古本虫がさまよう 「挑発」を「挑戦」に、「軍艦」を「艦」に言い換えて、中国をちょこっとだけ批判する一部新聞にはご注意あそばせ?
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「挑発」を「挑戦」に、「軍艦」を「艦」に言い換えて、中国をちょこっとだけ批判する一部新聞にはご注意あそばせ?(2016・6・12・日曜日)






2016・6・9未明の中国軍艦の尖閣の接続水域への進入に関して、当日夕刊で、朝日・東京が他紙(日経、産経、読売、毎日)に比べて小さな目立たない扱いをしているの指摘。翌日6・10の社説でも、朝日・東京はその件を取り上げず見送り。他紙は、社説で取り上げ、いずれも中国の「挑発」を第一に批判していた。

ところが、6・11朝刊で、遅ればせながら、朝日と東京もやっと社説で取り上げた。しかし……。

10日の各紙社説見出しは、

日経「尖閣への挑発が危険すぎる」
毎日新聞「緊張高める行動やめよ」
読売「危険増した挑発に警戒せよ」
産経は「危険な挑発行為をやめよ」となっている。

毎日は見出しに「挑発」という言葉はないが、文中にはある。ならば、社説のタイトルも「緊張高める挑発やめよ」とすべきなのに、論説委員の中に、若干中共寄りの人間がいて、それとの駆け引きでもあったのか?

毎日社説は、中国が軍を前面に出してくれば、自衛隊もそれに対応して警戒監視を強めることになるから、「そのリスクを承知のうえで今回、中国が挑発的な行動をとった背景には、南シナ海の問題があると見られる」と指摘している。こういうふうに「挑発」という言葉を文中で使っているのだから、やはり社説のタイトルはそうすべきであっただろう。

とはいえ、毎日でさえ社説文中で使っている「挑発」という言葉が、朝日、東京の社説には一文字も出てこないのだ。

東京社説(「尖閣と中国軍艦」「緊張の拡大を避けねば」)には「日本の領域に対する重大な挑戦だ」という言葉が冒頭にある。「挑発」だと悪辣のイメージがあるから、マイルドな「挑戦」にしようというわけか? 

猪木がアリに「挑戦」する――というのと、猪木がアリを「挑発」する――というのとは全然意味合いが異なるように?  それにしても、東京新聞論説委員は、ここで「日本の領域に対する重大な挑発だ」となぜ書けないのか。「挑発」と書いても誇張した表現ではない。的確な表現だ。それを「挑戦」と書くほうが、情けないというか、事実を事実として直視しないでいないと書けない「言葉」だ。情けない。

そして「情勢をこれ以上、緊迫化させないよう中国側には自制を、日本側には冷静な対応を求めたい」と喧嘩両成敗的な筆致。「自制」「自省」「冷静な対応」を求めるべき相手は中国側にであって、それなくして「情勢をこれ以上、緊迫化させない」方法はないのに。本末転倒?

一方、朝日社説(「尖閣に中国艦」「日中の信頼醸成を急げ」)には「挑発」はむろん「挑戦」という言葉も出てこない。社説タイトルの「中国艦」も情けない言葉。東京でさえ、見出しに「軍艦」とあるのに、中国への脅威感を高めてはいけない、「軍艦」ではなく「艦」としておこう……という底意がみえみえではないか(さすがに文中では「中国軍艦」と表記している。ならば、見出しでも普通に使えばいいのに?)。

「挑発」を「挑戦」と言い換える東京といい、「軍艦」を「艦」と言い換える朝日といい、まるで人民日報の紙面のように、中共当局の検閲を気にしての表現のマイルド化を率先してやっているのではないかと疑いたくもなるではないか。こういうのは「言論の多様性」というより、「言論の萎縮性」ととらえるべきだ。

見出しからして、そういう「操られている」かのように始まる朝日社説だが、「日本政府の抗議を、中国は真剣に受け止めなければならない」とのひとことはかろうじてあるが、イエス・バットの論理で、「肝要なのは、危機をあおるのではなく、目の前の危機をどう管理するかだ」「留学生など市民レベルの交流も、もっと増やしたい」「対話のなかで、お互いの意図を理解し、誤解による危機の拡大を防ぐ」「求められるのは、日中双方による地道な信頼醸成の取り組みである」との、いつもの高校生以下の抽象論である。「危機をあおる」のは、「挑発」や「軍艦」という言葉を見出しに使うのも入るのであろうか? だから朝日社説は、そういう筆致は自制するというわけかも?

対話をいくらしても、いやがらせをするヤクザ相手にはどうにもならないこともあり、裁判なり逮捕が必要になるのが普通の社会。しかし、国際社会には、国際警察も国際裁判所も「無力」。かろうじて日米同盟の「力」(軍事力)で、バランスが取れている。せめて、朝日東京が、対話と同時に、沖縄などへの軍事力の増強を主張すれば、論理的にもなろうが?

ともあれ、こういう「社説」の違いを高校生などに読ませて、「教育に新聞を」というのならまだいいかもしれない。そして百田尚樹氏の『カエルの楽園』 (新潮社)などを読ませると、尚いいかもしれない。

それにしても「挑発」を「挑戦」に、「軍艦」を「艦」に、ことさら言い換えて報道する新聞が日本国内にあることを我々読者は確認しておくことだ。もちろん、この逆のバージョンもあるかもしれない。右であれ、左であれ、真ん中であれ、新聞報道に関して「見出し」読みだけだと、勘違いさせられることもありうるから。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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