古本虫がさまよう スターリンに対しても、憎悪と怨嗟だけではなく感謝の心を表明すべきなのか?
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スターリンに対しても、憎悪と怨嗟だけではなく感謝の心を表明すべきなのか?
(2017・1・27・金曜日)




最低気温がマイナスで、最高気温が10度以下…となる日々が、ここ数日東京周辺で続いていた(昨日、今日は少し「暖冬」?)。だが、この程度の寒さ、東北・北海道からみたらどうってことはあるまい。テレビのワイドショーだったか、ハチ公前かどこかで寒さ対策をインタビューしていたら、東北から来たというおばさんが、この程度ならどうってことはない…と語っていたシーンがあった。だが、その東北や北海道の寒さも、シベリアの厳寒からすれば、どうってことはないたことになろうか。この時期、シベリアはマイナス20度、30度の世界ではないか。地球温暖化を祈っているロシア人たちがいるかもしれない。

それはさておき、富田武氏&長勢了治氏の『シベリア抑留関係資料集成』 (みすず書房)を手にした。箱入りで1000頁を超える大著。

内容紹介→シベリア抑留に関するわが国最初の資料集をここに刊行する。シベリア抑留問題については、今日まで、私家版を含め、ゆうに2000冊を超える。回想記類が刊行されてきた。だが、客観的な資料にもとづいた資料集はこれまで存在しなかった。シベリア抑留から70年余が経過し、旧ソ連が保持していた公文書や米国および米占領軍の公文書も開示された今、本書に収録された193編の資料および付録 類によって、抑留に至る経緯から、極東・シベリア・中央アジア・モンゴル・北朝鮮・南樺太などの各地域での抑留の実態、帰還および帰還後の問題、冷戦下のかけひきなど、その全貌がはじめて明らかにされる。 資料の半分を翻訳が占める。 巻末には、これまで刊行された「シベリア抑留体験記」のほぼ全てを収めた膨大な書誌を付す。 戦後70年余をへてようやく実現できたこの画期的な資料集は、現代史研究等に、新たなる道を拓くであろう。
巻末には、抑留体験者の手記など、抑留をテーマにした本がズラリと五十音順に並んでいる。68頁。1頁40冊とすれば、2500冊~3000冊ぐらいか。

西来路秀彦氏編の『シベリア抑留関係基本書誌』 (日外アソシエーツ)は雑誌なども収録されているようだが……。著者名五十音順に書誌が掲載もされている。こういう本を手にして、シベリア抑留関係書誌をコレクションすることも可能だろう。

40年前に上京した学生時代から、古本屋や古本市などで、戦争関連書などを購入してきた。その中でも、シベリア強制抑留体験者の手記はそこそこ購入した。帰国してからすぐに書いた人が多かったのだろう。1950年代~60年代に刊行された抑留記の多くは、紙の質も悪く、黒ずんでいたものが多かった。1970年代に青春時代を迎え、そのころから社会問題に関心を持った我が身は、ソビエトといえば、ソルジェニーツィンやサハロフを弾圧する「悪の帝国」だった。シベリア強制抑留は1956年に終了してはいたが、そのあとも、心ある「ソ連人」の多くが、「良心の囚人」として獄中にあり、強制収容所に残されてもいた。そこから辛うじて釈放されたり脱出したり、「雪解け」で解放されて「手記」を書いた人の本の蒐集や読破に励むことが多く、日本人のシベリア強制抑留手記は積んどくすることが多かった。1970年代からすれば、シベリア強制抑留問題は「過去形」だったこともある。サハロフやソルジェニーツィンなどへの弾圧は、「現在進行形」だったこともある。

ともあれ、じっと2000数百冊の手記の書名を眺める。ここに多くの人々の苦悩の日々が綴られている…。しかし、手記を書いた人は、生き残って日本に戻ることができた幸運な人々でもある。ざっと70万抑留、7万死亡…。帰国してすぐに亡くなった人も少なくないだろう。そういう人は手記を残すこともできなかった。

帰国した人々が作った団体には、いくつかの「派」があり、自民党政権時代に作られた平和祈念事業特別基金の『戦後強制抑留史』なる本があるが、みすず本の編者の一人、富田武氏は、その抑留史の本は「全編が抑留及びスターリンに対する憎悪と怨嗟の立場から書かれ、それを証明するために引揚掩護局による聴き取りや諸個人の回想がつまみ食い的に利用され、『抑留史』というにはおよそ客観性を欠いたものである。しかも、日本軍と階級制度の反省は全く見られず、抑留者が捕虜だったことを認めようとしない」と、こちらには批判的だ。

ううむ…。とはいえ、強制拉致・連行され、「戦後」になってあんな強制労働を強いられた人々にとって「スターリンに対する憎悪と怨嗟の立場」以外に、何があるだろうか? 常識をもって、想像力をもって考えれば、答えは自明ではないのか? 机上の空論はナンセンスでは?

いやいや、人生はジキルとハイド。禍福は糾える縄の如しだから、スターリンに対しても、憎悪と怨嗟だけではなく感謝の心を表明すべきなのか?
このみすず本の中にも「入党した帰還者諸君へ」(アカハタ・19548年7月30日)という野坂参三の一文が収録されている。

「民主運動」(洗脳運動)の成果か、共産党に入党する奇特な帰国者もいたわけだが、野坂は「諸君の一つの仕事はソ同盟のありのままの姿を世間に知らせることである。誇張は禁物である。いいところも、欠点も、そのまま伝えたらいい。そして社会主義と資本主義との根本的な相違、社会主義制度のすぐれている点を了解させることが必要である」と、ノーテンキなことを述べていた。
「ありのままの姿を世間に知らせる」ことに徹したら、当然、反スターリンになるのが道理ではないのか。

ともあれ、暖房の効いた部屋でパソコンに向かって文章を綴るわれら…。想像力だけはちゃんともって、シベリア強制抑留を体験した人々の心情を思いやるだけの「理性」と「知性」は持ちたいものだ。そのためにも、勇崎作衛氏(絵・文)の『シベリア抑留 絵画が記録した命と尊厳』 (彩流社)を読んだ。

内容紹介→戦後、ソ連軍の捕虜となって極寒の地で過酷な労働を強いられ 60万人もの日本人が連行された歴史。 胸に突き刺さるような87枚の油絵と体験記で 体験者が次の世代に伝えるメッセージとは。オールカラー! 友よ、答えてくれ! お前の家族に何と伝えればよいのか! (極寒の埋葬) 馬も大粒の涙を流して死んでいった。そして代わりに人がソリを引く (人間馬そり) 「働け! 早く」凍結した土はコンクリートのように固い (赤軍兵舎の水道工事) いま会社で普通に使う「ノルマ」という言葉は、 ロシア語で「強制労働に伴う責任達成量」を意味し、 シベリア抑留されていた日本人が復員後に 伝えた言葉といわれる。

冒頭から「将校夫人は、乱暴され、銃剣で刺し殺された」「女性は坊主頭にならないと何をされるかわからない」のキャプションの絵画で始まる。

そのほか、 「少しでも大きいところがほしい! 全員が真剣に見つめる」「黒パンの分配」という絵もある。
貰い物のとらやの羊羹がこの前、仕事場で配られた。適当に切断し、爪楊枝を差し込んでいる。それをみて、僕などは、当然、厚く切られた羊羹を手にした。現代でも、さりげなく(?)そういう選択をする人が多いことだろう。一人一切れなら、少しでも分厚い羊羹を手にするものだ。単なる「三時のおやつ」程度でそうなら、生きるか死ぬかのシベリアの極地でなら尚更であろう…。

ちなみに、古女房の祖父も強制抑留されて舞鶴に帰国してきたとのこと。その伝によると、「大卒のインテリ兵士は情けなかった。外の仕事がきついと泣き言言いながら、黒パンは少しでも大きいのを真っ先に取って食べていた」とのこと。本人は農家出身で、体力はあったようだが?

豊かな文明社会でのおやつの羊羹を「つまみ食い」する我と、シベリアのマイナス40度前後の世界で働かされ主食の黒パンの一切れ一切れに目を光らせた同胞。
「猫の肋骨をボリボリ食べている」人も描かれている。 「もはや人間の顔ではなかった」と(僕はネコ嫌いだから、食べることに抵抗はない? でも、小鳥も食べるだろうな? でも、シベリアにはインコはいないだろう?)。

こんな「野蛮人」に誰がした? スターリンに決まっているではないか!「諸個人の回想」の多くも、スターリンへの怒りがおおむね表明されているのではないか。もちろん、収容所周辺のロシア人が時々食料を恵んでくれたこともあった。収容所の看視人にも思いやりのある人もいただろう。そういうことを書いている人もいる。でも、体制としてのソビエトへの批判として一貫した怒りを表明している人が圧倒的多数だろう。それをそれとして直視して何が悪い?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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