古本虫がさまよう 谷沢永一さんのお墨付き、やはり富島健夫は「性愛文学」の巨匠!
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谷沢永一さんのお墨付き、やはり富島健夫は「性愛文学」の巨匠!
(2017・3・16・木曜日)




荒川佳洋氏の『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』 (河出書房新社)を読んだ。


(内容紹介)→ 「ジュニア小説」というジャンルをひらき「官能」の巨匠であった伝説的作家の波瀾万丈の生涯と強烈な個性をえがく初の評伝。
1月下旬に出たというのに、アマゾンではまだレビューが出ていない(3・16朝の時点)。なんということだ? 忘れられた作家なのか? ブックオフに行っても、富島さんも、川上宗薫も、宇能鴻一郎さんの作品もめったに見かけなくはなっているが……。図書館横断検索をすると杉並区や世田谷区や足立区ではそこそこ蔵書があるが、ほかの図書館は数冊あるかどうかの程度。

そういえば、この前、宇能鴻一郎氏の『女教師淫行日記』 (ケイブンシャ文庫)を読んだ。


内容(「BOOK」データベースより)
あたし、中学の理科教師なんです。夏のある夜、昔の教え子に、理科室の実験用テーブルで生体解剖されたんです。両脚を思いきり開いて、ピンセットで、あたしのあそこをつまんでみたり、硬く大きくなった自分のものを、押しつけたり―。あたし、すごく興奮して、たちまち絶頂に…。好評日記シリーズ第六弾!!


教え子が大学生になって、女教師宅(アバート)にやってきて……というお話。最後が、ちょっとわからない構成だったが…。ちょっと物足りないストーリー展開であったが……。

ともあれ、ウィキペディアによれば、富島さんは、こういう作家だ。


当時日本領だった朝鮮の京城に1931年に生まれる。1945年敗戦とともに引揚げ、福岡県立豊津高等学校に学ぶ。1951年早稲田大学第一文学部仏文科入学。在学中に丹羽文雄の『文学者』同人となり、1952年同人誌第二次『街』を創刊、創作活動に入った。
1953年12月、『街』の代表として応募した『新潮』同人雑誌推薦特集に「喪家の狗」が掲載され、文壇にデビューする。同作は芥川賞の候補になった。卒業後、河出書房に勤務の傍ら、1956年に処女長編『黒い河』を同社より刊行する。1957年、河出書房の倒産を機会に、作家生活に入る。
『雪の記憶』『故郷の蝶』『七つの部屋』『恋と少年』などの純文学書下ろし長篇を発表後、1960年代からは青春小説、ジュニア小説に着手する。性の問題を回避して青春の文学は成立しないと主張し[1]、それまでタブー視されていた10代の性の問題を正面から扱い[2]、1969年『ジュニア文芸』(小学館)に連載された『おさな妻』はテレビや雑誌等で賛否両論を呼んだ[3]。
1973年『初夜の海』[4]を発表以後、作品は官能的な傾向を強め、1980年代には川上宗薫、宇能鴻一郎とともに“官能小説御三家”とも称せられた。大河長編に『女人追憶』がある。
自伝的長編に『青春の野望』(5部作)。エッセイ集も多数あり、1998年に66歳で没するまでに刊行された著書は700冊に及ぶ[5]1980年から翌1981年にかけて、各時代の代表作を集大成した『富島健夫小説選集』全22巻(実業之日本社)が刊行されている。
『黒い河』『雪の記憶』[6][7] 『明日への握手』(映画「高校三年生」)[8]、関根恵子というスターを生んだ『おさな妻』[9]、3本のにっかつロマンポルノと、1950年代から1980年代まで、それぞれの時代の代表作が安定して少なくとも12本映画化されている。
競艇ファンとしても知られ、1970年代から1980年代にかけて、関東地区競艇場開催の四大特別競走(現在のSG競走)優勝戦中継のゲストとして常時出演していた。


早稲田時代から、丹羽文雄などの推奨を受けて、同人雑誌などで活躍。芥川賞候補にもなる。石原慎太郎登場以前の時代故に、学生作家としては「第一号」? もしその時芥川賞を取っていれば、彼の作家としての歩みも少し異なったものになったのかもしれない。しかし、当時の選評では、無視する審査委員も少なくなかったという。著者(荒川氏)によると読んでいない人もいたのではないかと指摘もしている。


富島作品といえば、 『花を盗む』 (サンケイ出版・徳間文庫)があったかと。これは名作?(この作品を杉並区と墨田区は「蔵書」として所蔵している。偉い!?)

(「BOOK」データベースより)
高校1年の夏休み、親友の別荘に避暑に行ったぼくは、美しい人妻の姉・初江さんに誘われるまま、林の中で、彼女の個室で甘美な初体験。若い人妻の手ほどきで心身ともに解放されたぼくは、同級生のなお子に対しても、思いやりをもって接することができるようになったし、大学で偶然に再会した幼なじみの芳子にも、率直に恋の手ほどきができるようになった…。爽やかな青春官能傑作。


これは『おもいでの夏』 (角川文庫)に匹敵する「年上の女」文学であった?

ともあれ、政治的主張もよくしていたそうで、ベトナム戦争反対、金日成・文革礼賛発言もしばしばだったという。人生相談などで、女子高校生にストライキのすすめもしていたそうな。そういう時期に書いた小説の中での毛沢東礼賛などの記述を「修正」することもあったという。


~と認定しても、それは自分自身のことであって、毛沢東だって文句は言えないはずである(1976年、集英社文庫コバルトシリーズ141頁)

~と認定しても、それは自分自身のことであって、孔子や釈迦だって文句は言えないはずである(1997年 自選青春小説2 161頁)


そんな「改竄」もあったという。逆に、あとの文章が先にあって、文革時代、孔子批判もされていたから、あわてて、前の文に改竄する作家もいたかも?

ともあれ、そんな富島さんの「作品」を高く評価したのは谷沢永一氏だ。そのことは、この本でもしばしば触れられている。本欄でも、谷沢さんのそういう富島エロス文学評価をこういう風に紹介したことがある。


ジキルとハイドこと谷沢永一氏の性愛文学論に拍手 06/18/2011

この前亡くなった谷沢永一氏の『性愛文学』 (KKロングセラーズ)は傑作。 富島健夫氏の『処女連盟』などの作品を性愛文学の傑作と高く評価。そして「舌に関して言及しないのが、純文学。舌の無際限な効用に言及するとき、それは、大衆文学、と貶められるのを覚悟しなければならない」との名言もある。


富島さんは、猥褻罪で摘発されたりもしたが、「賞」の権威がないがための側面もあったのかもしれないとのこと。当時、筒井康隆氏は、 「ポルノ度において川上、富島氏に劣らぬものを書いている他のポルノ作家が槍玉にあげられないかと考えた場合、宇能鴻一郎氏は芥川賞をとってるし泉大八氏は新日本文学会といううしろだてがあるというように、決して文壇内で孤立することはないと思える背景が考えられる」と指摘もしていたという。

晩年は一流文芸雑誌からお呼びがかからなくなり二流雑誌に書くことも多かったという。逆に、ジュニア雑誌で書いていた時に「週刊朝日」から連載小説の依頼がきて嬉しかったそうな。ジュニア小説を小馬鹿にする文壇の雰囲気もあったという。

ふと、星新一氏の評伝(『星新一 一〇〇一話をつくった人』最相葉月氏。新潮社)を思い出した。

細かい話は忘れたが、ジュニア小説同様、どちらかといえば、軽く見られていたSF小説を書いていた星さん。文藝春秋から本を出したいと思っても断られていた時期があり、それを残念に思っていたとか……。星さんは晩年になるにつれ、「文豪」となっていったが……。同じような境遇を味わった時期が、富島さんにもあったのではないかと。

ともあれ、この前、古本市で買った富島健夫氏の『女遍歴の日日』 (双葉社)を読んで読後感を綴ったことがあった(以下一部再録)。帯に「愛の黙示録」「男と女の華麗なる妙薬」とあるが‥‥。
大学一年生の童貞男が主人公。高校時代のテニス部の先輩で年上の女子大生にまず手ほどきを受ける。その後、彼女の友人を紹介されたり、恩師でもある女教師と結ばれたり、さまざまな年上の女性との遍歴が描かれている。
年上の女性との性遍歴を綴った小説といえば、神崎京介氏『女薫の旅』シリーズ(講談社文庫)は、最近読まなくなってしまったが、これは高校生の時から始まっていたっけ? 昭和と平成の違いか? 
富島氏のこの本、「週刊大衆」の昭和62年3月16日号から63年5月16日号に連載され、新書サイズの本として刊行されている。奥付の日付は「昭和64年1月10日」になっている。昭和天皇の崩御は、昭和64年1月7日の朝。従って、昭和64年1月10日は、本来、歴史的に存在しない日付。ということは、昭和時代に出たエロス本としては最後のエロス本(実質平成の世となって刊行された最初のエロス小説といえるのかもしれない。その意味で歴史的にも貴重な一冊‥?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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