古本虫がさまよう 韓国のかつての独裁政権と北朝鮮全体主義体制を自省しつつ等しく批判する萩原遼氏と、元朝日記者の植村隆とは、どこがどう違うのか?高知県生まれの植村隆元朝日記者は、同郷の萩原遼氏や同じ社の田中明氏との接点はなかったのだろうか?
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韓国のかつての独裁政権と北朝鮮全体主義体制を自省しつつ等しく批判する萩原遼氏と、元朝日記者の植村隆とは、どこがどう違うのか?高知県生まれの植村隆元朝日記者は、同郷の萩原遼氏や同じ社の田中明氏との接点はなかったのだろうか?
(2016・4・29・金曜日)






今日から、いよいよ、財務省もびっくり(?)の大風呂敷的重厚長大本の読書再生・読破計画が始まる。さてどうなるか……。ともあれ、昨日(2016・4・28)読了した、そんなに分厚くないごく普通本の読破報告!

植村隆・元朝日記者の『真実 私は「捏造記者」ではない』 (岩波書店)を読んだ。


1991年に元慰安婦について書いた1本の記事が、23年後に不当なバッシングを受け、元記者の人生を狂わせた。活字メディア・電話・ネットなどでの抗議・いやがらせ・脅迫は、家族・職場の大学にまで及び、元記者は闘うことを決意した。尊厳と真実を賭けて一新聞記者が起こした、たった1人の闘いは、大きな支援の輪に支えられ、いまや司法、活字メディアへと広がっている。自身の名誉回復だけでなく、日本の民主主義の再生を求めて。卑劣な攻撃に屈せず抗う元記者の闘いの手記。



慰安婦問題で、「虚報」「誤報」「捏造?」をした朝日記者と批判されて「有名」になった人だ。吉田清治の妄言を広めたのは、別の朝日記者であるが、植村元記者は、その前の段階で慰安婦問題に火をつけたとはいえそうだが、このあたりは混同してはいけない。

この前、紹介した池田信夫氏の『朝日新聞世紀の大誤報 慰安婦問題の深層』 (アスペクト・2014年12月2日第1版第1刷)では、1992年1月11日付け朝日朝刊一面トップ記事(「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「民間任せ」「政府見解揺らぐ」…)に関して、「さらに植村は」「(この記事で)『従軍慰安婦』の説明として、『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』と書いたため、その直後に宮沢喜一首相が韓国政府に謝罪し、日韓関係が大混乱に陥った。このときも訴状の身売りの話は知っていたのだから、これは誤報ではなく虚報である」と書いてあるところには「?」を感じた(この箇所は57頁。その少し前の36頁にも同様の趣旨の指摘がされている)。

この記事はそもそも無署名であった。文春新書の朝日新聞記者有志著の『朝日新聞』で、匿名であるが、植村ではない別の人が、その記事は、私が書いたと告白している箇所があった。

その人によると、その「従軍慰安婦」の説明は「決定的なミス」であったとして、そのメモは「私が書いたものではないのだが、一面の記事の執筆者として、誤りに気づかなかったことを問われれば、全責任は私にある。おそらく『メモ』を書いた記者はデスクに指示されて、過去のスクラップを参考にして書いたに違いない」「この点については謝罪させていただきたい」と記している。

当時、植村記者は大阪にいたようだし、彼の過去の記事を参考にしたのかもしれないが、無関係であるのは間違いない?

だが、池田氏は、本書の189~190頁でも、先の解説を書いたのは植村隆記者であるとして批判している。計三カ所も出てくる。

一方、植村元記者は「世界」(2015年2月号)で、そうした点については「全くウソである。この記事本体は東京社会部の記者が書いたものであり、解説も東京社会部の同僚が書いたと見られている。当時、私は大阪社会部の記者であり、この報道には全く関与していない」と池田氏に反論している。

この点は、池田氏の「勇み足」であっただろうか?

しかし、慰安婦がらみの「勇み足」報道は、やはり朝日に多いのは否めない。元朝日主筆の若宮啓文氏もそう嘆いていたのだから。彼の著『新聞記者 現代史を記録する』 (ちくまプリマー新書)でも、慰安婦問題に関して「朝日新聞もこれを熱心に報じた時期があった。中には力づくの『慰安婦狩り』を実際に行ったという日本の元軍人の話を信じて、確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあったが、お婆さんらの証言や政府の資料を積極的に報じて問題を投げかけた」と書いていた。「勇み足」というのは「誤報をした」と解していいのだろう。

さておき、植村元記者が論敵というか訴訟まで起している対象は、西岡力氏や櫻井よしこ氏たち。西岡氏がいち早くこの問題を取り上げ、植村記事(植村元記者の本の中にあり)の批判をした論文は、文藝春秋編の『「従軍慰安婦」朝日新聞VS.文藝春秋』 (文春新書)に収録されているから、双方を読み比べるといい。

ともあれ、植村元記者は、高校時代に京都でみた「韓国美術五千年展」で、「心奪われた」という。韓国というと独裁国家という「印象ばかり強く、17歳の私は、こうした古代の豊かな文化に思いをはせたことがなかった」と回想している。そして、この展示の主催者の中に朝日新聞社が「入っていたことも印象深かった」という。そこで、高知に住んでいたにもかかわらず、母親に頼んで、朝日新聞を購読することにしたという。 「朝日新聞を読めば知識が増える」と信じ込んでいたという。ふうむ……。当時の僕は「サンケイ新聞」を購読していましたな?

そして母校(土佐高校)の先輩でもある槙村浩というプロレタリア詩人に興味を持つ。この詩人の存在を教えてくれたのが、母校の西森茂夫という生物の先生だったとのこと。

そして早稲田大学に進学し、光州事件などで朝日新聞に投書もしているとのこと。金大中を救えと。1981年1月27日付け朝日に載っているそうな。

そのころ、朝日の猪狩章氏と知り合い、彼の著作『ソウル特派員報告』『日韓独裁と人権』を読んだという。朝日カルチャーセンターで「マスコミ文章の書き方」という講座の講師もしていて、それを受講したこともあったそうな。「大学時代の恩師といえばこの猪狩さんが思い浮かぶ。新聞記者になってソウル特派員になり、現代史を記録したい」「そんな夢を抱いた」という。


そのほか、自分に対する批判などにあれやこれやと「反論」している。慰安婦と挺身隊のを混同したのは僕だけじゃない、産経も読売もしてたではないか……と。その是非に関しては省くとしても、あぁ、猪狩章さんのような人が「恩師」なのか……。
高知県出身なら、元平壌特派員(赤旗)の萩原遼さんもいただろうに、彼との接点はなかったのだろうか。萩原氏は、金芝河氏の 『長い暗闇の彼方に』 (中央公論社)をペンネーム・渋谷仙太郎名義で訳出もしている。韓国の独裁体制にも北朝鮮の独裁体制にも、等しく批判をした人だ。
朝日なら、田中明さんという韓国通の記者もいただろうに、彼との接点はなかったのだろうかと惜しむ。

朝日のソウル特派員なら、猪狩さん以外にも前川惠司氏もいた(以下一部再録的になるところもあり)。彼の著『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』 (小学館)では、植村隆元朝日記者の記事などを含めて、朝日の慰安婦虚報問題を検証している。朝日批判の西岡力氏とも対談をしたことがあり、彼の反・朝日論には若干の留意をしたりもしているが、おおむね、ご自身の特派員時代の取材体験も含めて客観的に慰安婦虚報問題を論じている点で読みごたえのある本であった。

前川氏は、植村元記者と違って吉田清治にも直接取材をしたことがある。
というのも、前川氏が川崎支局にいた時、地方版で「韓国・朝鮮人」という連載をしていたこともあってか、本人から「朝鮮人の徴用について自分はいろいろと知っているので、話を聞いて欲しい」と電話で売り込みがあったという(植村元記者も「売り込み」などが朝日にあって、韓国に飛んだわけだが、「売り込み」情報には要注意するだけの気構えが必要であろう)。
そこで彼の川崎の自宅(アパート)を訪ねて、徴用工狩りをした体験を聞いたとのこと。当時は慰安婦狩りについてはなにもしゃべらなかったという。1980年のことで慰安婦問題の関心が薄い時だったからであろうかと。

それ以降も、韓国や日本で慰安婦関連の当事者(人権弁護士や人権活動家)などにも直接取材。松井やより元朝日記者など、慰安婦問題でさまざまな活動を展開した左派関係者の生の「証言」の数々が収録されている。

前川氏には北朝鮮に関する本もある。これも面白い本として紹介ずみ。
『夢見た祖国は地獄だった』 (高木書房)である。

このように、韓国の独裁体制を批判していた人は、韓国の民主化と共に、批判の目を北朝鮮に向けていくものだ。萩原氏、前川氏、しかり。植村元記者にはその視点はあるのだろうか? 岩波の本や、『ソウルの風の中で』 (社会思想社)を読む限り、ほぼ皆無のように見える。遠い、東欧などのベルリンの壁などには関心を寄せているようだが。ちょっと不可思議な感じがする。この感覚……。そうそう伊藤和子氏の『人権は国境を越えて』 (岩波ジュニア新書)を一読した時と同じ違和感だろうか? 「国境を越える」ことなく、北朝鮮や中共の人権弾圧には沈黙する……?


前川氏は古巣の朝日の帰国運動時の報道も含めて俎上にのせて検証もしている。共産主義者のトリックを見破ることのできなかった当時のマスコミの報道は勿論問題であろう。ただし、騙された側面もあるだろうし、少なくともおかしい、怪しいと気づいたら方向転換するべきであったにもかかわらず、週刊朝日などは、本書でも紹介されているように、80年代に(84年4月20日号~)、金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』を好意的に取り上げていた。アエラで特集を組み、本にもなった『北朝鮮からの亡命者60人の証言』などはいい内容だった。だが、朝日新聞本体は後年まで北賛美を繰り返したものだった。
前川氏は、北批判の本を取り上げた「週刊朝日」への朝鮮総連の一方的な抗議活動を垣間見た体験もあるそうな。

「この号が発行されるや、週刊朝日編集部の十本以上ある電話は、朝から『事実無根だ。抗議する。俺は在日同胞だ。記事を取り消せ』との電話が切っても切ってもかかり続け、朝日新聞社の交換台が悲鳴をあげ、部内連絡などのため臨時電話を多数引かざるをえなくなった。朝日新聞本社前には多数の朝総連メンバーが押しかけ、一般の来訪者の通行に支障が生じた。こうした行動の狙いは第二弾の掲載阻止だった。本社前で抗議活動を指揮していた知り合いの朝総連幹部に、私は、『立場の違いで受け止め方に差があっても、事実は事実。どんなに業務妨害しても無駄』と伝えた」「『言いがかりをつけて、軒先でいつまでも騒ぎまくり、制止を無視するあなた方に警備員が反感をもつのは致し方ないことです。あなた方は民族団体でありながら、在日朝鮮人に対する反感を生み出しかねない行動を平気で同胞に指示しているのか』と反論し、編集部に届いていた三百通以上の抗議葉書の束を総連幹部に見せ、『葉書の消印は全部、朝鮮大学校がある郵便局のものです。ここにしか、在日朝鮮人は暮らしていないのですか』」と問うたりもしたそうな。

朝鮮総連としては、「味方」のはずの朝日から批判を受けて焦っていたのだろうが…。前川氏も、入社して、まもないころに労働組合の席で、韓国旅行の体験から、韓国を不正の暗黒国家のように見るのは単眼すぎると話したところ、周囲に「冷やかな空気」が流れたとのこと。「北流」の空気が強かったという。

そのあたりの朝日の北朝鮮讃美報道の一端は、稲垣武氏の『朝日新聞血風録』 (文春文庫)でも詳述されている。 植村元記者は、1982年(昭和57年)に入社しているようだが、この騒動時はどこにいたのだろうか。地方支局にいて直接の見聞はなくとも、耳にしたであろうが。この前、本屋の新刊コーナーで、金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』を目にした。新装版であっただろうか。ロングセラーのようだ。この本を未読の人は、北朝鮮人権問題に無関心の人と思ってもいいかもしれない。関貴星氏の『楽園の夢破れて』 (全貌社。そのあと亜紀書房から復刊)や関氏の長女(呉文子氏)の『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本や、呉氏の夫の李氏の『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社) などもひもといていない人の韓国批判などもおかしなものがあるだろう。

田中明氏は『遠ざかる韓国 冬扇房独語』 (晩聲社)でこんな指摘をしている。

「従軍慰安婦問題が出てきて以来、私は韓国の歴史論議に、まともに対する気持ちを失った。慰安婦を国家権力が強制動員したというウソにしがみついて、元慰安婦の老婆まで動員した浅ましく卑しいやり方につきあう必要はないと思ったからである。歴史を安易に利用しようとする饒舌家には、低頭する気になれない。この問題は、日本側に同調するグループがあり、政府に識見がなかったため、韓国人に『理は吾にあり』というような錯覚を起こさせているが、それだけにいまの韓国に同調してはならない、と私は思う。同調して韓国の倫理性を、これ以上頽落させる応援団にはなってはならないからだ」

同感だ。

それにしても、電力会社用意の「モデルコース」を歩いて「原発は安全!」と言っていたのと同様に、北朝鮮政府の「モデルコース」を歩かされて「北朝鮮は地上の楽園」「税金もない」「病院はタダ」…といった趣旨の訪問記を刊行した日本の知識人・編集者たちの「言論責任」は大きいだろう。寺尾五郎にしても、小田実の『私と朝鮮』 (筑摩書房)、 『北朝鮮のひとびと』  (潮出版社)などは、「迷著」というしかない。

僕が生まれたころから始まった「帰国運動」。半世紀を経てもいまなお、解決していないこういう問題に、もっと関心をもっていくべきだ。拉致を含めて現在進行形の「人権」問題も、相手が共産主義国家だと、まだ遠慮してモノを言う人が多すぎないか。

以前、山谷哲夫氏の『「慰安婦」物語 写真が語る真実』 (宝島社)を読んだ。彼も慰安婦問題をかなり早い段階から追及している。映像作品として、 「沖縄のハルモニ 証言・従軍慰安婦」 (79年)なる作品も作っているそうな(未見)。

その元慰安婦の証言などもインタビューで行ない、掲載しているが、彼女の言い分に関して、別の人からも裏付けを行ない、元慰安婦が嘘を言っていることに関しては、遠慮なく「注記」をしている。毎日のように客をとっていたのに、一週間に一度だけだったとか「証言」したりしているとして(このあたりの姿勢は、朝日の「一部記者」も見習うべき点かもしれない? レーガンも言っていた 。 「信頼せよ、だが検証を忘れるな」と。検証を忘れた誤報を長年訂正もしないままでいたら、虚報と言われても仕方ないのかも?)。

「1977年から『慰安婦』問題に取り組んできたぼくは、最近では『正しい歴史認識』は韓国側にも必要とされると思っている。戦前、多くの朝鮮人は日本の『被害者』でありながら、一部はお先棒を担いだり、尻馬に乗った『共犯者』『加害者』ではあるまいか? そのつらい歴史的事実と韓国人は向き合っているのか?」

これは正論だ。

著者の慰安婦認識に関して、若干の異論もあるが(「日本では未だに『慰安婦』の存在さえ認めない人がいる」と指摘しているが‥‥そんなことをいう人はどれだけいるのやら?)、おおむね正鵠といえよう。

慰安婦の性病検査などをしていた麻生徹男・軍医の本に収録されていた慰安婦関連施設の写真なども転載されているようだ(麻生徹男氏&天児都氏(麻生氏二女)の『慰安婦と医療の係わりについて』 (梓書院)は必読文献である)。彼女たちにたとえ報酬があったとしても、かなりの苦痛や非人間的なことをさせた事実はあるし、現時点での価値観からすれば、当時の慰安婦管理者などが非難されても仕方ないかもしれない。

櫻井よしこさんも、編著の『日本よ、「歴史力」を磨け 現代史の呪縛を解く』 (文春文庫)で指摘しているように、 「私たちは、慰安婦となった女性たちに日本人が行なったことに対して深く反省している。それは紛れもない事実である。他方、政府が強制した、或いは軍が拉致したという事実がないことも明らかである」といったあたりが、日本国民の世論の多数派であろうか?

ともあれ、植村隆元記者の本に「感動」したと思う人は、ここに紹介した西岡氏や櫻井氏や山谷氏や萩原氏や前川氏や田中氏や金氏などの本を未読なら、是非一読されるといい。僕だって、植村元記者や猪狩氏や吉田某や徐勝氏(後出)の本を読んでいるのだから。立場の異なる人の同じテーマの本をまずは一読する。比較考察する。言論出版の自由のありがたさを感じるのはこういう多様な本が出されていることだ(ただし、吉田某のような「捏造」「歪曲」本には閉口するが)。

蛇足になるかもしれないが、植村元記者は、徐勝氏など、韓国で投獄された政治囚には同情的のようだ。彼にインタビューもしている(彼は「脱北者」にインタビューしたことはあるのだろうか?)。しかし、彼に関しては、自著『獄中19年 韓国政治犯のたたかい』(岩波新書)を読んだ時の違和感は強烈だった。そのあと、張明秀氏が『徐勝 「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』 (宝島社)という本を書いている。これを読んで、なるほどと思ったものだ。

彼の顔の傷にしても、公安の拷問によるものではなく自殺未遂によるものとか、彼の兄が北の手先であったことや、彼が北朝鮮でスパイの訓練を受けていた事実などを無視しているのはおかしいと指摘している。 「岩波書店の安江社長は金日成の太鼓持ち」とか「北朝鮮労働党の広報誌・朝日新聞」といった指摘もある。

そういえば、北朝鮮に幻想を抱き、留学までしながらも、徐々に考えをあらためていったのが李英和さん。『北朝鮮秘密集会の夜』 (クレスト社)、 『北朝鮮収容所半島』 (小学館)などを読めば、本当の意味での「人権」を尊重する姿勢が伝わってくるだろう。
韓国の「独裁」などを批判するかたわら、北朝鮮のそれには「沈黙」を守るような知的レベルの人々の著作にはさほどの価値はあるまい(と思う)。ネトウヨの「ヘイトスピーチ」同様に、北朝鮮への「賛美スピーチ」ほど恐ろしいものはあるまい。前出の小田実や、寺尾五郎の『三十八度線の北』 (新日本出版社)をはじめ、『一九八〇春・平壌 この眼で見た朝鮮民主主義人民共和国』 (市民出版社)などで展開されている日本人の手記ほど、愚かなものはあるまい。税金もなく、医療費も無料……。

また植村氏はヴァイツゼッカーの「荒れ野の40年」という演説がお好みのようだ。
「ヒトラーはいつも、偏見と憎悪をかきたてつづけることに腐心しておりました。若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。(中略)若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んでいただきたい」
札幌の大学の最終授業で、この言葉を引用して「ヘイトスピーチや隣国への嫌悪が横行する現代の日本にも、投げかけられている言葉ではないか」と指摘したという。

これは正論であろう。

ただし、「ヒトラー」にあたいするのは「金日成」「金正日」「金正恩」であるという認識も持つ必要がある。植村氏にはそれがあるだろうか?
日本で問題にされる「ヘイトスピーチ」の類は、所詮は、一部「市民」の声でしかない。しかし、北朝鮮は国家指導者や国営ニュース番組のアナウンサーが、日本や韓国などに対して「ヘイトスピーチ」をやっている。さらには軍事的威嚇など、明々白々な「ヘイトアクション」を行なっている。当然、そちらに、もっと厳しい眼を向けるべきであろう。

また、韓国とて、国家レベルで、慰安婦問題などに関しても、居丈高な感情的な姿勢で「反日論」を展開している。それと一部「市民」のヘイトスピーチとを同程度のものとみなす人がいるとしたらちょっとバランスを失している考えであろう。さらには、北朝鮮の国家レベルの「ヘイトスピーチ」「ヘイトアクション」に沈黙する人がいるとしたら、それは奇妙な思考故の偏見であるとみなして差し支えあるまい。

過去に眼を閉ざす者は現在にも盲目となる。まさしくこれも正論だろう。なにが「真実」か? 

何度でもいうが、植村氏と同郷(高知県生まれ)の萩原遼氏は、『北朝鮮に消えた友と私の物語』 (文藝春秋)の中で、北にも南にも等しく自らの朝鮮体験の功罪を綴っている。見て見ぬフリはしていない。先の張氏同様に、北朝鮮側の人間だったにもかかわらず、いち早く北朝鮮の本質を見抜き批判派に転じた関貴星氏の『楽園の夢破れて』 (全貌社・1962年刊行)についても触れている。

「わたしはこの本を一九六三年に大阪外大で手にしているにもかかわらず、反共で売る全貌社の本なんかどうせロクでもない本だろうと読みもしなかった。しかし後年精読して自分のおろかさを愧じた。わたしもかかわっている『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・関西支部』の手で九七年に復刻した(亜紀書房)。三十数年後の今日を見通しているかのようにすべては関氏の指摘どおりだった」

関氏曰く――「もしこの真実に眼を掩い、従来通りの北朝鮮礼賛、帰国促進をつづけてゆけば、恐るべき人道上の誤りを冒す恐れがあること。私はそれを倦まず訴えつづけた」と。


ここにも「真実」という言葉が出てくる。

僕は、植村氏の言う「真実」より、関氏の「真実」という言葉に、より多くの共感を覚える。「北朝鮮は地上の楽園ではない」という真実に目を閉ざした「反知性主義」の人びとがどれだけ日本にいたことか。情けなくなってくるではないか。
幸いにも、関氏の全貌社の本は、かなり昔に古本屋で購入し一読していた。その続編である『真っ二つの祖国 続・楽園の夢破れて』 (全貌社)も。
古本屋を行脚する意義は、こういう過去の埋もれている「名著」に出会えることだ。もちろん寺尾五郎の書いたような「迷著」にも(ただし寺尾五郎の本に関しては、組織的な「せどり」ならぬ「抹殺」があるのか、古本屋などで出会うことはあまりない。僕は国会図書館で部分コピーなどをして読破した。そのうち、国会図書館でも「紛失」などという形で「焚書」されないか心配だ。
というのも……。

少し前に図書館所蔵の『アンネの日記』が破損される事件が相次いだことがあった。犯人は結局、ちょっと頭のおかしい?人であったようだが、当初、左翼人の中には、ヘイトスピーチをやっているような類の人間がやったのではないかと囃し立てていた。自分たちがやる行為を、他人もやるに違いないと「誤解」して、中国などが、日本兵がこんな残虐なことをしたと言い募ることがあるが、それにも似た発想だったかはともかくとして、国会図書館などにある貴重な寺尾五郎の本などが「紛失」「破損」したりすることのないように監視する必要はあるだろう。

著作権が切れたなら、岩波書店などから復刊してはいかが? 寺尾五郎『北朝鮮の真実 私は「捏造評論家」ではない』と題して岩波現代文庫などで?)。

寺尾五郎にしても、小田実にしても、関貴星にしても、佐藤勝巳にしても、萩原遼氏にしても、みんな間違いを犯している。慰安婦と挺身隊との混同以上の間違い(北朝鮮を賛美)をしている。あんただって、賛美したじゃないかと、己の不明を軽視して言い逃れる人もいるかもしれない。あんただって、挺身隊と混同していたじゃないかと。だが、間違いと気づいたあと、その間違いをちゃんと修正していったかどうかが、「人格」「品格」の違いとなるのではないか。

佐藤勝巳氏には、『わが体験的朝鮮問題』 (東洋経済新報社)、『「秘話」で綴る私と朝鮮』 (晩聲社)という本がある。日共党員として、帰国推進運動にも加担し、また、金嬉老事件の特別弁護人を務めたり、日立就職差別撤廃運動に参画した過去の歩みが知的誠実な筆致で綴られている。あの寺尾五郎とも深い人間関係があった。とにもかくにもそうした過去をきちんと振り返りつつ、より巨悪である北朝鮮・拉致と闘った。萩原遼氏も『北朝鮮に消えた友と私の物語』 (文藝春秋)できちんと清算している。関貴星氏も。

小田実や寺尾五郎が、そうした己の不明を詫びる文書を発表したとは聞いたことがない。慰安婦虚報問題を考える時、同じことがいえるのではないだろうか? 
ペンを持つ人間は、そのことをきちんと考えるべきだ。

「真実」は「事実」の積み重ねによって、かろうじて相対的に勝ち取ることはできるかもしれないが、自分自身こそが「真実そのものである」と言い切ることは、知的誠実さを欠いた軽挙の場合が多いだろう。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



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