古本虫がさまよう 名著再読! 原爆投下せずに本土決戦となっていれば--「もしアメリカ軍が日本の本土に上陸すると、百万人を超す死傷者が出ますよ」と「日の丸アワー」が脅していた以上……
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名著再読! 原爆投下せずに本土決戦となっていれば--「もしアメリカ軍が日本の本土に上陸すると、百万人を超す死傷者が出ますよ」と「日の丸アワー」が脅していた以上……
(2016・5・19・木曜日)







オバマ大統領が、サミットが終わった後に、広島に立ち寄るということでいろいろと話題になっている。謝罪が必要かどうか…と。広島に行くのもいいけど、靖国神社にも寄ったら?とも。靖国神社はアメリカのアーリントン墓地だという人もいる。南北戦争で南側にいた兵士だっているではないか、でもそれでもそこに追悼の献花をするのがケシカランということになるのか?と。まぁ、いろいろと議論はあるけど、僕が日本の外務省の人間なら、現職は無理でも元職でもいいから、かつての「敵国」(戦勝国)側の公的な政治家などが靖国に足を向けるように働きかけるだろう。靖国神社を散策したり、遊就館の施設を見るだけでもいいだろう。まずは「見学」でも? 神保町の古本屋街を散策させつつ、気がつけば靖国に参拝させるとか?  謀略? アジアの国々の関係者を招くようにまずはすべきだろう。

ともあれ、歴史戦がらみでの宣伝活動をきちんと展開するべきだろうが、日本の政府機関はやることをやっているのだろうか。

最近、本棚にあった池田徳眞氏の『日の丸アワー 対米謀略放送物語』『プロパガンダ戦史』 (中公新書)、並河亮氏の『もうひとつの太平洋戦争 戦時放送記者がいま明かす日本の対外宣伝戦略』 (PHP研究所・二十一世紀図書館)を取り出してきた。一読したらしい形跡(赤線など)があるが、いずれも30年以上昔に刊行された本。紙も黄色ばんでいる。

とりあえず『日の丸アワー』を再読した(この本は、「日本の古本屋」にも出てこず、アマゾンなどでは高価格本となっているようだ。同じ著者の『プロパガンダ戦史』は「日本の古本屋」で出している古本屋もあるがそこそこ高価格。でもこちらは去年中公文庫版が出ているから、それでいいのでは。

復刊にあたっては、佐藤優氏の以下の推奨があったからのようだ。

文藝春秋BOOK倶楽部特別篇 戦後の名著「わたしのベスト3」
 世間ではそれほど有名でないが、私にとっての第一位は、池田徳眞(のりざね)『プロパガンダ戦史』(中公新書、一九八一年)だ。
 池田徳眞(一九〇四~九三年)は、徳川十五代将軍・徳川慶喜の孫で、東京帝国大学文学部を卒業した後、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学し、旧約聖書を研究した。その後、外務省嘱託となりオーストラリアの日本公使館に文化担当官として赴任しているときに太平洋戦争が勃発する。
 一九四二年十月、交換船で帰国し、外務省ラジオ室で諸外国の短波放送を傍受する仕事を統括した後、四三年十二月から陸軍参謀本部駿河台分室で、米英の捕虜を使った対敵謀略放送を指導した。このときの体験を池田は『日の丸アワー―対米謀略放送物語』(中公新書、一九七九年)に残した。本書は、その理論編にあたる。〈対敵宣伝とは敵国民のリモコンであるから、ただ敵を知っているというだけでは不十分である。少なくとも、戦前にその国に三年以上は住んでいて、物事が起きたときに、その国の人と同じように感じ、かつ反応することのできる人でなくてはだめである〉という池田の指摘は、インテリジェンスの本質を衝いている。



そもそも区立図書館なら、どちらの本も半分以上の図書館で所蔵しており貸出可能だから、数千円出さなくとも読破可能。こういう時図書館はありがたい。それに、そこらの古本市なら100円ぐらいで見つかるかも。ブックオフは? バーコードが入ってない時代の本だから難しいかも?

『日の丸アワー』を再読し、『プロパガンダ戦史』も再読し始めたところだが、佐藤氏のコメントにもあったが、両書によると、池田氏は、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時は、オーストラリアの日本大使館で文化宣伝係として赴任していたそうな。
開戦とともに監禁。捕虜交換で昭和17年10月9日に帰国し、以後、外務省ラジオ室で、イギリス、アメリカ、オーストラリア、インド、中国、フランス、トルコ、ドイツ、ソ連等の短波放送傍受の仕事に従事。
昭和18年10月には九十九里浜などでアメリカの西海岸地域の中波の傍受にも成功(限られた時間帯だが)。そのあと、陸軍駿河台分室に移り、そこで陸軍参謀本部の肝入りで、銃後の敵国民の反戦・厭戦気分を醸成するため、アメリカ西海岸向けに短波による謀略放送を敢行することにした。日本軍の捕虜になった英米兵などを動員し、彼らを使っての反戦コントなどを放送したりもする。その捕虜の人選をまかされ、放送内容をチェックする使命を与えられた著者による体験手記だ。

御茶の水駅近くの駿河台の文化学院を借り受け「駿河台技術研究所」と偽称して、そこに捕虜を連れてきて、訓練し、NHKに出掛けては放送する--。
この職務を拒否した英国人もいたそうな。
戦後、敵に協力したということで、裁判にかけられた捕虜もいたという。その裁判の証言のために、著者はわざわざアメリカ本土の法廷にかりだされたりもしている。

以前、本欄で紹介した小林久子氏の『猫のしっぽ』 (文芸社)は、その「駿河台技術研究所」にて仕事をした女性の手記だ。

この本はこんな風に紹介をした。


 この『猫のしっぽ』は、一九二五年生まれで女学校を出たばかりで国策会社・伝単制作事務所(?)に一九四三年六月に義兄の親友の紹介で就職した著者の体験記のようだ。
「ここで見たり聞いたりした事を、家に帰って決して言わないで下さいね。防諜上まずいですからね」と釘を刺される。
ロシア語の出来る「勝田さん」という人が事務所に居て、「彼は、毎朝どこかへ電話をかける。相手はいつも同じらしい。みんなロシア語で、何をしゃべっているのかわからない。やたらとダーダーとやっている」「タイピストの太田さんの話では、勝田さんは以前共産党員で、ソ連に越境して行ったが、信用してもらえなくて、監獄へ入れられたので、又脱出して来たのだそうで、『赤露脱出記』などという著書があった」という。
 
おぉ、この勝田さんというのは勝野金政氏のことで、『赤露脱出記』(日本評論社)、『ソ連邦脱出記 入党から転向まで』(日露通信社出版部)、『ソヴェート滞在記』(千倉書房)の著者のことではないか。
これらの本、数年前に、やっと見つけて購入したばかり。以前『新潮』(平成13年12月号)で山口昌男氏が彼のことを紹介しており、それでこれらの本のことを知ってしばし探求中であった。まだ積ん読しているが、彼女の言う「勝田」さんとは「勝野」さんのことではないか。
 日本軍に協力する英米の捕虜や白系ロシア人などが、この事務所にやってきては宣伝用のビラなどを作っていたようだ。彼女は下働きの資料切り抜きなどの仕事が多くて実務の業務にはタッチしていないようだが、「企画資料というのを一寸のぞいて見たら、アメリカ人は、鼻をハンカチでかむが、日本人は紙でかんで、その度に捨てるから、日本人の方が清潔だとか、西洋人の目はくぼんで猿に似ているが、日本人の目はふくらんで、猿の進化したチンパンジーの方に似ているから、日本人の方が高等だと、さる学者がとなえたとか、あんまり敬服するようなことは書いてない……」と。
 戦況悪化により空襲を受けるようになるが、東京ローズがこの事務所には捕虜がいるぞと言ったので東京のど真ん中なのに空襲の心配はなかったともいう。が、会社を辞め地方に疎開していき、「終戦」を迎える。再就職先も疎開先での軍事関連の事務所だったが、八月十五日の夜は山の中の温泉宿でどんちゃん騒ぎをしたそうな。隠匿していた食糧を一気に開放したらしい。末尾に一九六八年記とあるが、刊行されたのは二〇〇三年。草思社を「買収」した自費出版の文芸社であるが、こういう佳作も出しているとは知らなかった。

 

空襲の心配がなかったということは、池田氏も『日の丸アワー』で触れているが、それが真実であったかどうかには疑問があるようだ。でも、タイムスリップして戦時中に戻ったら神田神保町界隈に潜むのがベターかも。

勝野金政に関しては、『日の丸アワー』では、駿河台分室の企画部に籍を置いていたとのこと。

土佐人の恒石少佐は、彼について池田氏にこう説明していたという。

「勝野君はソ連共産党の正式党員となり、ソ連の地方のオルグで数年働いていた珍しい人です。転向したと言っていますが、真実は分かりません。ただ憲兵がよく見張っていますから、分室の中ではなんでも自由に話して差支えありません」

ソ連からの亡命者やロシア語のできる軍人や憲兵もいたという。勝野氏は水を得た魚のように活動していたのだろうか。池田氏は、「彼から毎日のようにソ連での共産党の宣伝謀略や高等戦術について徹底的に教えてもらったから、たいへん親しくなり、その交友は今日までつづいている」と記している。なるほど。

『日の丸アワー』では、「日本とドイツをつぶすと、ソ連が強くなり過ぎて、アメリカの手に負えなくなりますよ」といった趣旨の放送もしていたそうな。
もっとも、戦争末期になると、ドイツ側は降伏の日まで平然と宣伝放送を続け、その論法は「アメリカさん、ドイツを潰すと、いまにソ連が強くなって、アメリカの手に負えなくなりますよ」というもので終始したとのこと。そのころになると、日本の論法は、「もしアメリカ軍が日本の本土に上陸すると、百万人を超す死傷者が出ますよ」という勇ましいものだったという。

ううむ……。日本側もアメリカの宣伝放送(ラジオ)を聴き取り調査をしていたが、アメリカ側も当然「日の丸アワー」などを聴き取り調査していたという。そういう宣伝放送の脅し文句も当然、アメリカ政府首脳に伝わっていたことだろう。だとしたら……。
アメリカ人からすれば、敵国もそう言っている以上、自分たちの戦死傷者を一人でも減らすために(また結果として、日本人全体の死傷者数をも減らせるために)原爆投下はやむをえなかった……という理屈は十分成り立つということになるのではないか?  屁理屈だと簡単に片づけることはできないだろう。とはいえ、降伏することを準備していた内実は暗号解読などで分かっていただろうが……。

まぁ、宣伝文句とはいえ、日本もドイツも本当のことを言っていた…とはいえるかも。

その意味で、「北進」か「南進」かという時に、コミンテルン、スターリン、ゾルゲの意向にそう形で、元朝日記者の尾崎秀実が執拗に中国を叩けと主張し、日米、日中関係の悪化を促進させた「責任」は重い(このあたりは佐々淳行氏の『私を通りすぎたスパイたち』文藝春秋を参照)。
あの時、せめて「北進」していれば、スターリンによる「粛清」の犠牲は減らせたかも。だが、その分、日本の軍国主義が延命したかは別にして、ナチスドイツが延命することになったとしたら、コミュニズムと何ら変わらない体制による被害者数は、そちらの支配地域では、より拡大することになったかも。考え出すと「イフ」の世界はキリがない。

池田氏による英文の『駿河台分室物語』という本が、名倉有一氏&名倉和子氏の翻訳などで編纂されているそうな。DVD-Video もあるという。非売品でいまのところ国会図書館などにはあるようだ。

勝野金政に対してインタビューをしている記録は、「歴史と人物」に何度か掲載されていた。聞き手は伊藤隆氏。あれも全文コピーして「積んどく」したままだったか? どこにあるのやら? 見つけたらそのうち読もう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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