古本虫がさまよう 「抵抗するための知性」を獲得するためには、加藤周一さんやエドワード・サイードやナタリア・ギンズブルグもいいかもしれないけど、トニー・ジャットやエヴゲーニヤ・ギンズブルグもお忘れなく?
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「抵抗するための知性」を獲得するためには、加藤周一さんやエドワード・サイードやナタリア・ギンズブルグもいいかもしれないけど、トニー・ジャットやエヴゲーニヤ・ギンズブルグもお忘れなく?(2016・6・6・月曜日)






徐京植氏の『抵抗する知性のための19講 私を支えた古典』 (晃洋書房)を読んだ。

現代社会を「反知性主義」という怪物が跳梁跋扈している。この怪物に、どう抗していけばよいのか。「ファン・ゴッホ書簡全集」をはじめ、若者に勧める「古典」を取り上げ、語る、「反知性主義」への抵抗の記録。【「TRC MARC」の商品解説】

著者はリベラル左派といった感じの人であろうか。最近の日本は「歴史修正主義」が跋扈していると批判もしている。韓国の新聞「ハンギョレ」に連載された書評コラムを中心にまとめたようだ。

加藤周一氏の本(『羊の歌』『続羊の歌』岩波新書)なども「私を支えた古典」とのこと。ううむ…。加藤周一…。この前、彼の『夕陽妄語2』 (ちくま文庫)の中の一節、「外国の新聞雑誌をとり寄せることは、個人にとっても自由である。少なくとも一部のホテルには衛星放送の設備があり、香港や台湾の番組、香港のBBCニュースやNHKの衛星放送などを見ることができる。たとえば私が細川首相の辞任表明を知ったのは、日本の人々と同時であった。情報の鎖国状態は、もはや今日の北京にはない」を「妄言」だと批判した手前、ちょっと、こういう人の本を読んで納得したりしていると、それこそ「反知性主義」に陥りそうだと僕は思うけど、まぁ、沢山本を出しているから、何か参考になる本も人によってはあるのだろう。

サイードの本をお好きなようだが、僕はサイードより、トニー・ジャットが好きだ。彼の本は、『記憶の山荘 私の戦後史』 『ヨーロッパ戦後史上下』『荒廃する世界のなかで これからの「社会民主主義」を語ろう』 (みすず書房)、 『失われた二〇世紀』上・下(NTT出版)などを本欄でも紹介してきた。「知性」を感じる数冊だった。
『知識人の責任―ブルム、カミュ、アロン』 (晃洋書房)という本もよかったが、おお、これは奇しくも晃洋書房からの刊行ではないか。さすがは、晃洋書房というべきか?

イタリアの作家・ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』 (白水社)も紹介されているが、ギンズブルグといえば、僕にとっては、エヴゲーニヤ・ギンズブルグ。彼女は極北の地での強制労働に連行された。 『明るい夜暗い昼 女性たちのソ連強制収容所』 (3冊・集英社文庫)は名著だと思う。ファシズムばかりが「知性主義」の敵ではない。ファシズムと何ら変わらない「人間の顔をした野蛮思想」のコミュニズム(左翼全体主義)は、今日でも「体制」として北朝鮮などで生き残っている以上、その核攻撃の脅威下に置かれている我々日本人は、共産主義を常に見つめていくことが肝要だろう。

その意味で、北朝鮮に同情的であった磯谷季次氏が、晩年には北批判派になった体験などを綴った『良き日よ、来たれ 北朝鮮民主化への私の遺書』 (花伝社)も「抵抗する知性のための一冊」として是非ともあげるべき書物だ。萩原遼氏の『北朝鮮に消えた友と私の物語』 (文藝春秋)も名著。
斉藤博子氏の『北朝鮮に嫁いで四十年 ある脱北日本人妻の手記』 (草思社)、関貴星氏の『楽園の夢破れて』 (全貌社)や、関氏の長女(呉文子氏)の『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本や、呉氏の夫の李進熙氏の『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社) や、金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』 (亜紀書房)も貴重なノンフィクション。こういう本をきちんと読破し、ヘイトスピーチではない、適正な視点からの北朝鮮認識を深めることは知性ある人間を目指すためにも肝要だろう。こういう本も紹介されると尚よかったのではないか?

少なくとも上に記した著者の本は、徐氏が「はじめに」で懸念を表明している「現在の『反知性主義』は、むしろそれとは逆の方向性において、権力者や強者のあからさまな『本音』を代弁する居直り」――ではないことは明々白々であろう。

オーウェルの『バリ・ロンドン放浪記』を日本の昨今の「格差社会」を糾弾するための一冊として紹介しつつ、最後に『カタロニア讃歌』『動物農場』『一九八四年』の書名を提示している。

徐さんがそうだというわけではなく、一般論だが、頭が少々左巻きすぎて偏っている(?)人が世間にいて、『動物農場』を日本の格差社会を批判した書、『一九八四年』は管理社会を告発した書としてなら評価するという御仁もいらっしゃるが、スターリン顔負けの独裁者に よって長年運営されてきた「北朝鮮」という国家がすぐそばに存在している以上、普通に読めば、いうまでもなく、オーウェルが、こうした全体主義を風刺し告発するために書いた書であることは明々白々だろう。進歩的文化人(進歩的知識人)たちは、そのあたりを必死になって誤魔化すトリックに長けている。

徐氏の指摘の中で、明らかにおかしな点を一カ所。
「はじめに」で、反知性主義が日本にはあふれているということで、麻生太郎氏が2013年7月の講演で、改憲の手順として「ナチの手口に学んだらどうかね…」と述べたことを批判しているくだりだ。それを批判しているのは、ともかくとして(批判的に報じた一部マスコミに、麻生発言の切り貼りがあったのではないかとの疑問や反論もあったがその是非はここでは問わない)、 「これは一国の副総理が冗談ででも言ってよい話ではないが、その発言に、その場に集まった財界人や政治家たちもゲラゲラ笑って応じたのである」云々のところだ。

この講演の場に知人が出席していたのは、以前、本欄でも紹介した。まずはそれを以下再録。

2013/08/02(金) 06:11:21
麻生大臣の「ナチス」発言の問題点とは?

麻生太郎大臣の「ナチス発言」が問題になっている。あの発言は、2013・7・29に、国家基本問題研究所(理事長・櫻井よしこ氏)が開いたシンポジウムでのものだったようだ。

演題は「日本再建への道」で、出席者は、

麻生太郎 副総理 
笠浩史 民主党筆頭副幹事長
西村眞悟 衆議院議員
遠藤浩一 拓殖大学大学院教授と櫻井氏。

たまたまそのシンポジウムを聞いたという知人がいたが、その人によれば、民主党の笠浩史議員も特に麻生大臣の発言に反発もしていなかったし、元維新で、慰安婦発言で離党を余儀なくされた西村議員のほうが、もっと危険で(?)おもろい話しをしていたとか?

麻生大臣も、ナチスドイツも、民主主義の手続きをしてあんな風になったので、なんでも民主主義というのか、多数決でわぁ-とやっていくのも危険であって、改憲では静かに議論することも大事だとか、そんな話しだったかと。
ただ、ナチスの手法を肯定しているのか、否定しているのか、前後が矛盾しているようにも一瞬感じたけど、なにせ話し言葉だから、聞き流すだけだったと…。

民主主義の多数決といっても、学生時代読んだドイツ現代史の本などでは、要は、ナチスが反対議員を脅したり、議会に出席できないように工作しながら、授権法などを制定したのであって、決して民主主義的手法で政権を確立したのではない云々と書いてあったかと。

まぁ、橋下大阪市長の慰安婦「肯定」発言の時も指摘したけど、やはり、こういう論争的テーマの発言を政治家がする時には、シンポジウムであっても、一知半解にならないように、それなりにちゃんとした「文献」や「学者」などの発言などを引用紹介しつつ、聴衆に「漫談」「矛盾」と感じられないように論理的に整然と語るべきだろう(以下略)。



ともあれ、麻生太郎氏は、国家基本問題研究所が主催した講演会に出席して、ああいう発言を述べた。その講演会の場に集まっていた人々はどういう人だったか?
ポケットマネーから、国家基本問題研究所の会員になった人たちだ。その人たちのために開かれた会合である。またその講演会のみを会費を払って聞きにきた人たちもいただろう。

徐氏はみてきたようなナントカではないが、「その場に集まった財界人や政治家たちもゲラゲラ笑って応じた」と決めつけているが、それは事実誤認もはなはだしいといえよう。

もちろん、財界人も「個人」として聴衆の中にいたかもしれない。政治家もいたかもしれない。しかし、大多数はリベラルな人たちが好きな「市民」だったようだ。草の根の市民たちともいえよう。右派的信条を持つ一個人は「市民」ではないというわけではあるまい。こういうレッテル貼り的な筆致は知性主義から少々離れた書き方というしかあるまい(「他山の石」として、僕も注意しなくては?)。麻生氏は経団連などの軽井沢セミナーで講演したわけではない。徐さんは何か先入観を持って糾弾していないか?

そういえば、ウィキペディアによると、徐勝氏は実兄だとか。なるほど? 彼の著『獄中19年 韓国政治犯のたたかい』 (岩波新書)を読んだ時の違和感は強烈だった。そのあと、張明秀氏が『徐勝 「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』 (宝島社)を書いている。両方を読み比べたところでは、張氏のほうに説得力を感じた。

徐兄弟は、2016・6・5の夜NHKで放送された「北朝鮮・機密ファイル 金正恩体制の闇に迫る恐怖政治と粛清の内幕」「スクープ!極秘指令書」を見ただろうか? 僕は「ハイニッカ」を飲みながらの視聴だったので、ちょっと記憶があやふやで、見落としたりしたところもあったかと思うが……。

北朝鮮・機密ファイル▽金正恩体制の闇に迫る▽恐怖政治と粛清の内幕▽スクープ!極秘指令書
NHKスペシャル◇核実験や新たな弾道ミサイル発射を相次いで強行し、国際社会に揺さぶりを掛け続ける北朝鮮。一方、36年ぶりの党大会では世界のメディアを招き、制裁の影響などない順風満帆ぶりをアピールした。表と裏の顔を巧みに使い分ける北朝鮮の内実は、一体どのようなものなのか。金正日総書記の死後、国家を引き継いだ金正恩党委員長は、どのような体制づくりを進めているのか。なぜ高級幹部の粛清が相次ぎ、核を前面に打ち出す戦略にこだわるのか。取材班は、アメリカ、ロシア、韓国、中国、日本の北朝鮮専門家や情報機関の関係者、さらには元北朝鮮人民軍の兵士らを多角的に取材。新たな資料と証言から、謎に包まれた金ファミリーと軍の関係、核武装の構築を急ぐ内部事情に迫っていく。



北朝鮮の内部機密をUSBに入れて漏らした人物。その中味を分析すれば……。バナマ文書もびっくりするような内容?
また、顔も出した脱北者(軍人)が、金正恩党委員長がやってきた時に熱狂的に「バンザイ」をしなければ、即処刑になるとも証言をしていた。また外国の映像を見た罪で公開銃殺される、隠し撮りされたシーンも放映されていた(かと)。


これほどの反知性主義、恐怖政治はないのではないか? こういう人権抑圧体制に沈黙するような人には(それに比べれば軽度の人権問題や、過去完了形の慰安婦問題や戦時中の徴用労働にばかりを批判してみせる人には)、知性が欠けているか、何らかの「底意」「策略」があるのではないかと疑いたくもなるではないか。『動物農場』も『一九八四年』も、北朝鮮のような体制を念頭に置いてオーウェルは書いたのだから。

それにしても、この番組のあとのスポーツ番組(サンデースポーツ)では、体操男子代表決定ということで、当事者をスタジオに呼んで、誰が一番のイケメンかなどと〇×のクイズをやったりしていたが、ジキルとハイドにもホドがある? こんな低次元番組を作るNHKには受信料を半額にしたくもなろうか?

あとトニー・ジャットについてのいくつかの紹介文の再録を。

進歩的文化人のような「反知性主義」にならずに、20世紀、そして21世紀に於ける「全体主義の悲劇」を直視するための本を読む人はどれだけいるのか?(2015・6・18・木曜日)

みすず書房からまもなくトニー・ジャットの『20世紀を考える』という本が出るそうな。
内容紹介
名著『ヨーロッパ戦後史』の歴史家が語り尽くす百年の精神史。
ホロコーストとシオニズム、ファシズムと共産主義、知識人の存在理由を自伝と交差させた究極の遺著。

「本書はヨーロッパとアメリカ合衆国における近現代の政治思想の歴史だ。
その主題は、19世紀終盤から21世紀初頭にかけてのリベラル、社会主義、
共産主義、ナショナリスト、そしてファシストの知識人たちによってさまざまな
かたちで理解された、権力と公正である。
 本書はまた、20世紀の半ば、第二次世界大戦とホロコーストという歴史的
激動の直後に、そして東欧で共産主義者たちが権力を掌握しつつあった時に
ロンドンに生まれた歴史家にして評論家のトニー・ジャットの知的な伝記でもある。
 そして最後に、本書は政治思想の限界、そしてその再生の可能性、についての、
また政治における知識人の道徳的・精神的失敗、そしてその義務、についての思索
でもある。」(ティモシー・スナイダー)

 「20世紀を過去のものだとしてしまう際に、わたしたちは何を失ったのか? 
近い過去のどの部分が忘却されており、よりよい未来を建設するためには
何を取りもどして利用できるのか?(…)その結果できあがったのは、このうえなく
活発な対話である。これ以上の結果は望むべくもなかっただろう。」(トニー・ジャット)
著者について
[著者]
トニー・ジャット(Tony Judt, 1948-2010)
ロンドン生まれ、ケンブリッジのキングズ・カレッジ、パリの高等師範学校を卒業。オクスフォードのセント・アンズ・カレッジでフェローおよびチューターを務めた後、ニューヨーク大学教授に就任。1995年からレマルク研究所長としてヨーロッパ研究を主導した。『ニューヨーク・レヴュー・オヴ・ブックス』その他に寄稿。 著書に『マルクス主義とフランス左翼』(1990)『過去未完了』(1992)『知識人の責任』(1998)など。2005年に刊行された『ヨーロッパ戦後史』(みすず書房、2008)はピュリツァー賞の最終候補となるなど高く評価される。2007年度ハンナ・アーレント賞を受けた。 2010年8月6日、ルー・ゲーリック病により死去。没後、『荒廃する世界のなかで』(みすず書房、2010)、『記憶の山荘 私の戦後史』(みすず書房、2012)が刊行される。

ティモシー・スナイダー(Timothy Snyder)
1969年、アメリカ合衆国オハイオ州生まれ。イェール大学教授。専門は中東欧史、ホロコースト史。著書に『赤い大公 ハプスブルク家と東欧の20世紀』(池田年穂訳、慶應義塾出版会、2014)など。


スナイダーが聞き手となって、ジャネットが晩年病魔に苦しんでいた時に、対話をしてまとめた本のようだ。スナイダーの『赤い大公 ハプスブルク家と東欧の20世紀』も積んどくして久しいが、トニーの本は、読まなくては。600頁を超えて6000円ぐらいするみたいだけど……。彼の本はすでに何冊か紹介している(末尾に少し再録。一部略)。

それともう一冊、こちらはすでに出ているけど、ボヤントの『内モンゴルから見た中国現代史 ホルチン左翼後旗の「民族自治」』 (集広舎)。
内容紹介
日本人に伝えたい戦後の内モンゴル東部地域の姿。 旧満州国に属し、日本と協力し合った内モンゴル東部地域のモンゴル人たちは、 新中国建国後、土地、宗教、文化、そして民族の誇りを奪われた。 旗や村の末端単位でフィールド調査を敢行。 公文書と証言から実態を明かす!! 
出版社からのコメント
楊海英(静岡大学教授)推薦 中国最初の少数民族自治区の内モンゴル(南モンゴル)。 “ 模範自治区” と称賛されたがその実態は土地改革・虐殺・文革の嵐だった! 中国のすべての民族問題は内モンゴル自治区に淵源する!!


20世紀最悪の悲劇は、ファッシズムとコミニュズムという二つの全体主義国家が多くの地域で悪政をしいたことだ。それに比べれば、日本の軍国主義統治はまだ「可愛い」? いや、しかし、ナチスドイツと軍事同盟を結び、スターリンソ連と中立条約を締結したのは、致命的なミスであったというしかない。

同盟国の選択を誤らないことも、「戦争体験に学ぶ」ことの一つの「知」である。単に空爆を受けた体験が「戦争体験」のすべてではない。それが唯一の戦争体験なら、年寄りが若者に対して尊大になるだけだろう。

以下再録(一部略) 2012/01/02(月) 04:07:12
 一年の計は元旦にありということで、今年の読み始めはジキル的なマジメ本である、トニー・ジャットの『失われた二〇世紀 上』 (NTT出版)から。この本も上下二巻。感想は読了してからと思うが、アルチュセールやホブズボームへの批判などは小気味よい。とりわけホブズボームに関しては、その通りと快哉を叫んだ次第。ソ連を少しは批判をしているようで、実はソ連を批判している層を批判しているという文章上のテクニック・詐術の解剖などは、なるほどと。

「せいぜい、彼(ホブズボーム)は、共産主義者に対してなされた共産主義者による不正義に遺憾の意を示す程度である」
 でも、この人の本、日本では掃いて捨てるほど訳出されている。

 アルチュセールは『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』 (新評論)以外特に読んだことがない人だったが、1985年の段階で、ソ連の強制収容所の存在を否定するような発言をしていたとのこと! この人、フランスの向坂逸郎か? 

「知的で教育を受けたあれほどたくさんの人々がこの男に騙されるなど、どのようにして可能だったのだろうか」「アメリカでは時間や金銭をアルチュセールの思想研究に費やす大学研究センターがいまだにあり、そこでは、高額な費用の学会を開催し、言語学から解釈学にいたるまで、あらゆることにおける『アルチュセール主義』について、教授連中が熱心に講演をおこなっている。同時に、英語圏の立派な出版社が『アルチュセールの遺産』『アルチュセールと理論の迂回』『アルチュセールを読む』『アルチュセールとマルクス社会理論の再生』……といったタイトルのついた本を市場に出し続けている」と。
 
 日本でも最近、ちくま学芸文庫や平凡社ライブラリーに彼の本が何冊も入っている。ふうん? 需要があるのだろう。批判的に読むのならいざ知らず?
 でも、自叙伝である『未来は長く続く アルチュセール自伝』 (河出書房新社)は読んでみようかと。


2011/03/04(金) 19:28:03トニー・ジャットの『荒廃する世界のなかで これからの「社会民主主義」を語ろう』 (みすず書房)を読む。この人の前著『ヨーロッパ戦後史』 (上下・みすず書房)も面白く読んだが、六十二歳の若さで亡くなったとのこと。『荒廃する世界のなかで』は遺著。

第一章の巻頭にオーウェルの「鼻先にあるものを見ようとすると、絶えず身を捩じっていなければならない」という言葉が引用されている。民主的社会主義者であったオーウェルの言葉が先ず最初に出てくるのが印象的でもある。
 第一章では、100万人あたりの殺人数や精神病の罹患率や平均寿命や一人当たり医療費や所得格差などの各国を比較した統計表が先ず出てくるが、日本が突出して優等生でアメリカが劣等生となっている。欧州各国はその中間ぐらいか。日本で言われる「格差社会」が針小棒大なものということもなんとなく分かるような気がする。ジニ係数がアメリカと中国は「ほぼ一致している」とのこと。アメリカは格差社会だと批判する人は、中国や北朝鮮の格差社会をあまり批判しない傾向があるようだが、こういうデータも押さえておいてほしいものだ。そういう人は社会民主主義のレベルではなく疑似共産主義者だから、「祖国」の悪口は口が裂けても言いたくないだけなのかもしれない。
 
レーガン、サッチャーのみならず、クリントン、ブレアのような「中道リベラル」「第三の道」の経済路線も俎上にのせられている。労働党のゲイツケルやクロスランドという懐かしい名前も出てくる。

ハイエクには批判的。レーモン・アロン、アイザイア・バーリン、シドニー・フックといった反共リベラル派的知識人への考察も面白い。フックはアメリカに於ける社会民主主義者といえるようだが、反共主義意識が強く、そのために保守主義者との間に「橋が架かり、そのおかげで両者は、その後の時代にやすやすと交流ができるようになった」とのこと。
 レーガン前後からの新保守主義者もそういえるのではないか。彼らの多くは、外交タカ派、内政ハト派的色彩も強い。福祉国家論には基本的に賛成だ。中共、北朝鮮批判もあくまでも人権的価値観を蔑ろにするその体制批判からだ。
 
それはさておき、「社会主義」と「社会民主主義」との間には「重要な違い」があると著者は考えている。
「社会主義は全容的変化の問題でした。資本主義を廃絶して、完全に異なる生産と所有のシステムに立脚した後継政治体制を実現することでした。社会民主主義は、これと違って、一つの妥協でした。その意味は、資本主義および議会制民主主義を枠組みとして受け入れ、そのなかで、これまでなおざりにされてきた国民大衆という大規模社会層の利益を守っていこう、というのです。こうした違いは重要です。社会主義は挫折しました。たくさんの偽装を施し、ハイフン付きでの出現を画策したにもかかわらず、です。社会民主主義は、多くの国々で権力の座に就いたのみならず、その創始者たちの奔放な夢を超える成功を勝ち取ったのです」

 このジャットの見解は正しいし支持することができる。

 ただ、日本に於ける社会党や現在の「社会民主党」は、ここでいう「社会主義」の支持集団である。かつての民社党や現在の民主党は「社会民主主義」といえるかもしれないし、アメリカの民主党やオバマだって、「社会主義」ではなく「社会民主主義」的価値観の信奉者と言えるだろう。
 
日本の社民党は「社会主義(要は共産主義)」集団であり、社会民主主義とはほど遠い存在だ。少なくとも日本社会党のような「非武装中立」を唱えるのは、社会主義とも社会民主主義とも無関係な理念でしかなかったし、そういった集団を支持する総評などが日本の民主的労働運動を歪め、違法ストを繰り返し、そのために国鉄は民営化され、それに類する親方日の丸労働組合は民主的に解体されていった。その意味での自由化路線は、欧米ともまた異なる事情から生まれ発展していったのであり、反共産、反社会主義的施策だったかもしれないが、反社会民主主義的施策だったとは言えまい。民社党系同盟労組はそうした施策に必ずしも反対ではなかった。

 ジャットも、英国の駅内にある民間セクター(新聞売場やカフェ)が国家経営である必要はないと指摘している。「ビニール袋入りのパサパサのサンドイッチを覚えている人なら、この分野での競争は大いに奨励すべきだと、喜んで認めるでしょう」と。しかし、いやいや、ここも親方日の丸でいいんだという労働団体が今も昔も存在しているのだ。競争なんかしなくてもいいと。学校の給食などもそうだった。民間委託反対、自由給食(弁当持参の家庭の存在を許さない?)反対と。

 ジャットは、そうした競争は是認した上で、競争で鉄道を走らせることの困難を唱えている。安全やコストやさまざまな要因がメリット、デメリットさまざまな面で出てくるわけだ。
 
ともかく、いろいろと知的刺激に富む一冊。民主主義社会にあって、保守主義、自由主義、民主社会主義(社会民主主義)の三つの思想がそれぞれ闘争して勝利を収めるのが無難であると僕は思っている。この三つの思想以外に、共産主義、ファシズム、そしてその成れの果てというかカムフラージュされた形での環境主義などがあるだろうが、そうした危険な思想が多数を占めないように三つの正統思想が切磋琢磨していく必要があるだろう。そういうことを考える上で貴重な本であった。まぁ、半分ちょっとは共感できる内容だし。著者はイラク戦争に反対し、それを支持する一部のリベラル派を糾弾したとのこと。そのあたりは違和感を覚えるが。容共リベラルの姜サンなんかが本書を推薦するのはこのあたりに辛うじて「価値観」を見いだすからであろうが、本来は彼如きが支持する知的レベルよりははるかに高いところにある書物といえよう。

2011/05/18(水) 06:16:34

この前「公共知識人ダニエル・ベル」に関する本を紹介した(清水晋作氏著『公共知識人ダニエル・ベル 新保守主義とアメリカ社会学』 勁草書房)。
同じく「公共知識人」といわれるトニー・ジャットの『記憶の山荘 私の戦後史』 (みすず書房)を一昨日から今朝にかけて読んだ。
『ヨーロッパ戦後史上下』『荒廃する世界のなかで これからの「社会民主主義」を語ろう』 (みすず書房)を本欄でもすでに紹介ずみ。奇病故に若くして昨年亡くなった学者のエッセイ集。

1948年生まれから見た戦後ロンドンの貧しい時代の回想、1968年前後の左派学生時代に東欧での「プラハの春について、ましてやポーランドの学生蜂起について、私たちの熱っぽい急進的な討論のどこでも言及された覚えがないという事実は、六八年五月の思い違いについて何を示しているのだろう」「われわれは中国の文化大革命やメキシコの激変、それにコロンビア大学の座り込みについてさえ、深更にいたるで長々と論じることができた」「が」「誰一人として東欧について語る者などいなかった」と。

そういう自省から中庸穏健な社会民主主義者として「成長」していくわけだ。日本の左翼学生も同じような軌跡をたどって成長した人もいるかもしれない。だが、多くは反省のないまま自治労や日教組や総評や弁護士や一部マスコミ人になり、未だに社会的害悪を流し続ける手合いもいるようだが。1968年の段階で東欧の政変、学生の反乱に無関心を決め込んでいて手合いの語る言葉には当時も今も説得力はなかろう。80年代にワレサが登場してきて、さすがに1956ハンガリーや1968チェコの時のように無視はできず、あわてて関心を寄せた進歩的な人々もいたようだが。

平凡社から、1968年プラハにいて、ソ連東欧諸国連合軍の「侵攻」を受けた時の衝撃の写真を密かに撮影していたジョセフ・クーデルカの『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968』 が刊行された。それを眺め読むと剥き出しの軍事力に対峙するチェコ国民のある種の矜持、誇り、躊躇い等々さまざまなものを感得することができる。これらの侵攻時の写真は撮影者が海外に持ち出し1969年には撮影者秘匿のまま公表されていたとのこと。解説を小森陽一氏が書いているのがちょっと興ざめであるが? ソ連兵士の銃の前に素手で立ち向かう人々を見るにつけ、安保闘争などは子供のお遊びであったというしかないだろう。1956年のハンガリーでもこの1968年のプラハと同じ光景が見られたはずだ。1956年のハンガリー蜂起の実態は知られていなかったにせよ、1960年の日米安保の選択はハンガリーの悲劇を日本にもたらさないためにも必要な選択だった。

それにつけても、東北沿岸で東日本大震災支援のために活動した空母ロナルド・レーガンが佐世保に寄港した際にも反対運動をした人々がいたというのは、日本の自由さを示すものではあろうが、あまりにも非常識だ。我々は少なくマシなトモダチ、同盟国を選択した。

しかしチェコはミスを犯した。だがチェコ共産党当局はこの侵攻を批判した。軍事介入など依頼していないとも。「今、私たちの町は歴史上初めて同盟国、友好国の軍隊によって占領されています」(チェコ共産党プラハ市委員会)との悲劇を味わうことがなかったのも日米安保という選択があったからこそであろう。同じ共産党でもどこかの国の共産党とは違う?

彼(トニー)がしばしば言及しているポーランドの亡命知識人であるチェスワフ・ミウォシュの『囚われの魂 』にしても共同通信社が1996年に訳出したが、それ以前の1954年に国際文化協会から『囚われた知性』として訳出されていた。僕はかつてその本を古本屋で購入していたが、そういうマイナーな共産主義批判の書を早い段階で日本に紹介し、そういう本を読んで共産主義、左翼全体主義の本質を見極めていた人も日本にはいたことだろう。そういう人を反共主義者とバカにしていた左翼人がもっともバカであったのは間違いない。

共同通信社版では訳者の工藤幸雄氏が秀逸な訳者あとがきを書いている。そこでも指摘されているがミウォシュには『ギル教授の孤独』 (鏡浦書房)という本も1958年に訳出されている。これもかつて購入したことがある。

鏡浦書房というと、ジキルとハイド的出版社ではあった。こういう反共リベラルな優れた本も刊行しているのだが……。この経緯に関しては、この出版社の編集者をしていた藤井章生氏が『飯田橋泣き笑い編集記 出版脇街道好人録』 (並木書房)という本を書いているが、参考になる。そういう固い本はアメリカのその筋(大使館文化情報局)からの提案(印刷用紙代負担など)があって刊行されたとのこと。同じことはソ連や北朝鮮もやっていたことだろう。

だが、共産圏のそうした宣伝本の多くは独裁者ヨイショ本やらポチョムキン村礼賛記。アメリカの方も玉石混淆だったかもしれないが、鏡浦書房や時事新書の翻訳本の中にはこのように今日でも輝くものが少なくない。

北朝鮮にせよ、中共にせよ、ソ連にせよ、東欧諸国にせよ、真摯にその実態を追求した著作はリアルタイムで刊行もされ訳出されていたのだ。その時から何十年が経過しても「古本虫」のように各地をさまよえば入手可能だ(いまはネット社会だから尚更である。図書館も活用可能)。

トニーの本を一冊読み、いろいろと回想やらが進んだ次第。読書の楽しみはこういう連想の楽しみでもある。


2011/06/20(月) 07:02:23

 古森義久氏の『アメリカはなぜ日本を助けるのか 体験的日米同盟考』 (産経新聞出版)を大変面白く読了した。この本を論評するにあたって、以前刊行直後の2008年夏に読了し、本欄でも少し紹介したことのあるトニー・ジャットの『ヨーロッパ戦後史 上下 1971-2005』 (みすず書房)を、改めて詳しく紹介しておきたい。

トニーの本の上巻は一九四五年から一九七一年までで、僕にとっては「過去の歴史」的な側面が強かったが、下巻は物心付いてきた「同時代史」として、記憶もわりとある「現在の歴史」として読み進めることが出来た。
 本書でも冒頭に取り上げられているソルジェニーツインの『収容所群島』に伴う追放騒ぎはしっかりと記憶している(当時の僕は中学生)。ソルジェニーツィン追放をソ連が決定したとの報道(夕刊)を読みながら、「悪の帝国・ソ連め、きっと潰してやる!」と夕日に向かって誓っていた(笑)。
 
「『収容所群島』の英訳が出版されたことにつづいて、一九七四年二月にアレクサンドル・ソルジェニーツィンが国外追放処分を受け、その数年後にカンボジアでの虐殺や、『ボート・ピープル』と呼ばれるヴェトナム難民の苦境が明らかになると、共産主義をめぐる幻想が復活する可能性は二度とないことがもはや確実となった」「伝統的な姿をまとった共産主義とファシズムにとっての未来は、もはや西ヨーロッパにはなかった」

 石油ショックに見舞われた七〇年代の西欧にとって、先ずクビを切られたのがゲストワーカー(外国人労働者)であったとの指摘からも下巻は始まる。
ドイツ自動車メーカーのBMWでは解雇された労働者の五人の四人が外国人労働者であったとのこと。昨今というか、二〇〇八年初頭、少し景気回復が見えてきた(?)時に、自民党(当時与党)などが外国人労働者をもっと受け入れようとして法案化を考えていたが下手な考えというしかあるまい。二〇〇八年末には、景気後退で日本人だけで派遣労働者数万人の働く場がなくなり、すでに受け入れていたブラジル人など外国人労働者などもクビになってヤケになりコソ泥になったりした例も出てきているというのに、なんで外国人労働者をこれ以上受け入れる必要があるのだろうか。単純労働にしても、日本人を優先雇用すべきだという話にはならないのか? 不要な民族摩擦を起こさないためにも、外国人労働者は無闇に受け入れる必要はあるまい。

 それにしても天気予想といい、野球の優勝予想といい、当たらないのは承知だが、景気予想も当たらないものだ。この本を読んだ時、二〇〇八年一月三日の日経新聞を一年間捨てずに取って、二〇〇九年一月三日に一年ぶりに開いてみたら、爆笑ものだった。エコノミストや企業人に二〇〇八年の景気予想(記事では「予測」?)を聞いているのだが、一年後の今から見て比較的的確だったのは三菱UFJ証券景気循環研究所の嶋中雄二氏ぐらいか。彼は日経が、二〇〇二年二月に始まった景気回復局面は〇八年一月で七二か月と、丸六年になり戦後最長を更新し続けているが、この回復は何時まで続くかという設問に対して、「すでに後退局面」と答えたのだが、記事では「少数派。大半のエコノミストは〇八年も景気回復が続くと予想する。全体の三分の二は『一〇年-三月』かそれ以降とし、〇九年度いっぱいの回復持続を見込む」とある。専門家もこの程度なのか。
 
時代わり、二〇〇九年一月三日の日経の同じようなエコノミスト予想は、今度は悲観一色。ところが、嶋中氏は「世界規模で景気刺激策が出動される」ことから景気が後退から拡張に転じる「谷」を〇九年三月と予想する。今度は楽観論ときた。しかし、こういう早期回復シナリオは彼だけのようで、大勢の予想は〇九年九月、一〇年三月に集中しているとか。でも、嶋中さんの「予測」に期待したいものなり。判定は二〇一〇年一月三日の日経にてと思っていたが……?
 
一方、二〇〇八年一月三日付け日経で、株価予測として高いもので一万九千円、低くても一万四千円台というものばかり(実際は八千円台にて終了)。円ドルレートも大和総研特別理事の田谷禎三氏が十二月末に九十五円になっていると「予想」したのを除き、皆が百五円が下値でなかには百十八円というのもあった。これではねぇ……。この人たちが二〇〇九年一月三日の日経では一転して……。まぁ、紹介するだけヤボかも? その後の経済予想はもうどうしようもない? 円は80円前後だし株価は……。

 話は脱線したが、これほど未来予測というのは当たらないもの。それよりは過去の半世紀をトニーのようにじっくりと眺めていく方が無難だろう。日本への来日を拒絶されて、シンパどもがあれやこれやと悲憤慷慨したイタリアのネグリちゃんについても、このオッサンがイタリアのテロ頻発時代にどんな言動を取っていたかをサラリと触れているのを読めば、こんな人を相手にする方がおかしいというべきだろう。それに比べればファシスト呼ばわりされるフランコが統治時代にそれなりの経済的発展を遂げるための措置を施していた事実を本書の行間から読み取ることも可能だ。

 ソルジェニーツィンのみならず、レイモン・アロンやギンズブルグやマルガレーテ・ブーバー=ノイマンらの著作も紹介されているが、この人たちの本は日本でも訳出もされていた。サッチャーの活躍も客観的に分析もされている。悲惨なウィガン波止場の影も消え、「ウィガン波止場のオーウェル」というハンバーガーやポテトチップを売る特徴のないモダン・パブが建てられているとの指摘などもあった。

「一九八九年以前には、すべての反共主義者が『ファシスト』の汚名を着せられた。だが『反ファシズム』も共産党の嘘の一つに過ぎないのだとしたら、『ファシスト』を含めて、これまで信用されなかった反共主義者のすべてを、過去にさかのぼって同情と好意をもって見たくなる」
 
この前触れた「カティンの森」事件やパルト三国併合の手法など、ソ連赤軍の罪はまだまだ十分に暴かれていないとも言えよう。
 さまざまな感慨を持って、トニー・ジャットの分厚い上下の本を読みおえた次第。彼の本は『知識人の責任 ブルム、カミュ、アロン』 (晃洋書房)、『荒廃する世界のなかで これからの「社会民主主義」を語ろう』 (みすず書房)、 『記憶の山荘 私の戦後史』 (みすず書房)などがあるが、彼のような存在は日本で言えば「関嘉彦」氏に相当するのではないか。ソ連に甘く白旗降伏論者の森嶋通夫氏との防衛論争では現実主義的立場から論陣を張っていた。その関氏を尊敬もしているのが古森氏だ。先の本の中でもその防衛論争を紹介している。

「経済面では社会主義思想を取り入れる民主社会主義への共鳴も明らかにしていた。その一方、個人の自由を抑圧する共産主義には強い反対の立場を表明していた。そのうえで関氏は日本の防衛の重要性、必要性も日本独自の価値観や伝統や自由を守るという見地から説いていた」と記している。

  本書は古森氏のジャーナリストとしての自叙伝であると同時に、貴重な戦後史ジャーナリズムの証言集でもある。毎日新聞に入社して学生運動を取材中、学生の投石で脳内出血、重態となってしまう。もし、この時ヘルメットをかぶっていなかったら古森氏は死亡していたかもしれない。スペイン内戦の時、ジョージ・オーウェルが喉に銃撃を受け、九死に一生を得たのにも似た「歴史の瞬間」だったと言えようか。
その後、古森氏はベトナム特派員、アメリカ特派員など国際報道の場で活躍する。ライシャワー元大使の核の日本持ち込みの事実をスクープしたりもする。ロッキード事件の取材もする。サイゴンではいわゆる「解放戦線」の嘘を見破り、北ベトナム、共産主義が南では嫌われている事実を把握もする。「解放」されたはずのベトナムからの難民流出にも心を痛める。

本書は産経新聞に移籍しベルリンの壁が崩壊するところで終わっている。その後、古森氏は中国特派員にもなるのだが、それは次著で触れることになるのだろうか。それにつけても、本書は浅薄なジャーナリズム史が多い中、異色の内容だ。ベトナムの民衆の親日感情が、太平洋戦争中の日本軍の態度に依拠している事実や80年代のあまりにも親ソ的な朝日新聞論説などへの批判も展開されているからだ(ソ連の核恫喝を「対日参戦」と誤魔化しての朝日社説などは歴史に残る愚挙)。
トニー・ジャットの本をつまみ食いして「評価」する日本の容共リベラル的な知識人がいるが、この系列に本来繋がるのは関氏や古森氏であろう。

古森氏の古巣である毎日新聞(2011・6・17夕刊)に東大の高橋哲哉氏が大きく登場し、いわき市出身とのことだが、「戦前が『天皇制軍国主義』だったとすれば、戦後は『日米安保原発主義』だったのではないか」とインタビューに応えている。「日米安保」はそんなに悪いものなのか? 「トモダチ」作戦も……。やれやれ?

2012/01/03(火) 03:33:54
  トニー・ジャットの『失われた二〇世紀 上』と『下』 (NTT出版)を読了。昨日少し触れたように、アルチュセールやホブズボームなどの著作や評伝などへの書評の形を取りながらの知識人論や時事評論が収録されている。

上巻の巻頭エッセイのケストラー論なども秀逸。 『真昼の暗黒』も、筑摩書房・角川文庫などから刊行され、以前一読したが、長年幻の名著だった。しかし、最近、岩波文庫に収録されたので、少しは知られるようになったかと。トニー・ジャットの紹介で改めて読者が増えればいいと思う。
 
 下巻でもさまざまな問題が独特の視点から論じられており面白い。数日前の本欄でトニー・ブレアの『ブレア回顧録上下』 (日本経済新聞出版社)を高く評価したが、トニー・ジャットはブレアのことをかなり批判的にとらえている(下巻・13章)。そのエッセイは2001年に書かれたもので、当然のことながら、『ブレア回顧録』は刊行されていなかった。その後、トニー・ジャットは2010年8月までは生きていたのだが、ブレアの原書版(2010年9月ハードカバー版刊行)は読むことは不可能だっただろう。この回顧録を、もしジャットが読んで、改めてブレア論を書いていれば是非読んでみたかった。僕はブレアの回顧録は面白く感銘を受けて読んだが、ジャットなら違った切れ味を見せてくれたことだろう。残念。

 アルジャー・ヒス、ウィテカー・チェンバース事件についての論評も面白い(下巻)。ヒスはスパイではなかった云々との議論がアメリカはもとより日本でも結構あった。以前、 『汚名 アルジャー・ヒス回想録』 (晶文社)なる本があって一読した覚えがあるが、ジャットが指摘するようにヒスはスパイではないと思っている人間が、ジャットの「同僚の教授たちのあいだ」にはまだ少なくないようだ。でも、ハンガリーの若い歴史家が1993年秋(東欧共産圏崩壊後)、ジャットにハンガリー共産党の戦時下、戦後の文書の中にヒスの名前が頻繁に出ている事実を教えたことがあるという。「空想家以外にとって、ヒスの事件はもう終わったのだ」と。
「ベノナ文書(ヴェノナ文書)」にも言及されており、かつ、マッカーシズムに関しては批判的にとらえてもいる。そのあたりはジャットらしいポジションと言えようか。

 そのほか、キッシンジャ―外交やグローバル経済やイスラエル・中東の問題点などの指摘など、多岐に亘る問題が俎上に載せられている。新年早々勉強になった。

 

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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