古本虫がさまよう 顔面も歴史も「修正」されて当然?
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顔面も歴史も「修正」されて当然?
(2016・10・6・木曜日)






渡辺惣樹氏の『アメリカの対日政策を読み解く』  (草思社)を読んだ。
渡辺氏が書いた本や訳書の「まえがき」や論文などをまとめて評論集。「歴史修正主義」を真正面からとらえて論じた、読みごたえのある評論集だった。

世の中、修正ないし、ステップバイステップの改革や改良なくして進歩はないと思う。にもかかわらず、「許すな、修正主義者」といったレッテル貼りがよく行なわれる。安倍首相は「歴史修正主義者」だなんて決めつけをする学者も少なくない(そういう人の多くは「反知性主義」者たちだろう)。

アウシュビッツの死者数も、ソ連支配下のポーランドにあっては、針小棒大にいわれていたが、ソ連の統治から逃れて自由ポーランドになってからは、厳密に計算し直されて、より正しい数に落ち着いた(これはアウシュビッツでのガス虐殺がなかった、ゼロだったという話しではまったくない)。

同様のことは南京事件でもありうるだろう。当時の錯綜した状況下で、捕虜の処断や婦女暴行などがあったのは事実であろうが、無辜の市民30万人を計画的に殺戮した事実はありえないと主張するのは「歴史検証(実証)主義」に基づくものである。

同様に、真珠湾奇襲はだまし討ちだったかいなか、マッカーシーの告発は間違えてはいなかったとかどうかなど、そういう論争はありうるだろう。
慰安婦問題でも、国家意思に基づく婦女子の強制連行の「証拠」とされていた吉田証言がニセモノと判明すれば、慰安婦強制連行史観は「修正」されて当然だろう。

ルーズベルト神話を保持するために、「第二次世界大戦の起源を批判的に語る研究には『歴史修正主義』、その研究者には『歴史修正主義者』のレッテルを貼ることに決めた。歴史解釈に善悪の価値判断を導入し、ルーズベルト外交を批判することは悪と決めた。レッテルを貼ることで歴史解釈を極端に単純化させ、冷静な学問的批判までも封じ込めた」…そういう空気が学界やマスコミの世界を支配したと渡辺氏は指摘している。


だが、『ヴェノナ』などの登場により、マッカーシーの告発がかなり正しかったという事実が判明したら、彼の指摘をそれなりに再評価することは当然あっていいはずだ。そのあたりは本日朝刊の産経新聞の広告で見たばかりだが、本日発売の「歴史通」2016年11月号で、草野徹氏が「真説 マッカーシズムは”赤狩り”ではなかった」と指摘しているようだ。佐々淳行氏の『私を通りすぎたスパイたち』 (文藝春秋)の中でもその指摘がひとことあったかと。

不細工な顔を必死になって「修正」する「顔面修正主義」を自宅で行なうならまだしも、衆人環視の電車内で行なう見苦しい女性たちには困ったものだが、歴史を「事実」に基づいて「修正」していくのは何の問題もあるまい。冷静に論文などを通じて、公開の場で論じていくのはいいことではないか? 単細胞的にレッテル貼りをするのは、右であれ左であれ慎むべき。「あいつはリベラルだから」とか、「あいつは歴史修正主義者だから」とか「あいつは子豚だとか」……。ついつい、言いたくはなるけど? でも、「あの女性は若い時は45キロの体重だったが、いまは65キロ。子豚になったね」「いや、大豚だ」…といった会話は、事実に基づく批評とはいえるかも?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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