古本虫がさまよう ツヴェタン・トドロフと佐瀬昌盛さんの著作から分かる「民主主義の内なる敵」の存在
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ツヴェタン・トドロフと佐瀬昌盛さんの著作から分かる「民主主義の内なる敵」の存在
(2016・8・31・水曜日)




ツヴェタン・トドロフの『民主主義の内なる敵』 (みすず書房)を読んだ。

内容紹介→今日、民主主義の危機は外部(ファシズム)からやって来るのではない。 民主主義みずからが内なる敵を生み出し、自身の存立を脅かす。すなわち、 政治的メシア信仰、個人の専横、新自由主義、ポピュリズム、外国人嫌いである。シリア内戦、IS、難民、テロ――現在時の危機を通じて、「進歩、自由、人民」という リベラルな理念がいかに社会全体の幸福を危うくするかを抉り出す。みずからも ブルガリアからの移民であるフランス思想界の大御所が、民主主義の再生へ向けて新たな多元主義と共存の方途を探る、渾身の現代政治文化論。

全体主義体制のブルガリアからの亡命者である著者は、ファシズムと共産主義の崩壊を喜び、「全体主義の脅威の復活は、近未来においては考えられない」としている。中国に関しては、ソ連や毛沢東時代の中国と違い「市場経済」を導入し、「予測可能な将来において、中国が西洋民主主義諸国に軍事攻撃を行なうとは想像しがたい。冷戦の終わりは、共産主義の脅威の消滅を永続的なものにした」と指摘している。

ううむ、『越境者の思想 トドロフ, 自身を語る』 (法政大学出版局)など、シャープな発言をしているトドロフだが……。「西洋民主主義諸国」というのは、欧米諸国、ひいては地理的にも遠く離れている「ヨーロッパ諸国」を中国が「軍事攻撃を行なうとは想像しがたい」と僕は思うけど、アジア諸国に対して「軍事攻撃を行なう」ことはありうるとは思う。そして「米中衝突」ということはネバーセイネバーの次元だと思う。

そのあたり、ドイツのシュミット(故人)といい、トドロフといい、いま一つアジアでは冷戦が終っていないという「現実」を十分に認識できてないのではないか? ロシアは権威主義的国家のレベルには到達。一応、大統領選挙もある。プーチンも、かつてのフィリッピンのマルコスのように選挙で選ばれてはいる。しかし、中共の指導者たちは選挙を経ていない。国家社会主義? 新しいファシズム国家? 中国とロシアが軍事同盟関係を復活すれば? 欧州はロシア、アジアは中共が支配国家になる? ネバーセイネバー?

そういう知的限界をトドロフの所論に感じつつも、多文化共生社会を否定する欧州各国の民族主義の高まりなどが、かつてのファシズムや共産主義とは異なるものであると認識しつつ、その危険性を論じていく。人道的戦争による、各種民族紛争(内戦)へのNATOの軍事介入の問題点や限界なども。
トドロフが住んでいるフランスで、公共空間でブルカ(イスラム教徒の女性が着用するスカーフの類)を着用することを禁じる法律が出来たことは、僕には理解できない出来事であった。政教分離にあまりにも厳しい「民主主義国家」フランスならではの措置? トドロフは批判的だ。遅れている女性意識の尊重であるだけでなく、ブルカ着用などによりカラシニコフ銃を隠すことも可能になるからいけないという議論もあるとのこと。ううむ…。まぁ、へそだしルックでも、見苦しいからという理由で公共の空間で制限というか禁じるのは難しいだろうが?

「無制限な表現の自由の擁護者は、権力者と無力な者との区別というこの基本的な区別を知らない」「表現の自由に限度を設けることは、検閲の創設を請願することを意味するものではない。問題なのはむしろ、情報と主張を普及させる力をもっている者たちの責任に訴えることである」「表現の自由はじっくり詮索しなければならない。その場合、表現の自由は権力の乱用を引き起こすおそれがあるからである」

ともあれ、トドロフの警鐘に関して、いろいろと知的刺激を受けたが、「民主主義の内なる敵」として、民主主義国家の「第四権力」といわれるマスコミ(とりわけ新聞テレビ)も俎上にのせる必要があるのではないかと感じた。

たまたまトドロフの本と同時進行で読んでいたのが、佐瀬昌盛氏の『朝日新聞は真実を伝えているのか? ねじ曲げられた報道はもういらない』 (海竜社)。
『虚報はこうしてつくられた』『「朝日」の報道はここがおかしい 軍事情報をめぐる虚と実』 (力富書房)の続編というか、新装版というか、80年代以降の朝日の軍事虚報の数々(パーシングⅡはモスクワに届くとして危険視しながら、それ以前に配備されているソ連のSS20の脅威にはほぼ沈黙?)を俎上にのせて、懇切丁寧に論理的に過ちを批判している。まともな論戦では勝ち目がないと判断した朝日側は、防衛大学校教授が、政府の非核三原則を批判しているということを社会党の参議院議員に焚きつけたようで、国会でのそういう質問をいち早く夕刊に掲載。そのため、佐瀬さんは、「事と次第では辞表を書こう」とまで追い詰められもしたのである。

「新聞だけがなんでもいえる自由な国日本」と揶揄された標語がかつてあった。そういう大新聞朝日の「捏造」「虚報」(縮刷版の姑息な修正など)に対して、理詰めで戦った一人の知識人の「勝利の書」として大変おもしろい。「知性主義」(佐瀬氏)と「反知性主義(野蛮主義)」の朝日との対比列伝としても読める一冊だ。

集団的自衛権と集団安全保障とをごちゃまぜにした「誤報」への批判も詳しい。大学生などの新聞学科というか、マスコミ論などでは恰好のテキストだろう。勘違いによる虚報や誤植などは誰にでもある。INF問題などに関して、朝日以外に読売などにもそういうものはあったが、朝日に比べて大きな瑕疵ではなかったので、あえて取り上げなかったところ、朝日は慰安婦虚報の時の釈明同様、間違えたのはボクだけじゃないのに、読売だって、と抗弁したりもしたそうな。笑える、幼稚園児並みの愚行・愚考・愚鈍というしかない。この悪いのはボクだけじゃないという言い訳、「五十歩一万歩」ほどの違いを「五十歩百歩」にみなすごまかし、自社批判など、気に食わないオピニオンに対しては、すぐに言論による反論ではなく、「内容証明」を突き付けて、取り消せ、謝れ、さもなくば裁判沙汰にすると脅す発想の数々、戦前の(空想的)軍国主義者にも似た思考といえようか?

ヘイトスピーチの類も「民主主義の内なる敵」なのかもしれないが、やってもいないことをやったとみなす「ヘイト・オピニオン」を国家に対してであれ、団体に対してであれ、押しつけて、その間違いを指摘されても、十年単位で無視し続けるというのは、やはり「民主主義の内なる敵」「第四権力の傲慢」とみなしていいのではないか。三権分立のように、相互批判、相互牽制など、さまざまな合法的手段で、そのバランスを取るのは大切なことだろう。

門田隆将氏にしても、いわゆる東電「吉田調書」事件で、朝日を批判したのはブログからであった。 ネット空間の言論には玉石混淆があるとはいえ(それは日常の新聞報道の中にもある。読売、産経とて誤報虚報があるだろうし、朝日にもまともな報道もあるだろう。佐瀬氏も、阪中友久記者の報道などは評価していた)、そういうものがなかった時代に比べれば、一歩前進ともいえようか。にもかかわらず、十把一かけらにして、そういうネット空間の言論にレッテル張りをしたり、論理的な韓国中国批判の本も、感情的ナショナリズムの反映とばかりにこれまたレッテル張りをして葬り去りたいような報道を展開するようでは進歩なしというしかない。

佐伯啓思さんや池上彰さんに紙面を提供するのもいいけど、曽野綾子さんや渡部昇一さんや佐瀬昌盛さんや門田隆将さんのような「朝日の天敵」に、月一回か隔週で一面トップに紙面批評なり、時事エッセイを書いてもらえば、一番安上がりな朝日信頼回復になるだろう。こんな簡単なこともできないなんて? 多様な価値観を尊重せよというのは朝日のモットーではなかったのかしら?

その点、「朝日ジャーナル」(緊急復刊・「週刊朝日」2016・7・7臨時増刊号)が相変わらずの「特集誌面(リベラルへの最終指令)」ではあるが、櫻井よしこ氏や花田紀凱氏を起用し、表紙にその名前を刷っているのは、まだマシといえようか? いや、これこそ「五十歩百歩」かな?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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