚に吠える』 (文藝春秋。のちPHP文庫、徳間文庫)など、朝日新聞は新入社員研修のテキストにすべきだろう(OBの長谷川煕氏&永栄潔氏による『こんな朝日新聞に誰がした?』ワック--でもいい?)。

ともあれ、まもなく契約の切れる朝日に代わって、そのあと、何新聞を読むべきか思案中。まぁ、職場(や図書館で)で読める朝日は無理して自宅で読まなくてもいい。それに無料のネットで、朝日の社説や天声人語などはいくらでも読めるし、コピペして批判的に論評することも可能だし……。
こんな風に…。

保守論客の渡部昇一さん死去 「知的生活の方法」
2017年4月18日10時55分朝日新聞
 ベストセラー「知的生活の方法」などで知られる保守派の論客で英語学者・評論家の上智大名誉教授、渡部昇一(わたなべ・しょういち)さんが17日、心不全で死去した。86歳だった。葬儀は親族で行う。
 山形県出身。上智大学大学院を経て、独ミュンスター大博士課程修了。その後、上智大教授に就任した。76年、読書を中心にした独自の生活スタイルを説いた「知的生活の方法」を発表し、ベストセラーになった。同年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
 専門の英語学以外でも歴史や政治を題材にした著書を多数発表し、評論活動を展開。日本の近現代史の見直しを訴え、歴史認識問題での積極的な発言で保守論壇で注目を集めた。
 時事問題にも積極的に発言し、ロッキード事件で田中角栄元首相の裁判を批判して話題を集めた。最近では、天皇陛下の生前退位をめぐる有識者会議のヒアリングで「宮中でお祈り下さるだけで十分」とし、退位に否定的な立場を示していた。
 15年には、朝日新聞の慰安婦に関する報道で「国民の名誉が傷つけられた」として、謝罪広告掲載などを求めて原告の一人として提訴した。著書・訳書に「日本史から見た日本人」やフランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など。


さすがに訃報記事故に批判的なものはないが、見出しが「知的生活の方法」ではなく「朝日新聞と私の40年戦争 」のほうがよかった?
でも、本欄のいいネタ元であったが……。
やはり自宅でじっくりと読めば、アラがより目立つ新聞だから。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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渡部昇一さんと佐々木孝丸さんとに共通するものとは?
(2017・4・18・火曜日)






昨夜(2017・4・17)、渡部昇一さんが亡くなったとの報に接した。そのときの思いは昨夜綴った次第。

ともあれ、読みかけだった砂古口早苗氏の『起て、飢えたる者よ<インターナショナル>を訳詞した怪優・佐々木孝丸』  (現代書館)を読んだ。

(内容紹介)→大正~昭和に活躍した俳優・佐々木孝丸の評伝。佐々木孝丸(1898~1986)は新劇運動の出身者で、プロレタリア演劇の草分けであり、戦後は商業娯楽映画の活況を支えた名脇役である。彼はまた大正11年(1922年)、革命歌「インターナショナル」の歌詞をフランス語から日本語に訳詞した人物でもあり、エスペランティストであり、編集者、翻訳家、作家、劇作家、演出家の顔も持つ。そんな八面六臂の活躍を見せる人物に魅せられた同郷讃岐の作家・砂古口早苗氏が、佐々木孝丸を軸に、新劇の歴史や大正~昭和初期の左翼演劇・文学運動の詳細、戦後の娯楽映画を通じての世情を読み解き、心情豊かに活写している。

[著者紹介・編集担当者より]
佐々木孝丸は新劇運動の草分け且つ中心人物であるので、佐々木の人生を追うだけでも日本の演劇・文学における左翼運動の歴史を一つの流れとして総ざらいできる。そういう意味でも多くの主張の強い主役達をまとめ繋ぐ名脇役であり、面白い視点を提供する一冊となっている。


佐々木孝丸なる人の存在はこの本を読むまで知らなかった。ウィキペディアによるとこんな人。

佐々木 孝丸(ささき たかまる、1898年1月30日 - 1986年12月28日)は、日本の俳優、プロレタリア作家、演出家、劇作家。北海道川上郡標茶町出身[2]。戦前のプロレタリア演劇運動の中心人物であり、演出家・俳優として先駆座・前衛座・東京左翼劇場に参加。落合三郎の筆名でフランス文学の翻訳や『筑波秘録』などのプロレタリア戯曲も執筆しており、革命歌「インターナショナル」の日本語訳詞者としても知られている。亡くなるまで熱心なエスペランティストであった。戦後は映画・テレビドラマで脇役俳優として活躍した。著書に『風雪新劇志 わが半生の記』など。


インターナショナルを訳詞した人とのことだが、そもそも音痴ということもあるが、「インターナショナル」なるものを聴いたことがほとんどない。

以前、ある年輩者と一緒にスペイン旅行をしたが、カタロニア地方のあるところでスペイン内戦の展示がしてあり、それを見学した際、その人が、「古本虫さん、インターナショナルが流れていますよ」とコーフン気味に言われたことがあるが、勿論、そのメロディがインターナショナルだなんて知りもしないし、記憶にも残っていないのだが…。

といいつつも、ネットで検索して聴いてみる。ううむ、どっかで聴いたようなメロディではあるかなと。ちなみに、以下のような「訳詞」のようだ。

「インターナショナル」
佐々木孝丸/佐野碩訳詞・ドジェテール作曲

起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの

聞け我等が雄たけび 天地轟きて
屍(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る
圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの


いまや、「起て飢えたる者よ~~」という歌は、北朝鮮の「人民」たちが、怒りと共に「独裁者」に対して、拳を振り上げて歌うべきものであろうが…。ここ数日の北朝鮮の「ポチョムキン村」的なデモンストレーション(模範答弁をする「市民」たちの姿)を見て、この国こそがオーウェルのいう「1984」だと認識できない人がいるとすれば、愚かというしかないだろう。「ポチョムキン村」については、大宅賞受賞作家の鈴木俊子氏の『ポチョムキン村 ソ連社会と「自由」』 (民社研叢書)を参照されたし。


ともあれ、まもなくやってくるメーディでも、この歌を日本の労働者たちは歌うのだろうか?

そういえば、 「朝日声欄」の偏向ぶりはこの前指摘したが、テレビ番組に関する感想を述べる投稿欄「はがき通信」もなかなか過激?

2017・3・1付けでは、「耐えられない軍歌」と題して、68歳の主婦が、「BS日本こころの歌」を毎週楽しみにしている」「日本の歌、世界の愛唱歌などを、歌詞を大事にして歌っている」のを評価しつつ、2月13日の番組では、司会者の「男性のりりしさを表現」との紹介のもと、「『同期の桜』を歌い始めた。耐えられなくてチャンネルを変えた。軍歌は今の時代にふさわしくない。フォレスタには軍歌は似合わない」とのこと。

ふうん? 「海ゆかば」にしても、 「同期の桜」にしても、その時代に歌われたものであり、「日本こころの歌」の一つとして「唱歌」「鑑賞」するのは別に問題ないのでは? 「軍歌は今の時代にふさわしくない」?

まぁ、「同期の桜」を小学校の音楽の授業で小学生がことさら唱歌するのならともかく、音楽番組で取り上げて何が問題なのだろうか? この「区別」をして考えるということができない人は幼稚というしかない。

68歳なら、少なくとも、 「戦争を知らない子供たち」では? 子供のとき、無理やり軍歌ばかり歌わされたというわけでもあるまいに? 「インターナショナル」だって、ロシア民謡だって、「歌声喫茶」などの特集で、歌う番組があってもおかしくあるまい。その当時、そういう歌を歌った人々はいたのだから。いくら僕だって(?)、テレ朝の歌謡番組で、歌声喫茶特集をやっているのをチラリと見て、インターナショナルなんかも歌われたりしたら「ソ連を礼賛するような歌を聞くのは耐えられない。ソ連礼賛は今の時代にふさわれしくない」なんて投書はしないね。そんなに耐えられないなら、「チャンネルを変えればいいのだから」。
そういえば、昭和46年ごろだったか、ソ連の「ポーリュシュカ・ポーレ」がはやっていた。日本人歌手が歌っていた。ロシア民謡とのことだったが、これも軍歌だったとか。まぁ、歌詞はともかくメロディは軽快で好きだった。ともあれ、そういう「軍歌」を、こんな単細胞丸出しの投書で「否定」したり、採用する手合いの知的未熟さを笑うしかない。

この投書と同時に掲載されたのは、74歳の主婦の「守りたい憲法」というもの。憲法は決して押しつけではないといった「アナザーストーリーズ」というBSプレミアム(2017・2・15)の番組を評価し、「平和と個人の権利を保障するこの憲法を守りたいと強く思った」そうな。その思いは立派。日本のみならず、北朝鮮や中国にもそれを定着させる努力をするならば…だが。

ともあれ、本に戻るが、彼(佐々木氏)の左翼演劇俳優(?)としての歩みを追いながら、彼の出演した映画作品や、インターナショナルが映画の中で流れる作品を紹介したりしている。

新東宝映画で、「大東亜戦争と国際裁判」なる作品があり、佐々木氏が出演しているそうな。しかも、清瀬一郎弁護士の役として。なかなか迫力ある演技力だったそうな。清瀬一郎といえば、 『秘録東京裁判』 (中公文庫)の著者。公職追放やら安保改定条約強行採決時の衆議院議長であったり、東京裁判で東条英機の弁護人だったりした人。左翼的な佐々木氏が演じるにはふさわしくないのかもしれないが、俳優はさまざまな人の役を演じるのが商売。この映画を見て、 「佐々木孝丸さんが清瀬一郎役をするのを見るのは耐えられない」なんて投書する人がいるだろうか?

「東京裁判否定は今の時代にふさわしくない。佐々木さんに清瀬役は似合わない」なんていうのはヤボすぎるだろう。

ともあれ、訳詞するぐらいだから、佐々木さんは語学に堪能。クレランドの『ファンニー・ヒル』(ファニー・ヒル)を戦前訳出もしているそうな。風間丈吉の名前も出てくるが…。

著者は佐々木に惚れて書いている感じだが、僕は客観的に佐々木の歩みが、どういう風に変転していったかが関心のあるところ。

彼の自叙伝、 『風雲新劇志 わが半生の記』 (現代社)にかなり依拠して書かれているようだ。その本をあわせて読むとよさそう。

ともあれ、戦前、戦中の「歌謡曲」「軍歌」を分析することによって、当時の庶民たちの哀感や喜びを分析することも可能だろう。それは北朝鮮の人々にもある程度はいえることだ。彼らの「演技力」にはいささか辟易とするが、それでも、その中にある種の「実態」も何パーセントか何割かはありうるだろうから。

渡部昇一さんのような戦前戦中を物心つきはじめたころ生きていた人には、朝日投書子のような単細胞ではない複眼的視野て歌謡曲や軍歌を論じたことだろう。以下、共産主義者だって、軍歌に関して複眼的視野をもっていた事実を紹介しておきたい(再録)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



軍歌を愛唱・熱唱した治安維持法下のコミュニストたち? 02/06/2012
 言論弾圧の最たるものであるとみなされる戦前の治安維持法は、前出のイグナティエフ流(『許される悪はあるのか? テロの時代の政治と倫理』風行社)に考えると「許される悪」であったか、なかったか。当時の国際共産主義、コミンテルンの野望・策略・謀略に対して、日本という国家の独立安寧を守るために、共産主義者を摘発し隔離することは必要であったかもしれない。少なくとも彼らは天皇制度の否定といった言論の主張のみならず、テロに訴えることもしばしばであった。国家転覆も考慮していたといえる。

 その意味で、治安維持法によって、戦前戦中を刑務所で暮らした土屋祝郎氏の『予防拘禁所』 (晩聲社)は、興味深い本である。彼は昭和16年5月に釧路の刑務所を出所し、自宅で母の療養などをするのだが、開戦前に拘禁され、予防拘禁所(豊多摩・中野区)に入れられる。そこには福本和夫や志賀義夫や徳田球一なども「同宿」していた。

 治安維持法は悪法であったと著者はいう。
「しかし、法律の条文に違反する行為がないかぎり刑罰を課することはできなかった。しかるに昭和一五年度の改悪は法律の規定に違反しなくとも、天皇制や私有財産制度を否認し、治安維持法の規定に違反する惧れ顕著な者に対しては二年に一度ずつ手続を更新しながら永久にこれを拘禁することができるという、いわゆる予防拘禁制度を採用したのである」

 そのために著者は拘禁されたのだが、私語も厳禁となり、たまの発声練習は容認されるものの、その時には軍歌を歌えというのである。革命歌ならともかく、コミュニストに日本の軍歌とは、ケシカランと著者は怒るのだが、「徳田、志賀をはじめ名だたる共産主義者が一片の抗議もなく、快く軍歌を歌っている。永久拘禁が現実となって、いつ銃殺されるかもわからないという極限の境涯にきてしまったいまは、生命を保つことが第一である。その第一義の道を行くためには軍歌をうたうかどうかということはさしたる問題ではない」「私はほかの者といっしょになって軍歌をうたった」「自暴自棄の絶叫のようでもあった」「苦々しい気持ちであった」と。

 監房は釧路などと違って壁や天井も真っ白に塗り立てられて「気持ちがよいほどであった」という。畳みや文机もあって「予想をくつがえすものでもあった」と。蒲団もせんべい蒲団ではなく、「ここのは木綿縞ではあるが、まずまずと言っていいものであった」と。作業服もまずまずで和服の用意もある。

 そのせいか、また温情ある所長がいたせいか、この本ではさほどの拷問などのシーンは出てこない。「君はお母さんが亡くなったんだってねえ」と所長に言われ、急に涙を流したりもする。

「いけない、いけない、こんなことでどうするか。相手は天皇制官僚ではないか。その前で頭を垂れるとは絶対的な降伏ではないか。敵の前で涙を見せるとはなにごとなんだ。昨日まで精かぎり根かぎり闘ってきた精神をお前はどこに捨ててきてしまったのか」と自問反問するのだが「涙はついに嗚咽となった。母の死それだけであって、階級も思想も天皇制も戦争も、いっさいのものが存在していなかった。所長は私の最大の弱点をついてきたのであった」と。
 
 階級敵を前にして涙を出すとは思想薄弱ということで、後に志賀や徳田から白眼視もされたという。

 思想犯ということもあって、過酷な労働もあるようには見えない。こんな生ぬるい「拘禁所」があっていいのかと思う読者もいるかもしれない。
 戦後、ソ連によって拉致され厳寒のシベリア収容所に入れられた日本人「捕虜」の悲劇の手記は多々出ている。ソ連内の反体制派の人々や周辺国家の弾圧された人々(バルト三国など)のラーゲリ体験もすさまじいものがある。それに比べれば、何なのか?


 若干の農作業をすることになるのだが、徳田は肥だめの「味見」をするほどの豪放磊落ぶり。だが、インテリの志賀はそんなことはしない。肥担ぎはするが……。
 ラジオを聴くのは許され、戦況をかろうじて知ることになる。

 福本和夫が転向して出所した云々など興味深い拘禁所での生態が描かれている。やがて敗戦を迎え…と。
この人、岩波新書からも本が出ているようなので、後日ひもといてみたい。

 治安維持法で多くの人が逮捕されたり獄死したものもいたにせよ、偽装であれなんであれ「転向」すれば許すという甘い基準もあったようで、死刑判決など粛清された例は聞かない。このあたりソ連中共北朝鮮ベトナムカンボジアなどのコミュニスト政権下の思想弾圧に比べれば、かなり「異なる悲劇」であったというしかないだろう。

 それはさておき、著者が毛嫌いもした軍歌に関しては、最近、1984年生まれの辻田真佐憲氏の『世界軍歌全集 歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』 (社会評論社)という面白い本が出ている。
 日本の軍歌はあまり出てこないが、世界中の軍歌(共産圏の革命歌も当然軍歌になる)の原語(翻訳)が収録されている。
 ヒトラー、毛沢東やフランコや金日成や金正日などの「独裁者」を讃える軍歌はむろんのこと、ソ連の「ポーリュシュカ・ポーレ」も軍歌だったとのこと。てっきりロシア民謡かと思っていたが? 「平原よ、平原よ」で始まりつつも、「われらが大地を赤軍の英雄たちは駆け抜ける」「潜水艦は疾駆して、艦船が警戒体制に着く」といった歌だったとか? 
 ううむ、昭和46年頃にたしか、この歌を仲雅美(男です!)が歌っていたが、彼は共産党の回し者か、歌声喫茶のオルグだったのか? ロシア語で知っているのは、スパシーバ、ドーブロエウートラ、ダスビダーニャ、ニェット、ニーチェーボーぐらい。「ポ―リュシカ・ポーレ」はロシア語で「愛の言葉」だと思っていたのに?

 フィンランドでは「モロトフはダメだ」なんて軍歌があったという。これは1942年に作られたもので、ソ連の侵攻を食い止めた時に赤軍の弱体ぶりを風刺した歌のようだ。

「イワンは楽しそうに歌いながら戦争しにきた。でもマンネルヘイム線に当たってからは、その歌声は一転して悲しげになってしまった」「ウラルの彼方、ウラルの彼方へ、モロトフの小作地ならそこに沢山ある。スターリンとその仲間たちも送ってしまえ」…と。楽しい歌? こんな歌を作った作曲家と作詩家は、戦後、「フィンランド化」されたフィンランドで無事生き延びたのだろうか? 

「スターリンこそ、われらの輝ける凱歌 スターリンこそ、われらの若き飛躍」「今やソヴィエト全土は、世界一太陽の輝く国となった。スターリン式の大収穫で、コルホーズの野は満たされる」「スターリンの温かい笑顔を子供たちは喜びあう」といった「スターリンの歌」が1938年に作られていたという。こういう軍歌なら、当時の土屋さんも喜んで歌ったことだろうか? 

 そういえば、スターリンが死んだ時にも、そんな歌詞と五十歩百歩のスターリン讃歌詩集を著した滑稽な日本の文学者の本があった(1954年刊行の『スターリン讃歌・詩集』理論社)。これも「迷著」というしかない噴飯ものであった。野間宏なども名を連ねていたと記憶している。

 さらに、関連書として、吉原昌宏氏の『ミリタリー雑具箱 吉原昌宏ミリタリーイラスト作品集』 (大日本絵画)を読んだ。ミニスカの女兵士も登場するが、連合・枢軸それぞれの軍服や戦車や戦闘機などのイラスト&マンガが収録されている。僕は兵器オタクでも軍服フェチでもないのだが、こういうのを眺めるのは楽しいもの。国書刊行会や大日本絵画のこの手のイラスト本はいいね。
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さようなら、渡部昇一さん 人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?
(2017・4・17・月曜日)




渡部昇一さんが亡くなったとのこと。1930年(昭和5年)10月15日生まれだから、まだ86歳。2007年に飛鳥新社から『95歳へ! 幸福な晩年を築く33の技術』という本を刊行していただけに、あと十年は生きていただきたかった。

『知的生活の方法』 (講談社現代新書)から始まって、多くの本を読んできた。最近でも、広瀬書院からシリーズで刊行されている『アングロ・サクソン文明落穂集』『渡部昇一の着流しエッセイ』を愛読したものだった。
『人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』 (海竜社)は未読だが…。

そのシリーズの本の中で、たしか、郷里の先輩でもあるドイツ文学者の佐藤正能氏の歌集の中にある歌なども紹介していた。


たのしみは 朝刊広告に見し本を 帰途の本屋に見出たる時
たのしみは、よき本を得て 読み耽り 零時になるも気づかざる時
東京を よしとする点ただ一つ ほしき本 すぐ手にはひること
たのしみは 孫八人が集りて 話しできぬほど騒ぐ時
たのしみは 八階図書館で 本を買ひ 九階食堂で 鰻食ふ時
死は生の 終りにあれば よき生を 送る以外に よき死はあらじ


佐藤正能氏が歌うように、

死は生の 終りにあれば よき生を 送る以外に よき死はあらじ   か。

ご冥福をお祈りする次第。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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『世界の夢の本屋さんに聞いた素敵な話』で取り上げられた神田神保町の古本屋は何処の店なのか?
(2017・4・17・月曜日)






昨日(日曜日)は、家の整理整頓(冬物洋服と春夏洋服の入れ換えなど)&書類読破で過ごす。晩飯の買物に出かけただけ。土曜日は二万歩歩いたが、日曜日は2000歩ほどか。

ボブ・エクスタイン著&ギャリソン・キーラー(前書き)の『世界の夢の本屋さんに聞いた素敵な話』 (エクスナレッジ)を読んだ。

内容紹介→『ニューヨーカー』誌のイラストレーターが世界の75の書店から聞き書きした、個性的で楽しく、時にはほろ苦い逸話の数々。
デヴィッド・ボウイ、クリントン元大統領、マドンナ、ロビン・ウィリアムズ、ルー・リード、ウンベルト・エーコ、モリッシー、エドワード・ゴーリー、ヘミングウェイ……綺羅星のような著名人たちも顔をのぞかせる、笑いとペーソスに満ちた一冊。美しいイラストで綴られた、書店文化への愛とノスタルジーがつまったビジュアルブックです。


本屋(古本屋もあり)の外観は「写真」ではなく「イラスト」で描かれ、書店にまつわるちょっとした面白いエピソードが紹介されている。
本屋で知り合って結婚した例など。僕の知人でも、そういう人がいる。田舎の高校では同級生どうしだったが、どうってことはなかったものの、上京し、東京の本屋で偶然出会って…と。そういうことはあるだろうね。本屋で偶然会ったら、お茶でも飲もうかと…。そして…。

ウンベルト・エーコの本は読んだ記憶がないが、本書に出てくるエピソードによれば、サイン会の会場で「ここは禁煙ですよ」と注意されても、彼は平気の平左でタバコを吸い続けていたという。かなり頭の悪いバカだったようだ。耳や目が不自由だったのか? 頭も?
こんな手合いの本は読まなくて正解? それにひきかえ(?)知性と教養のあるウィリアム・サファイアがやってきた本屋などでの面白いエピソードも出てくる。

有名な「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」も紹介されている。「本屋のない町は魂のない町だ」という言葉もあるそうな。チェスの名人、ボビー・フィッシャーのお気に入りの本屋がアイスランドにもあったそうな。彼の伝記か自叙伝だかも積んどくのママということをふと思い出した。
「大量破壊兵器」ならぬ「大量開架兵器」という名の戦車型の移動式書店もあるそうな、アルゼンチンに。

ヘイ・オン・ワイ(英国)の「リチャード・ブース書店」も出てくる。38軒の古本屋が集まった古本王国。ここは死ぬ前に一度行きたいと思っているが。
ヘイオンワイに関しては、大内田鶴子氏ほか編の『神田神保町とヘイ・オン・ワイ 古書とまちづくりの比較社会学』 (東信堂)やポール・コリンズの『古書の聖地』 (晶文社)やリチャード・ブース自身の『本の国の王様』 (創元社)なども読んでいるのだが‥。

日本のヘイ・オン・ワイならぬ神保町も出てくる。ここは特定の書店名ではなく「神田神保町」として。店紹介のイラストはあるのだが、どの古本屋かはちょっと判別しがたい。店の屋号の「漢字」も、ちょっと「日本語」離れ(?)している感じの漢字だし?
「○○○書房」という文字も…(○○○は判読できない奇妙な漢字)。「書房」は旧字風に見えるが、こんな字があるのやら? 怪しい?
店の作りもちょっと昭和時代すぎる? 田舎の古本屋なら、まだこんな感じの古本屋はありそうだが、神保町界隈では、こんな日本家屋の古本屋はちょっと見当たらないのでは?

ちなみに、本書に出てくるのはいずれも特定の本屋。ちゃんと「書店名」も出てくる。しかし、「神田神保町」だけは、「書店名」が出てこないのだ。イラストも特定の書店を指しているようで指していない(文中にも書店名が明記されていないから)。「リャチード・ブース書店」も、「屋号」めいたものは出てこないが……。「神田神保町」は「屋号」のある古本屋は出ているが、その「屋号」は正体不明の「日本語」。イラストに出てくる、その古本屋の隣の店は、古本屋ではなく料理屋みたいな店のようだが、これも看板などは得体の知れない奇妙な文字だ。もしかしてハングル?

この本、「目次」もなく「訳者解説(訳者あとがき)」もない。「神田神保町」で紹介されている謎の店について、何らかの解明がなされるべきではなかったか? 日本人読者がこの本を読めば、上記のような「疑問」を感じるはずだから、出版社&訳者は、その疑問に応える義務があるのでは?

イラストを見るかぎり、この店名は五文字のようだ。最後の二文字は「書房」か? 千代田区神田で古本屋を検索すると、「書房」と名のつく古本屋は十数店出てくるが、五文字(すべて漢字)の「○○○書房」というのは見当たらない。謎は深まるばかり? 原作者や向こうの出版社たちは、このあたり手抜きしたのかな? だとしたら、日本人を舐めている?
それにしても「謎」の日本語文字には閉口するしかない?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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新宿御苑での花見から始まり、古本市古本屋行脚で大岡川の花見、そして文明退化の音が聞こえる野毛界隈での見聞…?
(2017・4・16・日曜日)





今年の東京周辺の桜は平年並みであろうか。花見をするには、ちょっと肌寒い日があったり、雨が降ったり、いま一つだったかもしれないが…。九段下界隈など遠目でちょっと眺めた程度だったが、なぜか、昨日(土曜日4・18)の朝、新宿御苑へ。週末ギャンブルにたまたま行かなかった古女房と共に出かけることになってしまった。

要人(安倍首相)がやってくるとかで警戒が厳重だったが、なんとか中に入りブラブラする。桜もまぁまぁ残っていた。おみやげの饅頭などを二人分二セット受け取る。場内では無料の焼きとりコーナーなどがあったが、長蛇の列。並ぶことはせず。

神田古書会館に行くために、午後9時半には御苑をあとにする。古女房は横浜の知人宅へ。模索舎に行きたいと思ったが、まだ開店前か? 古女房とはあとで合流する予定で、まずは神田古書会館では、
北原節子『空はいつも光っている』 ( 学風書院 )を購入。しかし、あとで検索すると購入ずみ。ただ、「丸山尚一様 信子様  北原節子 」 の署名入り。200円だったが。

そのあと、五反田の古書会館へ。

坂崎重盛氏の『超隠居術』 (二玄社)、ジャック・グラタス&トレバー・ブレストンの『ナイト・チャイルド』 (角川文庫)、鈴木三郎氏の『タンゴに乗って アルゼンチン夜話』 (日本交通公社)、吉川兼光氏の『戦後労働運動の歩み 上下』 (労働運動史編纂会)を購入。

そのあと、横浜へ。知人宅で妻と合流。関内でヤクルト戦を見ようかという話になっていたが、夕方にわか雨になりそうだというので止めようかと。そしてたまたまつけたテレビで「ファイナル・プロジェクト」(BS朝日)をやっていて、結構面白いスパイ映画なのでついつい一緒に見てしまう。ジャッキー・チェン主演。ナターシャが美人だった。

午後3時に映画は終了。にわか雨は降りそうにもない「晴天」。夕方、ダンチューに出ていた焼鳥屋に行こうかと。午後6時開店だから、それまで時間を潰そうと思って、関内周辺の古本屋行脚に。

まずは大岡川沿いにある黄金町アートブックバザールへ。店頭の50円コーナーでは雑誌「正論」などが。店内もジキル系本など多々。中河与一の『探美の 夜 上下』 (角川文庫)などがあったが買わず。川周辺の桜も少し葉桜。まだ、なんとか残っているが…。

そのあと、久しぶりに馬澄書房へ。店内に鳥籠(大型インコかと?)。可愛い。古本よりそちらをチラチラ。ちょうど餌を入れてもらったのか、ずっと餌箱に顔をうつむけていたが。あまり鳴かず。ハイド系の本は隅の隅に。あいにくと買いたい本はなし。

その崎にある川崎書店へ。ここはジキルとハイドの古本屋。フフフの本も多数。森田健作氏の『若者派宣言 [青春はタマネギだ]』 (勁文社)を800円で購入。昭和49年の刊行。この人は「日本のレーガン」になれるかも。すでに千葉県知事。この前の選挙でも圧勝。三期目に入った。

以前、 『批判するだけでは変わらない 日本の政治』 (ベストセラーズ)だったか、一読した記憶がある。まともなことを主張していたかと。元々、民社系から参議院選挙に立候補し当選。そのあと、千葉県知事になった。
この『若者派宣言』でも、 「俺は、いまの日本にいちばん欠けているものは『道徳教育』だと思う」と述べ、君が代、日の丸を尊重すべしと説いている。いやはや立派な心がけ。一読の価値はありそうだ。

その先のハイド系古本屋を覗いて、紅葉堂長倉屋書店へ。書評用のサンプル版なども売っていた。セドリご遠慮下さいとの注意書きも。はてな? 誠和堂書店なども久しぶりに覗く。ハイド系古本屋…。特に買いたいものはなし。

そのほか、カッコク堂や苅部書店など。買いたいものはなし。

野毛にあるどら焼の名物店でどら焼でも買おうかと思って立ち寄る。先に買い物しているオバサンと店主がピーチクパーチク。後ろに客がいるのが分かっているだろうに……。買い物をすませても、「あっ、そういえばあれが…」「あぁ、あれ、そうだったの…」と。意味もなく待たされるのは嫌いな性分なので、買うのを断念? 二度とこの店には来ないことを誓う!!!!! こうして客は減っていく? 小田原の守谷パン店は、こんな不作法なことはしないけどね。次々と客をさばいていく。もっとも、この前立ち寄った時、「このパンは賞味期限はどれぐらいもつのかね?」と店先で買ったあとも何度も聞いている老人(認知症?)がいて、辟易としたことがあったが……。それは店員のせいではないから。

一端知人宅に戻り、一緒に午後6時開店の焼鳥屋に、5時55分に着いたら、あら不思議、店内はもう満席。外のテーブル席はまだ空いていたが…。

それにしても、午後6時開店とあるのに、午後5時55分にやってきたら、店内満席とは? 普通、「行列」になっているのでは? 予約を受け入れているかどうかは別にしても…。店内完全禁煙ということで目指したのだが、こういう店も二度と行かない?

外の席で食べるのでもいいかと思ったが、野毛周辺は、反社会的行為(歩きタバコ)をする輩が多々いる不良地域?

とても、楽しく外座席で食事をするのは困難。断念して別のスペイン料理屋(全席禁煙)に行こうかと思ったが、そこも予約で満席。仕方なく桜木町方面に移動。その途中にスペイン料理屋があったが、そこは全面喫煙可能店とのこと。やれやれ。禁煙先進県(?)でもこの程度。野毛、日ノ出町、関内周辺には歩きタバコや立ち止まりタバコなど、タバコの悪臭が蔓延。取り締まりをなぜしないのか?

ともあれ、桜木町へ。いつものキリンシティの手前にある元町倶楽部に初めて入る。ここは全席禁煙。やれやれ、やっと文明的な空間に入ることができたと。スペイン系の料理が多くまずまず。ここで楽しく食事。そして帰宅。森田健作同様、長く芸能界で活躍しているデープ・スペクターさんの本に、たしか『文明退化の音がする』 (新潮社)という本があったが、たまに訪れる横浜界隈の街角、街頭でのタバコの悪臭には辟易とさせられる。文明開化どころか、文明退化が進む一方の感がする。

半径百メートルに人がいるところでは吸わない、半径百メートルに人がいるところでの青空喫煙は禁止、ただし、タバコ税で汚染者自己負担の原則によって、二重ドアの喫煙ルームを設置するといった文明開化はいつになったら実現するのか。吸いたい人には、他人に迷惑にならない限り吸わせればいいのだから。個々人の「健康」などは国家が心配する必要はなし。ただし、認知症のタバコ飲み対策は必要だし、失火による「責任」はきちんと取らせる法的体制を確立するのも肝要だろうが。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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