古本虫がさまよう 新聞は、サハロフ論文や東大総長スピーチを「捏造」したり「歪曲」する?
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新聞は、サハロフ論文や東大総長スピーチを「捏造」したり「歪曲」する?
(2016・4・19・火曜日)






先日、こんなブログを書いた(一部略)。

大学新入生が読むべき本とは?(2016・4・14・木曜日)と題して――。
一昨日の東大の入学式で学長が新入生に対して「みなさんは新聞を読みますか」と問いかけ、国内外の新聞などを読む習慣を身につけるよう呼びかけたということが、一昨日夕刊の各紙に出ていた。僕は大学に入ってからは、産経と朝日の2紙を取っていた。好対照の論調の新聞を読むことによって、まぁ、いい意味で複眼的な視野が養えた(であろうか?)……。


僕は日経の記事を見て、そう書いた。そこには「国内外の新聞などを読む習慣を身に付けるよう求めた」とあった。 「内外」というのがミソだったようだ。というのも、つい最近、知人に教えてもらって初めて知ったのだが、学長はこう発言していた。


ところで、皆さんは毎日、新聞を読みますか? 新聞よりもインターネットやテレビでニュースに触れることが多いのではないでしょうか。ヘッドラインだけでなく、記事の本文もきちんと読む習慣を身に着けるべきです。東京大学ではオンラインで新聞記事や学術情報を検索し閲覧できるサービスを学生の皆さんに提供しています。ぜひ活用してください。その上で、皆さんにさらにおすすめしたいことがあります。それは、海外メディアの報道にも目を通すことです。日本のメディアの報道との違いに注目してみてください。また、世界の中で日本がどのように見られているかということも意識してみてください。私は総長になって以来、世界の多様な人々と話す機会が増えました。その中で世界のとらえ方や、外から見た日本の姿が、私のそれまでの常識とずいぶん違うと思うことが度々ありました。手近な日本の新聞やテレビによる情報だけでは足りないのです。皆さんには、ぜひ、今からそのような国際的な視野を日常的に持つ習慣を身に着けてほしいのです。



要は、日本の新聞だけ読んでいてはダメというわけだ。「太字」にしたところを総長は強調し「薦めたかった」のだろう。しかし、そこまで触れると、日本の新聞社としては「自虐的」になりかねない。朝日などは他に対しては「自虐」を強調するくせに、自分たちの過ちに関しては「自虐」的になることはめったにない。ともあれ、英語が読めない僕が学長なら、こう発言するだろう。


ところで、皆さんは毎日、新聞を読みますか? 新聞よりもインターネットやテレビでニュースに触れることが多いのではないでしょうか。ヘッドラインだけでなく、記事の本文もきちんと読む習慣を身に着けるべきです。わが大学ではオンラインで新聞記事や学術情報を検索し閲覧できるサービスを学生の皆さんに提供しています。ぜひ活用してください。その上で、皆さんにさらにおすすめしたいことがあります。それは、新聞は傾向の違う二つの新聞を家で購読し、じっくり読むということです。中学や高校で「教育に新聞を」なんていっても、日教組や日共のセンセイご推奨の朝日や赤旗を読んでばかりでは複眼的な視野は養えません。新聞取るなら「朝日」と「読売」、「産経」と「東京」、「産経」と「朝日」といった論調の違う新聞を取りなさい。あっ、「日経」と「毎日」をわすれてはいけませんが、「日経」と「毎日」というのも、意外な組み合わせで面白いかもしれません。
もちろん、海外メディアの報道にも目を通すことも重要ですが、所詮、海外の新聞も保守系、リベラル系など、見解の対立はありますし、一知半解の東京特派員が、日本のことを朝日新聞やジャパンタイムスを読んで、それを真似して五十歩百歩の杜撰な筆致で書いていることも少なくありません。だったら、日本語の新聞だけでも、複眼的な視野を養うことは可能でしょう。
一昔前には、猪俣敬太郎さんという人が、『三大新聞は自由社会のユダか』 (輿論社)なんて本を書いていました。当時(1977年刊行)、朝日、読売、毎日といった三大新聞は、みんな文革になびいたり、ソ連や北朝鮮を進歩的な理想国家とみなす論調を掲載しがちでした。それに批判的だった産経や日経などは少数派。どちらも「経済新聞」ということで政治報道などでの影響力は小さかった。
でも、その後、1980年代になって読売新聞が大転換をして、社説などに関して、朝日毎日と一線を画すようになりました。「日本に一人のサハロフもいない」といって、共産世界ソ連を徹底的に批判する社説を元旦に書いた年がありました。日本史を考える上で、「応仁の乱」(1467年)にも匹敵する「ナベツネの大反乱」(1982年元旦だったか?)でした。こういった日本のメディアの報道各社間の違いに注目してみてください。また、世界の中で日本がどのように見られているかということも意識してみてください。私は学長になって以来、世界の多様な人々と話す機会が増えました。その中で世界のとらえ方や、外から見た日本の姿が、私のそれまでの常識とずいぶん違うと思うことが度々ありました。手近な日本の新聞やテレビによる情報だけでは足りないのですが、それらも注意深く読むことによっていろいろと補うことは可能です。皆さんには、ぜひ、今からそのような国際的な視野を日常的に持つ習慣を身に着けてほしいのです。日本の新聞しか読めないなら、主義主張の異なる二つの新聞を定期購読しなさい。二つとっても一万円はしません。川崎で数万円出して女遊びするお金があるなら、新聞を取りなさい


こんな式辞だと新聞はどう書くか?


「大学入学式で三流大学学長」「女遊びする金を新聞に費やせ」……。いやいや、やはり「女遊び」や「新聞比較論」は割愛して、「私大入学式」「学長」「新聞読みますか?」「習慣身につけて」と題して、報道するかも?


それはともかくとして、東大総長のスピーチに関して、日経は少なくとも「内外の新聞」と書いていた。ギリギリセーフといえようか?

しかし、ほかの新聞は……。


読売新聞(2016・4・12夕刊都内版)は「東大生よ、新聞を読もう入学式」の見出しのもと、「五神真学長は式辞で『うわべの知識をうのみにせず、情報の洪水にのみ込まれない『知のプロフェッショナル』になってほしい」と指摘。その上で、『皆さんは毎日、新聞を読みますか。新聞よりもインターネットやテレビでニュースに触れることが多いのではないでしょうか。ヘッドラインだけでなく、記事の本文もきちんと読む習慣を身につけるべきです』と述べた』となっていた。

これでは総長の真意を伝えた記事とはいえまい。「うわべの知識」はむろんのこと「うわべの報道」をうのみにせず――が大事?「記事の本文をきちんと読む習慣を見につける」ということは、こうした総長のスピーチの「本文を(フルテキスト)できちんと読む習慣を身につける」ということにもつながる? それならなるほどとも?

朝日(2016・4・13・朝刊・都内版)は、「東大入学式」「総長」「新聞読みますか?」「習慣身につけて」との見出し。
「五神真総長は式辞で、皆さんは毎日、新聞を読みますか? と新入生に問いかけ、『ヘッドラインだけでなく、本文もきちんと読む習慣を身につけるべきです』と述べた」と。

これまた「外国」の新聞との比較論について何も触れていない。

毎日新聞(2016・4・12・夕刊・都内版)は、「諦めない心を」「梶田さんが祝辞」「東大入学式」の見出しで、学長が「新聞を読みますか」と問い掛け、記事をしっかり読む習慣の大切さを強調した」とだけ。見出しに使っていないだけでも「良心的」?


産経(2016・4・13朝刊・都内版)は「東大入学式で学長」「新聞読みますか」「習慣の薦め」との見出しで、「五神真総長は式辞で、『スマートフォンやパソコンを使って一通りの情報を瞬時に得ることができるようになった。しかし、真の知識は人が自ら経験し、思考することによって生みだされる』と強調。さらに『新聞を読みますか』と問い掛け、記事を読む習慣を身に付けるよう求めた」と。

これまた「内外」の視点はなし。なお、上記の各新聞の記事は「都内(最終版)」。首都圏で新聞をとっていても、都内版や千葉版や近郊版や関西版などで、記事の内容が変わることがある。「誤報」「誤記」に気づいて、素早く修正したりもすることがある。縮刷版になるのは都内最終版。スクラップした記事と内容が異なることもある。

知人から、東大総長のフルテキストのことを教えてもらい一読し、しばらくして、30年以上昔のある論文を思い出した。

島上哲氏の「朝日新聞が歪曲したサハロフ論文」 (諸君! 1983年10月号)という論文だ。

かつてサハロフの書いた核兵器に関する論文の趣旨を朝日新聞が歪めて紹介したことを批判した論文だ。細かい記憶は薄れているが、サハロフが核軍縮を進める上で、先ずはソ連の核軍縮が必要と説いていたのに、西側の一方的核軍縮こそが必要であると主張していると朝日が報じたのは違っているという趣旨だったかと。丸い図卵も切りようで四角にみせようとしたわけだ。

もう少し具体的にいうと、歪曲とされたのは、1983年6月24日の朝日夕刊に「ニューヨーク支局二十三日」発の記事。「核戦争の危機強調、サハロフ氏、米誌に寄稿」との見出し記事のことだ。

当時、僕は社会人だったかと思うが、この記事を読んで「?」と感じたことを覚えている。あのサハロフが、「もしソ連が地上配備の核ミサイル削減で本格的に動き出したら、西側はMXミサイルを廃棄するだけでなく、実のある軍縮計画も実施すべきだ」「核兵器がたとえ一個でも使用されれば、防衛的性格のものであれ、単なる事故であれ、全面的核戦争に一気にエスカレートし、地球が大混乱に陥る恐れが大きい」とし、「核兵器は核による侵攻を阻止する手段として意味を持つもので、勝利を意図した核戦争は計画されるべきではない」と説いている…という朝日記事を読んで首を傾げたものだ。反体制派のサハロフが、そこまでソ連寄りの発言をするのか?と。

島上氏も疑問に思い、当該論文(フォーリン・アフェアーズ夏季号「熱核戦争の危険-シドニー・ドレル博士への公開状」)を取り寄せ一読。

「通読した瞬間、こんなことがあってよいものだろうかと目を疑った。結論からいうと、サハロフ博士はこの論文で、朝日の要約記事とは似ても似つかぬ議論を展開しているのである。朝日によると、博士は最重要の論点として、米政府のMXミサイル配備には反対だとされている。ところが、これは議論全体の文脈をないがしろにした、部分的な曲解、または捏造とでも言うしかない。博士は、ICBMにおける米ソの均衡上、MXミサイルの配備は止むをえざる対抗措置であるとして、むしろ積極的に配備を推奨しているのだ」

要は、サハロフが、ドレル博士の言い分に対して、それを要約して俎上にのせて、反論しているのに、ドレル博士の言い分をサハロフのものと誤解して、サハロフがこう言っていると書いたかのようなのである。勘違いか意図的か捏造かはともかくとして、初歩的ミスというしかない?

同じような視点から、入江通雅氏が「真の「反核平和運動」とは何か--刮目すべしサハロフ断魂の訴え」 (自由民主・1983年9月号)で、朝日の歪曲報道を島上氏と同じような視点から批判していた(かと思う。当時一読した)。


東大総長のような短いスピーチでも、自社に不利(日本の新聞への批判的コメントとして取ることも可能だから)となると、その部分はオミットし、日頃の「教育に新聞を」的な視点から、我田引水型の報道をする日本の新聞にはいささか問題ありというしかない。そんな報道をするから、日本の報道の自由のポジションが低下しているのではないか。

僕も知人に教えられなかったら、東大総長が新聞業界の片棒をかつぐかのように、単純に日本の新聞を読みましょうと呼びかけたのかと思い込んでいただろう。東大生でも、新聞を読む層が少なくて、そんな「横断歩道を渡る時は手を挙げましょう」的なお題目を入学式式辞で述べたのかと誤解したままで終わったかもしれない。もっとも、ネットでは、いち早く、そうした我田引水型の新聞報道を批判する人が何人か登場していた。さすが?
とはいえ、サハロフ論文を歪曲・曲解した事例に比べれば、式辞報道に関しては、あくまでも、我田引水型報道をしている点が批判されるとしても、「歪曲・捏造」とまではいえない(かな?)。

紙の新聞を手にしなくても、そうしたネットニュースやブログを電車の中で、見ている人がいたら、そちらのほうが、より深い知識を持つことになったかもしれない。でも、そうした新聞の知的限界を知る上でも、紙の新聞も手にしたほうがいいといえそう?

蛇足だが、昨日(4・18発行)の日刊ゲンダイは、熊本大地震に関して「正論」を展開していた。オスプレイにブツブツ言っていたかと思うが、それ以外は、気象庁の情けない予報の外れや原発危険論や安倍内閣の初動の拙さ(地震発生翌日視察予定)などについて、比較的まっとうな指摘をしていたかと。東大図書館には、一般紙のほかに、政党機関紙や夕刊紙やスポーツ紙も所蔵しているだろうか? 多様な言論が存在することが大事(ただし、歪曲、捏造してまでの「多様」な言論はお断りしたいが)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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