古本虫がさまよう 『小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃』があるなら、『石原萠記の戦後 自由社出発の頃』なる作品もあってもいいかも? ともあれ、古本屋街は杖をついて歩こう!
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『小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃』があるなら、『石原萠記の戦後 自由社出発の頃』なる作品もあってもいいかも? ともあれ、古本屋街は杖をついて歩こう!
(2016・6・24・金曜日)





宮田昇氏の『小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃』 (みすず書房)を、(図書館で借りて)読んだ。4000円弱(3888円)の節約? これだけの現金があれば、3P(五反田・高円寺・神田古書会館の古本市会場三カ所巡り?)が楽しめる? いや4P(横浜反町古書会館)も可能か? 減少する可処分所得を補うには、こういう節約術も大切なり?


内容紹介→みすず書房の創業者、小尾俊人(おび・としと 1922-2011)は、 敗戦の年23歳で復員し、その暮れに、焼け野原の東京で新しい出版社を始めた。 人脈はゼロで、日本の社会も混乱していた。そこから〈ロマン・ロラン全集〉や『夜と霧』の刊行にいたるまで、どんな試行錯誤と奮闘があったのだろうか。 小尾青年はどのような出版を志し、どんな人間だったのか。

著者の宮田昇は、翻訳権を仲介する日本ユニ・エージェンシーを長らく率いた。その間、小尾と仕事で関わりながら、さまざまな局面で親交を深める。 宮田は、少ない資料をつき合わせ、小尾の故郷に足をはこび、関係者を捜しだし、この出版人の等身大の姿を描きあげた。読者はきっと、つねに時代と向き合おうとした小尾が戦後史のなかにきちんと位置づけられ、それによって物語の地平が広がるのを発見するだろう。 小尾の日記「1951年」と、月刊「みすず」初期の「編集後記」を併録する。みすず書房創立70年記念出版。



小尾氏と長く交友のあった宮田氏のエッセイが前半に収録されている。こんな一節には疑問符を。

「一九八八年は、小尾俊人がアラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』を出した年である。アメリカでは、学生たちにたいへん読まれて話題になった本だが、日本ではどうかと疑問視された。だが、この種の本としてはめずらしくいっときベストセラーに名を連ねたし、企画がマンネリに陥ったなど、私には考えられないことだった」


「日本ではどうかと疑問視された」ことなんかあったっけ? ううむ、香山健一の雑誌論文の悪口などを書くような評論家なら、アラン・ブルームの刊行を「疑問視」したかもしれないけど……。
 小尾氏はその点、中庸リベラル、左派リベラル的な「編集人」だったとはいえようか。

とはいえ、後半は小尾氏の日記(1951年)や「月刊みすず」の編集後記などが収録されているが、その中で、 「在日米人の奇矯なる日本趣味は御自由なれど、彼らの鼻持ちならぬ文人趣味と優越感にたいし、これまた劣等感の権化たちジャーナリストが阿諛根性まるだしの万歳。国際的ゴロツキ・ケストラーにしてやられ、何トカ基金のヒモツキで風見鶏を仰付けられている雲助の見分けもつかぬとは、何とお人好しの国であろう!」(1959年9月)と書かれているのには、いささか興ざめ。

ここで小尾氏が批判しているケストラーとは、アーサー・ケストラーのことであろう。1959年(昭和34年)に来日した際、日本ペンクラブに対する声明で物議をかもしたことがあったかと(この時、ケストラーの通訳をしたのは、たしか高坂正堯さん)。それは、パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』 (時事通信社ほか)のノーベル賞受賞にまつわるソ連の嫌がらせに対して、きちんとした態度を示さない日本国内作家たちの「容共リベラル」的対応への批判であり、ケストラーの批判はもっともなことと僕は感じている。
そのあたりの経緯は、石原萠記氏の『戦後日本知識人の発言軌跡』『続・戦後日本知識人の発言軌跡 』 (自由社)に出ていたかと。石原氏はケストラー擁護派だった。「何トカ基金」関係もあったかと? その点で、小尾氏と石原氏とは対比列伝も可能かもしれないけど、 『石原萠記の戦後 自由社出発の頃』なる作品もあってもいいかもしれない? もっとも、石原氏は「反共リベラル」の立場に近い。日本の天皇制度にも一線を引いての立場かと。保守主義者ではなさそう。小尾氏と共通する土壌もあるかもしれない。

ともあれ、小尾氏がそういう知的態度だったから、アーサー・ケストラー の『 ケストラー自伝 目に見えぬ文字』 ( 彩流社、1993 )が、みすず書房から刊行されることはなかった? でも、レイモン・アロンの自叙伝、『レーモン・アロン回想録1&2』 (みすず書房)は訳出されているから感謝? 退社後であろうが、トニー・ジャットの本もみすずから出ている。

それに小尾氏は、「みすず」編集後記で、1961年10月(号)・11月(号)で、こうも書いている。

「アカハタは、ソヴェトの核実験再開について、平和のために必要だと論じた。日共におけるソ・中への追随思考は、無限転向の心理的習性を生み、自主性の完全な喪失という奴隷的根性に化した。悲しむべきこの無能力」(10月)
「ソヴェトの核実験の再開は、図らずも日本知識人の踏絵となった」(11月)


要は「反共」だと「右翼」と思われていた時代にあっては、小尾氏はケストラーを「ゴロツキ」とみなしつつも、日共に従属することもなかった人なのだろう。日記を見ていると、「マルキシズム法学者」であられる(?)長谷川正安氏との交友もあり、その喫茶店での会話を楽しみ、「元気があって気持よかった。猪木正道ははったりでつまらない、というところで、別れることになった」とか。なるほど。当時(1951年)の、長谷川氏と猪木氏の「立脚点」もうかがえる(?)一節であった。

小尾氏の本は以前、何冊か読破している。 『本が生まれるまで』 (築地書館)、『本は生まれる。そして、それから』 (幻戯書房)、『出版と社会』 (幻戯書房)、『昨日と明日の間 編集者のノートから』 (幻戯書房)など。かなり昔に読んだので記憶は薄れているが、こういう出版や古本などに関する回顧録的な本は、楽しく読めるものだ。

今回の『小尾俊人の戦後』も、カバー写真は、小尾氏が神保町の古本屋街を、杖を持って歩いている写真だ。書泉グランデ手前。背中にリュックを担いでいる(ように見える)。2007年の写真とのこと。1922年生まれだというから、写真撮影時で85歳ごろか。杖をついていても、車椅子ではなく、お元気な感じ。いいね。
その歳まで、もう30年もない……。いや、まだ30年弱ある? 僕も杖をもって神保町界隈を歩ける歳までは生きたいもの? でも、原発・地震列島国家「日本」は、その時まであるかな?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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