古本虫がさまよう 渡部昇一さんと佐々木孝丸さんとに共通するものとは?
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渡部昇一さんと佐々木孝丸さんとに共通するものとは?
(2017・4・18・火曜日)






昨夜(2017・4・17)、渡部昇一さんが亡くなったとの報に接した。そのときの思いは昨夜綴った次第。

ともあれ、読みかけだった砂古口早苗氏の『起て、飢えたる者よ<インターナショナル>を訳詞した怪優・佐々木孝丸』  (現代書館)を読んだ。

(内容紹介)→大正~昭和に活躍した俳優・佐々木孝丸の評伝。佐々木孝丸(1898~1986)は新劇運動の出身者で、プロレタリア演劇の草分けであり、戦後は商業娯楽映画の活況を支えた名脇役である。彼はまた大正11年(1922年)、革命歌「インターナショナル」の歌詞をフランス語から日本語に訳詞した人物でもあり、エスペランティストであり、編集者、翻訳家、作家、劇作家、演出家の顔も持つ。そんな八面六臂の活躍を見せる人物に魅せられた同郷讃岐の作家・砂古口早苗氏が、佐々木孝丸を軸に、新劇の歴史や大正~昭和初期の左翼演劇・文学運動の詳細、戦後の娯楽映画を通じての世情を読み解き、心情豊かに活写している。

[著者紹介・編集担当者より]
佐々木孝丸は新劇運動の草分け且つ中心人物であるので、佐々木の人生を追うだけでも日本の演劇・文学における左翼運動の歴史を一つの流れとして総ざらいできる。そういう意味でも多くの主張の強い主役達をまとめ繋ぐ名脇役であり、面白い視点を提供する一冊となっている。


佐々木孝丸なる人の存在はこの本を読むまで知らなかった。ウィキペディアによるとこんな人。

佐々木 孝丸(ささき たかまる、1898年1月30日 - 1986年12月28日)は、日本の俳優、プロレタリア作家、演出家、劇作家。北海道川上郡標茶町出身[2]。戦前のプロレタリア演劇運動の中心人物であり、演出家・俳優として先駆座・前衛座・東京左翼劇場に参加。落合三郎の筆名でフランス文学の翻訳や『筑波秘録』などのプロレタリア戯曲も執筆しており、革命歌「インターナショナル」の日本語訳詞者としても知られている。亡くなるまで熱心なエスペランティストであった。戦後は映画・テレビドラマで脇役俳優として活躍した。著書に『風雪新劇志 わが半生の記』など。


インターナショナルを訳詞した人とのことだが、そもそも音痴ということもあるが、「インターナショナル」なるものを聴いたことがほとんどない。

以前、ある年輩者と一緒にスペイン旅行をしたが、カタロニア地方のあるところでスペイン内戦の展示がしてあり、それを見学した際、その人が、「古本虫さん、インターナショナルが流れていますよ」とコーフン気味に言われたことがあるが、勿論、そのメロディがインターナショナルだなんて知りもしないし、記憶にも残っていないのだが…。

といいつつも、ネットで検索して聴いてみる。ううむ、どっかで聴いたようなメロディではあるかなと。ちなみに、以下のような「訳詞」のようだ。

「インターナショナル」
佐々木孝丸/佐野碩訳詞・ドジェテール作曲

起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの

聞け我等が雄たけび 天地轟きて
屍(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る
圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの


いまや、「起て飢えたる者よ~~」という歌は、北朝鮮の「人民」たちが、怒りと共に「独裁者」に対して、拳を振り上げて歌うべきものであろうが…。ここ数日の北朝鮮の「ポチョムキン村」的なデモンストレーション(模範答弁をする「市民」たちの姿)を見て、この国こそがオーウェルのいう「1984」だと認識できない人がいるとすれば、愚かというしかないだろう。「ポチョムキン村」については、大宅賞受賞作家の鈴木俊子氏の『ポチョムキン村 ソ連社会と「自由」』 (民社研叢書)を参照されたし。


ともあれ、まもなくやってくるメーディでも、この歌を日本の労働者たちは歌うのだろうか?

そういえば、 「朝日声欄」の偏向ぶりはこの前指摘したが、テレビ番組に関する感想を述べる投稿欄「はがき通信」もなかなか過激?

2017・3・1付けでは、「耐えられない軍歌」と題して、68歳の主婦が、「BS日本こころの歌」を毎週楽しみにしている」「日本の歌、世界の愛唱歌などを、歌詞を大事にして歌っている」のを評価しつつ、2月13日の番組では、司会者の「男性のりりしさを表現」との紹介のもと、「『同期の桜』を歌い始めた。耐えられなくてチャンネルを変えた。軍歌は今の時代にふさわしくない。フォレスタには軍歌は似合わない」とのこと。

ふうん? 「海ゆかば」にしても、 「同期の桜」にしても、その時代に歌われたものであり、「日本こころの歌」の一つとして「唱歌」「鑑賞」するのは別に問題ないのでは? 「軍歌は今の時代にふさわしくない」?

まぁ、「同期の桜」を小学校の音楽の授業で小学生がことさら唱歌するのならともかく、音楽番組で取り上げて何が問題なのだろうか? この「区別」をして考えるということができない人は幼稚というしかない。

68歳なら、少なくとも、 「戦争を知らない子供たち」では? 子供のとき、無理やり軍歌ばかり歌わされたというわけでもあるまいに? 「インターナショナル」だって、ロシア民謡だって、「歌声喫茶」などの特集で、歌う番組があってもおかしくあるまい。その当時、そういう歌を歌った人々はいたのだから。いくら僕だって(?)、テレ朝の歌謡番組で、歌声喫茶特集をやっているのをチラリと見て、インターナショナルなんかも歌われたりしたら「ソ連を礼賛するような歌を聞くのは耐えられない。ソ連礼賛は今の時代にふさわれしくない」なんて投書はしないね。そんなに耐えられないなら、「チャンネルを変えればいいのだから」。
そういえば、昭和46年ごろだったか、ソ連の「ポーリュシュカ・ポーレ」がはやっていた。日本人歌手が歌っていた。ロシア民謡とのことだったが、これも軍歌だったとか。まぁ、歌詞はともかくメロディは軽快で好きだった。ともあれ、そういう「軍歌」を、こんな単細胞丸出しの投書で「否定」したり、採用する手合いの知的未熟さを笑うしかない。

この投書と同時に掲載されたのは、74歳の主婦の「守りたい憲法」というもの。憲法は決して押しつけではないといった「アナザーストーリーズ」というBSプレミアム(2017・2・15)の番組を評価し、「平和と個人の権利を保障するこの憲法を守りたいと強く思った」そうな。その思いは立派。日本のみならず、北朝鮮や中国にもそれを定着させる努力をするならば…だが。

ともあれ、本に戻るが、彼(佐々木氏)の左翼演劇俳優(?)としての歩みを追いながら、彼の出演した映画作品や、インターナショナルが映画の中で流れる作品を紹介したりしている。

新東宝映画で、「大東亜戦争と国際裁判」なる作品があり、佐々木氏が出演しているそうな。しかも、清瀬一郎弁護士の役として。なかなか迫力ある演技力だったそうな。清瀬一郎といえば、 『秘録東京裁判』 (中公文庫)の著者。公職追放やら安保改定条約強行採決時の衆議院議長であったり、東京裁判で東条英機の弁護人だったりした人。左翼的な佐々木氏が演じるにはふさわしくないのかもしれないが、俳優はさまざまな人の役を演じるのが商売。この映画を見て、 「佐々木孝丸さんが清瀬一郎役をするのを見るのは耐えられない」なんて投書する人がいるだろうか?

「東京裁判否定は今の時代にふさわしくない。佐々木さんに清瀬役は似合わない」なんていうのはヤボすぎるだろう。

ともあれ、訳詞するぐらいだから、佐々木さんは語学に堪能。クレランドの『ファンニー・ヒル』(ファニー・ヒル)を戦前訳出もしているそうな。風間丈吉の名前も出てくるが…。

著者は佐々木に惚れて書いている感じだが、僕は客観的に佐々木の歩みが、どういう風に変転していったかが関心のあるところ。

彼の自叙伝、 『風雲新劇志 わが半生の記』 (現代社)にかなり依拠して書かれているようだ。その本をあわせて読むとよさそう。

ともあれ、戦前、戦中の「歌謡曲」「軍歌」を分析することによって、当時の庶民たちの哀感や喜びを分析することも可能だろう。それは北朝鮮の人々にもある程度はいえることだ。彼らの「演技力」にはいささか辟易とするが、それでも、その中にある種の「実態」も何パーセントか何割かはありうるだろうから。

渡部昇一さんのような戦前戦中を物心つきはじめたころ生きていた人には、朝日投書子のような単細胞ではない複眼的視野て歌謡曲や軍歌を論じたことだろう。以下、共産主義者だって、軍歌に関して複眼的視野をもっていた事実を紹介しておきたい(再録)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



軍歌を愛唱・熱唱した治安維持法下のコミュニストたち? 02/06/2012
 言論弾圧の最たるものであるとみなされる戦前の治安維持法は、前出のイグナティエフ流(『許される悪はあるのか? テロの時代の政治と倫理』風行社)に考えると「許される悪」であったか、なかったか。当時の国際共産主義、コミンテルンの野望・策略・謀略に対して、日本という国家の独立安寧を守るために、共産主義者を摘発し隔離することは必要であったかもしれない。少なくとも彼らは天皇制度の否定といった言論の主張のみならず、テロに訴えることもしばしばであった。国家転覆も考慮していたといえる。

 その意味で、治安維持法によって、戦前戦中を刑務所で暮らした土屋祝郎氏の『予防拘禁所』 (晩聲社)は、興味深い本である。彼は昭和16年5月に釧路の刑務所を出所し、自宅で母の療養などをするのだが、開戦前に拘禁され、予防拘禁所(豊多摩・中野区)に入れられる。そこには福本和夫や志賀義夫や徳田球一なども「同宿」していた。

 治安維持法は悪法であったと著者はいう。
「しかし、法律の条文に違反する行為がないかぎり刑罰を課することはできなかった。しかるに昭和一五年度の改悪は法律の規定に違反しなくとも、天皇制や私有財産制度を否認し、治安維持法の規定に違反する惧れ顕著な者に対しては二年に一度ずつ手続を更新しながら永久にこれを拘禁することができるという、いわゆる予防拘禁制度を採用したのである」

 そのために著者は拘禁されたのだが、私語も厳禁となり、たまの発声練習は容認されるものの、その時には軍歌を歌えというのである。革命歌ならともかく、コミュニストに日本の軍歌とは、ケシカランと著者は怒るのだが、「徳田、志賀をはじめ名だたる共産主義者が一片の抗議もなく、快く軍歌を歌っている。永久拘禁が現実となって、いつ銃殺されるかもわからないという極限の境涯にきてしまったいまは、生命を保つことが第一である。その第一義の道を行くためには軍歌をうたうかどうかということはさしたる問題ではない」「私はほかの者といっしょになって軍歌をうたった」「自暴自棄の絶叫のようでもあった」「苦々しい気持ちであった」と。

 監房は釧路などと違って壁や天井も真っ白に塗り立てられて「気持ちがよいほどであった」という。畳みや文机もあって「予想をくつがえすものでもあった」と。蒲団もせんべい蒲団ではなく、「ここのは木綿縞ではあるが、まずまずと言っていいものであった」と。作業服もまずまずで和服の用意もある。

 そのせいか、また温情ある所長がいたせいか、この本ではさほどの拷問などのシーンは出てこない。「君はお母さんが亡くなったんだってねえ」と所長に言われ、急に涙を流したりもする。

「いけない、いけない、こんなことでどうするか。相手は天皇制官僚ではないか。その前で頭を垂れるとは絶対的な降伏ではないか。敵の前で涙を見せるとはなにごとなんだ。昨日まで精かぎり根かぎり闘ってきた精神をお前はどこに捨ててきてしまったのか」と自問反問するのだが「涙はついに嗚咽となった。母の死それだけであって、階級も思想も天皇制も戦争も、いっさいのものが存在していなかった。所長は私の最大の弱点をついてきたのであった」と。
 
 階級敵を前にして涙を出すとは思想薄弱ということで、後に志賀や徳田から白眼視もされたという。

 思想犯ということもあって、過酷な労働もあるようには見えない。こんな生ぬるい「拘禁所」があっていいのかと思う読者もいるかもしれない。
 戦後、ソ連によって拉致され厳寒のシベリア収容所に入れられた日本人「捕虜」の悲劇の手記は多々出ている。ソ連内の反体制派の人々や周辺国家の弾圧された人々(バルト三国など)のラーゲリ体験もすさまじいものがある。それに比べれば、何なのか?


 若干の農作業をすることになるのだが、徳田は肥だめの「味見」をするほどの豪放磊落ぶり。だが、インテリの志賀はそんなことはしない。肥担ぎはするが……。
 ラジオを聴くのは許され、戦況をかろうじて知ることになる。

 福本和夫が転向して出所した云々など興味深い拘禁所での生態が描かれている。やがて敗戦を迎え…と。
この人、岩波新書からも本が出ているようなので、後日ひもといてみたい。

 治安維持法で多くの人が逮捕されたり獄死したものもいたにせよ、偽装であれなんであれ「転向」すれば許すという甘い基準もあったようで、死刑判決など粛清された例は聞かない。このあたりソ連中共北朝鮮ベトナムカンボジアなどのコミュニスト政権下の思想弾圧に比べれば、かなり「異なる悲劇」であったというしかないだろう。

 それはさておき、著者が毛嫌いもした軍歌に関しては、最近、1984年生まれの辻田真佐憲氏の『世界軍歌全集 歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』 (社会評論社)という面白い本が出ている。
 日本の軍歌はあまり出てこないが、世界中の軍歌(共産圏の革命歌も当然軍歌になる)の原語(翻訳)が収録されている。
 ヒトラー、毛沢東やフランコや金日成や金正日などの「独裁者」を讃える軍歌はむろんのこと、ソ連の「ポーリュシュカ・ポーレ」も軍歌だったとのこと。てっきりロシア民謡かと思っていたが? 「平原よ、平原よ」で始まりつつも、「われらが大地を赤軍の英雄たちは駆け抜ける」「潜水艦は疾駆して、艦船が警戒体制に着く」といった歌だったとか? 
 ううむ、昭和46年頃にたしか、この歌を仲雅美(男です!)が歌っていたが、彼は共産党の回し者か、歌声喫茶のオルグだったのか? ロシア語で知っているのは、スパシーバ、ドーブロエウートラ、ダスビダーニャ、ニェット、ニーチェーボーぐらい。「ポ―リュシカ・ポーレ」はロシア語で「愛の言葉」だと思っていたのに?

 フィンランドでは「モロトフはダメだ」なんて軍歌があったという。これは1942年に作られたもので、ソ連の侵攻を食い止めた時に赤軍の弱体ぶりを風刺した歌のようだ。

「イワンは楽しそうに歌いながら戦争しにきた。でもマンネルヘイム線に当たってからは、その歌声は一転して悲しげになってしまった」「ウラルの彼方、ウラルの彼方へ、モロトフの小作地ならそこに沢山ある。スターリンとその仲間たちも送ってしまえ」…と。楽しい歌? こんな歌を作った作曲家と作詩家は、戦後、「フィンランド化」されたフィンランドで無事生き延びたのだろうか? 

「スターリンこそ、われらの輝ける凱歌 スターリンこそ、われらの若き飛躍」「今やソヴィエト全土は、世界一太陽の輝く国となった。スターリン式の大収穫で、コルホーズの野は満たされる」「スターリンの温かい笑顔を子供たちは喜びあう」といった「スターリンの歌」が1938年に作られていたという。こういう軍歌なら、当時の土屋さんも喜んで歌ったことだろうか? 

 そういえば、スターリンが死んだ時にも、そんな歌詞と五十歩百歩のスターリン讃歌詩集を著した滑稽な日本の文学者の本があった(1954年刊行の『スターリン讃歌・詩集』理論社)。これも「迷著」というしかない噴飯ものであった。野間宏なども名を連ねていたと記憶している。

 さらに、関連書として、吉原昌宏氏の『ミリタリー雑具箱 吉原昌宏ミリタリーイラスト作品集』 (大日本絵画)を読んだ。ミニスカの女兵士も登場するが、連合・枢軸それぞれの軍服や戦車や戦闘機などのイラスト&マンガが収録されている。僕は兵器オタクでも軍服フェチでもないのだが、こういうのを眺めるのは楽しいもの。国書刊行会や大日本絵画のこの手のイラスト本はいいね。
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