古本虫がさまよう 慰安婦、南京事件など過去完了形事件を追うのもいいが、戦後の現在進行形のシベリア強制連行や北朝鮮強制拉致もお忘れなく?
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慰安婦、南京事件など過去完了形事件を追うのもいいが、戦後の現在進行形のシベリア強制連行や北朝鮮強制拉致もお忘れなく?
(2016・12・26・月曜日)





前にも書いたけど、1956・12・26はシベリアに強制抑留・連行された日本人の、最後の帰国者たちが舞鶴に戻ってきた日とされている。60年前の出来事。たまたま、長勢了治氏の『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』 (新潮社・新潮選書)を読了し、そのあと、富田武氏の『シベリア抑留 スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』 (中公新書)を読み、さらに、栗原俊雄氏の『シベリア抑留 未刊の悲劇』 (岩波新書)を読み進めていた時に、先の映画『こころに剣士を』を見た。こちらも大戦後、ソ連の完全支配下に置かれたバルト三国(エストニア)の悲劇を、「実話」に基づいて描いたものだった。

(改めての映画内容紹介)→ソ連占領下で人々が鬱屈した生活を強いられた1950年代初頭のエストニアを舞台に、勇気を持って逆境に立ち向かおうとするフェンシングの元スター選手と子どもたちの絆を、実話に基いて描いたヒューマンドラマ。エストニアの田舎町ハープサルでは、ソ連の圧政によって多くの子どもたちが親を奪われていた。ソ連の秘密警察から身を隠すため町にやって来た元フェンシング選手のエンデルは、小学校の教師として子どもたちにフェンシングを教えることに。実は子どもが苦手なエンデルだったが、学ぶ喜びに満ちた子どもたちの表情に心を動かされていく。ある日、レニングラードで開催される全国大会に出たいと子どもたちにせがまれたエンデルは、秘密警察に見つかることを恐れながらも子どもたちの夢をかなえるべく出場を決意する。監督は「ヤコブへの手紙」のクラウス・ハロが監督を務め、米アカデミー賞の外国語映画賞に向けたフィンランド代表作品に選ばれた。

(以下、さらなる詳しいストーリー紹介ありなので要注意!)。

名前を変えて、エストニアの田舎町へ。海のそば。場合によっては「亡命」も可能?
ともあれ、フェンシングの元選手ということもあり、誰もいない体育館で剣を手にしていたら、生徒がそれを見て、興味を持つ(この生徒の鋭い目つきがいいね。育て方を一歩間違えると親を告発する危険な子供や秘密警察の目になるが…)。体育の課外授業としてフェンシングをやることになるが、共産党官僚の校長はブルジョワ的スポーツとして気に入らない。やめさせようとして保護者会で提案。しかし、マルクスだってフェンシングをしていたという老人が出てくる。賛否を取ろうとすると…。その老人だけがまずは手を挙げる。シーンとした光景の中、ほかの保護者もおずおずと手をあげていく。共産党校長の方針に反して、そんなことをするとは…。賛成した保護者の名前はチェックされる。その後、老人は、収容所へ…。

教師の出自を怪しんだ校長は、部下に背景を調べさせる。ドイツ側について大戦で反ソだったという事実が発覚する。ちょうどレニングラードでフェンシングの大会がある時。チームは決勝まで進出。こっそり逃げようとも考えた主人公だったが、その場で逮捕され収容所へ(シベリアかな?)……というストーリー。幸いにも、そのあと、スターリンがくたばり、「釈放」され、再び、駅のホームに戻ってくる。そこには、恋人や生徒たちが待っていた……。

共産党校長の方針に反対するなんてことは、全体主義国家では許されないこと。それでも「正論」を通す…。ほのかな恋愛。レニングラードの大会に出発する駅のホームに、主人公の恋人がサンドイッチをもってやってくる。ううむ…。30年以上前、僕にもそんな光景が? 田舎に帰る新幹線のホームに手作りの弁当を持ってきて涙ぐんだ女性が…。それがいまや……。その日、映画を見にきた時、薄手とはいえ、コートを着たままなので「?」と思ったら、なんと、その日、ワンピースを着ていたのだが、トイレに座ったとたん、背中のファスナーがプッツンしたとか? 20年前に買った時は、ゆったりだったのが……。

ともあれ、シベリアに強制抑留され、マイナス30度なんていう厳寒の中でも働かされた日本人たちは、古女房と違って、体重も半減するような悲惨な生活をしていた。それらの事実は、先の本でも幾度も紹介されている。にもかかわらず、そうした状況を、愛する「ソ同盟」サマのやっておられることだとして、見て見ぬフリをしたり、擁護したりする愚かな進歩的文化人たちもいた。

その事実は、若槻泰雄氏の『シベリア捕虜収容所』 (サイマル出版会・明石書店)で詳述されている。富田氏は、先の本で、「ソ連とスターリン、そして、『民主運動』の弾劾に終始したもの」だったとして、いささか、クールにというか、見下した(?)感じで紹介しているが……。

若槻氏のその告発書を継承する著作として、阿部軍治氏の『シベリア強制抑留の実態』 (彩流社)があるとしている。阿部氏は、さまざまな経緯を経て、シベリア強制抑留問題に関係するようになったのだが、その本の中で、「何よりもソ連の理不尽で非人道的なやり方に腹が立ち、シベリア抑留者の皆様の苦労・苦痛を少しでも世間に知らせる必要があると思ったからである。抑留者たちの手記を読んでしばしば涙をさそわれた」「恥ずかしいが、ときには落涙しながらこの本を書いた」という。まぁ、それが日本人筆者としては、常識的ラインではないか。

栗原氏の本は、客観的にこの問題を取り上げて、ふむふむなるほどそうだなと感じつつ読了したが、この本の中でも、1954年1月号の「中央公論」に載った、抑留者たちの控えめな体験手記にさえ、いかに当時の進歩的文化人たちが反発したかが紹介されている。
桑原武夫は、ソ連による日本人の抑留を「国際法上、正当な理由がある」としつつ、「それぞれの理由によって、これらの人々を留めおいていた国が、これを解放し、帰国させたその厚意に対しては、日本人全体が感謝しなければならない」とつづっていたという。

栗原氏は、そういう言い分に対して、「誘拐犯が人質を帰してくれたから感謝しろ」というに等しいと批判しているが同感だ。
この桑原より酷い実例として、「世界」の対談の大内兵衛なども出している。「抑留のことに言及せずに、社会主義の優越性をたたえたり」していたとのこと。岩波新書の一冊であるが、「世界」の大罪を指摘しているのは立派?

ともあれ、戦時中の「蛮行」(?)である南京事件や慰安婦問題をことさら追及する人が、戦後になってからのソ連の完全なる蛮行であるシベリア強制抑留、拉致問題や「性奴隷」化した問題に関して、さほどの関心を持たないというのは、どうしたものだろうか?
桑原武夫や大内兵衛路線で今もいるからなのであろうか。過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる…とは、そういう、ファシズムとコミュニズムとが等質のものであることを認識できないでいる 、容共リベラルとでもいうべき、愚かな進歩的文化人たちのための言葉でもあろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

(以下再録)

バルト三国と日本に共通する哀しみの過去をめぐって 「ファシズム=コミュニズム」
(2014・7・2・水曜日)


まだ読み終えていないが、1952年生まれのサンドラ・カルニエテの『ダンスシューズで雪のシベリアへ あるラトビア人家族の物語』 (新評論・黒沢歩氏訳)は、とても感動的な「自叙伝」だ。今年の3月に訳出されていたとは、つい最近まで知らなかった。半分近く、二百頁まで読んだところだ。

粗筋は以下の通り。
現在、欧州議会議員を務める著者は、強制追放のためにシベリアの寒村に生まれ、スターリンの死後の「雪解け」を機に、4歳の時に両親に連れられて祖国ラトビアの地を初めて踏んだ。本書は、独立回復以降に入手可能となった公文書や、家族の日記とシベリア体験者の声をもとに、旧ソ連における大量追放の犠牲となった家族の足跡を追い、追体験する自伝的な作品。歴史に翻弄される個人の悲運を浮き彫りにし、バルト三国の近代史に残る傷跡に光をあてる。【「BOOK」データベースの商品解説】

著者の母は、ダンスシューズをプレゼントにもらった直後に、親と共にシベリア送りになり、そのダンスシューズでシベリアの雪の中を歩くことになる‥‥。

ラトビアをはじめとするバルト三国は、ソビエトに蹂躙され、ソ連に編入されることを熱望するでっち上げの決議により、独立を失う(どこの国にも「第五列」はいるのだ)。第二次大戦、独ソ戦争開始により、ソ連を追い出したナチスドイツに戦時中支配され、ドイツの敗北により、再びソ連の支配下に置かれたラトビア。

ヒットラーとスターリンの毒牙に襲われたラトビア、バルト三国の悲劇は、もはや「過去」になりつつあるが、本書の著者のように、戦後生まれであったとしても、本人を含め、その両親や祖父母の世代がいかにソ連によって苦しめられたか‥‥。

共産圏の中で捕らえられた人々の手記、自叙伝は多々読んできたが、それにしても酷い‥と感じる内容だった。本当に、共産主義者はなんと酷いことを長年やってきたのだろう。

日本人とて、シベリア抑留、拉致を体験している。北朝鮮による拉致問題まで発生している。

「従軍慰安婦」問題などに比べても、はるかに深刻な問題である。「未解決」というのは、こういう、文字通りの強制連行・拉致などの被害に関して言われるべきフレーズであろう(それにしても、「朝日社友」の資格を朝日新聞から「剥奪」された川村二郎氏は、先月号に引き続き、今月号の「正論」(2014・8月号)でも、古巣朝日新聞をシャープに批判している(「我が朝日よ、「慰安婦」で謝るべきは日本ではなく君だろう」)。本当に「正論」だ。

さらに、アジアでは未だに北朝鮮や中共で、これと似た状況が続いている。モンゴルも、バルト三国同様、ソ連と中共に支配され、コントロールされてきた。
チベット、ウイグルもバルト三国同様の悲劇を体験している(バルト三国はまだ「独立」できた。外(北)モンゴルも一応「独立」したが…)。

サンドラ・カルニエテの一家を襲ったような共産主義による悲劇は、アジアではいまだに現在進行形で、21世紀の今も続いているのだ。
そうした根源的な人権問題を追及することもなく、東日本大震災による一時的な体育館などでの避難生活が人権侵害であったと声高に避難する「人権弁護士」が、日本のどこかにもいたが、こういうノーテンキな人にこそ、こういう本を読んでほしいものだと痛感させられる。

訳者は「ラトビア人としての民族的な心情は複雑に絡みあっていて、時にかたくななまでに旧ソビエト・ロシアを否定する人が少なくない。本書は、カルニエテというフィルターを通して、そんなラトビア人の歴史観の一面を提示している。共産主義とファシズムをひとくくりに糾弾する著者の断定的な論には、異論の余地が大きいだろう」と述べているが、とんでもない。

異論を述べるような人々は、本当の意味での人権の意味を理解できない輩というしかあるまい。「かたくなな」も「ひとくくり」も「断定的な論」も、すべては事実に基づく批判であり、ためらうこともあるまい。

ともあれ、 「日本にはシベリア抑留の体験者がいる。ラトビア人とシベリアの苦しみを共有している日本人にこそ読んでもらいたい」と著者はメッセージを寄せている。

批判する相手がソ連や中共や北朝鮮になると、同じ人権弾圧であっても急に小声になる情けない人が日本には少なくない。反共すぎるのはいかがなものか、感情的すぎる‥とか。しかし、これほどまでに酷い人権弾圧を、見て見ぬふりをすることこそ、恐るべき感情論というしかあるまい。

20世紀最悪の野蛮思想、ナチズム、ファシズムと何ら変わらないコミュニズムの諸悪を知る上で、貴重な一冊といえよう。

以前に紹介ずみだが、バルト三国からスウェーデンなどに戦時中逃れていた人々が、戦後、強制的に「祖国」となった「ソ連」に戻されることになり(それはシベリア送りを意味もしていた)、それから逃れるためにボートに乗って大西洋を渡りアメリカに亡命するノンフィクション亡命劇のC.B.ウォールの『エルマ号漂流記』 (時事新書)も忘れがたい名作である。

 また共産党党員としてソ連に協力し、反ナチスの闘士でもあったにもかかわらず、マルガレーテ(マーガレーテと表記のことも)・ブーバー=ノイマンは、共産主義者として夫婦そろってナチスはむろんのことスターリンにも酷い目に遭う。
生き残った妻である彼女は『第三の平和 第一部』『第三の平和第二部』 (共同通信社)という本を残した。この本は近年ミネルヴァ書房からも『スターリンとヒットラーの軛のもとで』として復刊された。
 戦後は徹底した反共リベラル派としてドイツでも活躍したそうな。彼女の生涯そのものが、ナチズムとコミュニズムの共通性を証明する一冊でもある。

こういう本を読みもしないで、過去完了形の「人権問題」をことさら強調し、現在進行形の「人権問題」は無視するのはどういう思考から生まれるのだろうか。精神病理学の対象として研究素材にすべきかもしれない。悪しきナショナリズム的精神構造の解明のためにも?
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