古本虫がさまよう 「日本のエリック・ホッファー」は誰だろう? 41年前の5・17に何があったか?
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「日本のエリック・ホッファー」は誰だろう? 41年前の5・17に何があったか?
(2016・5・17・火曜日)






荒木優太氏の『これからのエリック・ホッファーのために 在野研究者の生と心得』 (東京書籍)を読んだ。


16人の在野研究者たちの「生」を、彼らの遺した文献から読み解き、アウトサイドで学問するための方法を探し出す。大学や会社や組織の外でも、しぶとく「生き延びる」ための、“あがき”方の心得、40選。
 
哲学、民俗学、考古学、地理学、政治学など多分野にまたがる研究者、三浦つとむ、谷川健一、相沢忠洋、野村隈畔、原田大六、高群逸枝、吉野裕子、大槻憲二、森銑三、平岩米吉、赤松啓介、小阪修平、三沢勝衛、小室直樹、南方熊楠、橋本梧郎などを俎上にのせて、彼らの在野研究的な姿勢を追求しつつ学問を論じた本だった。なかなか面白い。 

エリック・ホッファーといえば,ウィキペディアによると、こういう人だ。

エリック・ホッファー(Eric Hoffer, 1902年7月25日 - 1983年5月20日)は、アメリカの独学の社会哲学者。
ドイツ系移民の子としてニューヨークのブロンクスに生まれる。7歳にして母親と死別し、同年視力を失う。その後、15歳で奇跡的に視力を回復する。以来、再びの失明の恐怖から、貪るように読書に励んだという。しかし正規の学校教育は一切受けていない。18歳の頃、唯一の肉親である父親が逝去し、天涯孤独の身となった。それを機にロサンゼルスの貧民窟でその日暮らしの生活を始める。

28歳の時、多量のシュウ酸を飲み自殺を試みるが未遂に終わる。それをきっかけにロサンゼルスを去り、カリフォルニアで季節労働者として農園を渡り歩いた。労働の合間に図書館へ通い、大学レベルの物理学と数学をマスターする。農園の生活を通して興味は植物学へと向き、農園をやめてまで植物学の勉強に没頭し、またも独学でマスターすることになる。

ある日、勤務先のレストランでカリフォルニア大学バークレー校の柑橘類研究所所長のスティルトン教授と出会い、給仕の合間に彼が頭を悩ませていたドイツ語で書かれた植物学の文献を翻訳した。彼はホッファーが植物学にもドイツ語にも精通していることを知り、研究員として勤務することを持ちかけた。しばらく研究員として働いたホッファーは、当時カリフォルニア州で流行っていたレモンの白化現象の原因を突き止めた功績が認められ、正式な研究員のポストが与えられるが、それを断り気ままな放浪生活へと舞い戻る。

哲学者、著述家としての転機は1936年、ホッファーが34歳の時であった。ヒトラーの台頭、そしてその冬、砂金掘りの仕事でひと冬を雪山で過ごすことになり、その暇つぶしとして道中の古本屋で購入したモンテーニュの『エセー』との出会いによって思索、とりわけ「書く」という行為を意識し始めたという。エセーはその冬で三度読み返し、最後には大部分を暗記してしまったという。

1941年より、サンフランシスコで沖仲仕として働いたことから、「沖仲仕の哲学者」とも呼ばれる。1964年より、カリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授になったが、65歳になるまで沖仲仕の仕事はやめなかった。ホッファーによると、沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかったという。また、沖仲仕を含む港湾労働者の労働組合幹部を長く続けていた。バークレーでは週に一度のオフィスアワーを持ち、1972年まで続けた。1967年にCBCで放送された対談番組は全米各地で大きな反響を呼んだ。再放送も人気だったことから、以来年に一度出演した。1970年代、ベトナム兵役拒否やヒッピー、マリファナと学生運動の時代に、ある種の知的カリスマとして高い知名度をもっていたが、ホッファー自身は彼らを甘やかされた子供と捉えていた。ホッファーはベトナム戦争を肯定的に評価していた。
1983年2月、当時の大統領ロナルド・レーガンは大統領自由勲章を送った。同年5月、老衰のため、80歳でその生涯を終えた。




レーガンから「自由勲章」をもらっていることからも分かるように、ホッファーは「反共リベラル」的な立場であり、初期の作品『大衆運動』 (紀伊国屋書店)も、高根正昭氏が訳出していたかと。

そのほか、 『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』 (作品社)、 『変化という試練』 (大和書房)、 『波止場日記 労働と思索』 (みすず書房)、 『現代という時代の気質』 (晶文社)、 『初めのこと今のこと』 (河出書房新社)、 『エリック・ホッファーの人間とは何か』 ( 河出書房新社)、 『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』 (作品社)、 『安息日の前に』 (作品社)、 『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』 (作品社)などはいずれも一読した。オーウェル同様、「反共リベラル」な思想家だったといえよう。それをことさら、いぶかったりする訳者が、これらの本の中にあったかと思うが、そういう余計な訳者解説などは無視して、本文を熟読すればいい。

『安息日の前に』ではこんな認識も。

「知識人の驚くべき特権の一つは、彼らが自らの評判を貶めることなく、ひどく無知でいられるということである。スターリンは何百万人という民衆を追放し、自由の芽を徹底的に摘み取った。にもかかわらず、当時彼を偶像化した知識人がいまだに信用されている。彼らは、地上のありとあらゆる問題について長広舌をふるい、人びとはそれを拝聴している。サルトルは、一九三九年に哲学研究をしていた留学先のドイツから帰国し、ヒトラー政権下のドイツもフランスと似たようなものだと発言した。にもかかわらず、彼は後に世界中の教養人から崇拝される知識人の教祖となった。ハノイに行って現地の人権と民主主義を崇めた形而上学的文法学者のノーム・チョムスキーは、当の人道的共産主義者が南ヴェトナムとカンボジアで悪夢を演出し始めても、信用されつづけたし、沈黙することもなかった。判断を誤る権利ほど大きな自由が他にあるだろうか」

本日から41年前の1975年5月17日にホッファーはこう記していた。

「カンボジアでは、マルクス主義知識人の残忍さが、あらゆる恐るべき形をとって現れている。タイに逃れた難民は口々に大量虐殺、強制労働、飢餓について語っている。カンボジアとヴェトナムの反共体制の欠点を必死で非難していた記者たちが、いまや沈黙している。真実を見つけようというジャーナリストらしい冒険心は、どこにも見当たらない。もしマルクス主義者のクメール・ルージュよりも、右派の者たちが残虐行為を犯していれば、新聞記者たちは雪崩のように記事を送っていたことだろう」

久米宏氏の隣に座っていた和田俊・元朝日記者(元プノンペン特派員)などに、「真実を見つけようというジャーナリストらしい冒険心は、どこにも見当たらない」状況だったのは言うまでもないことだが。

和田記者は、1975・4・19の朝日にこう書いた。

カンボジア解放勢力のブノンペン制圧は、武力解放のわりには、流血の惨がほとんどみられなかった。
入城する解放軍兵士とロン・ノル政府軍兵士は手を取り合って抱擁。平穏のうちに行われたようだ。
しかも、解放勢力の指導者がブノンペンの"裏切り者"たちに対し、「身の安全のために、早く逃げろと繰り返し忠告した。これを裏返せば「君たちが残っていると、われわれは逮捕、ひいては処刑も考慮しなければならない。それよりも目の前から消えてくれた方がいい」という意味であり、敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさに あふれているようにみえる。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、 新生カンボジアは、いわば「明るい社会主義国」として、人々の期待にこたえるかもしれない。

カンボジアは内戦中も、秘密警察的な暗さがなかった。ロン・ノル政府側の要人も、警備にはさして関心を払っていなかった。 政府主催の公式レセプションでも検問所はなく、招待状なしでも要人にやすやすと近づくことができた。 これでよく事件が起きないものだと不思議に思ったが、南国的明るさとは暗殺とはそぐわないのかもしれない。

ロン・ノル政府は七三年春、王族やその関係者を逮捕したことがあった。彼らの自宅には監視のため憲兵が派遣されたが、 外来者を呼びとがめるわけでもなく、暇をもてあまして昼寝ばかりしていた。
そして、しばらくするうち、憲兵はいつの間にか現れなくなった。逮捕された人たちは起訴もされず、罪状不明のまま釈放された。 拘留中も差し入れ、面会自由。酒も飲み放題だったという。

ハン・ツク・ハク首相(当時)の命を受けて、解放勢力側と接触をはかろうとした人物をたずねたときも、 あまりに開放的なのでびっくりした。秘密的なにおいはまったくなく、こうままにどんどん資料を見せてくれた。 その素朴さと明るさは類がない。

カンボジア王国民族連合政府は自力で解放を達成した数少ない国の一つとなった。
民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。
しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式からみて、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか。(和田俊前ブノンペン特派員)



世紀の大誤報を彼は訂正もせず、謝罪もせず、世を去った。少なくとも和田俊が「日本のエリック・ホッファー」ではないことは明白だろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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