古本虫がさまよう 毛沢東時代から続く中共「ジェノサイド独裁体制」打破のためには「たかしょー」の『赤「裸」々』パワーの炸裂が天安門広場で必要か?
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 毛沢東時代から続く中共「ジェノサイド独裁体制」打破のためには「たかしょー」の『赤「裸」々』パワーの炸裂が天安門広場で必要か?
(2016・6・8・水曜日)






エレア・ボシュロン&ダイアン・ルーテクス の『醜聞(スキャンダル)美術館──反神聖・反体制・エロティシズム…時代に挑み続ける芸術』 (ユーキャン学び出版)を読んだ(見た)。

内容紹介→そのとき何が問題(スキャンダル)だった?
新しい時代(アート)の見方が始まる…。
(まえがきより)
聖テレジアの彫像(p.28《聖テレジアの法悦》)、青空の下ダンスに興ずる様を描いた印象派の絵画(p.142《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》)、入れ墨をされたブタ(p.158《ミカエル》)。これらに共通するものは何か? 答えはいずれも「醜聞(スキャンダル)を巻き起こした」ということである。どんな物議を醸したか、という視点でアートを考察すると、歴史の表には決して出てこないその時代特有の規制や憚はばかり、はたまた強い願望が見えてくる。
本書『醜聞(スキャンダル)美術館――反神聖・反体制・エロティシズム…時代に挑み続ける芸術(アート)』は、厳選された70の芸術作品を通し、芸術や社会の歴史を考察することで「新たな観方」を提案する試みである。
(出版社からのコメント)→今日では巨匠の代表作、たとえばミケランジェロの≪最後の審判≫や、ピカソの≪アビニョンの娘たち≫も、発表当時は大変なスキャンダルを巻き起こした。一方で、今なお物議を醸している「芸術」も数多ある…。
宗教的・政治的・倫理的に「スキャンダルを巻き起こした作品」というテーマの下、古今東西・数々の名画・名作から70作品を厳選。美しい図版とともに、作品が内包する「スキャンダル性」、さらにはそれらを取り巻く「時代のタブー」を浮き彫りにする意欲作。
一度は目にしたことのあるマスターピースでも、その「意外な素顔」に触れられる一冊です。



昨日紹介した先の、高橋しょう子写真集『たかしょー』 (講談社)の高橋しょう子(元高崎聖子)さんも、いろいろとスキャンダル(醜聞)にまみれて、乳首とあそこは見せない「ギリギリ清純なグラビアアイドル」としてやっていけなくなり、捨て鉢となって「高橋しょう子」と改名もし、乳首もあそこも、その周辺もすべて何もかも曝け出すアダルト女優に転身したともいえようか。

それはともかく、この本で教えられたが、今日では見なれた芸術作品も、発表当時は物議をかもしていたという。
天皇とマッカーサーの並んだ会見写真は、戦後生まれの人が見ても特に感慨はなくとも、当時の日本人は衝撃を受けたというから、それに似たものがあったのだろうか? たしかに『たかしょー』の写真集を昭和20年ごろにタイムスリップさせ町中の人に見せたら、猥褻文書所有ということで逮捕は必至かも。北朝鮮向けて風船に入れてばらまいたらいいのかも?

ともあれ、本書(『醜聞(スキャンダル)美術館──反神聖・反体制・エロティシズム…時代に挑み続ける芸術』)の84~85頁の、中国の反体制派アーティストのアイ・ウェイ・ウェイによる、奥さんの「パンチラ」を使った、天安門広場前の毛沢東に対する風刺写真による芸術作品には、とりわけ感銘を受けた?

ハンス・ウルリッヒ・オブリストの『アイ・ウェイウェイは語る』 (みすず書房)をや『アイ・ウェイウェイ 何に因って?』 (淡交社・森美術館企画・監修)を本欄で紹介したことがあるが、やはり、彼は天才だ?

ただ、ごく平凡な容貌の奥さんのパンチラによる毛沢東風刺ではイマイチ、インパクトが弱い? ここはやはり、若い女を好きだった毛沢東に対するあてこすり(諷刺)としては、アダルト女優クラスの、より刺激的な肉体美の若い女性を使ってこそ意味があろう。

例えば、日本の秘密兵器? 高橋しょう子さんを密かに天安門広場に派遣し、毛沢東の顔写真を背景にし、彼女の乳房乳首が毛沢東の顔面になすりつけられるような形の写真を公表すればいいのではないか? 毛沢東も喜ぶのではないか? 中国で人気の蒼井そら さんも参加しての3Pでもいいかもしれないが。
もし、この二人が、その場で逮捕監禁されれば、もちろん性交、いや国交断絶? いや、中国内のアダルトファンが勃起、いや決起して、 「たかしょー&そらちゃんを救え」などの反政府デモが勃発し、中国共産党の一党独裁支配体制は崩壊する(に違いない?)。

それぐらいの風刺を毛沢東に対してやってもバチはあたるまい。

そういえば、 「歴史通」(二〇一六年七月号)で、楊海英氏と宮脇淳子氏が、 「文革は中華文明の産物である」と題して対談をしている。その中で、お二人が、毛沢東主導による文革時代に、こんなことがモンゴルでなされたと指摘している。

 ジェノサイドによって内モンゴルではモンゴル民族の精神が殺がれてしまいました。
宮脇 指導的な立場にいたモンゴル人を全員殺したのですね。老人と子供と女しか残らなかった。別の言い方をすれば、日本の教育を受けて日本語のわかる人は殺された。
 日本統治時代を知っていた知識人は一掃されたのです。知識層の五分の一くらいは親中国派だったし、五分の一は親ソ連派だった。しかし文革中は何派であっても粛清されました。

これは特定民族の特定知識層へのジェノサイドといえよう。この箇所を読んですぐに連想したのが、ポーランドの、捕虜にした将校を万単位で処刑したスターリンらの戦争犯罪行為だ(カティンの森事件)。南京事件のような、戦場での混乱があったわけではない。整然とソ連軍に降伏し、収容所にいた捕虜となったポーランド人将校たちを殺戮したのだ。軍人将校たちを抹殺することによって、ポーランドが二度とソ連に歯向かうことのないようにするためにである。

そのあたりは、ザボドニーの『カティンの森の夜と霧』 (読売新聞社)→その新訳版『消えた将校たち  カチンの森虐殺事件』 (みすず書房)や、ヴィクトル・ザスラフスキーの『カチンの森 ポーランド指導階級の抹殺』 (みすず書房)などが詳しい。ワイダ監督による映画「カティンの森」もお忘れなく。

こういった「虐殺」「戦争犯罪」も、ヒトラーやスターリンや毛沢東やポルポトや金日成などがやったものと、日本軍のそれとは質的にも量的にも大きく異なるという事実を的確に認識できるかどうかが、知性の有無につながるだろう。「反知性主義」とは、そういう違いを認識できないどころか、より大きな独裁者の悪を平然と見落としたり無視・軽視する思考から生じるものであろう。そんな「反知性主義」的人間にはなりたくない。林彪は失脚していないとか、文革は素晴らしいとか、ソ連の軍事的脅威はない、ヒットラーユーゲントに拍手をしていた人たちのどこに「知性」があったのだろうか?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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