古本虫がさまよう 美濃部都知事の決断が禍根を残すことになった「朝鮮大学校」の悲劇を徹底検証した名著『朝鮮大学校研究』を読む。ただ、ヤン・ヨンヒさんはあまり評価できないが…。それにしても「このバカ、また読みもしない本を買ってきて、これ以上、床が抜けたらどうするの」と罵られる音声は録音しておいたほうがいいか?
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美濃部都知事の決断が禍根を残すことになった「朝鮮大学校」の悲劇を徹底検証した名著『朝鮮大学校研究』を読む。ただ、ヤン・ヨンヒさんはあまり評価できないが…。それにしても「このバカ、また読みもしない本を買ってきて、これ以上、床が抜けたらどうするの」と罵られる音声は録音しておいたほうがいいか?
(2017・6・23・金曜日)







昨日は仕事先で「英会話」をしばし聞く羽目に…? そのせいか、かなり疲れて帰宅。すると、古女房が嬉しそうにテレビニュースを見ている。
「このハゲ!」「バカか、お前は!」か…。週刊新潮の記事で、自民党の東大法学部卒の女性政治家が、政策秘書を罵倒(暴行も?)している音声をもとに書いた記事が話題になっているそうな。

「こんなこと、私だってあんたに言っているけどね」と。
ううむ…。デブでもないのに、「このデブ!」とか言われている(まぁ、これに関しては、こちらも倍返しで反論している)。「バカか、お前は!」とも言われている…。ううむ…。「このバカ、また読みもしない本を買ってきて、これ以上、床が抜けたらどうするの」とか…。まぁ、夫婦間のバトルなら、犬も食わないからいいが、今度録音しておこうかな…。この女性政治家、配偶者はいたのだろうか?

ともあれ、産経新聞取材班の『朝鮮大学校研究』 (産経新聞出版)を読んだ。

今のトランプ大統領の「大統領命令」ではないが、美濃部都知事の政治的配慮から無理やり「認可」された経歴のある朝鮮大学校。その過去現在未来を追ったルポルタージュである。

冒頭、総連幹部だった父、北朝鮮に兄が行った「実録映画」、『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』で注目を集めた映画監督のヤン・ヨンヒさんの「証言」が出てくる。本人も朝鮮高級学校(高校相当)から朝鮮大学校文学部に進んだ人だ。

高校時代から違和感を持ち…とのこと。ただ、この人のその映画作品は見たが、「知的限界」を大いに感じて、本欄でも辛口批評をしたことがある(それは末尾に再録する)。要は、家族という人質があるにせよ、所詮は、朝鮮総連幹部の家族としての「帰国者」でしかなく、恵まれた生活を北朝鮮でも維持しており、そのことへの「葛藤」がなく、所詮は家族が離ればなれになっている程度の「葛藤」を描いたところで、もっと悲惨な現実を知っている人からすれば、単なる「ブルジョワ」階級のお遊びでしかあるまい…と。

ともあれ、そういった関係者の「証言」の数々を通じて、朝鮮大学校のいびつな現実の姿を垣間見ることができる。積んどくしているが、朝鮮大学校の副学長でもあった朴康乾氏の『ある在日朝鮮社会科学者の散策』 (現代企画室)も紹介されている。奥さんが日本人だということもあり、離婚すれば学長になれると忠告もされたという。

配偶者が朝鮮人でなく、日本人だと一段低く見られるとのこと。恐るべき「差別意識」をもったひとたちが、在日朝鮮人の「上位」のひとたちにはあるようだ。恐るべきナショナリズム集団というしかあるまい。
大学校の土地購入にあたっても、森友問題以上の怪しい(?)手法があったようだ。今からでも遅くないから、ことの経緯を追及すべきではないか? 以下再録。



凍える北朝鮮 01/06/2011


本というのは一冊読むとその中で紹介されている本をさらに読んでみようかという気になるものだ。枝葉のごとく関心が広がっていく。例えば最近谷合規子氏の『フツーのおばさんが見た北朝鮮--凍える国にも、いつかは春が』 (元就出版社)を読んだ。2010年6月の刊行。団体旅行で2002年に四泊五日の北朝鮮ツアーに出かけた時の見聞記だ。
著者略歴を見ると潮賞ノンフィクション賞を受賞したり、左派系のような出版社から本を出したりしているのでリベラル左派の人かな,この時期になっても小田実の『私と朝鮮』 (筑摩書房)、 『北朝鮮のひとびと』 (潮出版社)などと同工異曲の北朝鮮擁護論を展開しているのかと思ったりした。

ところが全くそれは外れていた。ヨイショ本ではなく的確に北朝鮮を見ている。ただ北朝鮮贔屓だった宇都宮徳馬のような人を、金日成相手に世襲批判をしたからということだけで評価しているのには疑問を感じたが…。

それはともかく谷合氏の本に解説を寄せている柳原滋雄氏によると、 『楽園の夢破れて』 (全貌社)の著者・関貴星氏の長女(呉文子氏)が嫁いだ相手は李進煕氏。呉氏には『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本があるという。李氏には『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社)という本があるとのこと。早速入手し一読した。

関氏の本は最近復刊もされているが、以前古本屋で入手し一読した覚えがある。国賓待遇で北を訪問したものの、1960年代から帰国運動の実態を知ったことから北朝鮮贔屓派から批判派に転向した人だが、娘の李さんやその夫の呉氏はそうした対応を批判していた。呉氏は北朝鮮に帰国しようともしていた。
すると「文子がもし帰国するようなことになれば、割腹自殺する」と明言。そんな民族反逆者を父に持つ苦悩から夫との離婚も考えたという。李氏も考古学研究のために北朝鮮に帰国しようと考えていた。義父の北朝鮮批判も「朝鮮動乱から七、八年しか経っていなくて、戦後の復興途上ではないか」と懐疑的だった。
「もしもあのとき、父の反対を押しきってまで帰国していたなら、どんな運命が待ち受けていたのだろう」「まさに人生の岐路の真っ只中に立たされていた」と。結局帰国は断念したのだが、不幸中の幸いというべきだった。

李氏は朝鮮大学の教授で北贔屓だったが、そういう義父がいたせいか朝鮮青年社から刊行した著作が出荷停止になったり思想総括を求められたりもする。やがて1971年に辞職。北と訣別する。呉氏はその後,父と再会し親不孝を恥じ「アボジ、ごめんなさい」と許しを請うたという。

関氏の関係者がこういう北朝鮮批判の本を書いているのは知らなかった。先見の明を誇れる関氏だが、それ故の家族内の対立や葛藤はさぞかし苦しかったことだろう。

一方、同じように北贔屓の在日で、朝鮮総連の幹部の父との葛藤を映画にした作品(「ディア・ピョンヤン」監督・脚本・撮影ヤン・ヨンヒ)があった。アートンから『ディア・ピョンヤン--家族は離れたらアカンのや』 として本にもなっている。ただ、これは関氏やその娘&夫の葛藤に比べるとオモチャみたいなものだ。

というのも彼女の父親は完全な北贔屓として生涯を送っている。そして息子は北に帰国させたものの、「送金力」のおかげで不遇の目にはあっていない。粛清もされない。孫はピアノなどを優雅に弾いたりしている。父親が北に行って向こうで誕生日か何かの祝賀会も大々的に開かれている。ビールも食べ物も豊富。映画にはそんなシーンが流れてくる。それを見ながら「???」と思ったものだ。こんな北一辺倒の父に対して娘は若干の疑問を感じたりもしているようにも見えるが、根源的な批判を展開しているわけでもない。
この映画を見たのは少し前のこと。最近関氏の家族の葛藤を知ったが、こちらの方がより「映画化」してしかるべきではないか。「ディア・ピョンヤン」はベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞しているというが、審査員たちは帰国運動の実態を全くしらなかったのだろう。

北朝鮮との葛藤や引き裂かれた民族・家族の心などをテーマにするなら、こうした関親子、娘夫婦の葛藤を描いてこそノンフィクションであろう。幻想に浸って生き、そのブルジョワ的環境を全うした家族たちが何を訴えても虚しいだけだ。両者の著作を読み比べてほしい。いくらなんでも気づくのが遅すぎる! 同じアボジへの哀悼といえども、関氏のような人生と、北朝鮮贔屓のまま人生を終える人とでは月とスッポンではないだろうか。


「愛しきソナ」は小田実の北朝鮮訪問記と五十歩百歩の「問題作」 04/09/2011
 
昨日(金曜日)は地震記念日故(?)仕事はお休みにして、まず映画「愛しきソナ」を見た。
在日のヤン・ヨンヒ監督作品。ノンフィクション映画といえよう。自分の家族を生のママ描いている。以前本欄で酷評したこともある前作「ディア・ピョンヤン」の続編。所詮は恵まれた在日家族のお話。父親が朝鮮総連の活動家で息子3人を北に帰国させた。ソナはその息子(次男)の娘。監督のヤンさんからすれば姪に当たる。
 「愛しきソナ」はその姪が三歳のころアイスクリームを美味しそうに食べるシーンから始まる。ヤンやその両親は頻繁に北朝鮮を訪問する。訪問できない時はせっせと衣服や薬などを北送。どういう商売をしているかは映画では明らかにされていないが、羽振りは良さそうだ。
北朝鮮に帰国した悲惨な一般家族たちと比べて例外中の例外でしかないこういう家族の物語を普遍的なモノと捉えられたら大変だ。別れ別れになっているが、いつでも北に行けば会えるのだから。 冗談ではない。映画では北を訪問すると、こうした幹部の家族でも劇やらいろんなものを見せられて、交流する時間が制限されているというシーンもあったが、彼らの帰国家族の家に行けば、大型冷蔵庫はあるし、中身は食べ物で一杯、テレビやピアノもある。監督の誕生日祝賀会と称して近所の主婦によるケータリングもあったそうな。
日本の親戚一同集まっての宴会と何ら変わらないようなシーンが映し出されるが、言うまでもなくこれは北朝鮮では例外中の例外でしかない。そういう事実を知らないと、外国の人は別れ別れの家族物語、お涙頂戴に騙されるだろう。所詮は自業自得、因果応報でしかあるまい。ソナは金日成賛美のフレーズを暗唱して得意になる。日本でも戦前、元号を最初から昭和まで暗唱するようなものか。

パンフレットにはこんな「嘘」も表示されている。
「日本社会における差別や貧困に苦しんでいた9万人以上の在日コリアンが北朝鮮に渡った」というが、北のその後の差別や貧困は、当時も今も日本の比ではあるまい。針小棒大。そのくせ、 「日本と北朝鮮との間に国交樹立がいまだ実現されないため、帰国者たちの日本への再入国はほとんど許されていない」という書き方もアンフェア。人道的にいくらでも対処可能なはず。悪いのは北朝鮮の方ではないか。国交の有無とは関係ない。日本人妻(配偶者)は日本国籍の持ち主もいる。その自由往来は全くの自由なのに北朝鮮が人権を無視している。国交がないから帰国できない? 嘘もほどほどにすべきだ。

某進歩的文化人のレビューも相変わらず酷い。 「石油がないのに戦争をした国が約一国ある。日本である」と。だから北朝鮮はそんなことをしないと言いたげである。だが、日本とて真珠湾攻撃の時にはまだ備蓄石油はあった。何を言っているのか? だがこのままでは石油がなくなる、だから開戦、インドネシアの石油を獲得しようという甘いとはいえ石油獲得のために戦争をしたともいえる。窮鼠猫を噛むこともありうるのが世の中。ネバーセイネバーが国際政治の原則である。

 この映画で描かれたのは帰国者の中の数少ない例外的な恵まれた階層の回想でしかない。なぜもっと悲惨な例を描かないのか。
映画では、北から日本へコレクトコールかもしれないが、直接電話をかけてあれこれ話すなんて普通の帰国者で出来るかどうか、見る側はよく考えるべき。こんな特殊な恵まれている例を出して、どこに底意があるのか。前作にも北が文句を言って監督は北に行けなくなったと嘆いているというが、ソナは無事大学に進学も出来たそうな。

家にはコーヒーメーカーもある。一人で百人倒す人民軍兵士を賛美するような歌を歌っての踊り劇の類などは、軍国主義教育の最たるものじゃないのか。微笑ましくもなんともない。日本の家では親がNHKの体操番組見ながら体動かしたりしているがこちらは平和的? 脳梗塞か何かで半身付随、個室で治療を受けたりもしている。
 粗筋紹介の中で「本作では一般庶民のホームパーティーや墓参り、結婚式の様子や、ボーリングで遊ぶ姿……」「北朝鮮で暮らす人々の日常のひとコマが数多く切り取られている」と紹介されているが、「一般」ではない「特殊」な世界、きわめて例外的に物質的にも恵まれた家族の状況を「針小棒大」に描いた、真の意味でも「問題作」というしかない。
停電を茶化すシーンなどもあったりするものの、このあたりは今の日本は笑えない? 

それはさておき、常磐新平氏が前述の『銀座旅日記』の中で、「ディア・ピョンヤン」を紹介していた。北朝鮮のミサイル発射のニュースを見る前後にその映画を見たそうな。「複雑な心境」と記している。だが、「ディア・ピョンヤン」も「愛しきソナ」も所詮は「宣伝映画」のカテゴリーを超えない。

僕の結論を疑う人は、斉藤博子氏の『北朝鮮に嫁いで四十年 ある脱北日本人妻の手記』 (草思社)を読んで欲しい。著者は在日の人と結婚した日本人妻。脱北者だ。一緒に北朝鮮に行ったものの……。どんな悲惨な生活を過ごしたことか。こういう日本人妻を描いてこそ、普遍的な帰国者の悲劇を知ることが可能になるだろう。また以前にも述べたが、在日でありながら北朝鮮の実態を知り批判派となった関貴星氏と、それを当初は批判していた娘やその夫との対立と和解という葛藤の世界を描く方がはるかに佳作となろう。
この映画は、所詮、小田実の『私と朝鮮』 (筑摩書房)、 『北朝鮮のひとびと』 (潮出版社)などと同工異曲で北朝鮮の「一部」だけしか描いていない。

詰まらぬ映画を見た後、都内をブラブラ。寒くはないものの少し風が強いが、新宿御苑などの櫻を外から眺めて歩く。ブックオフ傍の路地裏から少し表通り近くに転居した「しろ八」で早めの夕食。つけ麺(950円)をここで食べるのは初めて。時節がらか当店で使っている菜っ葉類は安全を確認済みですとのことわりあり。以前は元カメラマンという店主一人の店だったが、店主は時間帯故か中に入って「弟子(?)」が作っていた。店も広くなっていた。この界隈は美味いラーメン屋が多くて困る?(以下略)


ヤン・ヨンヒの『兄 かぞくのくに』は一歩前進だが… 09/28/2012

ヤン・ヨンヒ氏の『兄 かぞくのくに』 (小学館)を読んだ。この人の映画や本は今まで批判的に紹介してきた。著者は在日。父親は朝鮮総連の元幹部だった。帰国運動盛んな時に、息子(3人)を「供出」。意気盛んに帰国したが、実は……。

三人の兄が北朝鮮に渡り、一人残った「長女」として、大事に育てられ、時々北朝鮮を訪問し、兄と再会する。

帰国者の悲劇は沢山の本がすでにある。脱北して日本に戻った人もいる。著者の家族はそういう出自もあり、実家からの援助もあり、比較的恵まれた環境で生活をしている。

それでもさまざまな苦難を抱えていた。
本書でも、一人の兄は精神を病んだり、別の兄は難病のために日本に一時帰国するもののすぐに戻れと命令されたり、その兄から工作員にならないかと提案されたりして絶句…。そんな家族の葛藤が描かれている。

本書を初めて読んだ人は、ある種の感銘を受けることだろう。また、身内や北朝鮮関係者もいろいろ出てくるのに、こういう批判めいたやりとりを記すと迷惑が及んだりしないか心配もするかもしれない。

だが、過去の彼女の作品を想起すると……。

というのは、彼女の映画作品「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」はすでに見た(今回の作品も映像化され上映中のようだが…)。それらに関しては論評ずみであるが、再録的に記すと以下のようなイマイチ的作品であった。

前二作は、ビデオを北朝鮮にも持参し、ノンフィクションして描かれている(最新作は俳優などが演じているようでノンフィクション仕立てではないようだ)。
自分の家族を生のママ描いている。所詮は恵まれた在日家族のお話。父親が朝鮮総連の活動家で息子3人を北に帰国させた。ソナはその息子(次男)の娘。監督のヤンさんからすれば姪に当たる。
 
「ディア・ピョンヤン」 (監督・脚本・撮影ヤン・ヨンヒ)は、アートンから『ディア・ピョンヤン--家族は離れたらアカンのや』として本にもなっている。ただ、これは後述する関氏やその娘&夫の葛藤に比べると「オモチャ」みたいなものだ。

というのも彼女の父親は完全な北贔屓として生涯を送っている。そして息子は北に帰国させたものの、「送金力」のおかげで不遇の目にはあっていない。粛清もされない。孫はピアノなどを優雅に弾いたりしている。父親が北に行って向こうで誕生日か何かの祝賀会も大々的に開かれている。ビールも食べ物も豊富。

映画にはそんなシーンが流れてくる。

それを見ながら「???」と思ったものだ。こんな北一辺倒の父に対して娘は若干の疑問を感じたりもしているようにも見えるが、根源的な批判を展開しているわけでもない。

この映画を見たのは少し前のこと。最近関氏の家族の葛藤を知ったが、こちらの方がより「映画化」してしかるべきではないか。「ディア・ピョンヤン」はベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞しているというが、審査員たちは帰国運動の実態を全くしらなかったのだろう。


その続編にあたる「愛しきソナ」は、そのソナという姪が三歳のころアイスクリームを美味しそうに食べるシーンから始まる。ヤンやその両親は頻繁に北朝鮮を訪問する。訪問できない時はせっせと衣服や薬などを北送。どういう商売をしているかは映画では明らかにされていないが、羽振りは良さそうだ。

北朝鮮に帰国した悲惨な一般家族たちと比べて例外中の例外でしかないこういう家族の物語を普遍的なモノと捉えられたら大変だ。別れ別れになっているが、いつでも北に行けば会えるのだから。 

冗談ではない。映画では北を訪問すると、こうした幹部の家族でも劇やらいろんなものを見せられて、交流する時間が制限されているというシーンもあったが、彼らの帰国家族の家に行けば、大型冷蔵庫はあるし、中身は食べ物で一杯、テレビやピアノもある。監督の誕生日祝賀会と称して近所の主婦によるケータリングもあったそうな。

日本の親戚一同集まっての宴会と何ら変わらないようなシーンが映し出されるが、言うまでもなくこれは北朝鮮では例外中の例外でしかない。そういう事実を知らないと、外国の人は別れ別れの家族物語、お涙頂戴に騙されるだろう。所詮は自業自得、因果応報でしかあるまい。ソナは金日成賛美のフレーズを暗唱して得意になる。日本でも戦前の子供たちが、元号を最初から昭和まで暗唱するようなものか。

映画パンフレットにはこんな「嘘」も表示されている。

「日本社会における差別や貧困に苦しんでいた9万人以上の在日コリアンが北朝鮮に渡った」というが、北のその後の差別や貧困は、当時も今も日本の比ではあるまい。針小棒大。

そのくせ、「日本と北朝鮮との間に国交樹立がいまだ実現されないため、帰国者たちの日本への再入国はほとんど許されていない」という書き方もアンフェア。人道的にいくらでも対処可能なはず。悪いのは北朝鮮の方ではないか。国交の有無とは関係ない。日本人妻(配偶者)は日本国籍の持ち主もいる。その自由往来は全くの自由なのに北朝鮮が人権を無視している。
国交がないから帰国できない? 嘘もほどほどにすべきだ。


某進歩的文化人のレビューも相変わらず酷い。
「石油がないのに戦争をした国が約一国ある。日本である」と。だから北朝鮮はそんなことをしないと言いたげである。だが、日本とて真珠湾攻撃の時にはまだ備蓄石油はあった。何を言っているのか? だがこのままでは石油がなくなる、だから開戦、インドネシアの石油を獲得しようという甘いとはいえ石油獲得のために戦争をしたともいえる。窮鼠猫を噛むこともありうるのが世の中。ネバーセイネバーが国際政治の原則である。

 この映画で描かれたのは帰国者の中の数少ない例外的な恵まれた階層の回想でしかない。なぜもっと悲惨な例を描かないのか。

映画では、北から日本へコレクトコールかもしれないが、直接電話をかけてあれこれ話すなんて普通の帰国者で出来るかどうか、見る側はよく考えるべき(最新作によると、これはコレクトコールでかなりの負担を実家はしていたという)。

こんな特殊な、恵まれている例を出して、どこに底意があるのか。前作にも北が文句を言って監督は北に行けなくなったと嘆いているというが、ソナは無事大学に進学も出来たそうな。

家にはコーヒーメーカーもある。一人で百人倒す人民軍兵士を賛美するような歌を歌っての踊り劇の類などは、軍国主義教育の最たるものじゃないのか。微笑ましくもなんともない。日本の実家では親がNHKの体操番組見ながら体動かしたりしているがこちらは平和的? 脳梗塞か何かで半身付随、個室で治療を受けたりもしている。

 粗筋紹介の中で「本作では一般庶民のホームパーティーや墓参り、結婚式の様子や、ボーリングで遊ぶ姿……」「北朝鮮で暮らす人々の日常のひとコマが数多く切り取られている」と紹介されているが、「一般」ではない「特殊」な世界、きわめて例外的に物質的にも恵まれた家族の状況を「針小棒大」に描いた、真の意味でも「問題作」というしかない。


だから、「ディア・ピョンヤン」も「愛しきソナ」も所詮は「宣伝映画」のカテゴリーを超えないと僕は思う。

僕の結論を疑う人は、斉藤博子氏の『北朝鮮に嫁いで四十年 ある脱北日本人妻の手記』 (草思社)を読んで欲しい。著者は在日の人と結婚した日本人妻。脱北者だ。一緒に北朝鮮に行ったものの……。どんな悲惨な生活を過ごしたことか。こういう日本人妻を描いてこそ、普遍的な帰国者の悲劇を知ることが可能になるだろう。また以前にも述べたが、在日でありながら北朝鮮の実態を知り批判派となった関貴星氏と、それを当初は批判していた娘やその夫との対立と和解という葛藤の世界を描く方がはるかに佳作となろう。

この映画は、所詮、小田実の『私と朝鮮』 (筑摩書房)、 『北朝鮮のひとびと』 (潮出版社)などと同工異曲で北朝鮮の「一部」だけしか描いていない。

 谷合規子氏の (元就出版社)に解説を寄せている柳原滋雄氏によると、『楽園の夢破れて』  (全貌社)の著者・関貴星氏の長女(呉文子氏)が嫁いだ相手は李進×(細川元首相のヒロ)。呉氏には『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本がある。李氏には『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社)という本があるとのこと。早速入手し一読した。

関氏の本は最近復刊もされているが、以前古本屋で入手し一読した覚えがある。国賓待遇で北を訪問したものの、1960年代から帰国運動の実態を知ったことから北朝鮮贔屓派から批判派に転向した人だが、当時、娘の李さんやその夫の呉氏はそうした対応を批判していた。呉氏は北朝鮮に帰国しようともしていた。

すると「文子がもし帰国するようなことになれば、割腹自殺する」と明言。そんな民族反逆者を父に持つ苦悩から夫との離婚も考えたという。李氏も考古学研究のために北朝鮮に帰国しようと考えていた。義父の北朝鮮批判も「朝鮮動乱から七、八年しか経っていなくて、戦後の復興途上ではないか」と懐疑的だった。

「もしもあのとき、父の反対を押しきってまで帰国していたなら、どんな運命が待ち受けていたのだろう」「まさに人生の岐路の真っ只中に立たされていた」と。
結局帰国は断念したのだが、不幸中の幸いというべきだった。

李氏は朝鮮大学の教授で北贔屓だったが、そういう義父がいたせいか朝鮮青年社から刊行した著作が出荷停止になったり思想総括を求められたりもする。やがて1971年に辞職。北と訣別する。呉氏はその後,父と再会し親不孝を恥じ「アボジ、ごめんなさい」と許しを請うたという。

関氏の関係者がこういう北朝鮮批判の本を書いているのは知らなかった。先見の明を誇れる関氏だが、それ故の家族内の対立や葛藤はさぞかし苦しかったことだろう。

従って、こういう関氏の家族愛とヤン・ヨンヒ一家の家族愛、また帰国したものの不遇の家族の例など万遍なく描けば、素晴らしい作品になったことだろう。

人生の命運を分けた決断力の違い、北朝鮮認識の違い、待遇の違い…などを見る人読む人に知らしめることができよう。

ヤン・ヨンヒ氏の三作目にあたる『兄 かぞくのくに』は映像化もされており、それを見た人によると、今までより、北朝鮮批判がかなり強くなっているそうな。

遅すぎる転換といえるのかもしれないが…。

僕は前作二つに懲りているので、ちょっと見る気にはなれず、活字でのみ一読した次第。

確かに、自分の恋人が在日で親が離婚していたとなると、差別闘争で闘っているはずの朝鮮総連の幹部である父親がそれを理由に反対する?なんてエピソードも紹介している。

「アボジ、同胞の人権のために働いてるんちゃうん? 信じられへんわ!」「貧乏な家の息子はダメってこ?」と。
差別反対と言いながら、差別するという不合理・矛盾…。よくある話であるが……。

関氏の本は、1962年に刊行されている。金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』 (亜紀書房)は、1984年に出ている。これらを読めば、ヤン・ヨンヒ氏の「告発」が生ぬるく遅すぎる感を持つのは当然のことであろう。



騙されて「夢見た祖国(北朝鮮)は地獄だった」の悲劇 10/11/2012






この前、ヤン・ヨンヒ氏の作品の数々――『兄 かぞくのくに』 (小学館)など――を少々批判的に取り上げた。著者は在日。父親は朝鮮総連の元幹部だった。帰国運動盛んな時に、親は息子(3人)を「供出」。意気盛んに帰国したが、実は……。
著者は、それ以前にも自分たちの家族の「帰国」をテーマにしたノンフィクション映画作品「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」を発表している。「ディア・ピョンヤン」はアートンから『ディア・ピョンヤン--家族は離れたらアカンのや』として本にもなっている。

だが、いずれも、日本に残った著者や両親たちが、兄(息子)たちとめったに会えないことを嘆いたりしているものの、所詮は例外的に恵まれた「階層」の物語でしかなく、帰国者の「悲劇」はこんな生易しいものではない。これが感動の物語なんて思われたら、アホらし屋の鐘が鳴る鳴るキンコンカーン、キンニッセイ?といったところだろう。

その証拠として、斉藤博子氏の『北朝鮮に嫁いで四十年 ある脱北日本人妻の手記』 (草思社)、関貴星氏の『楽園の夢破れて』  (全貌社)や関氏の長女(呉文子氏)の『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本や、呉氏の夫の李氏の『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社) や金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』 (亜紀書房)を挙げておいた。

これらの本と読み比べれば、ヤン・ヨンヒ氏の「家族」の体験などは、別世界のおとぎ話でしかない。

その関連として、一読に値するのが、前川惠司氏の近刊『夢見た祖国は地獄だった』 (高木書房)である。
前記の斉藤博子さんやさまざまな帰国者や脱北した人々の「証言」を通じて、金日成をはじめとする北朝鮮指導部がいかに残虐非道であったかを告発している書である。
著者は1946年生まれ、元朝日ソウル特派員(すでに退職)。韓国、在日関連書をいままでに何冊か出しているようだ。

日本人妻にも三年たてば里帰りもできるからとか、生活費なども無料だ、大学にも行ける…といった嘘八百を並べ立てたヤン・ヨンヒ氏の父親のような総連幹部の「帰国誘惑責任」はやはり蔑ろにできないだろう。裁判でその法的責任を問うこともあるのだが、残念ながら認められていない…。

生ぬるい帰国運動回想録を読む前に、こういう本を読んでおくことが必要である。脱北者を保護せず、弾圧し北に戻すような中共の「反人権政策」は、現在進行形であり、それへの批判的認識は持たないでいて、過去の日本の南京事件や慰安婦問題ばかり、ことさら取り上げる集団や研究者があるようだが、その底意はよくよく吟味すべきでもあろう。

「帰国者の中でも、朝総連の幹部の家族や大資産を上納した一家などは、平壌、元山、新義州などの大都会に落ち着き先が決まった。たいした資産もなく、ただ『地上の楽園』と言う宣伝を真に受けた李相峰一家は、清津から九十五・五キロ離れた中朝国境の町、会寧近くの炭鉱の村で暮らすように指示された」ここからも、ヤン・ヨンヒ氏の兄たちの「厚遇」ぶりがうかがえよう。

李さん(仮名・後に脱北)は、帰国する前に日本に残った兄から「総連の宣伝どおりだったら褒めて、手紙に書いてくれ。そうしたら自分も帰る。ウソだったら切手の裏に書いてくれ」と言われていた。「検閲」があるからだ。

すると、李さんは切手の裏に「村からの外出の自由なし、兄さんはここへくるべからず…の妹さんもこないよう…」と記して手紙を出したという。

その実物が本書69頁に収録されている。これは是非見るべきだ。こんな手段を通じて辛うじて悲劇から逃れることが可能だったのだ……。さすがの共産主義者も切手の裏まで「検閲」するのを忘れたわけだ!

何かの本だったか、笑い話だったか、北に戻って、地獄だったら青いペンで、天国だったら黒いペンで手紙を書くように示し合わせたところ、黒文字で、ここは天国、物不足もない、満ち足りている云々と記した手紙が日本に届いたそうな。ただ、最後に、「物は十分だが、あいにくと青ペンがない」と記してあったとか?

前川氏は古巣の朝日の帰国運動時の報道も含めて俎上にのせて検証もしている。共産主義者のトリックを見破ることのできなかった当時のマスコミの報道は勿論問題であろう。ただし、騙された側面もあるだろうし、少なくともおかしい、怪しいと気づいたら方向転換するべきであったにもかかわらず、週刊朝日などは、本書でも紹介されているように、80年代に(84年4月20日号~)、金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』を好意的に取り上げていたが、朝日本体は後年まで北賛美を繰り返したものだった。
前川氏は、北批判の本を取り上げた「週刊朝日」への朝鮮総連の一方的な抗議活動を垣間見た体験もあるそうな。

「この号が発行されるや、週刊朝日編集部の十本以上ある電話は、朝から『事実無根だ。抗議する。俺は在日同胞だ。記事を取り消せ』との電話が切っても切ってもかかり続け、朝日新聞社の交換台が悲鳴をあげ、部内連絡などのため臨時電話を多数引かざるをえなくなった。朝日新聞本社前には多数の朝総連メンバーが押しかけ、一般の来訪者の通行に支障が生じた。こうした行動の狙いは第二弾の掲載阻止だった。本社前で抗議活動を指揮していた知り合いの朝総連幹部に、私は、『立場の違いで受け止め方に差があっても、事実は事実。どんなに業務妨害しても無駄』と伝えた」「『言いがかりをつけて、軒先でいつまでも騒ぎまくり、制止を無視するあなた方に警備員が反感をもつのは致し方ないことです。あなた方は民族団体でありながら、在日朝鮮人に対する反感を生み出しかねない行動を平気で同胞に指示しているのか』と反論し、編集部に届いていた三百通以上の抗議葉書の束を総連幹部に見せ、『葉書の消印は全部、朝鮮大学校がある郵便局のものです。ここにしか、在日朝鮮人は暮らしていないのですか』」と問うたりもしたそうな。

朝鮮総連としては、「味方」のはずの朝日から批判を受けて焦っていたのだろうが…。前川氏も、入社して、まもないころに労働組合の席で、韓国旅行の体験から、韓国を不正の暗黒国家のように見るのは単眼すぎると話したところ、周囲に「冷やかな空気」が流れたとのこと。「北流」の空気が強かったという。
そのあたりの朝日の北朝鮮讃美報道の一端は、稲垣武氏の『朝日新聞血風録』 (文春文庫)でも詳述されている。 

電力会社用意の「モデルコース」を歩いて「原発は安全!」と言っていたのと同様に、北朝鮮政府の「モデルコース」を歩かされて「北朝鮮は地上の楽園」「税金もない」「病院はタダ」…といった趣旨の訪問記を刊行した日本の知識人・編集者たちの「言論責任」は大きいだろう。

僕が生まれたころから始まった「帰国運動」。半世紀を経てもいまなお、解決していないこういう問題に、もっと関心をもっていくべきだ。拉致を含めて現在進行形の「人権」問題も、相手が共産主義国家だと、まだ遠慮してモノを言う人が多すぎないか。





北朝鮮をハダカにする本に紙面を提供した東京新聞は、アベノミクスに協力するのか? 03/22/2013






前出コラムの末尾で指摘したように、中共より酷いのが北朝鮮であることはいうまでもない。その北朝鮮に関して考える上での良書が二冊出た。
一冊は、呉小元氏の『ハダカの北朝鮮』 (新潮新書)。東京新聞に連載している「平壌ウォッチ」が元。それに加筆などをしてまとめたもの。呉氏は仮名。元朝鮮労働党幹部とのこと。ただし日本生まれで、帰国運動の流れで十代(高校生)の時に北朝鮮へ「帰国」。平壌の大学を出て、労働党傘下の貿易会社で働いたあと、韓国に対する工作活動などをしていた1990年代に韓国に亡命したそうな。50代とのこと。
この前も、呉氏が2月13日東京新聞夕刊に書いたコラム(見出し--指導者の喫煙マナー」「悪い素行は遺伝?」)を本欄で紹介したことがある。金正恩の喫煙マナーを批判していたもの。
「地上の楽園」を偽装するためには何でもするのが北朝鮮。著者は自身の体験や見聞を踏まえつつ、クールに北朝鮮を解剖している。


「平壌では大規模行事があると、外国人の質問に答えるマニュアルが配られる。『なぜアパートの表にだけタイルを張っているのか』との質問に『ネクタイは前にするものです』との『名回答』もあった」という。マスゲームも半年ほど前から練習を開始するという。「マスゲームが行われた後の大学入試では、平壌市内に住む受験生には、総合成績に五点加算する『特恵』まである」という。外見だけ、見栄えをよくしたいがためにムダなことをやっているのだ。独裁者国家ならではの愚かさというべきか。
いや日本でも電車の中で似たような無駄な小細工(化粧?)を必死にやっている女性もいる? せめて自宅自室でやれば誰も文句を言わないのに?

「韓国で2011年に北朝鮮を脱出した人の証言として、北朝鮮の人口の5パーセントがホームレスではないか、という報道があった。北朝鮮の指導者は約百二十万人を路頭に迷わせていることになる」と。日本やアメリカなどを監視国家、格差国家として批判するのもいいが、すぐ近くにある国の憂うべき現状にも、もっと関心を持ちたいものである?

このようにクールな対北認識を示しているのだが、「最近見た在日コリアンがつくったドキュメンタリー映画に、朝鮮総連幹部の親が、北朝鮮にいる息子に仕送りをする場面があった。帰国者はいまだに北朝鮮当局の『金づる』として利用されている。思わず涙がこぼれた」と書いている。これはちょっといかがなものか。

恐らくそのドキュメンタリー映画は、監督・脚本・撮影ヤン・ヨンヒの『ディア・ピョンヤン』であろう。アートンから『ディア・ピョンヤン--家族は離れたらアカンのや』として本にもなっている。しかし、この映画、本欄でも酷評したが、彼女の父親は完全な北贔屓として生涯を送っている。そして息子は北に帰国させたものの、「送金力」のおかげで不遇の目にはあっていない。粛清もされない。孫はピアノなどを優雅に弾いたりしている。父親が北に行って向こうで誕生日か何かの祝賀会も大々的に開かれている。ビールも食べ物も豊富。映画にはそんなシーンが流れてくる。それを見ながら「???」と思ったものだ。

呉氏の本の中でも、結婚式を開く時、一般庶民は職場の会議室などを使うのがせいぜいなのに、「平壌に住む帰国者の場合、朝鮮総連幹部か在日商工人の親族が参加することを前提に、対韓国政策を主導する党統一戦線部の肝入りで、高級食堂ホールを貸し切ることもある」と指摘もしているが、『ディア・ピョンヤン』の家族も所詮その恵まれた階級のレベルである。

呉氏も帰国者であり「成分」があまりよくないにもかかわらず大学を卒業し、党の幹部にもなったのだから、それなりの日本からの「送金力」があったのかもしれない。だからといって、『ディア・ピョンヤン』程度の「ブルジョア」作品に「涙がこぼれた」といっていては、もっと悲惨な境遇で死に絶えている帰国者や北朝鮮の人々に対して失礼ではなかろうか?
そこだけ瑕疵があった。

それ以外はなるほどと感じつつ読了した次第。

東京新聞に連載中、 「個人的にはかなり抵抗があったにもかかわらず、新聞社の方針で従わざるを得なかったのが、金日成、金正日、金正恩に肩書きを付けることであった。主席、総書記、第一書記等の肩書きを付けたり呼称したりすること自体、脱北者世界から裏切り者として糾弾される。仮名で書いているという理由で自分なりに納得したものの、この場を借りて新聞社の意向であったということをはっきりさせておきたい」と記してもいる。(以下略)

もう一冊は、リ・ハナの『日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩』 (アジアプレス・インターナショナル出版部)。昨日(3・21)の産経にも紹介されていた本。著者は北朝鮮生まれ。両親は日本から「帰国」した在日朝鮮人二世とのこと。中国に脱北し日本にやってきて夜間中学校に通い日本語を覚え、関西の大学に進学…。そうした体験をブログに綴り一冊にまとめたもの。まだ読書中で、詳しい感想はのちほど…。



オーウェルに救われたパク・ヨンミ(脱北女性) 「戦後(容共)リベラルの墓碑銘」としての一冊
(2015・1・6・水曜日)





パク・ヨンミ(脱北女性)の『生きるための選択 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』 (辰巳出版)を読んだ。実に感動的なノンフィクションだ。

内容(「BOOK」データベースより)
北朝鮮では、死体が放置される道を学校に通い、野草や昆虫を食べて空腹を満たし、“親愛なる指導者”は心が読めて、悪いことを考えるだけで罰せられると信じて生きてきた。鴨緑江を渡って脱北した中国では、人身売買業者によって囚われの身になり、逃れてきた場所以上に野蛮で無秩序な世界を生き抜かなければならなかった―。「脱北したとき、私は“自由”という意味すら知らなかった」―およそ考えうる最悪の状況を生き延びた少女は、世界に向けて声を上げはじめた。


北朝鮮を礼賛した「迷著」(『私と朝鮮』筑摩書房、『北朝鮮のひとびと』潮出版社)を刊行した小田実や、そんな小田実を『われわれの小田実』 (藤原書店)で、褒めたたえる「知識人」たちに読ませたい本だ。

また、半世紀以上昔の「慰安婦」問題を必死になって蒸し返す人たちに、21世紀になっても北朝鮮&中共によって行なわれている「脱北者」(特に女性)の「慰安婦」状況にも似た「人身売買」の現状に、なぜもっと関心を寄せないのかと問いただしたくなる本でもあった。「アジアのみならず世界の人権」問題を追及する本を書いていながら、その本の中に、なぜか「日本の地震被害者」は出てきても、「脱北者」や「拉致被害者」は出てこないような不可思議な本も世の中にはあるのだが。
参考例→ 伊藤和子氏『人権は国境を越えて』 (岩波ジュニア新書)。この本の奇妙な人権感覚、国境感覚については、本欄でも指摘してきたが、アマゾンのレビューでこういう指摘をしている人がいた(同感!)

投稿者チャオチャオ・バンビーノさん2014年7月25日
この人も、この人が代表する団体も甚大な人権侵害たる、拉致事件を全く取上げない。
なぜなのだろうか?拉致被害者のみなさんの地獄の苦しみを思うとき、そのことを一番に取上げないことに、胡散臭さを感じるのは、一人わたしだけなのだろうか?


私も胡散臭さを感じます! 
(以下まずはその本に関するレビューを再録)

北朝鮮の人権擁護のために「国境を越えて」とはなぜならないのか?
(2014・1・14・火曜日)
弁護士で、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子氏の『人権は国境を越えて』 (岩波ジュニア新書)を読んだ。

「国境を越えて」といいながら、北朝鮮の人権に関しては全くのノーコメント。北朝鮮という国名は、ある箇所で一カ所だけ出てくるけど、それは単なる説明事項の中での( )内の表記として出るだけ。 中国の人権に関しては、一カ所だけ、ちょっと一言、数行程度、国内の裁判制度の問題点(汚職など)に触れているだけ。いわゆる周辺民族との軋轢などに関連しての人権問題などはまったく出てこない。
一方、3・11以降の体育館などに避難した人々の人権をとても気にしたり、北朝鮮より遠いフィリッピンやカンボジアやビルマ(ミャンマー)での人権問題には章まで立てて、現地にまででかけたりしてあれやこれや圧力をかけるように日本の駐在大使などにも働きかけたりもしているし、現地の人権活動家にもこまめに接している。
その努力は立派だと思うけど、その熱意を日本の一番近い隣国に対して全く発揮しないのはなぜなのか。不可解である。不思議である。
人権弾圧国家としては、北朝鮮は最悪なのではないのか? ビルマにしても、フィリッピンにしても、野党もあり、反体制派のリーダーもいる。
半世紀も前の「慰安婦」問題も取り上げているが、拉致問題などは何の指摘もしていない。この本では、韓国やタイは特に取り上げられていないけど、あれだけ反政府運動もあるタイや、選挙による政権交代が日常化している韓国では、ことさら取り上げるというか、初歩的な人権侵害問題はないから本の中ではことさら章をたててまでとりあげないというのはまだわかる。
しかし、北朝鮮には人権のかけらもないのが現状だということは自明。中国でも、国内の反体制派知識人の言論の自由の問題以前に、ウイグルやチベット、南モンゴルなどの人権問題、民族問題が深刻な状況であるというのはこれまた自明なのに、そういう問題は全く言及されていない。 「障害者」と書かず「障がい者」と書くぐらいの人だから、心から人権問題に関心を寄せているのだろうが…。
ジュニア新書だから、薄くて、そういう国々を取り上げる余裕が紙数の都合でなかったのかもしれない?

この本は、大学生以下の世代というか、中高生向けの本といえるかもしれない。しかし、本書だけ読んで、アジアの人権問題を理解したつもりになってもらっては困る。この本に根本的に欠如している、もう一つの人権問題を見落とすことなく、この本の若い読者は、以下の本も別途一読してほしい。
まず、同じ岩波書店から出ている楊海英氏の『墓標なき草原 上下』 (岩波書店)は必読。
また同じ著者の『植民地としてのモンゴル 中国の官制ナショナリズムと革命思想』 (勉誠出版)も重要。
中国(中共)という国家が、建国以降、周辺民族に対して、どのような人権侵害を行なってきたかが綴られている。
水谷尚子氏の『中国を追われたウイグル人 亡命者が語る政治弾圧』 (文春新書)は、ウイグルに対する中共の人権弾圧のすさまじさが綴られている。
チベット僧パルデン・ギャツォが、自ら弾圧を受けた体験記『雪の下の炎』 (新潮社)も必読。
最後に、野口孝行氏の『脱北、逃避行』 (新人物往来社・文春文庫)。
これは、伊藤弁護士などはやっていないかもしれないが、同じくNGO活動を展開している日本人青年による脱北者支援活動を綴った体験記。
北朝鮮から逃げてきた脱北者は、中国国内に辿りついただけではまだ自由になれない。
中国を横切り、ベトナムを通り抜け、カンボジアまで辿り着かないと「自由」は得られない。

野口氏は、そうした脱出路に脱北者と同行し、成功する時もあったが、中国国内で逮捕され、獄につながれたことも…。中国は好きだったのに、こんな酷いことをする国とは…と述懐する野口氏のこの本は、伊藤氏の本に比べて、はるかに重いものがある。

文字通り「北朝鮮の脱北者の人権のために国境を越えて」活動をしているのだから。
岩波ジュニア新書の読者は、こういう本も読んで、より多角的に人権問題を捉えるべきだろう。偏った認識を持たないためにも。より、大きな巨悪、一部の奇妙な思考をする人が隠したがる現実と闘う知的勇気を持つためにも。

ともあれ、全然、テーマが異なるが、秋田喜代美氏監修(稲葉茂勝氏・文)の『調べよう! 世界の本屋さん 本屋さんのすべてがわかる本1 』 (ミネルヴァ書房)を読んだ。

絵本風の薄い本であるが、世界各国の本屋さん事情が紹介されている。神保町やヘイ・オン・ワイなど古本屋街も出てくる。

また北朝鮮の国営書店も出てくるが、 「権力に反対する本などを置く本屋は、北朝鮮の社会ではまったく考えられません。権力にとって不都合な本は存在できないのです」と的確に指摘。

本屋内部の写真も出てくるが、並んでいる本の三分の一が金日成全集や労働党の書籍、三分の一はガイドブック、指導者のバッジなど、残り三分の一は金日成肖像画、祭壇の花など…であると。

「これで本屋と言えるだろうか」と手厳しい。こんな、頁数の薄い写真中心の絵本的な本でも、国境を越えた視点で、北朝鮮の問題点、人権、言論の自由について論じているというのに…。

パクさんの本に話を戻す。、ジョージ・オーウェルのアニメ映画『動物農場』が日本で公開されたとき、北朝鮮社会を描いたものだとの認識を示すことなく、ことさら、あたかも、日本の格差社会やブラック企業や管理社会などを風刺したものだと強調していた人々にも読ませたい作品だった。

というのも、著者(彼女)は、北朝鮮時代、満足に学校に行けないときもあり、また脱北して中国に不法滞在しているときは、当然教育を受ける機会もなかった。生活のために「アダルトチャット」に登録し、卑猥なことをしながら金を得ることもあった。

やっとゴビ砂漠をわたってモンゴル経由で韓国に逃亡してからも(ゴビ砂漠を越えての逃亡劇は、映画「クロッシング」をも想起させる。映画のほうは無残にも失敗してしまうのだが)、パクさんは、韓国で執拗なチェックを受ける。脱北者といいながら「スパイ」もいるから。大量のシリア難民の現状を思うと、あそこでは、こんなチェックは不可能だろうが‥‥。脱北者の言うことを検証しつつ受け入れていく‥。まぁ、当然ではあろう。

遅れた教育を取り戻すために勉強をするのが大変だった。そんなとき、図書館などで本を読む楽しみを覚えた。『ライ麦畑でつかまえて』や『蠅の王』やトルストイの短編などの世界文学やシェイクスピアなども好きだったという。


「でも、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読んだことが本当の転機になった。砂山のなかでダイヤモンドを見つけたみたいだった。私がいた場所や経験したことをオーウェルは知っていたのではないか。そうとしか思えなかった。動物農場は北朝鮮そのものであり、そこに描かれていたのは私のかつての暮らしだった。動物たちのなかには、私の祖母や母や父がいた。もちろん私も。私は理想を持たない新しい豚のなかの一匹だった。北朝鮮の恐怖をシンプルな寓話として見せられることで、私を支配していたその力が消え、そこから自由になれた」

「北朝鮮人の頭のなかでは、つねにふたつのストーリーが進行している。並行する二本の線路を走る列車みたいに。ひとつは信じろと教えられること、もうひとつは自分の目で見たこと。韓国に来て、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の韓国語訳を読んではじめて、この状態をあらわす”二重思考”という言葉を知った。これは矛盾するふたつの考えを同時に持てて、頭が変にもならない能力のことだ」(古本虫注。要は「二枚舌」。進歩的文化人などは「二重思考」「二枚舌」の天才? 自分たちが「反知性主義」なのに、相手を「反知性主義」と批判できるから?)。

脱北者や、北朝鮮支援活動を展開している人の中には、彼女と同じような証言をしている人は多々いる。北朝鮮は「動物農場」であり「1984」の世界そのものであると。

シュタージ(秘密警察)による監視社会であった東独出身のマイク・ブラツケの『北朝鮮「楽園」の残骸 ある東独青年が見た真実 』 (草思社)でも、たしか、彼が、北朝鮮はオーウェルの世界であると指摘していた(と記憶している。手許に本がみあたらず再確認していないが)。

そのほかにも、ノルベルト・フォラツェンの『北朝鮮を知りすぎた医者 脱北難民支援記』『北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告』『北朝鮮を知りすぎた医者』 (草思社)などを読めば、当然浮かぶ感慨だ。

にもかかわらず、北朝鮮を「祖国」とみなす日本の一部の反知性主義的なリベラル諸兄にとっては、こういう本で指摘されている「事実」をことさら無視するのである。遠いアフリカなどの人権抑圧には関心を抱いても‥‥。不可思議な精神構造であろう。

ネットで、著者が流暢な英語で、日本人読者に向けて「自由」の大切さを説いている映像を見た。本書でも、韓国にわたってから必死になって勉強した体験が綴られているが、「自由」を知らなかった彼女も、「家族愛」は知っていた。父や母や姉のことも詳述されている。

このパクさんの凄まじいまでの「家族愛」(「脱北」して中国領土に入ったとき、パクさんの「体」を要求する相手に対して、母親が身をもって「レイプ」され、操を救おうとする。13歳の少女のそうした「性売買」こそ、現在進行形でもあるのだから、声高に追及すべきではないのか?)。

それらに比べたら、北贔屓の在日で、朝鮮総連の幹部の父との葛藤を映画にしたと称する作品(「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」監督・脚本・撮影ヤン・ヨンヒ)など、話にもならないというしかない。ノンフィクション映画であり、アートンから『ディア・ピョンヤン--家族は離れたらアカンのや』として本にもなっている。 『兄 かぞくのくに』 (小学館)という本も書いている。

そう、たしかに「家族は離れたらアカン」。しかし、ヤン・ヨンヒさんの家族の「別離」程度など、パク・ヨンミさんの家族の「別離」とは比較にもならない。
(以下略)

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