古本虫がさまよう 「自由」を知りたければ猪木正道&猪木武徳を読め! 「自由」を愛するなら、米原いたるの『あゆんだ道』ではなく、イブ・モンタンの『あゆんだ道』を歩くべし!
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「自由」を知りたければ猪木正道&猪木武徳を読め! 「自由」を愛するなら、米原いたるの『あゆんだ道』ではなく、イブ・モンタンの『あゆんだ道』を歩くべし!
(2016・8・20・土曜日)




猪木武徳氏の『自由の思想史 市場とデモクラシーは擁護できるか』 (新潮社・新潮選書)を読んだ。

内容紹介→経済学の泰斗が「資本主義の急所」に挑む――。自由は本当に「善きもの」か? 市場経済が暴走し、民主主義が機能不全に陥ってしまうのは、自由が足りないせいか、それとも過剰なせいか? 古代ギリシア、古代ローマ、中世ヨーロッパ、啓蒙時代の西欧、そして近代日本……経済学者の視点から、古今東西の歴史と思想を自在に行き来し、政治経済体制としての自由のあり方を問う。



クラシックな思想家が沢山出てきて、僕にはちょっととっつきにくい一冊だったが、ジョージ・オーウェルなども登場してきて、そのあたりはフムフムと。足尾銅山など、僕も出掛けたことがあるが、政治経済闘争の現場(ほかにサラミス島など)に出掛けたりして思索の日々や思想などを論じており、読みやすい。

『Z』という映画(コスタ・ガヴラス監督)が、60年代のギリシア危機を描いた作品だとの指摘(イブ・モンタン主演)があり、おや?と。
というのも、積んどくだが、バシリス・バシリコスの『Z』 (角川文庫)を持っているから。ふうん、そういう作品なのか、読んでみようかなとも。イブ・モンタンといえば、左派系の人で映画でもそういう役回りだったとのことだが、晩年は反ソ的にもなったよなとも。
彼の自叙伝的な著作である、エルヴェ・アモン&パトリック・ロトマンの『イヴ・モンタン ぼくの時代 花開くまで』『イヴ・モンタン ぼくの時代 パリに抱かれて』 (文藝春秋)は積んどくせずにちゃんと読んだが、もう20年ぐらい前の本だったか。細かい内容は忘れたが、日本の映画監督や俳優や文化人などには、イブ・モンタンのような左翼時代を過ごしたものの、ディレンマに悩むこともなくノーテンキに共産主義礼賛(ないし晩年はせいぜいで沈黙?)を貫いて「不自由な生涯」を終えた輩が多いのでは? この前紹介した日共幹部の米原いたる さんなんかもそうではないのかな?

その点、モンタンは悩み、そして勇気をもってソビエト批判を展開もした。 「良心的文化人」「知性主義」とは、こういうモンタンのためにある言葉ではないか(もちろんフランス国内から「転向」を批判する向きもあったが)。

「自由の思想」を考える上で、日本では、モンタンのような良心的文化人が圧倒的に少数派だということを認識しておく必要が先ずあるのではないか。その点、猪木氏の父親である猪木正道さんなんかは、別に「転向」というほどのことはないだろうが、共産主義と闘った民主社会主義者として、名誉ある地位を得ていると思う。60年安保で岸「反動」政権を批判しつつも、後に防衛大学校の校長にもなり、自叙伝・回顧録『私の二十世紀 猪木正道回顧録』 (世界思想社)や『政治の文法』 (世界思想社)などで、岸信介を再評価しているのを読み、立派な思想家だと思った。
井上徹英氏の『猪木正道の歩んだ道 “戦後”と闘った自由主義者の肖像』 (有峰書店新社)も昔読んで記憶が薄れているが、彼の思想遍歴を丁寧に追っていた。
「空想的平和主義者」(平和運動屋)がまだはびこる日本を見て、どう思われていることやら?

あと、蛇足になるかもしれないが、外岡秀俊氏の『リベラリズムの系譜でみる日本国憲法の価値』 (朝日新書)を読んだ。丸山真男などに依拠しつつのリベラリズム論にはちょっと疑問を感じないでもない。彼は「容共リベラル」だと思っているから。
外岡氏は、欧州のリベラルはナチ、ファシズムなど全体主義を批判すると同時に「専制的な左派の『共産主義』をも厳しく批判する」と正しく認識している。ならば、丸山やその崇拝者たちがその基準からして「リベラル」かどうかは簡単にわかる話ではないのか? 北朝鮮の独裁世襲体制を批判する眼をもっていなかった小田実や、加藤周一などがどういうリベラルなのか? オーウェルやポパーの自由論などは面白く一読できたのだが……。

あと、さらなる関連書として、宇野重規氏の『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』 (中公新書)を読んだ。バークとか、それほどは興味はないのだが(?)、そのあたりから定番通り始まる「保守主義思想史」。まぁ、ネオコンが一番親近感を個人的には覚える?

「ネオコンの源流がリベラル反共主義にあった」「ソ連に対して独特な警戒感をもっていた」「国連中心主義をとり、国際法の力を重視するリベラリズムと対極に位置するのがネオコンの立場」「ネオコンの人々は、市場メカニズムについて、ハイエクやフリードマンのような確信はもっていない」「ネオコンには社会改革への志向があることは否定できない」

まぁ、そういう定義でいいのではないか。

外岡氏と宇野氏の見解には、あまり同意はしないが、そういう見方もありうるかもという点で参考にはなった。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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