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2017.11.25 (Sat)

風見章と多田駿と近衛文麿、そして武村正義はどこでどう結びつくのか?







風見章と多田駿と近衛文麿、そして武村正義はどこでどう結びつくのか?
(2017・11・25・土曜日)




山本七平(奨励)賞を受賞した岩井秀一郎氏の『多田駿伝 「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念』 (小学館)を遅ればせに読んだ(しばし積んどくしたままだった)。同時進行で、近刊の林千勝氏の『近衛文麿 野望と挫折』 (ワック)も読み進め読了した。

どちらの本も、冒頭の段階で「風見章」なる男が登場する。昔、須田禎一氏が『風見章とその時代』 (みすず書房)なる本を書いていて、学生時代、一読した記憶があるが…。著者(須田氏)も風見章も、ちょっと「容共リベラル」、いやコミュニストかな…との印象を持ったことだけが記憶に残っている? そんな風見を、反共宣言ともいうべき「近衛上奏文」までしたためたことのある近衛文麿がなぜ重用(「内閣書記官長」に起用。これは今の「内閣官房長官」)したのか? そのあたりの謎を解明するためにも、双方の書は役立つ。林氏の本にも多田に関する言及がある。

多田は岩井氏の本にある通り、シナ事変を拡大しないように努力した陸軍軍人。にもかかわらず、行け行けドンドンと、シナ事変を不当に煽ったのは誰で、その背景に何があったのか……。よくよく考えておく必要があろう。

風見章といえば、猪木正道さんが、 『日本の運命を変えた七つの決断』 (文春学藝ライブラリー)の中で、風見が近衛総理にこんな知恵付けをしていたと批判している(「第五の決断――石原莞爾の異能と近衛文麿の不決断」)。

盧溝橋での衝突が1937年7月7日に起きたあと、停戦協定が7月11日に現地で締結されたというのに、その日に閣議で「内地師団を動員するということが決定」されてしまう。「これはたいへんまずい決定」「総理大臣近衛文麿の責任」と猪木氏は指摘。みんなが心配しているときに、首相官邸ではお祭り気分で、「まあこの際、”暴支“を膺懲しようというような状態」になってしまった。そんなことを近衛はなぜしたのかということになると、風見が近衛にこう言ったからだと。

「軍にまかせておいたのではどこまで行くかわからないから、軍がびっくりするほど強硬な態度を総理がおとりになるのがよろしい、そうすれば、むしろ軍のほうが自重するでしょう」

「これは非常にあぶない発想である。こういう『毒をもって毒を制する』ような危険な政策をとったことが、近衛総理の一つの特徴といえる」

近衛は風見に入れ知恵されたとすれば、風見は誰にそんな暴論を入れ知恵されたのか? もしかしてコミンテルンかも?


それにつけても、この風見章なる人物…。 『鬼怒川雑記』 (常陽新聞社)なるエッセイ本を昭和28年に刊行している。
冒頭から、単細胞的な再軍備絶対反対論を展開。末尾では、日中貿易促進議員連盟の一員として新中国(大陸)を訪れた時の見聞を綴っている。通訳してくれる女子大生の「食費から書籍そのほか一切の学費という学費は、国家がまかなってくれる」との言い分を真に受けて、当時から定番の中国礼賛を綴っている代物。こんな単細胞型レベルの男だったのか?  

最近でいえば、武村正義ではないか?  どっちも「官房長官」をやっていた(風見の当時の肩書は前述したように「内閣書記官長」。これは戦後の「内閣官房長官」)。武村正義がどんなに酷い政治家だったかは、以前、彼のオーラルヒストリー本を書評する形で指摘したことがある(下記に再録)。本当に呆れた愚鈍極まる政治家(政治屋)だったというしかない。風見章は、それに比べれば、まだ武村よりはマシだったか?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

(以下再録)
武村正義氏の「回顧録」の驚くべき内容 05/30/2011


以前、細川護熙氏の『内訟録 細川護熙総理大臣日記』 (日本経済新聞出版社・伊集院敦氏構成)を読んだ。それほど深みがある内容の日記とは感じなかった。長期政権を担った佐藤栄作氏程度の政治家であっても、朝日新聞社から刊行されていたその日記は表面的な記述が多くあまり面白くなかったという記憶がある(あの「密約外交」の忍者・若泉敬氏の名前は出てきても、具体的な指示などが書かれていたわけでもなし)。況んや短期政権で元祖丸投げ、投げ捨て総理では……。
 佐藤氏の日記も週末は鎌倉の別荘に出掛けてゴルフ三昧云々の記述が多かった(もちろんゴルフしながらいろいろと密談してもその内容は日記に記さなかっただけかもしれないが)。
 細川さんはもっぱらテニス。日記も誰と会ったとかそんなメモ的記述がほとんど。本なんかほとんど読んでいないようだ。正月休みは少し時間があったのか、ヒルティやニクソンの僕も読んだ覚えのある本などがちょこっと出てくるが、その程度。
 
日記だけではもたないと出版元も考えたのか、当時の首相官邸の動向(一日)などを下に載せたり、当時の政府関係者たちのコメントをあちこちに挿入して、史実関係を補強したりしている。
 
韓国の金泳三大統領との会談では、「ユニーク」な歴史観から謝罪を述べたりしたことを喜々として書き残している。金大統領側のコメントとしては、もちろんそうした謝罪的なことは歓迎しつつも、当時北朝鮮に日本からお金がかなり流れていたことに懸念を表明し、「私は、日本は本当におかしな国だと思いました。何のために、共産主義者にそんなことをするのか、と」。
 
圧巻は中国首脳との会談前の記述(九四年三月)。天安門の記憶もまだ根強く、米中関係でも人権問題が注視されていた時期。日中首脳会談では向こうから「公式会談ではこれ(人権問題)を提起することは何としても取り止めて欲しき旨申し入れあり」と。「先方がそこまで嫌というものを強行することは、感情的シコリとなり、訪中全体の雰囲気を悪くすること必定と思料、依って人権問題は首脳会談ではなく、晩餐会の席上で述ぶこととす」としたと書く。
 殺人者李鵬首相とはトキ保存について協力を求め、相手の嫌がることを言わなかったおかげかどうかは別にして、積極的に協力する旨の回答を得たとも記している。
 新潟のトキ程度のために、多くの中国内の人権被害者を見捨てるようなことをしたわけだ。かつての日本軍の蛮行を侵略戦争だと批判し反省するならば、同じことを、いやそれ以上の蛮行を行なっている中共に対しても批判的視点を持たないと矛盾ではないか。そうした矛盾を矛盾と感じるだけの知性は持ちたいものだ。
 「国民福祉税」をめぐる抗争など、政権末期の状況に関してはあっさりとしか書かれていない。物足りない。

 その点、細川さんの盟友であった(?)さきがけの武村氏が出した『聞き書き武村正義回顧録』 (岩波書店・御厨貴氏&牧原出氏編)はちょっと面白いものがある。といっても感動するとかという意味ではない。「国防にはあまり興味がない」(95ページ)と公言する人でもあるから多くのものを期待はできない?
 本書はオーラルヒストリー的に滋賀県知事から自民党代議士、脱党し新党さきがけ結成、細川連立政権の官房長官就任、自民党・社会党との連立政権樹立、大蔵大臣就任、落選、引退…の歩みを二人の政治学者による聞き書き構成でまとめたものだ。武村氏にはすでに回顧録もあるようだ。そちらは未読。

衆議院選挙に出馬した時は未公認だったが終盤当選しそうだということで投票日直前になって追加公認。めでたく「公認候補」として当選。竹下幹事長に挨拶に行くと3000万円の公認料を後払いしてもらう。安倍派入り(安倍晋太郎)ということでそこでも2000万円。他の派閥にも挨拶に行くと100万から200万円はもらえたとのこと。盆暮れにも数百万単位のお金が補填される。
こういうのはよくないと思うようになってユートピア政治研究会なるものを結成して政治資金の透明化や金のかからない選挙ということで小選挙区制度などの研究を進めていくことになる。その研究会にはあの「子供手当」の鳩山さんなども入っていたのだから、今にして思うとお笑い種? そうした動きに理解を示していた後藤田正晴氏にしても最初に参議院選挙に出馬した時には旧来の公認候補を追放し金権選挙を行ない、落選するは逮捕者続出と散々だった。人間、成長したり転向したり心を入れ換えたり、堕落したり、不変だったりするが……。皆さんはどのタイプだったのだろうか?
 
金丸信と社会党との訪朝団のメンバーとして北朝鮮に行き、あの戦後補償などトンデモない外交を展開もしてしまう。本書によるとワルイのは金丸で暴走するのを停めようと自分は躍起だったという(本当か?)。知事時代にも訪朝したことがあって金日成に何度か会ったこともあったそうな。訪朝時の金日成礼賛の言葉もどこか別の本で読んだ記憶があるが今は手元にない。
そのため、偉くなってから訪米した時、ゴア(副大統領)やペリー(国防長官)やウールジー(CIA長官)が会いたいということで会うと北朝鮮のことを根掘り葉掘り聞かれたそうな。当時のアメリカも藁にもすがる思いだったのだろう。

自民党を脱党しさきがけを作る時の政治理念の中に、護憲などを入れリベラル色濃厚なのに、皇室尊重が入っていたのだが、この尊重は「誰が入れたのかな」「皇太子が結婚されて、古めかしい服装で馬車に乗って皇居から出たり入ったりされている映像がニュースで流れていましたので、ものすごく美しいという印象がみんなに残っていた」から「日本文化の議論をしているときに、その象徴として皇室を入れようということになりました。これで締まるし、社会党と違うということもこれではっきりする」「革新ではないぞ、ということですね」と。その程度の発案でしかなかったのだ。安易!

細川氏の先の日記本で武村氏が官房長官や首相になりたがっていた云々の記述があることに反論を展開もしている。真偽は? もはや、どうでもいいけど。

官房長官になって機密費の取り扱いやら閣議の進行ノウハウやらいろいろと出てくる。
その後、小沢一郎との対立、日本新党との仲違いなどあって、自民社会さきがけ連立政権ができる。大蔵大臣をやってほしいといわれ「私自身はさきがけのためには、外務大臣のほうが怪我がなくていいなあと思いました。昔から外務大臣というのは普通にやっていれば、一番楽とは言わないけれど、外務省が書いた原稿をきちんと頭に置いて、外国の要人と会って握手していれば、それでけっこう支持や人気が上がりますからね。マイナスの少ないポストなんだと思っていた」と。
この時代錯誤な認識には驚嘆慨嘆するしかない。なんという政治家なのだろうか? 「国防にはあまり興味がない」(95ページ)と公言する人だから、外交にもあまり興味はないだろうに。そのくせ大臣やるなら外務大臣の方がラクそうとは。

結局大蔵大臣になるのだが、心配することはなかった? こちらも楽ちん。というのも以下の通りだから。
「(サミットに行く前にも)丁寧にレクチャーを受けます」「大蔵省でも受けているし、飛行機の中でもまた受ける。会談が始まる前にまた新しいことがあれば追加して受けます。そういう説明を聞いて理解する能力さえあれば、本当に表面の外交というのは楽な仕事なんですね。最初の会議で、一回目の発言はこういうことを言ってください、と書いてある。それを読んでいるのも恰好悪いから、紙は置いて、半分視線を上げながらしゃべる。半分ぐらい記憶しておけばいい。慣れてきたら、自前でしゃべれます。そうしたら同時通訳をしてくれますから、その程度の慣れは、すぐマスターできます」
「大蔵大臣にもけっこう外交はありました。大臣室で『やあやあ』と初対面の握手をして、そこをテレビなどは映しますね。そこは慣れた恰好で、あまり腰を曲げないで握手をして、ニコニコして、それが済んだら『どうぞ』と言って奥の部屋に入って、そこで会談が始まるけれど、そこには両方とも紙が置いてあるし、見ようが見まいが、それを置きながらしゃべるわけだから、そんなに苦しい仕事ではないんですね。全部とは言いませんが、多くのものはそうですね」
と。

本書聞き書きの圧巻だ?  菅直人総理もそうした「紙」を見ながら、尖閣の後、中国政府のお偉方とやっとのことで「会談」したことがあったが、「正式」のものではなかったのでその一部始終(メモの棒読み)をカメラに写され失笑されたことがあったと記憶しているが、あれが通例なのだ。
少々無能でもお役人の「メモ」があれば大臣、総理職も遂行可能なのだ。その裏舞台をざっくばらんにあっけらかんと告白している本書は、きわめて貴重な証言録として今後も政界を目指す若人のバイブルとなるであろう?(反面教師、反面教材として活用してほしいものだが)。

法務大臣職は楽ですよ、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっている」と言えば国会答弁はノープロブレムと豪語した柳田稔法務大臣もぜひ回顧録を書いて裏舞台を公表してほしいものだ。

それにつけても阪神大震災の時も与党だったのに、そしてさきがけの中では例外的に優秀だった神戸選出の国会議員・高見裕一氏 (『官邸応答せよ』朝日新書の著者)が、午前6時半ぐらいの段階で武村氏に「大変です」「家はほとんど壊れているし、悲鳴を上げ、泣き叫んでいる人がたくさんいるので、いま救済活動をしています」との電話もかけてきているのに、「テレビを見ている限り、全国情報としてはのんびりしたもの」で午前中は武村氏ものんびり。「大きい地震らしいということで、午前中に臨時閣議も開きましたが、閣議を開いても具体的に締まった話題がないんですね」「官邸にも全然情報が入っていない」「そして夕方になって…」と。
なんというテイタラク。信頼すべき自党の議員から現場の悲惨な情報を得ているのに何で機敏に動かなかったのか? 情けないにもホドがあるではないか。官邸応答に反応せずだったのだ。
「翌日の朝には現地に飛びました」というが…。村山首相も同様で自衛隊の出動は遅れ、米軍の支援は拒否し…。もはやいうこともない。こんな情報感覚の人が内閣の要職にあった日本の不幸!

タヒチの核実験(フランス)に抗議するために現地にまで出かけたことは嬉々としてしゃべっているが、ほぼ同時期に行なわれた中共の核実験にはそうした行動力は発揮していない。そうした二枚舌に関する「聞き書き」がないのも残念。聞き手の度量不足か?



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