古本虫がさまよう むのたけじさんの「思いを受け継ぐ」べき「思い」とは?
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むのたけじさんの「思いを受け継ぐ」べき「思い」とは?
(2016・8・23・火曜日)






むのたけじさんが2016・8・21、101歳で死去したとのこと。2016・8・21夜7時だったか、NHKニュースでその報が流れた。全国ニュースで流したということは、それなりに重要な人物だと評価されたということだろう。翌日の新聞は、あいにくと、産経と日経しか見てないが、訃報欄にて紹介されている程度の扱いだった。他の新聞はネットで拝見したが、朝日の扱いはやはり大きかったようだ。

木瀬公二
2016年8月21日07時38分 朝日
 「戦争絶滅」を訴え続けたジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが21日、老衰のため、さいたま市の次男宅で死去した。101歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日、「しのぶ会」を開く。
 朝日新聞記者時代に終戦を迎え、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社した。ふるさとの秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。1978年に780号で休刊してからは、著作や講演活動を通じて平和への信念を貫き通した。
 100歳になった昨年は戦後70年で「歴史の引き継ぎのタイムリミット」といい、講演で各地を飛び回った。今年5月3日に東京都江東区の東京臨海広域防災公園で行われた「憲法集会」でのスピーチで「日本国憲法があったおかげで戦後71年間、日本人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」と語ったのが、公の場での最後の訴えとなった。
 2002年に胃がんの手術をし、06年に肺がんで放射線治療を受けたが、ほぼ完治。90歳を過ぎても自転車に乗り、「80歳より90歳のほうがいい仕事ができるようになった」と話した。
 「戦争いらぬやれぬ世へ」(評論社)や「99歳一日一言」(岩波新書)、「日本で100年、生きてきて」(朝日新書)などを著し、「週刊金曜日」では故野坂昭如さんのあとのコラムを担当していた。(木瀬公二)



そのほか、落合恵子さんらが、むのさんの反戦平和の「思い受け継ぐ」といった談話などが紹介されている。
 「反戦・反核・反差別について、力強く訴えてきた大きな存在。あの終戦から負った責任を果たすことをミッションとして、100歳を超えてからも活動を続けてこられた」

「反戦・反核・反差別」について反対する人はまずいないだろう。しかし、80年代初頭の反核運動のように、先に配備されたソ連のSS20には反対せずに、あとから配備しようとするアメリカのパーシングⅡには絶対反対を叫ぶような「お里が知れる」「親の顔が見たいじゃなくて、反核運動家を指導する「家元」の顔が見たい」とすぐに気づかれるような幼稚な思考レベルの反核運動には賛成できないということはありうるだろう。そういう偏った「反核運動」に反対を表明するのは、ある意味では「知性主義」の反映であり、ああした「お里が知れる」反核運動に邁進するのは、きわめて「反知性主義」でないと参加できなかったことだろうと思う。

ともあれ、むのさん死去に関して、かつて彼について書いたブログを以下再録。彼もいろいろと物の考え方が変遷し、どこかでそれに関して釈明をしているかもしれないが……。



ソ連を愛するあまりに、ハンガリーへの侵攻は、「進撃」「進駐」になるのだろうか? (2014・1・1・水曜日)

昨日の大晦日、近所を少し歩いただけで、古本屋に寄ることもなく、むのたけじ氏の『99歳一日一言』 (岩波新書)を読んだ。

著者は、戦前戦中朝日記者だったが、1945・8・15、戦争責任を取る形で朝日を退社。その後、週刊新聞「たいまつ」などを創刊し、 『たいまつ十六年』 (現代教養文庫)などを刊行している。
「リベラル」なジャーナリストとして知られる。最近も特定秘密保護法批判者として、東京新聞(2013・11・28)に顔写真入りで大きく登場していた。
しかし、 「秘密保護法を制定する目的は戦争以外考えられない。米国の国際戦略で日本、自衛隊が利用されるということ」「かつての戦争突入時に似ている」と感じているそうな…。

このあたり、同じく秘密保護法に批判的だった保阪正康氏でさえ、半藤一利氏との対談本『そしてメディアは日本を戦争に導いた』 (東洋経済新報社)で、むの氏の戦後の生き方を批判的に捉えていたものだった。

また同じくリベラルで憲法96条改正などに反対しているにもかかわらず、特定秘密保護法制定には賛成している東大教授の長谷部恭男氏は、2013・12・ 20の朝日新聞で「特定秘密保護法で日本が戦前に戻るというのは非常におかしな議論です。今にも戦争が起きると言わんばかりの報道で人々をおびえさせるのはそろそろやめて、次のステージに移った方がいいと思います」と指摘していた。

この皮肉なコメントは、むの氏に東京新聞でのコメントに向けられた言葉といえるかもしれない。

『たいまつ十六年』 はかなり昔に読んだ本なので細かいことは覚えていないが、やはり「容共リベラル」臭さの残る本だったと記憶している。
久しぶりに取り出して見ると、昭和25年の項目では「六月二十五日朝鮮戦争が勃発した」「いま必要なことは、先に手を出した者をたしかめることではない。いまその議論をすれば、水かけ論でなくて油かけ論になる」…と。

しかし、お言葉であるが、当時から北朝鮮が南に侵攻・侵入したのは明々白々だったと思うが、仕掛けたのが北朝鮮・ソ連の側だと、いろいろと拙いので、確かめたくなかっただけなのではないかと思えるのだが…。

昭和31年の項目では、スエズ運河国有をめぐって「英仏軍のスエズ侵入」との表記もあり、これには深い関心を寄せているようだが、ソ連のハンガリー侵攻に関しては、 「二個師団以上といわれるソ連軍がハンガリアへ再進撃していた」と記す程度。

そして続けては、 「歴史が動くときはこういうものだろうが、一番問題なのは、英国がなぜ唐突な武力行動に出たかということだ」「英仏軍が強大な武力でどんなにエジプトの国土をふみにじっても、彼らの力は政治的にはもう限界にきてしまった。蛮勇をふるっても、追われるものは英仏である。言葉を換えていえば大国主義の崩壊だ。どんな大国であっても、理に合わないふるまいをしたのでは、どんな弱小国をも決して屈伏させることはできないのだ。そういう歴史が、スエズで明確に証明されたことが、日がたつにつれて一層思いかえされることであろう」と、英仏批判オンリーに徹していた。

この項目、なぜか会話体で記されているが、むの氏のホンネを綴ったものであろう。しかし、不可思議である。ハンガリーについてはほんの一言触れているが、 「再進撃」とは? 「再侵攻」「再侵入」となぜ表記できないのだろうか。

そして延々と英仏、英軍のスエズ「侵入」「武力行動」「領土をふみにじっても」「理にあわないふるまい」「決して屈伏させることはできない」と何度も批判しているのに、ソ連相手にはそんなコメントはないのだ。

少なくとも、当時の、むの氏は、ほぼ同じ時期に発生したソ連の蛮勇と英仏の蛮勇、ソ連のハンガリー侵攻と、英仏のスエズ侵攻とを同じ比重で等しく批判しなかったのは、まぎれもない歴史的事実というしかないだろう。

しかし、英仏は未だに存在しているが、「ソ連」はなくなった。

ハンガリー以降も、ベルリンの壁構築やチェコ「進撃」やポーランド危機などを引き起したソ連は消滅した。

ハンガリ-反革命というか、ハンガリー動乱の時に、 「大国主義の崩壊だ。どんな大国であっても、理に合わないふるまいをしたのでは、どんな弱小国をも決して屈伏させることはできないのだ。そういう歴史が、ハンガリーで明確に証明されたことが、日がたつにつれて一層思いかえされることであろう」と、むの氏が指摘していれば、ノストラダムスも驚く大予言適中となっていたことだろう。残念至極!?

こういうふうに、同じ侵略、侵攻であっても、相手によって「再進撃」「進駐」と平気で言い換える人を、僕は「リベラル」とも思わないし、尊敬することもできない。
こういう人たちと、「退却」「敗退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」と言い換えた戦時中の「空想的軍国主義者」と、その精神構造性において、何処がどう違うのだろうか?

単細胞的な空想的平和主義者も空想的軍国主義者も「同根」というしかない。その証拠が、こういう言葉の奇妙な言い換えであろう。

とはいえ、今回の本の少し前の2008年に刊行した『戦争絶滅へ、人間復活へ 九三歳・ジャーナリストの発言』 (岩波新書)では、むの氏は「レーニンと毛沢東を裁く」と題して、両者を批判はしている(少し遅すぎるが一歩前進?)。



ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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