古本虫がさまよう ジョージオーウェルとオットー・シュタイガーは、戦時中、マイクの前で「空念仏」を訴えたのではない!
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ジョージオーウェルとオットー・シュタイガーは、戦時中、マイクの前で「空念仏」を訴えたのではない!
(2016・9・20・火曜日)





オットー・シュタイガーの『そのころスイスは 第二次大戦中のスイス人作家の青春』 (未知谷)を読んだ。

シュタイガー,オットー
スイス生まれ、30年代からパリに暮らし、36年帰国後ラジオ・テレビのキャスターとなる。一方で20代半ば頃から著作を発表し始め、42年に長篇小説でグーテンベルグ・ブックギルド特別賞を受賞。以来、専業作家の道へ。推理小説、脚本、エッセー、旅行記、教科書副読本など著作多数。また児童文学者としても高い評価を得た。2009年には生誕100年を記念して復刻版が続々出版された

彼は1909年生まれで2005年死去。かなり長生きした作家だ。

いろいろと人生について悩んでいた時、たまたま立ち寄った教会で牧師の言葉を聞いた。種を蒔きに野良に出た人のたとえばなし…。あ、知っているよ、その話は…。聞き飽きた…。人が行動したり語ったりすることの多くは、実は間違っていて、それと違った行ないが本当は正しく成功をもたらすとか、そんな話だろう…。うたた寝でもするかと。

ところが、牧師はこう語る。
「人生とは、一つのリスクです。だからそこには最初の第一歩を踏み出すための、勇気と信頼が必要です。その一歩は、人を不確かな将来へと導いてしまうかもしれない。だから自分が遂行しようとしているその一歩が正しいものだという信頼と、たとえ障害がたちはだかって、それを克服しなければならない事態になっても、それを遂行しようという勇気が必要なのです」と牧師は説いた。

「自分が踏み出したいと望み、踏み出さなければならないその第一歩が、どんな第一歩であるかについては、まだ見当も付かなかった。しかしとにかくわたしは自分の無気力から目覚めたのだ。この数分間で自分がまったく違った人間になったような気分だった。何かがしたかった。これは新鮮な感覚だった」 (いやはや、こういう「第一歩」を踏み出すということに関しては、人は誰しも遭遇することだろう。中学入試、大学入試、就職、結婚、再婚? 転職? 会社倒産? 再就職? 定年?、病気? セカンドライフ?……。ぬるま湯にひたるのもまたいいし、荒波に飛び込むのもいいし、まぁ、人生イロイロ。人生意気に感ず…好きなことをやれるかやれないか---が大切かな?)。

教会からの帰り道、パリに住んでいた母の友人のおばさんに手紙を出すことを決意。スイスからパリに遊学しようとする。その希望はかなえられパリに向かう。しばし滞在するもののおばさんが死去して、スイスに戻ることになる。やがて小説を書き、新聞や雑誌に投稿。本も出る。第二次大戦が始まり、枢軸国からも連合国からもスイスの地理的要因か注視されるようになるが、国家総動員令により、兵役につくことになる。映画映像部門の検閲担当や、ラジオニュースを読む仕事を仰せつけられる。スイスにいるドイツスパイ(大使館の庭師)は彼の尾行をし、撮影するすることもあったそうな。もし、ドイツがスイスを占領すれば、いつもの声のアナウンサーがドイツ寄りのニュースを読めば、説得力が増すと考えたのかもしれないと。そんなこともあり、アナウンサー用の「隠れ家」が用意もされる。戦後のスイスでは、著者は「戦争中、国民の声であった」と称せられることも。

彼がそんな要職を任命されたのも偶然の結果だった。ある夜、たまたまた立ち寄ったカフェで、チェスをしていて出会った男が、帰り道、ラジオ局のアナウンサーの仕事に落ちたという。スイス人なまりの多少はあるドイツ語をしゃべる人を局は求めているのだが、自分はあまりにもドイツ人がしゃべるようなドイツ語にしか聞こえないということで不合格だったと。それを聞いて翌日、そこに押しかけてテストを受け採用されることになったとのこと。

戦時中は、いつドイツの侵攻があるかと怯えるスイス。国家的にも、スイスに亡命するフランス人に関しては、阻止するのが原則。スイス国内に入ったフランス人に関しては、追い返さずに収容所に収容するようにはしていたという(今の中共が、北朝鮮からの亡命者たちにその程度の文明的な措置をすれば…。フランスと違って、北朝鮮には「韓国」という逃げ場があるのだから、そこに「転送」するだけでいいのだ。北朝鮮の核実験などへの対応措置として、そういう亡命者を北に帰国させるようなことを止めるだけでも、北の崩壊は進展するだろう。ハンガリー経由での東独の亡命者をハンガリーがスンナリ認めたことによって東独ベルリンの壁崩壊が早まったように。東独からの亡命者も、逃げ場として西独があった。今日の欧州での難民については、シリアに対して、新シリアがないのが問題だが?)。

スイスでも灯火管制がひかれ、夜の十時以降は街灯も全面消灯。建物内も同様。パンは焼いてから48時間が経過したものでないと販売不可となった。古くなったパンは焼きたてほど美味しくないので、消費が抑えられるという考えからの実施。
ドイツのみならず、イギリス側とて、スイス向けの物資の通路をふさいだりすることもあったそうな。それを解除するにはスイスのある譲歩を必要としており、その譲歩があって初めて、そうした措置が解除されたりもしたという(ドイツ側に対しても同様のことが)。

「そうした封鎖をそのうちまた解除したりするのは、それは彼らがスイスの美しい山並みのことを思い出したからというわけではなくて」「スイスが譲歩したりしたからである」「スイス側には多大な外交的手腕と、譲歩の心構えが必要だったのである」
ベルンでは毎晩のように空襲警報が鳴った。連合国の戦闘機がスイスを素通りしてイタリア上空を爆撃したりも。スイス人はほとんどが反ドイツ。それ故に、灯火管制をしないほうが、明るいスイスを発見できれば、簡単に正しい方向(ドイツ、イタリア)に進路を設定できるからと考えて、あえて家を暗くしない人々もいたそうな。それもまた一案か。

原著はもっと大部のようで、彼の生涯を描いているようだが、訳者(高柳英子氏)のあとがきによれば、原著の中間部(青年期)のエピソードの部分、十章を抜粋したとのこと。それは少し残念だが。

本書を読みながら、ジョージ・オーウェルのことを想起した。彼は1903年生まれで1950年に死去。1909年生まれのシュタイガーとほぼ同世代といえよう(残念ながらシュタイガーのように長命ではなく、彼の半分ぐらいしか生きられなかった)。彼もアナウンサーではなかったものの、時にはマイクの前に座ったこともあり、BBCの戦時放送に関わっていたことがある。そのあたりは、ジョージ・オーウェルの『戦争とラジオ BBC時代』 (晶文社)で詳述されている。

日本の戦時宣伝ラジオ放送に関しては、この前紹介した池田徳眞氏の『日の丸アワー 対米謀略放送物語』『プロパガンダ戦史』 (中公新書)、並河亮氏の『もうひとつの太平洋戦争 戦時放送記者がいま明かす日本の対外宣伝戦略』 (PHP研究所・二十一世紀図書館)などが詳しい。

シュタイガーの本も、スイスの「対内外ラジオ放送」「闘う民主主義」「闘う平和主義」「闘う中立主義」の実態を垣間見ることのできる一冊。「平和のために闘う」ということは、武力以外にも宣伝力や交渉力など、さまざまな総合力か必要だということを実感させられた次第(もちろん、武力も必要)。

日本は文化豊かな素晴らしい国だから、侵略されることもなく、侵略してきた国の兵隊も頭を下げるから、平和憲法9条を守っていれば大丈夫だなんて考えるのは、反知性主義の最たる ものだということも分かる一冊といえようか(何度でもいうが、そんな素晴らしい9条の精神を、隣国の中共や北朝鮮に出張して布教してきたらいいのに、なぜしないのか。なぜ出来ないのか? そのあたりよくよく注視すれば、空念仏平和運動屋の虚妄はすぐに見破ることが出来よう。昨日は安保法制成立一周年とかで、雨の中、反対デモに明け暮れた人たちもいたようだ。安保粉砕と安倍粉砕とを同一視しただけの政治性過剰の平和運動には賛成できないが、日本の軍事力増強の一因になっている中国に対して、中国大使館前などでも、「そんな屁理屈を作り出すような妄動はやめよ、尖閣に来るな。戦争法案反対、中共尖閣侵入反対、日米安保反対」とかやれば、説得力がさらに増すだろうに?)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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