古本虫がさまよう 昼間、3Pして2000円もしないとは安い!? 日本はまだデフレ不況か? 「デフレ脱却」「晩年看了」「晩年完了」まで後何年? 『どこへでも行け/古本虫の古本たち』
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昼間、3Pして2000円もしないとは安い!? 日本はまだデフレ不況か? 「デフレ脱却」「晩年看了」「晩年完了」まで後何年? 『どこへでも行け/古本虫の古本たち』
(2016・3・27・日曜日)






昔は土曜日朝起きて、 「ふふふ、今日は3Pか…。楽しみだな」とつぶやくと、体のあちこちが「躍動」したものだった。そして「やったるぜ」と雄叫び?
しかし、もう還暦も近くなってくると……。
「あーぁ、今日は3Pか…。五反田、高円寺、そして神田神保町の三カ所(3P)の古書会館の古本市を廻るのはきついな」と。

朝少し曇りがちで肌寒く感じたが、徐々に晴れてきて、東京周辺の日中は古本屋行脚にはまあまあの陽気となった。

まずは午前10時すぎに、五反田へ。古書会館へ行く途中にあるフレッシュネスバーガー店が、土曜日曜祝日は全面禁煙になったとの表示が店頭にしてあった(このハンバーガーチェーン店は、ところによりけりだが、おおむねタバコ飲み優遇。健康増進法を無視して平然の反社会的な会社だと僕は認識しているので入ったことはまだない。いや、数年前、某駅そばのこのチェーン店、一階と二階があり、さすがに一階は完全禁煙だったので、家人に連れられて中に入ったが、僕は注文はしなかった)。
しかし、五反田店は、それでも平日はランチタイムだけ禁煙のようだ。なんという時代遅れ。マクドナルドでさえ、数年前から全店終日禁煙になったというのに。このチェーン店、新宿御苑近くなどにもあり、外の座席なども喫煙可能にしていた(最近周辺を歩いていないので詳細は不明だが)。店内だけなら入らなければ被害はないからまだしも、外座席で吸わせていては、公道を歩いていても、そんな客の悪臭を嗅がされ、そのたびに、「この会社、反社会的な反知性主義的な会社だな」と見ていた。いまさら、五反田店が土日祝日を終日禁煙にしてもナンセンスというしかない。「死ね!」といいたいが、これでは左右の全体主義者のようなヘイトスピーチになるから止めて、「糞会社め」という程度にしておこう?

ともあれ、五反田古書会館では、永田照海氏の『おおさか名作の泉』 (浪速社)を200円(税込)で購入。永田氏といえば、 『世論の嘘 新聞の偽善』 (新潮社)の著者として知られる元産経の人。こんな本もあったんだ。
そのほか、この前紹介した、かわじもとたか編の『月の輪書林古書目録を一考す。』 (杉並けやき出版)ではないが、月の輪さんがまたまた数年前に死去した岩波元社長の緑川亨さんの私文書(緑川さん宛にきたハガキや手紙など)を一籠5000円にて売っていた。少し立ち読み。「世界」の筆者である進歩的文化人からのハガキなども。年賀状など、「肉筆」のところもあり、これを購入して、読破分析すれば、本ブログ数回分ぐらいの「ネタ」がありそうだが……。まぁ、いいやと。特に尊敬もしていないし、関心のない人物だし?

そのほか、有名人かどうか知らないが、日記まるごと一冊が売られていた。3000円。パラパラめくると、字が僕の日記と違ってきれいなので読みやすい。歳は58歳になったとか書いてあるから、今の僕と近い。昭和後半某年の日記。でも、息子さんがなんと17歳の若さで交通事故で亡くなったようで、その当日や葬式の日々を記した時は、通常より大きな文字で書かれていて、哀しみの心境を綴っていた。そりゃそうだ。この前の軽井沢のバス事故で子供を喪った親も、同様のことをしているかもしれない。子供が親より先に死ぬなんていやだよ。配偶者が自分より先に死ぬのはともかくとして? でも、買ってまでは……。二つあわせて8000円で、他人のプライバシーを覗き見る楽しみが味わえた(?)としても……。もうヒトケタ安ければ買ったかも?

五反田から高円寺へ移動。

高円寺古書会館では、亀和田武氏の『時間街への招待状』 (光風社出版)を、これまた200円(税込)で購入。ここでは、相変わらず、外の広場の隅っこに灰皿を設置していて、店の関係者が二人で吸っていた。やれやれ。公道にも会場内にも悪臭を伝播し、どれだけ迷惑行為になっているかを自覚できないのだろうか? 平成の今、周囲に多数の人がいるところで青空喫煙するというのは、道端で立ち小便していると同じ愚挙だと僕は思う。呆れてモノがいえない。昭和時代じゃあるまいに。それでも少し前みたいに、会場内、事務所内で喫煙しなくなっただけでも進歩なのだろうか? やれやれ。「建屋のない原発」と同じことはしないでほしい。いつになったら灰皿撤去、敷地内禁煙の表示が出るのだろう。五反田のバーガー店でさえ「一歩前進」したのに。21世紀中は無理か? いや、ネバーセイネバー?

都丸書店などは午後1時開店だから、まだ開いていないだろうということで、さっさと御茶の水へ移動。神田古書会館では、これまた2冊あわせて200円(税込)で、杉森久英氏の『大谷光瑞 上下』 (中公文庫)を購入。一冊あたり100円とは安い。この本、古本屋によっては、もう少し高く売っていることだろう。

ともあれ、3P(五反田・高円寺・神田神保町の三カ所)で4冊600円とは安い。電車賃(都内フリー切符750円)を入れても1350円だ。普通、「3P」しようとしたら、数万円はかかるのでは? とにかく古本は安い?

それから、某駅そばのブックオフへ。そのブックオフで、3月末が有効期限の無料券が1000円分あるので、108円文庫を10冊ぐらい買って、はみ出た分は、ポイントカードで賄おうかと。しかし、108円コーナーにさほどのものがない。

なんとか、井沢元彦氏の『世界の「宗教と戦争」講座』 (徳間文庫)、 『神谷美恵子日記』 (角川文庫)、リチャード・フィリップスの『キャプテンの責務』 (ハヤカワ文庫)、ルイーズ・ウェルシュの『カッティング・ルーム』 (ハヤカワ・ポケミス)を108円コーナーで物色。4冊432円。
残り6冊…。なかなかほしいものがない。仕方なく、コーデル・ハルの『ハル回顧録』 (中公文庫)を560円で購入することに。あわせて992円。お釣りはでないが、ほぼ1000円使い尽くした感じ(『ハル回顧録』はもっているような気もしたが……。少なくとも単行本はもっていたかと。フランス書院文庫も、さほどのものがなく?)。この5冊、定価で買えば5冊で5000円相当。

あとは、家人と、某すし三昧店にて食事。
回転していないところで、普通の寿司を久しぶりに食べる。先の緑川氏の私文書と日記を買わなかった金額にて寿司代をまかなうことができた?
この前、妻は、セレブな奥さんがたと地方都市に出掛け、そこで空港内の回転寿司風レストランに入ったところ、誰ひとりとして回転寿司を知らず、初めて入ったとのことで、目を丸くしていたそうな。精算も皿にピっとやるだけで値段が出てくる。
店によっては、カウンターで自動販売機のようなもので注文し、それが回転コンベアーに乗ってきて、自分の皿が届くころになると音楽がなって知らせてくれるチェーン店もあるが、もちろんセレブ妻たちはみたこともないだろう(妻は、自分が近年、ほとんど回転する寿司しか食べたことがないのを恥じたそうな。そういえば、僕も回転寿司屋の「もり一」以外の、普通の寿司屋に入るのは一年ぶりぐらいか? 寿司そのものは、散髪同様数カ月に一回ぐらいは食べているけど。散髪もいうまでもなくQBハウス。1000円ちょっとで年4回。その総計額が、これまたセレブ妻たちが飼っているプードル犬の一回の散髪代よりも安いとのことをかつて妻から指摘されたことがあった。最近自宅で飲む「ビール」も某スーパーのプライベートブラントの゙発泡酒が多く、350ミリリットルで、税込み100円もしない。財務省に抵抗して少しでも酒税納税を減らそうという立場からのレジスタンスである)。

車中では、保昌正夫氏の『一巻本選集』 (河出書房新社)を読んだ。前半の横光利一のところは飛ばして、浅野晃氏の追悼エッセイあたりから一読。浅野氏の転向や、その著書『主義にうごく者』(日本教文社)、 などへの言及に関しては、ふむふむその通りと頷きつつ一読。

そのほか、都丸書店や山王書房など都内各地の古本屋散策の思い出なども綴っている。
65歳になったのを機会に「晩年看了」という印を作ったという。そして読み了えた、読み通した本の終わりに、その印を押すことにしたと書いている。平均して当時、一週間に一冊読了(看了)して印を押していたとのこと。

「本を読むことは若い時から好きだったので、いまでも、いつでも、どこでも読む。羽田空港の売店で買って福岡に着くまでに見おわってしまう絵入りの文庫本もある」

「なぜ『看了』として『読了』としなかったかというと、『読』は小さな印では画数が多いと思ったのと、学生時代に教室で漢文の先生から『読』と『看』とは違うということを聴いたのを憶いだしたからだ。『読』はその一冊を充分に読解することだ、という話だった。それで一おう読み通しても『看了』ということにした」

「『晩年看了』はやがて『晩年完了』になる。『完了』まで『看了』を続けたい気持ちがある。どれくらい行くだろうか、と思うこともある。あせらず、じっくり、『看了』――『完了』したいのだが、そうそうゆっくりもしていられない。それが『晩年』だ」

「本の整理も始めたい。もう一つ、『どこへでも行け/保昌正夫の本』という印でも作って押すことにしようか。やっぱり『晩年』がやってきた」

このエッセイは、ある雑誌に2002年10月(号)に掲載されたもののようだ。

ちなみに、保昌 正夫(ほしょう まさお、1925年3月26日 - 2002年11月20日)とはこういう人(ウィキペディア)。

昭和文学研究家、文芸評論家。東京出身。早稲田大学文学部国文科卒。早稲田高等学院教諭、早大講師をしながら同人誌『銅鑼』などに評論を発表。横光利一を中心に、牧野信一や結城信一など昭和文学を研究し、『定本横光利一全集』の編集校訂にあたる。日本近代文学館の設立にも関与。1968年武蔵野美術大学助教授、教授、1979年相模女子大学教授、1989年立正大学文学部教授を歴任し、1995年退職。



先の原稿を書いた(掲載された)直後に死去したことになろうか。「晩年看了」の印を作ったのは65歳とあるから、作ってからは、10年以上は使用していたのだろうか? どこかの古本屋古本市で、「晩年看了」の印のある古本に出会うこともあろうか?
『どこへでも行け/古本虫の古本たち』

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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