古本虫がさまよう 殖田俊吉と前川喜平の二人は、近衛文麿と安倍晋三への私怨を晴らし、日本の改革推進を潰し、「暴政」を招き「日本を『人民共和国』にする」つもりなのか?
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殖田俊吉と前川喜平の二人は、近衛文麿と安倍晋三への私怨を晴らし、日本の改革推進を潰し、「暴政」を招き「日本を『人民共和国』にする」つもりなのか?
(2017・7・26・水曜日)




鳥居民氏の『近衛文麿「黙」して死す』 (草思社文庫)を読んだ。
これ、単行本でも一読していたはずだが…。
ふと、手にして、面白いので文庫版で再読した次第(といっても、単行本で読んだのはもう何年も前のこと。ほとんど読後感は消滅)。いい意味で、大胆な推理と想像力をもってして、木戸幸一とノーマンと都留重人を基本的に「悪者」にして叩いている。近衛が、戦後復活しようとしたのを阻止したのがこの面々だと。 「木戸・ノーマン」史観とも名づけている。

憲法の制定過程について、大学で憲法の授業を受けた時、近衛がマッカーサーから改憲案を作れとの指示を受けながら、突如として冷遇されて挙げ句の果てには「戦犯」になって「自殺」してしまうといったエピソードは数行程度、憲法の教科書にも出ているが、その背後にあった権力闘争の裏舞台が、本書で描ききられているといえようか。

近衛さんに関しては、いろいろな見方があり、さて、どれが正しいものか、素人の僕にはよく分からない。「近衛上奏文」を評価すべきか、いなかは……。

新谷卓氏の『終戦と近衛上奏文  アジア・太平洋戦争と共産主義陰謀説』 (彩流社)や、中川八洋氏の 『近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実』 (PHP研究所)や、山口富永氏の『近衛上奏文と皇道派 告発 コミンテルンの戦争責任』 (国民新聞社)なども一読したが、著者それぞれの独特の史観、視点があり…。

近衛は、権力志向が強く、天皇さえ、そのために利用した機会主義者だったのか? 容共リベラルで、風見章のような戦後は左派社会党に行くような人間の本性を見破ることもできずに要職に起用したのは愚鈍だったからなのか? 尾崎秀実に依拠したのはどの程度だったのか? まぁ、彼が消えたおかげで、吉田茂が台頭したのは不幸中の幸いだったのか?

ともあれ、ノーマンという共産主義者で事実上、ソ連のために動いていた男のために、日本の歴史はかなり悪い方向に動かされたといってよいだろう。彼の作った戦犯リストは、すでに死亡していた右翼団体のメンバーだったりしたそうで、いささか観念的すぎていた。

伊沢多喜男という、近衛や吉田茂とともに戦争終結の工作に協力して陸軍に監禁もされていた政治家がいたが、ノーマンは彼を手厳しく批判している。そのマイナス情報元は殖田俊吉だった。その殖田が、伊沢を非難攻撃するのには、ある理由があったという。ちなみに伊沢の次男が劇作家の飯沢匡さんだったとのことで、彼がこう書いているとのこと。

「アメリカの史学家ハーバート・ノーマンが、父のことをかなり間違って書いているが、資料を提供した人物が、のちに詐欺罪で逮捕されるような信用できぬ人なので私は不思議に思っていた。調べると父が台湾総督時代、部下に居た人で父によって馘首になった経歴の人物で見事に私怨を晴らしたのである」(飯沢匡「父を通しての昭和」『波』新潮社 昭和63年6月号)。
鳥居さんは、この引用のあと、飯沢の勘違いを指摘する(「父が台湾総督時代」と記しているが、これは誤りだ。伊沢多喜男が台湾総督だったのは大正十三年から十五年のことであり、殖田俊吉が台湾総督府に殖産局長として在任したのは昭和六年から八年のあいだだった」)。

それはさておくとして、二大政党(政友会と民政党)の争いが最高潮の時、殖田が東大の銀時計で大蔵省に入ったにもかかわらず、総督府の一局長に飛ばされたそうで、それは政争に巻き込まれてのことだったと指摘し、

「殖田がなにをしでかしたのかはわからないが、総務長官、平塚と衝突した。平塚は総督と協議するより先に、東京の伊沢に指示を仰いだのであろう。殖田が台湾総督府から満洲の関東庁財務局長に転出したのが昭和八年九月だった。殖田は転任すると同時に退官した。殖産局長で免職という露骨な形を避けたのである」「それから十二年あと、殖田は見事に『私怨を晴らした』」「ノーマンは伊沢多喜男が政界で活動できないようにした。伊沢は公職追放となった。憲政の道を歩む信念を持ちつづけてきたと自負していたかれは、自分の追放を理不尽だと怒り、承服しなかった。かれは自分を陥れたのが殖田俊吉だと気づいていたであろうか」「ノーマンは殖田から話を聞くまで、伊沢多喜男の名前を知らなかったにちがいない」「ノーマンに向かって、近衛の生き方と気質を悪しざまに罵ることにはじまり、かれこそが戦争犯罪人だと告げた人物、近衛が『やられた』と言って顔を思い浮かべた人物、そのもうひとりの『殖田俊吉』は近衛文麿にどのような『私怨』を抱いていたのであろうか」

この一節を読み、すぐに自民党と民進党の政争が最高潮のいま、天下り斡旋などの職務違反の「罪」で事実上、馘首された前川喜平・前文部科学次官は今年の一月に辞めてから、十二年どころか一年足らずで「私怨を晴らした」「前川は安倍晋三などが政界で活動できないように」しようとしているといえようか。

殖田俊吉と前川喜平の二人は、諸悪の根源か?

 「近衛の政治復活を阻止しようとして、都留とノーマンはあらゆる繋がり、結びつきを利用し、近衛に総攻撃をかけ、アメリカの新聞に徹底した近衛批判を載せさせた。その上で近衛文麿を模擬裁判に引きずりだす。その裁判で九月六日の御前会議こそが戦争決定の会議だったとしてかれを告発する。九月六日に戦争するとお前が決めたのだと面詰して、戦争犯罪人だときめつける」……。

平成の都留とノーマンは?  「朝日新聞に徹底した安倍批判を載せさせた」のは間違いなく前川でしょう。

ともあれ、以前、読んだ井沢元彦氏の『「日本」人民共和国』 (光文社)が、改題増補されて復刊されたようだ。昨日寄った有楽町三省堂(二階)の新書コーナーに山積みされていた(『日本が「人民共和国」になる日』WAC BUNKO ワック)。帯に『カエルの楽園』 (新潮社)の著者・百田尚樹さんの「傑作だ! こんな面白い本が出ていたとは不覚にも知らなかった」とある。

今にして思えば、戦後の混乱時、共産党や左派社会党が政権を取るチャンスはなきにしもあらずだった。60年安保の時も、井沢さんの本にあるように、一歩間違えれば(ハガチーが殺害され安保が改定されず破棄されたとしたら)社会党&共産党政権が樹立され、今の北朝鮮のような政治体制になっていたかもしれない。

そして、いま、憲法9条を少しはまともなものに改正するということにチャレンジしようとする 安倍政権の動きを停止するために躍起となっている一部報道を見るにつけ、日本が「人民共和国」にならなければいいが…と。

たまたまティモシー・スナイダーの『暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』 (慶應義塾大学出版会)を読み出したところ。スナイダーは左右の全体主義を等しく批判する人だと思っている。トニー・ジャットに似ているかと。

20のレッスンは「1 忖度による服従はするな」から始まる。「3 一党独裁国家に気をつけよ」まで読んだところ。レッスン3では、共産主義者(&ファシスト)による「サラミ戦術」のことも出てくる。サラミは美味しいが、サラミ戦術ほど怖いものはあるまい。この本はいろんな立場の人から、つまみ食いされて「我田引水」されるかもしれないが…。なるべく正しく読みたいものだ。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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