古本虫がさまよう 人も本も独裁者も「いのち」は有限…
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人も本も独裁者も「いのち」は有限…
(2016・6・3・金曜日)






2016・5・29日経朝刊に、澤地久枝氏の、こんなエッセイが掲載されていた。

本の“いのち”  澤地久枝

 長年心にかかっていたある図書館と、十数万冊収納をめざした本の行方をしらべることにした。
 昭和二十四(一九四九)年四月、面接だけで中央公論社(当時)の経理部へ入ったとき、私は十八歳。先代社長急死のあと、次男の嶋中鵬二氏が社長になられ、戦後復活した同社で専務をつとめた人が栗本和夫氏である。私は国語の教師の紹介で伝手(つて)を得、栗本氏の紹介で入社した。
 『一図書館の由来記』(栗本和夫・中央公論美術出版)は、美しい本である。昭和五十五年四月十五日に初版が出ているが、その二日前、氏は亡くなる。六十九歳だった。栗本図書館の開館にあわせるべく急がれ、メモ書きをたよりにこの本をまとめたとある。夫人も亡くなった。
 昭和四十六年に還暦をむかえ、氏は前向きに人生の後始末をしたいと思う。郷里奈良の斑鳩(いかるが)に代々伝えられてきた土地と家、元禄にさかのぼる資料が土蔵の長持にあった。
 兄弟二人だが、弟は敗戦の年にビルマ(現ミャンマー)で戦死し、夫妻に子どもはない。
 美術を中心に保存のいいものを求めてきたが、体系的とはいえない資料である。氏は中央公論美術出版を起し、出版人として生きてきたが、書物の蒐集(しゅうしゅう)家ではなかった。
 私財を投じて保存のための図書館、小さくても美しい図書館を作ろうと心がきまってゆく。
 長野の碌山美術館、倉敷の大原美術館、木曽馬籠の藤村記念館と、よく歩き、そのたたずまいが眼のなかにあった。
 藤村記念館は谷口吉郎氏の設計で、敗戦後、村の青年たちが発意して、村人の力で建っている。一枚とか二枚の瓦を川べりから背負って、子どもたちが蟻(あり)の匍(は)うように一列になってのぼってくる情景が書きのこされている。氏の心に刻まれる情景だった。
 昭和三十三年、いまのサンクトペテルブルグを訪ねる機会があり、独ソ九百日の攻防で破壊された街で、有栖川宮熾仁(たるひと)親王がその蔵書から日本文化の基礎となる四千冊を寄贈した有栖川文庫が、女性によって守られてきたことを知る…(以下略)。



この本(『一図書館の由来記』栗本和夫・中央公論美術出版)は一読し、以下のような感想を掲載したことがある。もう3年近く前なのか……。


2013/08/19(月) 03:06:27
図書館を建てた男の物語に感動してしまった

栗本和夫氏の『一図書館の由来記』 (中央公論美術出版)を読んだ。ちょっとミニサイズの100頁足らずの小さな本。昭和55年4月の刊行。

著者は元中央公論社の人。重役でもあったようだ。中央公論社の系列会社の中央公論美術出版を創設し、そこでも仕事をしていた。

やがて、信州信濃に土地を求め、「小さいが、美しい図書館をつくりたいと思った」という。その思いを実現させていく過程が半自叙伝的な形でも描かれている。

ネットで見ると、元中公の粕谷一希氏の『中央公論社と私』 (文藝春秋)の中にも、栗本氏への好意的な言及があるそうな(この本は刊行当時一読したが、その点は未確認)。

最初は別荘を建て、やがて奥さんと付き合いのある竹山道雄夫人も、近くに土地を求めて別荘を建てたという(その別荘は、いまは平川祐弘氏が使っておられるようだ)。

やがて財団法人の認可も受け、栗本図書館の建設に本腰を入れていく。蔵書や寄贈や土地の手当など。鎌倉の自宅を売って建設資金にもしていく。レニングラードの東洋学部図書館にあった日本の有栖川親王からの寄贈書を、戦時中死守した人のエピソードなども紹介されている。また、1958年には、実際レニングラード周辺にも出かけ、そうした戦跡を見てきたという。

建設地は、田舎故ということもあるが、「水」の供給などに関しても、周辺集落の人びととの交渉などもいろいろと大変だったようだ。有名な建築家の協力も得て、建設にかかるが、その建築家ともども著者も病気がちになってしまう。やがて…。
さまざまなアクシデントに見舞われつつも、無事建設が終り、小さくとも美しい図書館が完成。著者も病床にあって、こういう本をまとめることができたようだ(が、刊行とほぼ同時に死去されたそうな)。

本書の中に図書館の写真や図面もある。三階建ての図書館。建坪は186坪。延坪は326坪。今も運営されているのであろうか? 最寄り駅(信濃境駅)からも歩ける距離(1キロ弱)のようだから、ちょっと寄れるものなら寄ってみたいものだが…。

ううむ、僕などはこういうのを見ると、私有財産としてこういうのが持てたら、いまある本も全部本棚に所蔵できるのではないかと思ってしまう。

それにしても、ご主人のこうした「本」への執着、私財を使っての図書館建設に関して、奥様は快く同意されたとのこと。どっかの古女房とは大違い!?




澤地氏の先のエッセイによると、

しぶい朱泥色タイルの外壁、銅葺きの屋根、行かなければと思いながら、標高約一千という高さが私をとらえ、時間がたつほど「まだあるだろうか」と懸念していたのだ。
 建設時、町長、教育長が協力を惜しまなかったという富士見町役場へ電話をかける。話は通じない。建物の所有者(法人)は、商品の保存に使っていることがわかった。
 検索によって長野市の八十二文化財団が得られる。二〇一三年十二月三日、同財団図書館は専門資料三百五冊の寄贈を受けている。ここで天理大学の図書館を教えられた。
 奈良の天理大学付属天理図書館では、五年ほど前に栗本図書館に行き、俳句の本その他版本の寄贈を受けている。蔵印「鵤(いかるが)文庫」の印二つも受けとったという。開校百年(二〇二五年)を目標に資料を整理中であった。
 多くの本は、消えた。
 栗本氏が思い描いた赤松の木立ちのなか、静かで爽やかな図書館の閲覧条件は、まず「手を洗うこと」だったのだが。




まぁ、本も人間同様、「消えていく」運命なのだろう。残念ながら「永遠」はありえない。地球の運命も「永遠」はないのだろうが、しかし、中共や北朝鮮などの「独裁政治」が一刻も早く消滅し、独裁政党が崩壊することは祈りたいものだ。少なくとも、6月4日がくるたびに、「こいつら、いまに見てろ」と思う。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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