精力・体力の限界に挑戦か? 3Pならぬ4Pを、あわよくば、5Pまでも?

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  今日(土曜日)は、3Pならぬ4Pを楽しんでしまった。あわよくば、5Pまでやろうとしたのだが、男一人では精力・体力がもたず……。

 いや、4Pといっても、神保町古書会館、五反田古書会館、新宿西口地下イベント広場古本市、高円寺古書会館と「4大古本市」(4つの「場所」、プレイスを行くから4Pという意味です! パーソンのPに非ず)のこと。
 誤解なきように。それ故に早漏、いや早足で行き来しなくてはならない。二万歩超えるかも?

 まずは五反田へ。あいにくとここでは、F・フィセーヌ&F・ペルーの『欧州の苦悶』 (鎌倉文庫)一冊のみ購入。訳者が、松尾邦之助氏他訳だったので手にした次第。

 地下鉄で神保町へ移動。ここでは、千田夏光氏(文)&山田修二氏(写真)の『どん行列車の旅』 (サンケイ新聞出版局)、アンドレイ・ワシリエビチ・チュフノ他の『コルホーズ生活五〇年』 (御茶の水書房)を購入。
 千田氏といえば、僕はあまり好きではないが、官能小説家として有名な、いや、違った、あれは千草忠夫氏。こちらは「従軍」慰安婦問題で活躍した左派系「問題」作家? こんな本を、よりによってサンケイから出していたとは? 
 コルホーズの方は、なんともいえない無残なソ連賛美本の一冊か?

 古書会館から古本屋街を軽く回って、「いもや」で久しぶりにとんかつ定食(750円)を食してから、旧国鉄に乗って新宿西口地下イベント広場へ。昔、高田馬場のビッグボックスが5階か6階で古本市をやっていた頃は、これぐらいの広さは悠々あったかと。一階でやっていた時にしても、以前の改造前の一階なら、今より広々としていたものだ。何度でもいうが、今のビッグボックス一階の古本市はあまりにも手狭。「量」がある程度ないと……。あの頃と違って、少しは古書もある例外的なブックオフが近くに二軒あったりして、その縮小を補う形になっているとはいえ……。
 新宿西口地下イベント広場の古本市は雨の心配がないし、屋内だから禁煙のようだし、その点は池袋西口公園や新橋SL広場の古本市よりは身体にいい。だが、あいにくと買いたい本はなし。

 ラストは高円寺へ。
 都丸で小鷹信光氏の『私のアメリカン・グラフィティ』 (ランダムハウス講談社)と梨本祐平氏の『中国のなかの日本人』 (同成社)、モンセラ・ローチ(文)&セスク(画)の『発禁カタルーニャ現代史』 (現代企画室)を購入。
 古書会館では竹森一男氏の『秘録昭和キリスト教の受難』 (番町書房)、カトリック社会問題研究所編の『十字架と赤旗 差し出された手にどう応えるか』 (コルベ出版)、吉村作治氏の『HOW TO 大冒険 脱出プランから秘境走破術まで』 (主婦と生活社)を購入。たまたまかもしれないが、タバコを吸っている人は室内にも室外にもいなかった。

 「浦和宿古本いち」というのもこの週末にやっているようだ。ここに行けば5P! だが、以前この古本市を「初体験」しようとして浦和に出かけたら、家を出た時は晴れていたのに段々曇ってきて雷雨寸前になる頃に浦和に着いて、でもまだ小降りだからと会場に寄ったら雨天を見込んですでに中止状況。規模もあんまり大きくなさそう。
 駅に戻る途中古本屋を一軒見つけて寄ったりした。ほかにも何軒かは浦和駅周辺に古本屋があるようだが、学生時代よく寄っていた某古本屋はもう消えている。以前は浦和駅前のデパートでも古本市をよくやっていたが、最近は音沙汰なし。ついでがないとなかなか浦和までは行けない? 帰宅したら18000歩。
 
 車中では、野呂邦暢氏の『王国そして地図』 (集英社)、 『古い革張椅子』 (集英社)を読んだ。どちらもエッセイ集。S書房(古本屋・山王書房)の話やジッドの日記の話や本屋の話など…。高校を卒業して一番嬉しかったのは数学の試験を受けなくていいということと記しているのには同感。

 「今でもどうかすると試験の夢を見てうなされる。もうすぐベルが鳴るというのに答案用紙には一字も書いていない。あるいは正解のつもりで書いた式が、提出直前に誤りであると気づく。その瞬間、高らかにベルが鳴り、私は冷汗をかいて目をさます。私は自分がそろそろ下腹のせり出しかけた中年男になろうとしている齢に達していることを、この時ほど深い歓びをもって認めることはない……」と。よくそういう夢を僕もかつては見たものだ。さすがに最近はそういうこともなくなってきたが……。

 「第三国人」という言葉も普通に出てくる。朝鮮戦争が始まって古金属の回収が商売になっていたころ、朝鮮人の韓国人部落のおじさんにアルミを入れて騙して売りつけた話の中で綴られている(『王国そして地図』1977年刊行。野呂氏は1937年生まれ)。石原都知事(1932年生まれ)が、「不法入国した第三国人」云々と発言していろいろと問題にされたが、「第三国人」は、野呂氏が使っているように、敗戦直後に生きていた日本人にとっては、ごく当たり前の普通の用語でしかなかったのだろう。



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