古本虫がさまよう 北朝鮮の独裁体制に盲目となる人々
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北朝鮮の独裁体制に盲目となる人々
(2016 ・10・4・火曜日)







松本昌次氏の『戦後編集者雑文抄 追憶の影』 (一葉社)を読んだ。
未來社などの編集者として接した筆者などの思い出話が綴られている。君が代条例を制定した大阪の橋下徹府知事を「彼などは、ミニ・ヒトラーにふさわしい人です」「治安維持法が跋扈した時代が、ひたひたと迫っている思いです」と批判し、また、「福島核発電所の爆発がどんなに深刻な事態なのかについても、『指導者たちは人民をまんまと騙して』きているのです」とのことだが、そういう批判的視点をなぜ、北朝鮮の独裁者、それこそ、ヒトラーそのものである金王朝に向けないのだろうか?
トランスビューから刊行されていた松本昌次氏の『わたしの戦後出版史』 (聞き手は上野明雄氏&鷲尾賢也氏)にしても、未來社の編集者でもあった時に書いた北朝鮮礼賛旅行記『朝鮮の旅』 (すずさわ書店)にしても、その北朝鮮ヨイショの言論には唖然とするしかないことが書かれていたものだった。

『わたしの戦後出版史』では、 「日米の経済封鎖が北朝鮮にとってどんなに深刻なものであるか、飢饉になるのも無理はないでしょう。体制は異なりますけど日本から進んで国交を開く努力をすべきじゃないんですか」とのコメントは笑止千万というしかない。GDP1%程度の日本の軍事費に比べて、北朝鮮がどういう軍事費大国、軍事大国か? 民生を犠牲にしての軍拡の異常さを指摘もせず、日米の経済封鎖が飢饉の最大の原因とみなすような見解は、反知性主義の最たるものではないか? 鷲尾さんもこういうコメントに、「何をおっしゃる? あまりの暴論!」と反論もできない人だったのか? 情けないにもホドがある。こういう人たちの「良心」って何? 悪しき進歩的文化人たちの妄言には唖然。

もっとも、北朝鮮ヨイショ派だったグループから離脱した人たちもいる。
以下すでに紹介ずみで、再録的になるが…。
小川晴久氏は、 『北朝鮮いまだ存在する強制収容所 廃絶のために何をなすべきか』 (草思社)で、北朝鮮の人権抑圧体制打破のために、我々日本人はもっと北の人権問題に関心を持つべきであると指摘している。

「日本国内外の人権派や平和勢力が、社会主義圏であった北朝鮮の人権侵害状況に目を向けようとせず、避けてきた」ために、今日の惨状が続いていると見ている。
かつては北に同情的であった磯谷季次氏が、晩年には北批判派になった例なども紹介されている。転向後の磯谷氏の『良き日よ、来たれ 北朝鮮民主化への私の遺書』 (花伝社)は、僕もかつて一読したことがあるが、そうした北批判を心よく思わない昔の進歩的文化人もいるそうな。その知的頽廃たるや、情けないにもほどがある。

松本氏にとって、「畏友」でもあったはずの磯谷季次氏の『朝鮮終戦記』 (未來社)は、もちろん未來社から出ている朝鮮本の著者だから左派系の人。この本は1980年の刊行。戦前北朝鮮に軍人として赴任もし、そうした回想を綴っている。北朝鮮に対する「日本政府の敵視政策は、まさにこの分断固定化を助長するものである」と批判している。

しかし、この磯谷氏は、のちには『良き日よ、来たれ 北朝鮮民主化への私の遺書』 (花伝社)という本を書き(この本が未來社から出なかったことに、未來社の知的限界があろう?)、北朝鮮批判派に転向している。磯谷氏ほどの「良心」も持てずに、いまだに北朝鮮をヨイショする情けない元未來社関係者もいるようだが…。事実を直視することが肝要。戦前の空想的軍国主義を批判する人が、戦後の空想的平和主義を礼賛するとしたら矛盾も甚だしいのだから。『良き日よ、来たれ 北朝鮮民主化への私の遺書』も本来なら未來社や岩波書店が刊行すべき本であっただろうに。

岩波といえば、元岩波書店社員で、中国礼賛だったものの転向した長島陽子氏の『中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」』 (論創社)と併せて読むことによって、どちらの側の「認識」が、より正しいのか、比較考察することが肝要であろう。「本」を読むのは本当に楽しく、知的刺激を受ける。さまざまな人の知的限界や知的勇気などを垣間見ることができるからだ。

本当の知性主義を発揮した人は、磯谷氏や長島氏たちだろう。もちろん、初期の段階から、左右の全体主義者たちの「宣伝」を見抜いていた関貴星氏の北朝鮮批判本のほうがより貴重だ。ほぼ同じころに刊行された関氏の『楽園の夢破れて』 (全貌社・1962年)、 『真っ二つの祖国 続楽園の夢破れて』 (全貌社・1963年)と寺尾五郎の『三八度線の北』『朝鮮 その北と南』 (新日本出版社、1959年、1961年)とを比較すれば、少なくとも共産主義の悪に対して新日本出版社がいかに盲目であったかは自明であろう。金日成著作集なども刊行していた未來社も「五十歩百歩」ではないか?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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