古本虫がさまよう 「革新自治体」はいかにして衰退したのか?
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「革新自治体」はいかにして衰退したのか?
(2016・9・13・火曜日)





岡田一郎氏の『革新自治体 熱狂と挫折に何を学ぶか』 (中公新書)を読んだ。

(内容紹介)→一九六〇~七〇年代に蜷川虎三、美濃部亮吉、黒田了一、飛鳥田一雄など個性的な首長を擁し、脚光を浴びた地方の革新自治体。だが、現在では、「巨額の財政赤字をもたらした」というレッテルのみで語られがちだ。本書は、革新自治体の台頭の背景から政治的取り組みまでを詳述し、その功罪も描く。国政とも深く関係して躍進し、そして消えていった地方の“左翼政権”は何を残したのか。現在の国政や地方自治を再考する試み。



岡田氏の本は、「内容紹介」で、紹介されている現象をある程度理解する上で役立つ本だが……。
そうしたこの「革新自治体」がのしあがってきた時代は、多少はリアルタイムで記憶に残っている。そして衰弱衰退(死滅?)していくのも、リアルタイムで記憶に残っている故に、この本の物足りない点について若干一言。

物価値上げ、公共料金値上げ反対といっても、革新自治体でも公共料金(水道など)は値上げせざるをえなくなり、「矛盾」はいろいろと露呈していたかと。著者の父親は警官だったそうだが、1977年の千葉の山武郡芝山町の龍ケ塚警察官臨時詰所にいた時に、過激派集団の襲撃を受け、殉職したとのこと。革新政党の政治家が同情的に見がちだった過激派が、あさま山荘事件や、そういう成田闘争がらみの殺人事件を繰り返したことも「反警察」「反自衛隊」的な色彩のある革新自治体の衰退になんらかの影響を与えたのは間違いないと思う。が、著者は遠慮してか(?)そういうことは指摘していないが、遠慮することはあるまいに?

また革新自治体の中で、もっとも象徴的だったのは、美濃部都政(&蜷川京都府政)だろう。意外と財政的には東京都政はまだしっかりしていて、福祉ばらまきで財政が破綻して革新自治体が崩壊していったという見方は必ずしも正しくないとの指摘もしている(当時は高度成長期で、国にしてもまだ余裕があったころ。国債発行も制限していて、せいぜい「建設国債」ぐらいの発行しかしていなかったのでは)。だが、美濃部都知事の裏方(特別秘書)を一時期務めた安江良介(岩波)などが、朝鮮学校の認可問題でなにか政治的な策動をしていなかったか? そのあたりは彼の名前も出てこない?
また美濃部の裏方(ブレーン?)を務めた小森武が出てくるが、革新自治体の衰退を象徴するのは、やはり自治労や日教組などがでしゃばってきたこと。とりわけ日教祖的悪平等教育推進に、中流家庭を含めて嫌気をさした側面も無視できないだろうに、そのあたりの考察も見当たらない。

たとえば、以前も紹介したが、鹿島茂氏が、『わが子三人「中学受験」体験記 』(「文藝春秋」2001年3月号)というエッセイを書いていた。この中で美濃部知事時代に実現された学校群制度を手厳しく批判していた。もっとも、これは美濃部以前から、小尾教育長などが推進準備してきたようであるが、鹿島氏は、この教育長をスターリニストと強く批判している。

そして小尾の謀略は「まず都立のエリート高校を根絶やしにする。エリートたちはしかたなく私立に逃げ込む。そうなると、親の負担が増え、日本人の家計における教育費のパーセンテージは確実に上昇するから、貧しさに耐え兼ねた親たちは、少しでも物価が下がり、給料が増えないかと革新の党派に投票し、革新都政や市政が誕生する。そのあげく、福祉のバラまきと公務員のベースアップが起こり、日本の平等主義化は完成する」「その一方で、小学生の頃から受験システムに組み入れられた子供たちは、『遊ぶ』という最も大切な人生の快楽を奪われたため、大人になったときに、人間性を喪失し、やがて日本は創造性とバイタリティーを失った三流国へと転落する」「この小尾が受け取った謀略のシナリオのことごとくが実現したことがわかって、慄然とせざるをえない。小尾は完全に勝利したのである」とまで批判している。
もっとも、そうした悪平等教育に嫌気をさして、目覚めて徐々に反日教組、反社・共に転じた有権者もいたことだろう。近年、東京都でも都立高校(日比谷高校など)が少々復権してきているのは、石原都政が、建て直しをしたからであろう。

保革相乗り型の長洲神奈川県政にしても、当時流行した反核運動には前のめりになっていて、民間(民際)外交などと浮かれていた側面もあったことは見落としてはならない。共産諸国に対して、「民際外交」ができると信じたりするのはナイーブ過ぎて知性主義的とは言えまい。

この本では、社会党内部の協会派と反協会派の対立や、江田三郎の動向などには触れられているが、協会派のドンであった向坂逸郎のボケ教条左翼ぶり(?)についての言及も特にないのには疑問を感じる。
向坂サンといえば、誰よりもソ連を熱烈に盲目的に愛した日本人として有名。ソ連のほうが日本より自由がある、社会党が政権を取れば、日本はワルシャワ条約機構に入るなんて放言したこともあった(「諸君!」1977年7月号『マルクスよりもマルクス』。インタビュアーは田原総一朗氏)。
この発言は、確か当時、宮沢喜一が、NHKの政治討論会で取り上げて、社会党議員に、お宅はそういう考えなんですな、それでいいんですな?という趣旨の発言をして皮肉っていたものだ。たしか社会党の議員は、あれは向坂さんの個人的見解であって、社会党の見解ではないと言い逃れていたかと。
そんな社会党たちが、反企業的精神から公害問題などでは「正論」を展開していて一時的に支持を受けたとしても、だんだん、化けの皮が剥がれていったと見るべきではないか。

その公害に関して、岡田氏の本の中で、肯定的に名前の出てくる宮本憲一氏にしても、岩波新書の『日本の公害』で、 「公害は、資本主義の生産関係に付随して発生する社会的災害だといえる。それは、資本主義的企業・個人経営の無計画な国土・資源の利用と社会資本の不足、都市計画の失敗を原因として発生し、農民・市民の生産や生活を妨害する災害である。したがって、公害は階級対立のあらわれである。加害者は、主として資本家階級であり、被害者は、主として、農民・労働者階級である」「原題の公害のおもなものは、体制的災害である。したがって、現在の政治経済体制の下では、絶滅することはできない」と居丈高に綴っていたのであり、そのイデオロギー的限界についても指摘言及すべきではなかったか。

そういう「知性主義」に反する「イデオロギー的矛盾」が、革新自治体への幻想・幻滅を徐々に強めていったのは否定できない事実だろう。今日の中共に於ける「公害」の現状を考えると、宮本氏の指摘する「公害は階級対立のあらわれ」という視点は、「共産党幹部」と「一般市民」との「階級対立」とみなせば、あながち間違っていないのかもしれないが?

横浜市長の飛鳥田さんにしても、内政に集中すればいいのに、ベトナム反戦闘争などにも熱中した。社会党委員長になっても、同じ「社会党」のフランスのミッテランと比較しても、その対ソ認識などはあまりに幼稚でナイーブで単細胞であった事実などは決して忘れてはいけない「現実」だろうに、そうした知的限界への考察も特にない。

そういう左翼臭があまりに強い「革新(痴呆・地方)自治体」の多くを、自民党&民社党(&時に公明党も参画?)の連合で多く打破していったのもリアルタイムで記憶している。
とはいえ、その社会党も民社党もほぼ消滅? まがい物の「社民党」もほぼシーラカンス的状態。自民党、公明党、共産党は生き残り、さて民進党はどこへ行くのやら? 小池百合子都政などは、なんと形容すればいいのやら?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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