古本虫がさまよう 「文鳥の日」(2016・10・24)に、なにを読む? 「文麿」の「近衛上奏文」(1945・2・14)などを読むことに?
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「文鳥の日」(2016・10・24)に、なにを読む? 「文麿」の「近衛上奏文」(1945・2・14)などを読むことに?(2016・10・25・火曜日)





10月が手乗り文鳥の雛が出廻る時期であることと、「て(10)に(2)し(4)あわせ」(手に幸せ)の語呂合わせから、昨日の「10月24日」は文鳥の日だそうな。知らなかった。文鳥は子供時代、飼っていた。その文鳥を狙うのが近所の悪餓鬼ならぬ、悪猫。人の家の庭に糞をするわ、家に侵入して鳥籠を襲うは、中共や北朝鮮並みのケシカランゴロツキ存在だった。猫を見たらスリッパや靴を放り投げていたものだった。猫はネズミを襲うならいいが、小鳥を襲うのは許せない。

それはさておき、新谷卓氏の『終戦と近衛上奏文  アジア・太平洋戦争と共産主義陰謀説』 (彩流社)を読了。大変知的刺激を受ける一冊だった。

内容紹介→多くの謎を含み、様々に解釈されてきた「近衛上奏文」を現代史に位置付ける労作!
「満州事変・支那事変を起し、これを拡大し、遂に大東亜戦争にまで導いたのは、 軍や政府にもぐり込んだ「国体の衣を着けたる共産主義者」や彼らを背後で操っている国際共産主義者であり、 彼らは、日本を戦争へ誘導することによって社会を混乱させ、これに乗じて共産主義革命を起こそうとしている。 国体を揺るがすのは、敗戦ではなく共産主義革命である。 英米は国体の変更まで考えておらず、一刻も早く英米との戦争終結の方策を探るべきである。もともと米英および重慶の目標は日本軍閥の打倒にあり、その軍部内に潜り込んだソ連と結びつく「かの一味」を一掃し、その政策が改まれば、 英米も戦争の終結を考慮するにちがいない。 此一味を一掃し、軍部の建直しの実行こそが、 共産革命より日本を救う前提、先決条件である」。 昭和20年2 月14 日、近衛文麿が天皇に上奏した文章は驚くべきものだった。これに関しては様々な意見──妄想説、陰謀説、賛否両論──が出されてきた。しかし、戦後70年余を経、 共産主義の幻影に脅えることの無い現在、やっとその真相が、明らかになることとなった。



近衛上奏文(このえじょうそうぶん)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文。ウィキペディアによると、こんな内容とのこと。

敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。以下此の前提の下に申述候。
敗戦は我が国体の瑕瑾たるべきも、英米の與論は今日までの所国体の変革とまでは進み居らず(勿論一部には過激論あり、又将来如何に変化するやは測知し難し)随て敗戦だけならば国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体の護持の建前より最も憂うるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に御座候。

つらつら思うに我が国内外の情勢は今や共産革命に向って急速度に進行しつつありと存候。即ち国外に於てはソ連の異常なる進出に御座候。我が国民はソ連の意図は的確に把握し居らず、かの一九三五年人民戦線戦術即ち二段階革命戦術の採用以来、殊に最近コミンテルン解散以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相且安易なる見方と存候。ソ連は究極に於て世界赤化政策を捨てざるは最近欧州諸国に対する露骨なる策動により明瞭となりつつある次第に御座候。
ソ連は欧州に於て其周辺諸国にはソビエト的政権を爾余の諸国には少なくとも親ソ容共政権を樹立せんとし、着々其の工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状に有之候。
ユーゴーのチトー政権は其の最典型的なる具体表現に御座候。ポーランドに対しては予めソ連内に準備せるポーランド出国者連盟を中心に新政権を樹立し、在英亡命政権を問題とせず押切申候。
ルーマニア、ブルガリア、フィンランドに対する休戦条件を見るに内政不干渉の原則に立ちつつも、ヒットラー支持団体の解散を要求し、実際上ソビエト政権に非ざれば存在し得ざる如く致し候。
イランに対しては石油利権の要求に応ぜざる故を以て、内閣総辞職を強要致し候。
スイスがソ連との国交開始を提議せるに対しソ連はスイス政府を以て親枢軸的なりとして一蹴し、之が為外相の辞職を余儀なくせしめ候。
英米占領下のフランス、ベルギー、オランダに於ては対独戦に利用せる武装蜂起団と政府との間に深刻なる闘争続けられ、且之等諸国は何れも政治的危機に見舞われつつあり、而して是等武装団を指揮しつつあるものは主として共産系に御座候。ドイツに対してはポーランドに於けると同じく巳に準備せる自由ドイツ委員会を中心に新政権を樹立せんとする意図なるべく、これは英米に取り今日頭痛の種なりと存候。

ソ連はかくの如く欧州諸国に対し表面は、内政不干渉の立場を取るも事実に於ては極度の内政干渉をなし、国内政治を親ソ的方向に引ずらんと致し居候。ソ連の此意図は東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野[5]を中心に日本解放連盟組織せられ朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連絡、日本に呼びかけ居り候。かくの如き形勢より押して考うるに、ソ連はやがて日本の内政に干渉し来る危険十分ありと存ぜられ候(即ち共産党公認、ドゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く共産主義者の入閣、治安維持法、及防共協定の廃止等々)翻て国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件日々具備せられゆく観有之候。即生活の窮乏、労働者発言度の増大、英米に対する敵愾心の昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、之に便乗する所謂新官僚の運動、及之を背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座候。右の内特に憂慮すべきは軍部内一味の革新運動に有之候。

少壮軍人の多数は我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存じ候。職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、又彼等は軍隊教育に於て国体観念だけは徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候。

抑々満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは是等軍部内の意識的計画なりしこと今や明瞭なりと存候。満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候。支那事変当時も「事変永びくがよろしく事変解決せば国内革新が出来なくなる」と公言せしは此の一味の中心的人物に御座候。
是等軍部内一味の革新論の狙いは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部新官僚及民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵し居り、無智単純なる軍人之に踊らされたりと見て大過なしと存候。

此事は過去十年間軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亘り交友を有せし不肖が最近静かに反省して到達したる結論にして此結論の鏡にかけて過去十年間の動きを照らし見る時、そこに思い当る節々頗る多きを感ずる次第に御座候。
不肖は此間二度まで組閣の大命を拝したるが国内の相克摩擦を避けんが為出来るだけ是等革新論者の主張を容れて挙国一体の実を挙げんと焦慮せるの結果、彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能わざりしは、全く不明の致す所にして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候。

昨今戦局の危急を告ぐると共に一億玉砕を叫ぶ声次第に勢を加えつつありと存候。かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも背後より之を煽動しつつあるは、之によりて国内を混乱に陥れ遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。
一方に於て徹底的に米英撃滅を唱うる反面、親ソ的空気は次第に濃厚になりつつある様に御座候。軍部の一部はいかなる犠牲を払いてもソ連と手を握るべしとさえ論ずるものもあり、又延安との提携を考え居る者もありとの事に御座候。以上の如く、国の内外を通じ共産革命に進むべき、あらゆる好条件が日一日と成長しつつあり、今後戦局益々不利ともならば、この形勢は急速に進展致すべくと存候。

戦局への前途につき、何らか一縷でも打開の望みありというならば格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込みなき戦争を之以上継続するは、全く共産党の手に乗るものと存候。随つて国体護持の立場よりすれば、一日も速に戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信仕候。戦争終結に対する最大の障害は、満洲事変以来今日の事態にまで時局を推進し来りし、軍部内の彼の一味の存在なりと存候。彼等はすでに戦争遂行の自信を失い居るも、今までの面目上、飽くまで抵抗可致者と存ぜられ候。

もし此の一味を一掃せずして、早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼左翼の民間有志、此の一味と饗応して国内に大混乱を惹起し、所期の目的を達成し難き恐れ有之候。従て戦争を終結せんとすれば、先ず其の前提として、此の一味の一掃が肝要に御座候。此の一味さえ一掃せらるれば、便乗の官僚並びに右翼左翼の民間分子も、影を潜むべく候。蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとするものに他ならざるがゆえに、その本を絶てば、枝葉は自ら枯るるものなりと存候。 尚これは少々希望的観測かは知れず候えども、もしこれら一味が一掃せらるる時は、軍部の相貌は一変し、米英及重慶の空気或は緩和するに非ざるか。元来米英及重慶の目標は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変り、其の政策が改らば、彼等としては戦争の継続につき、考慮するようになりはせずやと思われ候。

それはともかくとして、此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく存奉候。以上


日本陸軍内部にコミンテルンのスパイがいたとの憶測はいろいろといわれている。 『ヴェノナ』のようなものが出てくれば、このあたりの歴史も大きく修正されることになるかもしれない。だが、いまのところ、新谷氏のように、近衛周辺のさまざまな関係者の「証言」などを丹念に追究することによって、その実像を精査するしかないだろう。著者の結論は……。まぁ、それは一読されたし?

 近衛上奏文が、アメリカのマッカーシーの告発とどう対比されるべきか?  かつてはマッカーシーの告発は荒唐無稽なるものと見る向きが強かったが、近年は『ヴェノナ』などによって、決して荒唐無稽ではなく、かなり的確なものだったとの指摘が学者からもなされるようになってきている。同じことが近衛上奏文にもいえるのか?  新谷氏の本には、いみじくも、堀田善衛が、上奏文を読み、 「悲惨というのほかない。マッカーシー氏の天眼鏡の上をゆくものだ」と評しているとのこと。まぁ,堀田氏は「容共リベラル」系ではあろうが……。そもそも、あんたも都留重人同様怪しい? 

その点、一刀両断に近衛を裁いているのは、中川八洋氏。 『近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実』 (PHP研究所)だ。これは近衛は最初から最後までコミニュストだったというものだ。ふうむ……。そういう見方もありうるか? まぁ、少なくとも初期の段階で、近衛は今でいえば「容共リベラル」なところがあったものの、その過ちに気づいて、「反共リベラル」になったような印象を受ける。彼の上奏文が、辻褄合わせなのか、本心からなのか、妄想なのか…はいろいろと見方が割れるだろうが。中川氏は親米派であるから、大東亜戦争にしても、仏印進駐した日本が悪いという視点も出している。

それと関連して、山口富永氏の『近衛上奏文と皇道派 告発 コミンテルンの戦争責任』 (国民新聞社)もひもとき始めたが、伊藤隆氏推薦の書。読むと、なかなか説得力あふれる筆致で書かれている。一読すべき本だ。

近衛(上奏文)をめぐっての、この三著、著者三者三様であるが、いずれもいろいろと知的刺激を受ける。歴史というものは、「定説」に惑わされることなく、さまざまな視点から考えていくべきであろうか。日本現代史、まだまだ「謎」は多い。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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