古本虫がさまよう 肉食の豹でなくインコだったら……。「南国土佐をあとにして」の秘話の数々
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肉食の豹でなくインコだったら……。「南国土佐をあとにして」の秘話の数々
(2017・7・28・金曜日)



門田隆将氏の『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』 (小学館)を読み始めた。第六章まで読了。全体の半分弱を読み終えたところ。

内容紹介→望郷と鎮魂の歌が織りなす「奇跡」
2017年4月に急逝した戦後日本を代表する歌手・ペギー葉山。愛した人々に見守られ、彼女は代表曲『南国土佐を後にして』の「譜面」を胸に抱いて天へ召された。
彼女の人生を大きく左右することになった同曲のルーツは、戦争中に中国戦線の兵隊たちによってつくられた『南国節』にさかのぼる。元兵士が述懐する極限の戦場、生と死の狭間にいた若者たちが異国の地で故郷を忍び、家族に思いを馳せながら歌い継いだ「望郷の歌」は、同時に仲間への「鎮魂歌」でもあった。
ペギーが、激戦に次ぐ激戦のさなかに生まれたこの歌に出会ったのは、偶然だったのか、それとも必然だったのか。「死」の4か月前、ペギーが筆者に対して語った数々の述懐は、その謎を解き明かし、はからずも彼女の「遺言」となった。自身もまた戦争に翻弄された少女時代を送ったペギーによって新たな「命」を吹き込まれた『南国土佐を後にして』が国民的なヒットとなったことで、新しい曲が発見された。そしてその曲が、東日本大震災の被災者たちを勇気づけ、大きな影響を与えていく。
戦地の若者が口ずさんだ歌の誕生から実に80年近くを経ても、多くの名もなき人々が共鳴し合う奇跡の物語は脈々と続いていた。丹念な取材と構成で明かされる、忘れ去れていた日本人の優しき心とは――。


前半のクライマックスは中国戦線で現地民に頼まれて豹退治に出かけたところ、生まれたばかりの赤ん坊豹に遭遇し、それを戦場で飼育することになった土佐人「鯨部隊」の実話。人間にすっかり慣れる。やがて上野公園へ……。上野公園の動物、猛獣たちの運命は…。上野公園の猛獣たちの末路はよく知られている話(とりわけ「象」の悲劇は…)だが、鯨部隊の豹飼いは知らない話だった。第六章は泣けてくるね。同じ動物でも、餌量が少なくてすむ、人に慣れたインコだったら。いやフクロウだったら…。いや、フクロウはちょっと餌量が多いからやはり豹と同じ運命か? でも人間に危害を与える可能性は豹よりは低いから大丈夫?

それはさておき、余裕がなくなると、国家にせよ、動物園にせよ、人間にせよ、動物やペットを飼う余裕はなくなる。最後には邪魔もの扱い? 会社も大企業とて、余裕がなくなると冗費節約で、現役社員大事ということで、退職者へのケアも次々とカットされてなくなってくる?
いやいや現役社員に対しても、社内の無料珈琲廃止…となる?

ともあれ、そういう戦争の非情さも描かれている。「南国土佐をあとにして」をめぐるさまざまな秘話は後半により多く書かれているようだ。この歌は、こんな歌詞。

南国土佐を あとにして
都へ来てから 幾年(いくとせ)ぞ
思い出します 故郷の友が
門出に歌った よさこい節を
土佐の高知の 播磨屋橋(はりまやばし)で
坊さん簪(かんざし) 買うを見た

月の浜辺で 焚火(たきび)を囲み
しばしの娯楽の 一時(ひととき)を
わたしも自慢の 声張り上げて
歌うよ土佐の よさこい節を
みませ見せましょ 浦戸をあけて
月の名所は 桂浜


元々は、シナ事変の戦場で生まれた歌なので、「都」が「中支」だったりしたようだ。僕は音痴なので、歌は口ずさむことは人前ではないし、あまり歌詞には関心がない。メロディだけは聞いたりするが…。それもあって、「南国土佐をあとにして」というのは、ちょっと太めのおばさん歌手、ペギー葉山さんの持ち歌…程度の認識しかなかった。戦前、戦時中にそういう由来があったことも知らなかっただけに、興味深く読み進めているところ。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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