古本虫がさまよう (特集⑦)黄金週間・読破計画はどうなったか?「公約」を自己検証する―――「米軍基地がやってきたこと」より、「なんとなくリベラルがやってきたこと」のほうが問題か?
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(特集⑦)黄金週間・読破計画はどうなったか?「公約」を自己検証する―――「米軍基地がやってきたこと」より、「なんとなくリベラルがやってきたこと」のほうが問題か?
(2016・5・6・金曜日)





昨日(2016・5・5・子供の日)は、デイヴィッド・ヴァインの『米軍基地がやってきたこと』 (原書房)を読む予定だったが、すでにして本が見当たらない? 入手してすぐに監修者のあとがきなどをパラパラとめくって、「この本は、原著の内容より、監修者あとがき(西村金一氏)のほうが秀逸かもしれない?」と以前書いていたが……。

ということで、手にしたのは小谷野敦氏の『反米という病 なんとなく、リベラル』 (飛鳥新社)。

内容紹介→自民党を勝たせ続ける大衆を憎む、知識人のスケープゴート 対米追従政権と米帝を批判しない者は知性にあらず、という戦後幻想 護憲、反安保、反原発、反資本主義、反近代…言論空間を覆う感情論は「いつか来た道」 共和主義・近代主義の立場から、カルト化し異論をパージする日本の知的退廃に警鐘を鳴らす。
「しばらくは選挙のたびに『民主主義は死んだ』というなんリベ知識人の雄叫びや雌叫びが聞こえるだろう。にもかかわらず、国民はバカだ、とは彼らは言えないのである」(本文より)

<目次より>
一章「なんリベ」とは何か/二章 サイデンステッカーと日本/ 三章 ペリー来航は「強姦」か?/四章 反米左翼の幻想/ 五章 江藤淳の隠見する反米/六章 アメリカ文化とは何か/ 七章 私の北米体験/八章 西部邁 偽装転向の社会主義者/ 九章 それでも反米を煽る人々/十章 集団主義的思考の優位/ 結語「なぜ今」という発想



目次に登場する文化人以外にも、「なんとなく、リベラル」な「容共リベラル」「反米リベラル」的な識者(加藤周一、白井聡、大江健三郎、上野千鶴子など)への批評・批判もあるが、そのほか、、中川八洋、長谷川三千子、佐藤優、平川佑弘、高見順、川端康成、谷崎潤一郎、柄谷行人、宮崎哲弥、小林よしのり、水谷尚子、福田恆存、石原慎太郎、阿川弘之・阿川尚之、井上章一、藤原正彦……など、さまざまな文化人や作家が登場し、小谷野氏ならではの「是々非々」の視点から批評をしている。エッセイ風なので、読みやすい。小谷野氏はイラク戦争には賛成、ロシア、北朝鮮、中共といった国に囲まれ、アメリカと協力することなしに日本の自衛はありうるのか、差別反対の立場から天皇制反対…といった姿勢。
「なるほど」と思ったり「ふうむ?」と感じたり、さまざまであるが。面白く一読した。この本は、いろんな出版社に断られて飛鳥新社より刊行されることになったという。
引き続き、小谷野敦氏の『宗教に関心がなければいけないのか』 (ちくま新書)を読んだ。著者の宗教観が自叙伝的に綴られている。

内容紹介→二〇世紀後半から現代に至るまでの大事件には、多く宗教の影がある。そのため、世間はこぞって宗教への関心の必要性を説く。でも、本当にそうか? 人の関心には向き不向きがあるだろう。宗教は必要な人には必要だが、そうでない人は無理に知らなくてもかまわないのだ。宗教に関心を持ちきれなかった著者による知的宗教遍歴から、道徳、死の恐怖との向き合い方まで、「宗教にぴんと来ない人」のための、宗教入門でない宗教本!



これも面白い本だった。僕は「ネバーセイネバー」を原則とするので、「もしかしたら神はいるかもしれない?」という点で、「無神論者」ではないが、原則として、宗教には助けを求めないようにするという点で、「無宗教論者」を自称している。
親の葬式や〇回忌などで、坊さんの何を言っているかわからない読経というのかを聞いていても、外国語のスピーチを聞いているのと同様で、いささか退屈する。こんなことのために、何十万やら何万円も用意したりするのはお金と時間の無駄ではないかと思わないでもない。他人の葬儀などは、その人への思いを、まぁ、その読経の間にいろいろと思案することもあり、思い出の整理の時間として有意義なような気もするし、自分の親族の葬儀などに関する時も、まぁ、そういうものかなとも。しかし、自分の親レベルになれば、そんな儀式をしなくとも、十分心の中で思慕しているわけで、そこに坊さんやら位牌やら介入しなくてもいいよ――という気にはなる。自分の葬儀の時は、くれぐれも、坊さん不要、戒名不要、完全なる直葬にてと思っているが、こればっかりは自分で出来ない。どうなることやら?

小谷野氏同様に、ユニークな点では同じ「味」を発揮している(?)政治学者である仲正昌樹氏(金沢大学教授)は、学生時代、統一教会に入っていた時期があり、そのときの体験を綴った本(『Nの肖像 統一教会で過ごした日々の記憶』 双風舎)を読むと、宗教なるものの問題点を理解できるような気もした。

共産主義も「マルクスお経」みたいなものだとおもうし、統一教会のみならず、「五十歩百歩」でしかない(?)創価学会も学内によくいてキャンパスでビラをよく配ったりしていたけど、どちらも僕はあまり相手にすることはなかった。宗教の勧誘にくる人って、尾崎秀実みたいな「にやけた」人が多いものね(佐々淳行氏『私を通りすぎたスパイたち』文藝春秋・参照)。
にやけ(若気)た親切そうな人…。そうそう、生保の勧誘員みたいな人たち。「美女」だったら、もしかしたら嵌められたかもしれないが……。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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私が「なんとなく、リベラル」と言っているのは、天皇制を認める九条護憲派(または左翼)のことです。
小谷野敦  05/07/2016 Sat URL [ Edit ]
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