古本虫がさまよう 「原発再稼働」より、危険な「(うさんくさい)リベラル再起動」?
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「原発再稼働」より、危険な「(うさんくさい)リベラル再起動」?
(2016・10・1・土曜日)




橘玲氏の『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』 (幻冬舎)を読んだ。
以前、紹介した井上達夫氏の『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』 『憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 2』 (毎日新聞出版)にも似た内容で、大変面白い本だった。井上氏の本に対するエールも綴られてもいる。

冒頭、「リベラル」が嫌いなリベラリストへ—とある。
そこでは先ず森嶋通夫氏の「平和論」が批判的に取り上げられている。
ソ連が攻めてきたら「自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない」「秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方がずっと賢明だ」という立場から、関嘉彦氏の現実的平和論を彼は批判したのだが、橘氏は、こうした森嶋氏の平和論を批判している。
こういった、日本でリベラルを名乗る人たちこそが、「リベラリズムを歪曲し、リベラル(自由主義者)を僣称している」としている。同感だ。
僕は、関嘉彦氏のような人こそ、欧米社会に於ける価値観を共有する「リベラル」な知識人だと思う。だが、日本では、こういう人を「反共主義者」だとして貶めることが多い。関氏は、学者として民主社会主義に関する本を多々出しており、また民社党の国会議員にもなった人だ。本当の意味で「リベラル」「社民」系の知識人だろう。

そのあたりは、彼の『私と民主社会主義 天命のままに八十年余年』 (日本図書刊行会)や、林健太郎氏と共著の『戦後日本の思想と政治』 (自由社)をひもとけば明白だろう。岩波「世界」の「三たび平和について」(声明)の偽善などを俎上にのせていたが、あの声明こそ、反知性主義、反リベラルな空想的平和運動屋の「教典」というしかあるまい。その偽善性は、関氏のみならず、稲垣武氏の『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 (文藝春秋・PHP研究所)でも詳述されている。左右の全体主義を批判する視点を欠いていては「リベラル」を名乗る資格はそもそもあるまい。

その森嶋氏だが、彼の「平和論」、実は、共産圏を祖国とみなす軽蔑すべき意味での「ナショナリズム」でしかなかったようだ。というのも、「文藝春秋スペシャル2016秋号」にて、元朝日記者の永栄潔氏がこんなことを書いていた。
1990年前後に、森嶋氏が一時帰国したころ、朝日新聞社にて社員向けの講演をしたことがあるという。こんな内容だったとのこと。

森嶋氏はアメリカの好戦性を力説した。必ず中国を侵略するという。「その時は、われわれも、銃を執り、中国人民とともに、闘うのです!」。それは絶叫とも言える咆哮だった。
二百人を超す社員が聴いていたが、私だけでなく、誰からも質問は出なかった。関・森嶋論争に固唾を飲んだ読書人のためにも、森嶋氏に「週刊朝日」や「月刊Asahi」への寄稿を願い出るべきだったと今も悔やんでいる。


いやはや、こういう偏った人を自由世界で「リベラル」と呼んではいけない! ソ連相手にはさっさと降伏しろ、米中戦争では、日米安保も無視して、銃をもってアメリカと戦えというのだから。1985年に死去していた向坂逸郎センセイもびっくりだろう。「朋あり遠方より来たる」と感激? いや、当時は中ソ対立時代だから、「天国」でちょっと複雑な心境だったかも? 敵の敵は味方?

ともあれ、橘氏は、井上氏の本同様、極端な右寄りの人々の見解も俎上にのせつつも、おおむね、リベラルを偽証する日本独特のリベラルの知的限界を小気味よく解剖解析している。そのケーススタディとして「沖縄集団自決裁判」をめぐる大江健三郎氏などと元軍人の争いなどを取り上げている。曽野綾子さんなども登場。「慰安婦」問題同様の言葉の定義などの不確定などもあって、事実がいろいろと切り取られている状況を詳しく説明もしている。

曽野さんと違って、関係者に取材をしなかったリベラルの思想的貧困さが浮き彫りにもされている。「取材すれば不都合な事実が出てくることをうすうす知っていたから」しなかったのではないかとの指摘も正しいだろう。

「リベラルこそが保守派・右翼に先立って、憲法に自衛隊の存在を明記し、国家の暴力装置を法の支配の下に置いて民主的に統制するよう主張しなければなりません」と指摘。ただ、関さんなどは、本当のリベラルであり、実際、そういう改憲を主張もしていたかと。ただ、左翼全体主義(共産主義)を、「民主主義」の一派と見なしがちな、日本型特殊リベラルが、日本では多数派だったために、関嘉彦さんのような人々(そのほか、猪木正道氏、武藤光朗氏など)は「反共リベラル」という風に軽視されてしまった感がある。

そのほか、労働条件などに関する「リベラル」な見解とは…といった指摘などもなるほどと一読。
この本は「週刊プレイボーイ」に連載されていたものをまとめたとのこと。ううむ、それは知らなかった。集英社というと……。まぁ、集英社新書などは岩波新書のイトコかな?と思わないでもない筆者やテーマが目立つ。それは個性であって、別にいいのだが、こういう内容のものが「週刊プレイボーイ」に連載されていたとすると、それはそれで言論の多様性確保のためにも結構なことではなかろうか。50歳後半、還暦間近の僕のようなオジサンは、「週刊プレイボーイ」などを、再読・定期購読したいものだ?

それにつけても、井上氏の本や、橘氏の本を読んだあとに、北田暁大氏&白井聡氏&五野井郁夫氏の『リベラル再起動のために』 (毎日新聞出版)を読み出すと、あぁ…とため息がでてくる。この本こそ、井上氏や橘氏が批判的に取り上げている、典型的な日本型リベラルの悪しき見本でしかないからだ。

冒頭、白井氏が、 「この国が国民主権の国家であるかぎり、国民が認知症患者の暴走に付き合い続けなければならぬ義理など断じてないのです」と指摘。この「認知症患者」とは、安倍首相のことのようだ。
この文の前に、 「安倍晋三氏は、立憲主義も三権分立も理解しておらず、ポツダム宣言も読んでいないというエピソードに見られるように、知的には極度に怠惰です」と指摘し、彼の意向が濃厚に反映された憲法草案が「まともなものになるわけがないと、本当は身内でも分かっている」のに「それを止めようとしないのは、安倍氏が、彼にとってお祖父さん(岸信介)の遺志の実現である改憲に異常なまでの執念を燃やしてきたことを、みんな知っているからでしょう。ボケた人の半ばは個人事情に基づく執念に付き合ってあげているわけです」と記しているから。

まぁ、僕も向坂逸郎さんの発言を読んで、この人、その時、もしかして認知症かボケ老人だったかもと指摘したことはあったかと。ただ、この人、ソ連のほうが日本より自由がある、社会党が政権を取れば、日本はワルシャワ条約機構に入るなんて放言(「諸君!」1977年7月号『マルクスよりもマルクス』。インタビュアーは田原総一朗氏)していたのだから、当時としても、やはりかなり「異常発言」。それ故に、そういう形容も許される? 1897年生まれだから、当時80歳近くだったし。
でも、自分のイデオロギーとあわないからといっても、1954年生まれの人相手に、そういう風に決めつけるのはいかがなものかと思う。

五野井郁夫さんにしても、図書館の『アンネの日記』破損事件の時は、いち早くホームズもびっくりするような予断で、2014年2月28日付朝日新聞で、次のようなコメントを出していた。

「日本社会が右傾化」と題して…。
首相の靖国参拝が一定の支持を集めるような社会の右傾化が背景にあるのではないか。歴史や領土の問題で中国や韓国に日本がおとしめられたと感じ、戦後の歴史観を否定しようとする人もいる。ネット上ではそうした意見が広がっており、戦勝国側の価値観を全て否定しようという意見さえ出始めている。
その延長線上で、敗戦国が反省すべき象徴とも言えるホロコーストに関する本が狙われたのではないか。
「ユダヤ人虐殺がうそならば、南京事件や慰安婦問題だって全否定でき、日本は悪くないと主張できる」というゆがんだ発想かもしれない。様々な意見はあるだろうが、史実に基づいて議論していくのが開かれた社会だ。


まぁ、そのあと、犯人は逮捕されたが、気象庁の「天気予想」ではないが、ちょっと的外れだったようで。
というのも、ウイキペディアに寄れば、逮捕された「男は精神科への通院歴があり、逮捕時から意味不明な供述を繰り返している[30]。刑事責任能力に問題があったため、本件の器物損壊罪での逮捕以降も男に対する匿名報道が続いた。3月19日の衆議院内閣委員会において、古屋圭司国家公安委員長は「(逮捕された男は)日本国籍である」と答弁している[31]。4月16日から6月16日まで専門家による精神鑑定が実施されていた[32]。6月20日、東京地方検察庁は被疑者が犯行当時心神喪失の状態にあったとして不起訴とした[33]。東京地検は「人種差別的な思想に基づくとは認められなかった」としているからだ。
「日本社会の右傾化」とは何の関係もなかったようで?

北田さんというと、仲正昌樹氏が「諸君!」に登場して、リベラル派知識人の悪口を言ったということで、トーク対談を止めたと報じられたこともあった人かと。

そのあたりの詳しい本当の事情はわからないが、でも、この三人の中では、一番マトモで、時々、ふむふむそうだよなと感じるところもあった。僕って、こんなに幅広い知性人だったかと感心した次第?

ただ、北田さんが、 「私などは『信用ならない民社党右派』『自民党左派かも』ぐらいの位置づけで十分で、白井さんが私の話にやすやすの乗っかってしまうようでは困る。逆に言うと私が『左派』『リベラル』『左翼』として一括されるような状況が、現在の日本政治の歪みを表しているのではないか」とまで指摘しているのには若干疑問符が。関嘉彦さんと北田さんが同じ「民社系」ということはありえないから?

それにしても、山谷えり子氏や稲田朋美氏のような「ああいうオッサン以上にオッサンかした女性は取り立てられるけれども」との指摘(白井氏)などは、ちょっとイデオロギー露出過剰なレッテル貼りでしかない。

朝鮮学校の補助金提供を止めることに関しては、 「教育を受ける権利を侵害してはならないし、例外も許されない。なにせ東京の地方公共団体はエルドアン政権の独裁的な統治手法が国際的に問題視されているトルコの学校にだって、優遇しているのですから」と五野井氏は指摘している。だが、2016・9・29産経が報じていたように、朝鮮大学校は、朝鮮総連の指示を受けて在校生に、日米壊滅推進の手紙を書く運動などを展開しているとのこと。同じ「リベラル」でも(?)、元日共党員、平壌特派員の萩原遼さんなどは、朝鮮学校への公金支出には猛反対をしている。トルコがいくら国内的に独裁国家(?)といえども、日本向けてミサイルをぶっ放ししているわけでもなく、また、露骨な反日教育をしているわけでもなかろう。比較できないものを比較して、あたかも「五十歩百歩」だとみなすのは「悪しきリベラル」がよくやるトリック「五十歩一万歩」ほど違う現象を「五十歩百歩」にみなすのは反知性主義の最たる愚考だろう。

ともあれ、こんな方々が、いろいろとご発言をされていますが、「原発再稼働」より「(あしき)リベラル再起動」のほうがもっと危険では?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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