古本虫がさまよう 「書店員の仕事」は複眼的であるべきでは? 「検閲官」になってはいけないのでは?
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「書店員の仕事」は複眼的であるべきでは? 「検閲官」になってはいけないのでは?
(2017・5・8・月曜日)


NR出版会編の『書店員の仕事』 (NR出版会)を拾い読みした。

出版社からのコメント→書店とはどういう空間なのか。書店員とはどういう仕事なのか――。
真摯に本に向き合い、読者に向き合い続ける59人の店頭からの声。
「NR出版会新刊重版情報」の7年半にわたる好評連載を待望の書籍化!!


ちなみに、NR出版会とはこういう団体。→出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NR出版会(NRしゅっぱんかい)は、日本の出版社団体である。NR は、確かではないがNon sect Radical(ノンセクト・ラジカル) の略ともいう。1969年8月、九社の小出版社により前身となるNRの会が発足した。1978年にはNRの会を中心に、再販制度廃止問題のために、出版流通対策協議会が設立された。1976年、組織変更をして協同組合に移行、NR出版共同組合となった。これにより業務協力で会員社の経営の効率化を図った。が、1996年、各社の経営状態や活動の模索などで足並みがそろわなくなったことを理由に、法人を解散、NR出版会として出版団体に再度衣替えとなった。
亜紀書房・インパクト出版会・現代人文社・新泉社・柘植書房新社・七つ森書館(2004年 - )
風媒社・論創社(2004年4月 - )
過去の会員社[編集]技術と人間(1982年 - )合同出版・創樹社・第三書館(1983年 - )凱風社(2005年 - )雲母書房・三元社・社会評論社* 新幹社* 同時代社* 日本経済評論社

まぁ、リベラル左派系出版社が多いが、時々「愛読」している出版社もなきにしもあらず。ただ、1984年ごろだったか、この前身であるNR出版共同組合が紀伊国屋書店と協力して「ジョージ・オーウェル『1984年』と管理社会」というブックフェアをやったことがあった。「全体主義」といわずに「管理社会」という言い方が、いかにも…という印象があったが、そのブックフェア用の小冊子で紹介されている本は、 『保安処分と精神医療』『女には産めない時もある』『狙われた教科書』『教育反動との闘いと解放教育』といった本だった。これは加盟していた出版社の本をセレクトしたからこんな風になったのかもしれないが、ちょっと偏りすぎた選択だった。
紀伊国屋書店も共催なら、せめて、みすず書房のハンナ・アレントの『全体主義の起源』やら、新潮社のジャン・フランソワ・ルヴェルの『全体主義の誘惑』とか、ソルジェニーツィンの『収容所群島』などもリストに入れるべきだった。

そういう本は、「反ソ的」だからヤバイということで無視された? ともあれ、今回の『書店員の仕事』の中にも、そういう知的レベルの人たちも若干(?)いるように見えたが……。

朝鮮戦争が誰が起こしたかを忘れて、戦争の犠牲で日本の復興が…といわれても…。金日成サマに感謝すべき?
「原発反対の棚」造りに信念を貫く書店員さんもいたようだが、そこには保守派の西尾幹二氏の『平和主義ではない「脱原発」』 (文藝春秋)も置かれただろうか? 保守派からの「原発反対論」は省略? いやいや、そもそも、それでも原発が必要だという立場の人の本も置いた上で、「原発反対の棚」ではなく「原発を考える棚」を作るのが「書店員の仕事」ではないか。

韓国中国を考える本コーナーを作るなら、ヘイト本とみなされるような本も、親中派の本もどちらも置けばいいのに、どちらか片一方の本しか置かない書店があるとしたら、それはどちらかに偏った書店であり、偏った思想信条の持主の書店員がいるんだなと思われても仕方あるまい(ただ、どちらかのほうが、より売れることにディレンマを感じる?)。
それが嵩じると、どっかの千葉の図書館の館員みたいに自分が好ましく思わない、読ませたくない保守派の著者の本を勝手に「焚書」にしてしまうようになるだろう。
右であれ、左であれ、真ん中であれ、それは「(戦後)民主主義」的人格ではないことになる。

これは一般論になるが、書店員の中には朝日新聞(や東京新聞や赤旗)の読みすぎかどうか知らないが、「書名」だけで反ヘイト本だと決めつけたりして、そういう本はなるべく置かないようにするのが良心的書店員だと勘違いする人も少なくないようだ。
何が「良書」であるかないかなど、人それぞれ。
単細胞的な価値観に基づいて「選書」などしてもらいたくもない。
もし、そんなことを実践する「書店員」がいたら、その人は単なる「検閲官」でしかない。


この本には模索舎の人も出てくる。政治信念は左派だろうが、持ち込まれる出版物に関しては「原則無審査」とのこと。それがベターだ。

僕は定年後、古本屋をやることはあっても(?)新刊書店を開くことはないと思う。万が一、新刊書店を開いても、原発推進、反対などに関して、一方の立場の本だけを置くつもりもない。原発棚を作るなら、賛成、反対、中間、さまざまな立場の本を扱うつもりだ。ただ、特定宗派の本は……。幸福の科学の、「名誉毀損」になりかねない本は…? いや、あれは「フィクション」コーナーを作ってそこに置く分はいいのかな?

ともあれ、「書店員」は、自分自身の好き嫌いは脇に置いて、もっと広い視野で選書すべきだろう。単細胞は困る?
以前、沖縄の大学の図書館の担当者が、地元新聞が、アメリカ軍からの寄贈書を図書館が受けることに不満を言ってほしそうな取材があった時、正論を述べて対応した事例を紹介したことがある。以下再録的に…。


山口真也氏の『図書館ノート 沖縄から「図書館の自由」を考える』 (教育史料出版会)を読んだ。書名などからして、なんとなく、急進的リベラル左派的な図書館関係者による、よくありがちな単純思考(単細胞思考)による「図書館の自由」論が展開されているのかと危惧したのだが……。
ギリギリセーフというか、ちゃんとした視点からの「図書館の自由」論であり、参考になった次第。ただ、千葉の某市図書館での、保守系筆者の本を「焚書」にした案件などが取り上げられていなかったのは残念?

とはいえ、沖縄の大学にいて、沖縄の図書館がアメリカ海兵隊の機関誌(「大きな輪」)を置いてあるのに反発した人たちがあって、それをどう思うかとの取材を地元新聞から受けたこともあったそうな。その機関誌にはアメリカ海兵隊員、女性を救うといった記事があったという(おお、これが事実でないなら問題になるだろうが、沖縄の地元二紙が報道しないような事実を報じていたら、多様な言論を保障する上でも貴重な雑誌として図書館が所蔵して何の問題もないのではないかと僕は思う。それを問題視する市民や、それを後押ししようとする地元新聞の「民主主義」感覚はやはり異常では?)。

著者は、電話取材を受けたようで、その時、記者の話では「住民から図書館に対して『県民感情とかけ離れている』という批判があったとのことだが、どのような立場から書かれた資料であるとしても、図書館は資料に対して中立的なスタンスを取るべきであるし、市民感覚とかけ離れているとしても、あるいはかけ離れているからこそ、この雑誌は沖縄の問題を考えるうえで貴重な研究資料になるはずである。蔵書に加えることには何の問題もないし、反対のスタンスを取る団体のチラシや集会資料なども積極的に集めることで蔵書のバランスを取りながら、市民の学習の場としての機能を保つべきだろう。寄贈された残部を図書館のロビー等に置くことについても、『思想と情報のひろば』『資料提供の自由』という図書館の機能をふまえて考えれば、あらゆる思想に対して開かれた場として機能しているのであれば、特に問題はないと思う(公共施設での宣伝目的でのチラシ類の配布を禁止する条例・規則等があれば別だが)。----これが電話取材に対する私の回答だったのだが、記者は批判的な意見を求めていたようで、電話口からはやや落胆したようすがうかがえた。そして、翌日の新聞には私のコメントは掲載されなかった」という。

ううむ、こういう偏った新聞は、つぶしたほうがいいのか? いやいや、そんなことはあるまいが、代りにどんなコメントが掲載されたのか気になるところ。図書館の自由をわきまえない単細胞的な口先リベラルの「民主主義者」の尊大な反米コメントのみが掲載されたのでなければいいのだが?

僕も愛読したことのあるナット・ヘントフの『誰だハックにいちゃもんつけるのは』 (集英社コバルト文庫)も俎上にのせられている。 『ハックルベリー・フィン』が黒人差別を助長するとして、高校の図書館で所蔵貸し出しするのはよくないことだ、いやそんなことはない云々というテーマの作品。

普通に考えても、日米安保や海兵隊や自衛隊を肯定する本、否定する本があれば、双方を所蔵するのが図書館の役目だろうに、イデオロギーの亡者になると、どちらの側にせよ、片方の本を焚書にしたがる傾向があるようだ(上述の千葉の某市図書館関係者は、左翼イデオロギーの亡者だったのだろうか?)。

『はだしのゲン』の貸出規制問題や、百田尚樹氏の沖縄新聞批判や、ツタヤ運営の図書館問題や、『アンネの日記破損事件』なども取り上げられている。

いわゆる「嫌韓本」「嫌中本」などに関する考察もある。この問題に関しては、単細胞的なリベラルな人たちが、ことさら問題にしているのではないかと僕は思っている。著者が勤務する大学の書籍フェアに、そういう本が陳列されていたことに苦言を呈する人もいたそうだが、「読書の目的はいろいろだから、学生は批判的な立場からその言論を知りたいと思ってリクエストした可能性もある。フェアコーナーにある嫌韓本は、有名な著者や出版社のものだから、学生なりに考えて選んだ跡も見られる。そもそも出版点数が多く、書店でベストセラーになっているジャンルの本が、一冊も図書館にないことの方が不自然である」と指摘しているのは正論だろう。

もっとも、編集者の責任であろうが、本書の139ページに「書店に溢れる嫌韓本・嫌中本」のキャプションで、書店の棚に並んでいる本の写真が掲載されている。もちろん、このキャプションが「ヘイトスピーチに溢れる嫌韓本」となっていれば、それだけで問題になろうが、まぁ、「嫌」がどういう定義になるかはともかくとして、写真を見ると、元中国大使の丹羽宇一郎氏の『中国の大問題』 (PHP新書)も載っている。この本、積んどくしているのでなんとも判断できないが、丹羽さんは別に反中派ではないはず。もちろん、この本、アマゾンのレビューなどを見ると、いろいろなコメントがあるし、広い意味で中国の問題点を指摘もしていて、ある意味で「、「嫌中本」と言えるのかもしれないが、世の中、朝日新聞などが言いたげな意味での「嫌中本」とは一味違うのでは。この写真とキャプションはちょっと不適切?

ともあれ、韓国の個々人ではなく、政府や学校が、竹島問題で、小学校レベルの生徒に日本の国旗を足蹴にするような絵を書かせて展覧したりする様を「品性下劣」だと評したりする程度は言論の自由の範囲内であり、ヘイトスピーチとも無関係であろうと僕は思う。それすらも「ヘイトスピーチ」だという人がいれば、言論の自由の破壊者だろう。

ともあれ、著者の視点は「多様な言論」を保障する場としての「図書館」の意義を高く評価しており、それは同感。

昔、あるところで、資料室の資料蒐集を担当する図書委員みたいなことをしていたことがある。ある人は、講談社学術文庫は素晴らしいので、これは出次第、全冊購入するといいですねと。まぁ、正論ではある。あるリベラル左派の女性は、こんな失礼なことを僕に言っていた。「古本虫さんは、右寄りだから、そちら系統の本ばかり集めたりしないか心配なんですが」と。「いえいえ、お嬢様、右寄りの本は少数意見ですので、貴重ですから全部買ってでも読みます。リベラル左派の左寄りの本は、買ってまで読みたいと思わないので、資料室でどんどん購入していきましょう」と回答したものだった? 30数年前の話。

それはさておき、元少年Aの『絶歌』 (太田出版)の図書館での扱いに於ける「差」についての考察も参考になる。蔵書として蒐集する図書館もあれば、しない図書館もあったり。貸出の年齢制限をすべきかどうかなど。『絶歌』も積んどくしていて読んでないが、こういうテーマで僕がすぐに連想するのは、図書館はなぜフランス書院文庫などを蒐集しないのか?と。

さすがの著者も、この分野の本の蒐集・貸し出し点の考察は本書ではしていない。「言論の自由」とは関係のない、大人の趣味の分野だから? いやいや、言論の自由に関して、ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』など無視できない重大問題のはず。
ちなみに都内図書館を調べてみると、フランス書院の本を蔵書として持っている図書館は少数派。フランス書院の別会社のプランタン出版のボーイズラブ的な本を持っている図書館はいくつかある(その分野の本を目黒図書館は134冊、町田図書館は285冊も所蔵しているのは異常?。八王子図書館はフランス書院の翻訳モノ『女教師』『芽生え』『十六歳の夜』『生娘』を所蔵。そのほか、 『熟女の「愛し方・愛され方」』も所蔵。この本は持ってない?)。国会図書館はヒット数は5395にもなる。さすが国会図書館?

ともあれ、リクエストなどで、 「すみません、私は「未亡人」の研究をしている者ですが、フランス書院文庫の新刊の神瀬知巳氏の『僕と五人の淫未亡人 僕の母、義母、兄嫁、ママ、彼女の母…』 を研究目的のために読みたく思っていますので、購入をお願いします」と近所の図書館に言ったら、どうなるだろうか? 著者がいる大学図書館にリクエストしたら購入してくれるだろうか? 購入不可の理由を文書で要求し、その理屈を研究するのもいいかも? 未成年者も利用する図書館なので、という公立図書館もあるかもしれないが、貸出の際、年齢制限を加えればいいのかも?
あと、八王子市民の一部市民たちが、図書館に詰め寄って、フランス書院のエロ本を何冊も所蔵しているのは、市民として恥ずかしい、焚書すべきだと圧力を加えたりしないか心配だな? 『誰だ「女教師」にいちゃもんつけるのは』なんて本も書けるかも? 目黒や町田図書館にもプランタン出版の本が多すぎるとクレームがついたりしたらどうなる? だって、ツタヤ運営の図書館に東南アジアプレイガイド本なんかがあるのけケシカランという声もあったかと(でも、その手の本、都内の図書館にもあった。二枚舌はよくない?)。

話を『書店員の仕事』に戻す。
さきほどの「原発反対の棚」を作った「書店員」が、日本共産党直営の「人民書店」の人ならまぁ、まだわかる。特定のイデオロギーに基づく書店運営をしている個性的な書店なら、そういう「信念」に基づいて、一方的な選書をするのもまた「言論の自由」であろう。しかし、所属を拝見すると、誰もが知っている大手書店ではないか。そういう書店が、そういう棚造りをするというのには違和感を覚える。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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