古本虫がさまよう 『戦争をよむ 70冊の小説案内』以外の本で、「戦争を読む」という姿勢が、より大事になるだろう
2017 10 / 09 last month≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11 next month


『戦争をよむ 70冊の小説案内』以外の本で、「戦争を読む」という姿勢が、より大事になるだろう(2017・8・7・月曜日)





中川成美氏の『戦争をよむ 70冊の小説案内』 (岩波新書)を読んだ。

内容紹介→克明な心理描写をまじえて戦争と人間の真実に分け入る小説作品は、戦争のリアルを伝える大切な語り部だ。物語のなかに封じ込められた、戦時下を生きる人びとの細やかな感覚と日々の葛藤と苦しみ、そして悲しみ。記憶の風化とともに失われていく、かつての時代の手がかりを求めて、戦争の文学を再読する。
目次はこんな感じ。
第1章 戦時風景 第2章 女性たちの戦争 第3章 植民地に起こった戦争は―
第4章 周縁に生きる 第5章 戦争責任を問う 終章 いまここにある戦争


なんとなく…進歩的文化人系の「戦争批判本」の感想文かなと。一種の書評本だから、いろんな本が紹介されていれば、何からの参考になるかと思い読了。あぁ、あの左翼系の女流文学者は、そんなノーテンキな戦争風刺未来小説を書き遺したのか…。つまらなそう…と感じたりもして、その意味では、いろいろと参考になった?

ただ、サブタイトルに「小説案内」と出ているが、山田風太郎氏の『戦中派不戦日記』 (講談社文庫)なども出てくる。ノンフィクションものも扱っているようだ。スペイン内戦がらみでロルカの『ジプシー讃歌』 (平凡社)などを紹介もしている。まぁ、スペイン内戦なら、オーウェルの『カタロニア讃歌』 (ハヤカワ文庫ほか)や、ウィリアム・ヘリックの『スペインに死す』 (角川文庫)や、バレンティン・ゴンザレスの『農民英雄』 (二つの世界社)などを紹介してもいいだろうに……。バーネット・ボロテンの『スペイン内戦 革命と反革命 上下』『スペイン革命 全歴史』 (晶文社)やアントニー・ビーヴァーの『スペイン内戦 上下』 (みすず書房)もいいだろうが…。

一般論としていうが、共産党を讃美しない「戦争本」は、イデオロギー的にマズイから紹介したくないという人は世の中にまだいるのかもしれない。

しかし、トランプ政権が誕生して脚光を浴びている(?)オーウェルの『1984』に関して、典型的な進歩的文化人的解釈をしているのには失笑した。

「いま世界を吹き荒れる反知性主義やネオ・リベラリズム、極右勢力の台頭のなかに、このオーウェルの『一九八四年』を置くと、この作品はまるで今を描写したかと思うほどに生々しい。第二次大戦の戦後処理もおぼつかない一九八四年に執筆されたこの作品が、すでに全体主義的な抑圧に満ちた未来を構想したこと自体に、戦争がオーウェルに与えた不信の根の深さを看取することができる」

「反知性主義」「全体主義」のなかに、北朝鮮の独裁者の行動などが入っているのだろうか?(多分、著者の頭のなかには入っていないのでは?)。「極右勢力」とはルペンやトランプなどのこと? 少なくとも「選挙」の結果を尊重し、暴力的な活動を展開はしていない。
ネオ・リベラリズム…? あくまでも経済政策の一つとしての理念。それを「1984」的に危険なものとみなすのは、かなり「容共」的な人の「反知性主義」的思考力による「想像」でしかあるまい。

ネオ・リベラリズムが危険なら、マルクス経済学だって、かなり単細胞的な危険思想とみなすことも可能だろう。ソ連のほうがいいなんて言っていたマル系の大内兵衛のほうが「反知性主義」的ではないか?(岩波書店は、彼の『社会主義はどういう現実か』を是非「名著(迷著!)復刊」してほしいものだ?)。

そもそも中川氏は、なぜ、オーウェルのもうひとつの名作『動物農場』をとりあげないのだろう。この小説を原作としたアニメ映画が日本でも公開された時、これは日本の格差社会を描いたものだと牽強付会な解釈を上映元がいろいろと論じたが、さすがに説得力はなかった。バカも休み休みに言えと。山際澄夫氏が「諸君!」(2009年3月号)のエッセイ「エッ、「日本は『動物農場』」だって? 宮崎駿監督、どさくさ紛れの嘘八百はやめてください 」にて的確に批判していたものだった。

一時はオーウェルの『1984』は監視カメラなどの監視社会を批判したものはいう向きもあったが、監視カメラが犯人逮捕に貢献している事実が報道されると、これを悪玉にみなす向きも弱体化してきたようだ。そしてトランプ政権が誕生すると、『1984』は…と版元(早川書房)まで、はやし立てているが、あんなに悪口を言われている「独裁者」がいるだろうか? 『1984』にニューヨークタイムスやCNNがあるのだろうか? 公然と批判されている「ビッグブラザー」がいるだろうか?

どう考えても、「ビッグブラザー」に匹敵するのは、金正恩や習近平だろう。そういう簡単な事実を、進歩的文化人やメディアは決して指摘しようとしていない。これほどひどい知的不誠実、反知性主義はあるまい。

中国ではこの前、ポスト習近平ともいわれていた孫政才が突如として失脚した。すると、こんな光景が生じる。

2017・7・23毎日新聞記事によるとこうだ。

見出し→ 「孫氏色 消える重慶」「習氏と写る記事『はがされた』」「失脚」「口コミで広がる」

「孫氏が提唱した都市計画のスローガンも撤去の憂き目に遭っている」「五大功能区域発展戦略の看板が外され、共産党による改革をうたうものに替わった。中国では失脚した政治家の業績を否定する動きが表面化することは少なくなく、2012年に薄煕来・元重慶市書記(収賄罪などで服役中)が失脚した際も、同氏の提唱したスローガンが一斉に撤去された」「市民には戸惑いが広がっている。ホテル従業員の男性は『誰も孫氏の話をしなくなった。みんなが何かを怖がっている』と話した」

そう、こういう業績の突然の否定、情報ゼロのなかでの「恐怖」の発生拡大…これこそが全体主義政治の特徴だ。
トランプ政権下でも高官が突然辞任したり解任されたりするが、こういう不自然な失脚はめったにあるまい。この違いをきちんと認識するだけの思考力というか知性のない人が、オーウェルの『1984』を歪曲して、単細胞的に、自由世界に向けて、「いま世界を吹き荒れる反知性主義やネオ・リベラリズム、極右勢力の台頭のなかに、このオーウェルの『一九八四年』を置くと、この作品はまるで今を描写したかと思うほどに生々しい」と平気の平左で綴ったりするのだ。冗談もほどほどに?

オーウェル曰く→ 「全体主義は、事実上神政国家であって、その支配階層が地位を保つためには無謬であると思われる必要がある」「方針の大転換は、そのつどそれに見合った理論の改変と史上の主要人物に対する評価の変更とを要求する。この種のことはどこでも生じるけれども、その時々でひとつの見解しか許されない社会においては、徹底的な偽造を生みがちである」「全体主義は、過去の継続的な変更と、結局はおそらく客観的真実の存在そのものの否定とを要求する」(『オーウェル著作集Ⅳ』 平凡社)。

だからこそ、習近平と孫政才とが仲良く「写る記事(写真)」は「はがされた」りするのである。

毎日の記事→ 「港で拡張工事に従事する作業員らによると、17日に作業小屋に貼られていた地元紙の切り抜きがはがされた。記事は昨年1月5日付け。内陸部の国際物流拠点として整備が進む港を習近平国家主席が視察し『ここには大きな希望がある』とたたえたことを報じた。記事に添えられた写真には習氏のそばに立つ孫氏の姿。『上司が急いではがしていたのが不思議だった』と作業員の一人は振り返る」「地元では『習氏と孫氏のつながりを否定し、孫氏の業績を打ち消す狙いではないか』との見方もある」

そう、「主要人物に対する評価の変更」が頻繁に、陰湿に起こるのが全体主義国家の特徴なのだ。

『1984』を容共リベラルな人々が、いかに我田引水しようとて、オーウェルの執筆意図はここにある。
トランプ政権だって、政権内部の人間が解任され、官僚がクビになったりしているが、こういう運命に遭遇している幹部がいるだろうか?  もちろん、汚職やらなんやらが本当にあったならばアメリカとて逮捕されるだろうが、こういった水に落ちた犬を叩くようなことはふつうはできない?

この「格差」が、民主主義社会と全体主義社会の違いなのに、「五十歩百歩」とみなすどころか、全体主義社会の『1984』的世界を無視して、民主主義社会の若干の統制などをことさら批判するのは、オツムの構造がかなり偏っているというしかあるまい。

アラン・ジョベールの『歴史写真のトリック 政治権力と情報操作』 (朝日新聞社)は、共産主義者やファシストなどがよくやる手--写真偽造の事実を解きあかした本だ。こういうことをするのが全体主義であり、左翼全体主義(共産主義)と右翼全体主義(ファシズム)とは共通する思想行動様式を持っているのだ。『1984』は、そういう左右の全体主義体制(共産主義&ファシズム)を批判告発したものであり、現在程度の自由世界のひずみをことさら、それに当てはめようとするのは---現在進行形の全体主義国家体制が隣国(北朝鮮・中国)で存在しているのに---愚かなトリックというしかあるまい。

中川氏はほかにも慰安婦問題の本も取り上げているが、伊藤桂一氏の『兵隊たちの陸軍史』 (新潮文庫)なども紹介するぐらいの余裕があればなおよかったかも?

リリアン・ヘルマンの『眠れない時代』 (ちくま文庫)を紹介する際に、 「マッカーシズムと名付けられた狂信的な反共主義は、中世の魔女狩りをもじって『赤狩り』と呼ばれた。ソ連邦、またそこに呼応する社会主義陣営への漠然とした恐れは、やがて朝鮮戦争、ベトナム戦争を惹起し、対抗するソ連では東欧やアフリカ諸国の混乱を生み出した」と書いている。

この筆致って、朝鮮戦争を惹起(侵攻?)したのはアメリカのほう、ソ連などは「対抗」した(自衛戦争?)とも読めるけど?

ベトナム戦争とて、所詮は北ベトナムによる南への侵入に対抗してのものという見方が十分成立するが(ベトコンは所詮は北ベトナムの傀儡)、ともあれ、朝鮮戦争が北朝鮮からの侵攻であったと、この人は認識していないのではないか?

また、ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレアの『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』 (PHP研究所)も知らないのだろうか? マッカーシーの反共主義を「狂信的」とみなすのは間違いだというのはもはや常識以前だろう。狂信的というのは、北朝鮮の核実験を自ら礼賛する金正恩や、その支配下で従属させられている軍人や民衆の全面的礼賛状況を指す言葉が一番ふさわしいものであるという、簡単な事実をこの人は認識することができないのだろうか。少なくともこの岩波新書の中に、北朝鮮や中国のことを、知性主義的に論じている箇所は見当たらない。

なにをもって反知性主義というのか? 全体主義的統治の典型例がすぐ身近にあるのに、それをそうだと認識できない「容共リベラル」ほど、反知性主義的な存在はあるまい。夏休みの課題図書として、日教組の先生方が、こういう岩波本を指定するかもしれないが、この本を読んだあとには、井沢元彦氏の小説、 『日本が「人民共和国」になる日』 (ワック)や、古森義久氏の『戦争がイヤなら憲法を変えなさい 米中対決と日本』 (飛鳥新社)などをひもとくと精神的バランスが回復されていいかも。食事と同じで、読書もバランスよく…?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
スポンサーサイト
 | 共産主義  | TB(0)  | CM(0) | Page Top↑
Secret




TrackBack URL
→http://kesutora.blog103.fc2.com/tb.php/3014-b09a8ecb

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

カテゴリ