古本虫がさまよう 「親の顔が見たい」バカがあまりにも多すぎる(人のことは言えないけど?)
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「親の顔が見たい」バカがあまりにも多すぎる(人のことは言えないけど?)
(2016・8・21・日曜日)






森まゆみ氏の『昭和の親が教えてくれたこと』 (大和書房)を読んだ。著者は、僕より少し「年上の女」(1954年生まれ)になる。両親は歯科医師。その長女として生まれ育った体験を綴ったエッセイ集。「昭和の親」のさまざまな躾け的なエピソードが面白い。僕の親も「昭和の(戦前生まれの)親」だったから似たような体験をしているということもある。

森氏の父親は写真機に関心を寄せ、自宅の押し入れを改造して現像室を作り、「私はよく父とその中に入ってモノの姿が液の中に現れるのを見ていました」とのこと。同じ体験を僕もしている。家を新築した際、トイレの脇に、そんな現像専用の小部屋を作っていた。そこで「紙」を「液」にひたすと「写真」になるのを見ていたものだった(今はその部屋は物置というか、贈答などでもらった段ボールや紙袋置き場となっているが)。

コメも一粒も残すなというか、「お百姓さんが汗水たらして作ってくれているんだぞ」とよく両親から言われたものだった(森氏も同様)。しかし、ある時、農協やその傘下の農民が、米価を決める審議会で、値上げに賛同しない委員に、コメ粒を投げつける(よく、リベラルな環境団体が、捕鯨反対とかといって、日本の委員に、モノを投げつけるような感じ)のをテレビニュースで見ていた父が、「まったくしょうもない奴らだ」と。作る側がそんなに「粗末」に扱っているのだから。それ以降、多少米粒を残してもいいことになったか? 

近年、僕が日本酒を「禁酒」にしているのも、コメの消費を不必要に増やさないため。アマゾンで僧侶を雇えるように(?)、カリフォルニア米が5キロ、1500円以下で買えるようになるまで、農協との闘いは続く?(アマゾンでなくても、スーパーでも買えるようになればいいけど)。

森さんは、大学で教えているようだが、若い学生のいささかマナー違反の数々、電車などでも目にあまる光景があるとのこと。本書では「昭和の親が教えてくれたこと」として、ちょっとした標語と共に教訓が綴られてもいるが、たとえば「お里が知れる」などでは以下の通り。

「わたしは修身はじめ心の国家管理は望みませんが、親はしつけを放棄してはいけないと思います。親がしつけないので国家の出る幕になってしまうのです。自由や自立を標榜する欧米の青年たちと比べても、日本の青年は幼稚で自堕落といって過言ではないでしょう。「お里が知れる」は出自を問うというような差別的な意味合いはありません。実家のしつけがよくわかるというほどの意味です」…

まぁ、「親の顔がみたい」なんていうのは、かつて川上源太郎氏の名著のタイトル(『親の顔が見たい』ゴマブックス)でもあったかと。

本書では出てこなかったと思うが、「若い時の苦労は買ってでもしろ」とはよく母親に言われたものだ。そこそこ「買った」からもういいかなとも? そのおかげで「白髪」が増えたし? 森さんも最後には「なるようになる」と思うことにしているとか。ロシア語で「ニーチェーボー」というのも、そんなニュアンスだったかと。英語だと「テイクイッツイージー」か。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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