古本虫がさまよう 三谷太一郎さんの『戦後民主主義をどう生きるか』は積んどくのママだが、とりあえずは『日本の近代とは何であったか  問題史的考察』は手にしてみたところ……。
2017 09 / 08 last month≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10 next month






三谷太一郎さんの『戦後民主主義をどう生きるか』は積んどくのママだが、とりあえずは『日本の近代とは何であったか  問題史的考察』は手にしてみたところ……。
(2017・6・9・金曜日)



三谷太一郎さんの本は何冊か積んどくしていたが、この『日本の近代とは何であったか 問題史的考察』 (岩波新書)は、薄いので(?)とっつきやすいこともあり、読み始め先日読了した。

内容紹介→政党政治を生み出し、資本主義を構築し、植民地帝国を出現させ、天皇制を精神的枠組みとした日本の近代。バジョットが提示したヨーロッパの「近代」概念に照らしながら、これら四つの成り立ちについて論理的に解き明かしていく。学界をリードしてきた政治史家が、日本近代とはいかなる経験であったのかを総括する堂々たる一冊。

三谷さんというと……。戦後70年目の安倍談話が出た時、どっかの新聞でボロクソに叩いていた東大の先生というイメージがあった。ということもあり、少し敬遠気味。最近も、東大出版会から出た『戦後民主主義をどう生きるか』という本を手にしたが、「戦後民主主義」はあまり好きではないので積んどく中。

だが,この本を読み始めると、まずはウォルター・バジョットが出てきた。おやおや、バジョットといえば、大学時代の恩師の研究テーマ。岩波文庫で『ロンバード街―ロンドンの金融市場』  (宇野弘蔵訳)があり、中央公論社刊行の『世界の名著 60 バジョット/ラスキ/マッキーヴァー』の中に、バジョットの『イギリス憲政論』が収録されていたかと。学生時代、パラパラと読んだ記憶がある。

王室の意義として、威厳ある部分を代表するものとみなしていたかと。権力と権威を分立させて民主主義を安定させるためにも王室(皇室)があったほうがいいと。
そうか、バジョットを引用する人に悪い人はいないかな?(いや、ネバーセイネバー?)。

さらにはジョージ・オーウェルも出てくる。 『1984』を紹介しつつ、江戸時代の幕藩体制が「非常に精密な相互的監視機能」が「作動していました」とのことで、それが『1984』という「小説に出てくるグロテスクな逆ユートピア体制と非常に共通する面を持っていたともいえる」と指摘している。

「将軍ですらも、相互監視の対象であることを免れませんでした。将軍の寝所には将軍と寝所を共にする女性以外の第三の女性が入り、そこでの将軍の会話を逐一聴取することが公然の慣習とされていました。このことは『一九八四年』体制と共通する、あるいはそれをも超える究極な相互監視機能が働いていたというべきでしょう。幕藩体制においては、将軍もまた自由な人格ではなかったのです」と。

ううむ、オーウェルの『1984』は、権力者が「市民」を監視し、室内にもテレスクリーンがあって、日記を自由に書くこともできないような、それこそ、「究極な監視機能」が全国家的に完備されていたことを諷刺していたのだと思うが…。権力者どうしの相互監視機能は、昔からよくあることで、それをオーウェルの『1984』と比較するのは、ちょっと無理があるような……。

しかし、最近は道端の監視カメラ(防犯カメラ)も「1984」の世界の象徴だ――と騒ぐ人々がいるけど、誘拐犯などの迅速な逮捕に役立ったりすることがあると、そういう声も減ってきたようだ。しかし、山手線全車内に「防犯カメラ」を設置することを「プライバシー侵害懸念も「利用者『監視に抵抗感』(2017・6・7・東京新聞朝刊)なんて報じるところもでてくる(この「見出し」も奇怪しい。記事を読むと、利用者の中にも抵抗感があると言いつつも「最近は車両内のトラブルが多いから設置は仕方ない」とも語っているのだから、この「見出し」は片手落ちですな。

あと一橋大学のように、「タカ狩り」を専門とする(?)言論抑圧機関があるようだ。百田尚樹氏の学園内講演会を中止に追い込んだり。


私たちは差別・極右活動のない学祭実現のため、10日当日に、差別監視活動を行うことにしました。差別・極右活動の発生を監視し、発見ししだい記録と通報(KODAIRA祭と大学当局、悪質なものは法務省など)を行います。
(差別通報はこちらまでお願いします→略


自分たち自身が「差別」をしていることに気づかない。ビッグブラザーのタマゴたちは不気味だ。

それはさておき、そのほか、バジョットが欧州近代の推進力のひとつとして指摘した「植民地」の問題を取り上げ、それと日本の植民地支配の実態を考察している。

「日本の近代の文脈の中で、日本の植民地帝国化がなぜ、いかに行われたか」「植民地帝国は日本近代の最大の負の遺産」「それは今日においても清算されてはいません」「かつての植民地であった他国の政治・経済・文化のみならず、日本自身にもなお癒すことのできない傷跡を起こしています」との指摘がある。
ううむ、「日本自身にもなお癒すことのできない傷跡」が、はてどこにあるのか?

とはいえ、 「なお今日のヨーロッパが抱える難民の問題は、ヨーロッパ近代がつくり上げた植民地帝国の負の遺産であり」と言われると、それはそうだとは思う。
英国の相次ぐテロにしても、フランスにしても、所詮はあんたたちの植民地帝国による長年の搾取が生み出した、今日までも続く現地での「貧困」「混乱」による「負の遺産」故の因果応報の部分もなきにしもあらずかなと、僕は思わないでもないから(そもそも、アフリカくんだりまで自衛隊をPKOで派遣するいわれはあるまい。もっとも「情けは人のためならず」だから、費用対効果で出かけるのも悪くはないかもしれないが…)。

(負の遺産であり、) 「日本の植民地帝国はヨーロッパのそれを模したものでしたから、日本にとって難民の問題は決して他人事とはいえないでしょう。ヨーロッパの難民の問題は、形を変えて、あるいは潜在的に日本にも存在すると見るべきかもしれません」

ううむ、そうかな…。
欧州国家の植民地統治は、日本の韓国や台湾統治よりも長きに及んでいる。日本はそれに較べれば短期間(だから…)。また「統治」の内実も、欧州各国に較べれば、まだ「穏健」というか「宥和」というか、教育的な雰囲気が強かった。さらには、アジアの植民地の多くは、大東亜戦争(太平洋戦争)の「効果」もあって、アフリカ植民地諸国より、早く「独立」もできた。

さらに、戦後の日本からの経済賠償や援助もあって、独立の遅れたアフリカ諸国よりも経済的に早く発展した。広大な海もあるとはいえ、難民が日本に押し寄せてくることも地中海周辺国家に較べれば…。ベトナムのボートピープルも…。
経済的に発展が遅れている北朝鮮は、自業自得、因果応報であって、日本の「強いる植民地統治」のせいではあるまい。韓国はそこそこ発展しているし。
北朝鮮は、独裁政治と軍事偏重がああいういびつな体制を生み出したのだ。まぁ、「第二次朝鮮戦争」になると、難民が韓国や海を超えて日本にやってくることも大いにありうる……。

ともあれ、いろいろと知的な刺激をうけるところもあり、それなりに参考になる本だった。大内兵衛氏の『社会主義はどういう現実か』 (岩波新書)なんかよりはるかにマトモな本でした(これって褒めているのです!)。同じ東大でも違うものだ!!

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

三谷さんのこと、以前、以下のように論じていた。以下再録。


朝日同様、どちらかといえば、安倍談話に批判的な毎日新聞の論説副委員長がこんなコラムを書いていた(2015・8・25朝刊)。戦後70年の首相談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」に加わっていた山田考男氏ではないので念のため。

Listening:<70年ウオッチ>「合格に届かず」か 「想定よりまし」か=論説副委員長・古賀攻
2015年08月25日
 安倍晋三首相が出した戦後70年談話の一番の特徴は、どこにも突き抜けないところにある。
 「日本はそれほど悪くなかった」史観が随所に顔をのぞかせるが、さりとて侵略の歴史を全く退けているわけでもない。読む側の着眼点によって姿形が違って見えるから、0点とか満点とか両極端の評定にはなりにくい。
 特に興味深かったのは、文化勲章受章者で近代政治外交史が専門の三谷太一郎・東京大名誉教授(78)と、慰安婦問題などに尽力してきた国際法学者、大沼保昭・明治大特任教授(69)の安倍談話に対する評価の開きだ。
 2人は学者・研究者74人からなる声明の共同代表を務めた。日本記者クラブで7月17日に発表された声明は「かつての戦争の不正かつ違法な性格をあいまいにすることによって(日本が戦後築いてきた国際的評価を)無にすることがあってはならない」とくぎを刺している。
 安倍史観への懸念を共有していたはずの2人だ。ところが、実際に談話が出てみると、三谷氏は「責任ある国家指導者としての主体意識が希薄」(8月15日毎日新聞)、一方の大沼氏は「国際社会の共通認識に近い談話になった」(同日経新聞)と方向性を異にした。
 この違いはどこから来るのだろうか。
 三谷氏は「ポジティブな面がないとは言わないが、文脈が大事なんでキーワードを並べただけじゃだめ」とやはり手厳しい。大沼氏は「安倍首相も批判や注文に耳を傾けざるを得なかったことは日本社会の成熟を物語る」と話す。
 結局、採点基準をどこに置くかで、談話の出来は「合格点未満」になったり、「想定よりもまし」になったりするのだろう。
 後日談がある。談話公表から2日後の8月16日、大沼氏は別荘で休暇中の安倍首相と1時間ほど面談する機会があった。会うなり、首相は「先生のご満足は得られなかったかもしれませんが」と自ら切り出した。大沼氏は「いろいろと考えられた文章でしたね」と応じたという。


文字数の制限故か、ちょっとしり切れとんぼのコラムだが、僕も大沼氏のコメントと三谷氏のコメントは両方一読したが……。どう考えても大沼氏のほうが冷静なコメントであったと思う。

もっともこの記事のラストシーンを読むと、大沼さんは安倍首相にすり寄った…と印象づけたいのかなとも? 

スポンサーサイト
 | 政治  | TB(0)  | CM(0) | Page Top↑
Secret




TrackBack URL
→http://kesutora.blog103.fc2.com/tb.php/2951-84851e20

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

カテゴリ