古本虫がさまよう 天に唾する朝日新聞「ブラック」記事?
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天に唾する朝日新聞「ブラック」記事?
(2016・9・19・月曜日・祝日)





出井康博氏の『ルポ ニッポン絶望工場』 (講談社+α新書)を読んでいたら、朝日新聞にこんな記事が出ていた。あぁ、いつもの天に唾する記事だなと思って、こちらも一読(本文末尾に「引用」)。

本書の内容紹介→新聞・テレビが決して報じない外国人留学生、実習生の真実。コンビニ弁当工場、新聞配達、宅配便仕分け、農業……日本人の便利な生活を末端で支える彼らが絶望し、<謀反>を起こす時、この国の生活基盤は崩壊する!
外国人犯罪者の1/4がベトナム人、“奴隷労働”が支える新聞配達、日本語学校によるボッタクリ、犯罪都市「NY化」する日本、日本への出稼ぎをやめた中国人―新聞・TVが報じない「現代の奴隷労働」


かつての「中国人」の「地位」をいま、「ベトナム人」が占めつつあるようだ。
もちろん、昔のような「強制徴用」ではなく、ブローカーの甘言を真に受けて、日本に来れば勉強もできる、お金もバイトで何十万も稼げる、借金してでも日本に行こう…というのには「自己責任」もあるだろう。とはいえ、日本政府の政策(経済連携協定・EPA)として、そうした留学生や実習生や介護士や看護士を目指す外国人を「歓迎」しようという動きもある。にもかかわらず、そういう政策の不備というか、官僚主義的対応のため、せっかく日本にやってきても挫折し、「反日」になっていく外国人があとをたたないという。かつての中国人犯罪者の横行と同じようなベトナム人による犯罪(万引き、窃盗、強盗)などが増加しつつある----そういう実情を大変詳しくルポしたノンフィクション作品。

日本人もあまりやりたがらない仕事として、コンビニに出品する弁当などの深夜労働による製造工場などでベトナム人留学生などが多々働いているとのこと。とりわけ、新聞奨学生に「進出」しているベトナム人も多々いるとのことで、具体的に取材している。
朝日新聞が率先して、日本人学生からの応募も減っている新聞配達人(奨学生)確保のために、ベトナム関係者と交渉し、受け入れ体制を整えていく。その努力もあって、かなりのベトナム人留学生が新聞配達人になっているという。法律的には週28時間まではバイトをしていいことになっている。28時間といえば、一日4時間前後か。朝刊だけの配達なら、実現可能かもしれないが、朝日のように夕刊もあると無理。著者は、そのあたり、関係者への取材も詳細にやっている。朝日新聞にも取材しているが、面談はダメ、書面回答のみの対応。いろんな質問に対して「公表していません」との返答多し。ベトナム人の休暇などが日本人より少ないことなどについては「文化・生活習慣を考慮して」の異なる対応とか?

東京周辺の産経新聞は夕刊がないから、ここの奨学生になれば週28時間のバイトも可能になるかも。朝日を止めて産経に変えたら? これって日本人読者だけでなく、ベトナム留学生にもいえること? サイゴン陥落を「解放」とみなして、ベトナム難民流出にはクールな対応をした朝日新聞の歴史を考えると、それが正しい選択肢? それにしても、下記の朝日記事。すぐ足元にある自社の新聞奨学生の実態を取材したらいかが? 出井さんによると、彼が朝日新聞奨学生の実態を取材したところ、あわてた朝日は、新聞奨学生たちの座談会をやったりして、「朝日新聞の奨学生としてがんばるベトナム人たち」というヨイショ記事を掲載しようとしたが没になった経緯があるとのこと。

相変わらず「新聞だけがなんでも言える自由の国日本」ということだろうか?
下記の朝日記事の実態は、出井さんの本で書きつくされている内容だ。しかし、新聞奨学生の実態は朝日では決して報じられない? ベトナム人留学生がそんなに四苦八苦しているなら、日本人奨学生も大変なのか? でも、この前、格差社会云々で経済的に大学進学が困難なら、新聞奨学生になる手もあるではないかと推奨した手前、このあたり、朝日もほかの新聞も、朝刊のみ配達などの対応で改善していくべきではないか?

常識的に考えても、大学の授業日程からしても、朝刊配達後の大学での授業を受けるのは可能でも、そこに夕刊配達が入ると、ちょっと苦しくなるはず。集金なども近年カード決済が増えている(それなら休日の仕事としてまだ対応可能か?)。チラシの折り込みなどの作業もあるだろうが、立派なことを主張する新聞社なら、まずはベトナム留学生を「搾取」することなく、「仲間」として処遇する配慮を見せるべきではないのか?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



外国人看護師・介護士、難しい定着「もう疲れ果てた」
松川希実、森本美紀
2016年9月18日04時03分

 経済連携協定(EPA)で外国人の看護師や介護福祉士を受け入れて8年。インドネシア、フィリピン、ベトナムから計4千人近くが来日し、600人余が国家試験に合格した。労働力として期待される一方、合格者の3割以上は帰国などEPAの枠組みから離れた。「定着」はなぜ難しいのか――。
 8月下旬、介護福祉士のインドネシア人女性(31)が6年半暮らした日本を離れ、母国に帰った。大きな段ボール箱一つ分は、介護と日本語の勉強の本で埋まった。「もう疲れ果ててしまった」
 来日前はインドネシアで小児科の看護師として働いていた。EPAの募集を知ると、アニメで憧れた日本に行けると夢が膨らみ、2009年に応募した。
 来日後、4年間は施設で働きながら研修をする。仕事は楽しく、覚えた日本語で利用者と冗談を言い合った。夕方には自習時間があり、月2回は日本語教室に通わせてもらった。日本の制度や専門用語は難しかったが、過去の問題を頭にたたき込み、14年に介護福祉士の試験に合格した。
 ところが、合格後に生活は変わった。国が補助金をつけて施設に研修を義務付けているのは合格するまで。勉強の時間はなくなり、家賃の補助も出なくなった。合格しても給料はほとんど上がらず、長期休暇も取りづらかった。
 昨年末から夜勤リーダーの見習いが始まった。最初ははりきったが、期待はすぐにしぼんだ。日勤への申し送りは、15分間で入所者42人分の夜間の状況を口頭で伝える。「失禁があって全更衣しました」など日常会話では使わない言葉を早口で言う。発音が悪いと、「何を言っているか分からない」とダメ出しされた。
 毎晩残って練習し、3カ月間の見習い期間の最後に臨んだ試験。5人分の状況を伝えるのに10分かかったところで、打ち切られた。
 このころ、日本の受け入れ機関である国際厚生事業団にメールで送ろうと、書き留めた文章がある。
 「ずっと我慢して仕事をしながら、申し送りの勉強をしていましたが、やはり疲れました」
 追い詰められて笑顔をなくし、帰り道に何度も涙を流した。上司に「辞めたい」とこぼすと、「今の状態じゃどこも雇ってくれない」と返された。たまたま母国で結婚話が持ち上がり、帰国を即決した。
 「頑張って頑張って合格したけど、もっと高い壁がある。私は日本人と同じようにはなれない」
 別のインドネシア人女性の看護師(32)も帰国を考えている。08年に来日し、12年に国家試験に合格。一緒に来日したインドネシア人の男性看護師と結婚し、2人の子どもを授かった。
 弟や妹を大学へ行かせるため、故郷へ仕送りを続ける。月6万円の保育料は高かったが、共働きで生活費をやりくり。困るのは、子どもが病気になった時だ。
 せき込む娘を腕に抱き、勤め先の病院に「今日も休ませてください」と連絡するのが心苦しい。合格すれば両親を呼び寄せて子育てを手伝ってもらえると期待していたが、制度上、配偶者と子どもしか呼び寄せられないことを知った。
 仕事は忙しく、このまま夫婦2人だけで子育てをすることに限界を感じる。
 「日本の子育てや保険の制度は外国人には難しい。日本は私たちの将来まで考えてくれているのか」
■悩み共有、支え合うコミュニティー
 国際厚生事業団は受け入れた外国人が働く施設を巡回し、週に2回の電話相談を行っている。ただ、合格者の悩みは子育てや転職など複雑になっている。こうした悩みを共有して情報を交換しようと、インドネシアから来日した合格者は昨年12月に「インドネシア人看護師・介護福祉士協会」を立ち上げた。
 断食月中の6月、横浜市内の団地の一室で開いた集会に約40人が集まった。「入浴介助では暑いからベールを外すようにと上司に言われた」と女性介護福祉士が訴えると、「気持ちを伝えた方がいい。1人で難しいなら説明を手伝う」と他の女性が応じた。
 まとめ役の男性看護師モハマド・ユスプさん(35)は「これまでは合格するのに一生懸命だったが、生活するには、みんなで支え合って問題を解決でき、孤独にさせないコミュニティーが必要」と言う。関西や四国には支部ができた。
 ユスプさんは第一陣で来日して8年。12年に合格してインドネシアから妻を呼び寄せ、小学5年と3歳の息子2人を育てている。
 東京都杉並区の河北総合病院の整形外科病棟。ユスプさんが骨折して入院中の高齢女性の足先に触れ、「指は動かせますか」と尋ねると、「動かすと前より痛い」。「少し腫れてますね。冷やしましょう」と笑顔で応じ、病室を出た。電子カルテには「体動時疼痛(とうつう)増強」と素早く打ち込んだ。
 「ここまでできるのに合格して3年かかった。同僚が理解し、助けてくれたからここまで来られた」
 7月中旬には都内で研修中の介護福祉士候補者を訪ね、「日本には『出る杭は打たれる』という習慣がある」などと助言。「いつでも相談して。支え合える仲間がいる」と声をかけた。
 EPAが始まった当初から日本語教育などを支援してきた名古屋市の平井辰也さん(52)は昨年7月、相談窓口として「EPA看護師介護福祉士ネットワーク」を発足させた。労使トラブルから税金や年金の手続き、家族の呼び寄せといった相談が寄せられる。
 フィリピン人の女性看護師(30)は頼りにしていた上司が退職し、働き続けることが不安になった。「帰国したい」と相談すると、平井さんは転職の道もあることを教え、外国人看護師などの専門転職サイトを教えた。「相談できて助かった。合格した後の日本政府のサポートは十分ではない」と女性看護師。平井さんは「EPAは国と国の協定だからこそ、国が関与して法的な権限でトラブルの解決や未然防止、監視ができる第三者機関が必要ではないか」と主張する。
 長崎大大学院の平野裕子教授(保健医療社会学)は昨年12月、インドネシアの日本大使館がEPAを離れた帰国者を集めた就職説明会で調査をした。回答した帰国者29人のうち、13人が「日本で仕事をする生活に疲れた」と答えた。そのうち8人は合格者だった。
 平野教授は「看護や介護は日本人にとっても楽な仕事ではない。言葉の問題をクリアした先には、多忙や子育ての難しさといった日本人にも共通する悩みを抱える人がいる。根本の問題が解消されない限り、日本人と同じように外国人も疲弊する。日本の働き方自体を見直す時だ」と訴える。(松川希実、森本美紀)


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