古本虫がさまよう 「若気た学歴詐欺男」にはご注意を?
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「若気た学歴詐欺男」にはご注意を?
(2016・3・17・木曜日)




テレ朝の夜やっている某ニュース番組で、古館さんの隣に座っているのを、まれに見かけたことがある、また今度フジテレビのニュース番組のメインキャスターになる予定だった「ショーンK」こと、ショーン・マクアードル川上なる、自称・経営コンサルタントでコメンテーターをしている男は、「週刊文春」(2016・3・24号)によれば、とんだくわせものだったようだ。

2016・3・16朝刊のテレビ欄(日経)を見る限りでは、この恰好のワイドショーのテーマとなりうるスキャンダルを、当然、TBSは取り上げており「人気コメンテーターのショーンKに経歴詐称疑惑!学歴にも疑問?」とあった。日本テレビも「イケメンキャスターに疑惑…学歴詐称か?」とある。でも、フジテレビとテレビ朝日には、このネタは朝刊欄には出てこない。身内の恥は隠したのだろうか? だとしたら情けない情報番組というしかないが(見てないので即断はできない)。

米テンプル大卒で、ハーバード・ビジネス・スクールで経営学修士号(MBA)を取得などとの履歴は、針小棒大というより、もはや嘘八百というべきか。「学士を含め学位、また修了書が発行される類のプログラムへの参加は一切ございません」と釈明。テンプル大学ジャパンに入学したが、海外を遊学し、結局、大学には戻らなかったし、ハーバード―についても「セミナーを聴講した程度」とのこと。

その学歴詐称を報じた週刊文春を古女房が読んでいて、唖然としていた。
「まぁ、あんたが、東大法学部出身とかいうようなものよね」と。
「まぁ、おまえが、聖心女子大学出身の元ミス日本というようなものだな」と。

昨夜(3・16)、テレ朝の「相棒」を古女房がヘッドホンをつけながら見たあとに(僕はその脇で読書)、続いて古館さんのニュース番組が始まり、彼が、いつもなら、水曜の夜、隣に坐っているこのニヤけたコメンテーターについて、この男が降板したむねの釈明を冒頭から語るのをチラリと拝見した。「敗軍の将」のような面持ち。回り廻った言い方で詐称を認めつつ、でも、斬新な語り口だった云々と庇うのもご愛嬌というべきか? 医師免許のないニセ医者の診断を受けていた患者が、「でも親切だった」というようなもの? 詐欺男の被害者が多々いるのに、「思いやりのある人だった」というようなもの?

日頃大臣が「金銭スキャンダル」を起しては、首相周辺による「身体検査」がなってないと批判もしていただろうが、天に唾する結果となったようであった。

ちなみに、まだ有名コメンテーターになる前の2008年に刊行されている『「自分力」を鍛える』 (あさ出版)という本の奥付に記されている「著者略歴」を見ると、テンプル大学とかハーバード大学云々といった学歴は出てこない。このころはまだ謙虚だったのか?

以前にも、このショーンKのような「ニヤけた男」の学歴詐称事件があったなと思い出した。同じ週刊文春(2012・11・8)が、「『中国で一番有名な日本人』の経歴詐称を告発する」「東大法学部蹴って訪中」?』(安田峰俊氏)と書いたことがあった。東大に合格もしていないのに、東大に合格したけど蹴って北京大学に留学した云々…と称していた加藤嘉一なる男のことを取り上げていたかと。この人も、ニヤけた顔だちの男だった。

そういえば、この前テレビ番組で予備校の国語の先生が、「ニヤけた」という漢字をどう書くかと聞かれて書けなかったことがあった。僕も見ていて「さて、どんな漢字かな?」と思ったが、「若気けた」と書くとのこと。知らなかった。


ともあれ、どいつもこいつも「若気けた」顔だちの男にロクな奴はいない? こういう詐称・詐欺はリベラルも保守もなく、人によりけりだろうが、やはりリベラル側に多い? いや、それは偏見だろう。
加藤氏といえば、こんな批評をかつて書いたこともあった(再録)


加藤嘉一と水野俊平とどっちが偉い? 日本海と東シナ海の「架け橋」とならん?
2011/08/26(金) 06:39:04

 加藤嘉一氏の『われ日本海の橋とならん 内から見た中国 外から見た日本――そして世界』 (ダイヤモンド社)を読んだ。

 著者は1984年生まれ。高校卒業後、北京大学に留学(国費留学生。修士課程まで含めて6年間、学費・寮費・生活費のすべてを中国政府が支給)。8月23日付け毎日夕刊で「中国一有名な日本人」であるとのこと。中国のメディアに登場し、日中間の諸問題に関して発言をしているとの触れ込みだ。

 しかし一読して落胆するしかない内容だった。冒頭の「中国をめぐる7つの疑問」で「中国に自由はあるのか?」「共産党の一党独裁は絶対なのか?」「人々は民主化を求めているのか?」「本当に覇権国家なのか?」などに関して考察しているが、その筆致は半ば足を中国共産党の論理に起き、それに基づいているというしかなかった。

「中国に渡ったとき、最初に驚かされたのが人々の政治意識の高さだった」「タクシー運転手が、国際新聞をむさぼるように読んでいる」「乗客に政治的な話題をガンガン投げかけてくる」「学生だって同じだ」「これからの中国はどうあるべきか」「いずれもハイレベルな政策論である」からと。

  日本の学生はそんなことはウザイ奴だと思われるからそんな議論はしない、天安門事件はタブーだけど、日本だって東日本大震災のときの自粛ムード、自主規制による無言の圧力などがあったではないかとして、中国にもそれなりの自由があると主張している。選挙がなく一党独裁と言われても、「国内世論は確実に存在し、実際の政策にも反映されている」「このあたりの微妙なさじ加減は、実際に中国に暮らす者にしかわからないだろう」と自負している。日本にいる輩には、そういう微妙なさじ加減は分からないだろうという傲慢な姿勢が若干感じ取られる?

 こういう筆致は、かつてソ連を庇う進歩的文化人たちが、ソ連とアメリカはミラーイメージだ、どちらにも自由の制限はある、タブーはある、だからアメリカはソ連に自由がないと批判するのは間違っている云々と主張していたものだが、それと同じ聞き飽きた主張を日中間で新たに展開しているだけだろう。
 大事なことは、「日本やアメリカには一人のサハロフもいない」と断言できるが、ソ連には当時「サハロフ」など政治囚がどれだけ多々いたことか。今の中国もあのノーベル平和賞受賞者をはじめ、どれだけ多くの政治囚がいることか。「言論の自由」はそこを起点として考えなくてはならない。
 自由の違いは、そこから発生するのだ。感覚ではなく、事実から見なくてはいけない。

 タブーは天安門のみならず、ウイグルやチベットや内モンゴルなど異民族支配の事実もあるわけだ。著者は北京在住ではあろうが、チベットや内モンゴルやウイグルなどにどれだけ滞在したのか。異民族たちの漢民族に対する怒りの度合いなど、 「このあたりの微妙なさじ加減は、実際に現地に暮らす者にしかわからないだろう」となるのだろうか。だが、人間には想像力がある。活字力もある。取材力もある。水谷尚子氏の『中国を追われたウイグル人』(文春新書)を一読するだけでも、中国共産党政権の野蛮さは明々白々だ。

「北京大学生にかぎらず、中国の若者が『党のフィルターを通った情報しか知らない』と思ったら大間違いだ。世界情勢に関しては、日本の大学生よりもよほど詳しい」「もはや国境など関係ないのだ」と。
 テレビの衛星放送にしても、都合の悪い情報は突然遮断して画面が消えるような野蛮行為を日本政府が国内でしていたらなんと批判されることだろう。外国産アニメも一部追放されたりもした。まだまだ「国境」は厳然として存在する事実を簡単に否定することは間違っている。

 北京五輪前のチベット反乱の後、「北京大学で学ぶ日本人留学生」を代表して、訪日する直前の「胡錦トウ」と会ったことや彼が自分のブログを見ていることも自慢のようだが、紹介されているやりとりを見るかぎり、その「会見」はたんなるパフォーマンスとして利用されただけの話。民主党代議士の大量訪中の握手・撮影と同次元でしかない。何の意味もないご面会でしかないのに、嬉しそうに綴る神経は理解できない。彼がチベットなどでやったことを考えれば、ヒットラーと握手したりして喜ぶのと五十歩百歩でしかないだろう。

 東日本大震災に寄せられた中国の義援金や援助チームの意義を針小棒大に称賛もしているが、台湾のそれに比べると微々たるものである事実には触れたがらない。

 英語や中国語をマスターするにあたって克己的な努力を展開して猛勉強する姿勢には共感を覚えるが、身近な回りの党関係者や「庶民」だとおもっているにすぎない「周辺の(まだ恵まれている)人々」との語り合いやネット世論だけを相手にしていては中国の本質が理解できるわけではあるまい。

 かつての日本の軍国主義と同様の異民族弾圧を中共当局が行なっているという事実を直視することもなく、北京であれこれ論じても仕方あるまい。

 「中国に対するちっぽけな優越感を捨てよう。劣等感も捨てよう。そして『違い』を乗り越えよう」というのはいいが、僕は別に優越感も劣等感も持っていない。かつての日本のようなことを21世紀になっても行なう中国への反感、時代錯誤の価値観で周辺諸国に悪影響を与える中共の幼稚な大国意識に哀れみとある種の警戒感を持っているだけである。日本と中共(中国共産党)と、どっちが自尊的、排他的なのか、よくよく考えるべきだろう。

  確かに、文革時代を思えば、中国には「自由」があるといえる。昔のフィリッピン程度に近づきつつある。いや、マルコス時代でも野党があったか? 選挙があったか。
 明治時代の藩閥政府時代の日本のレベルか? 
 それでも、最近のあの列車事故に見られるような野蛮な隠蔽を行なうような国がどれだけあるのか? 事故はどこの国でも起こりうる。日本だって、事故原因の究明に関してJR西日本の幹部が下手な工作もしていた。しかし、ああした列車事故直後の破壊・隠蔽工作はしないだろう。できないだろう。
 
 そこが問題なのだ。中国には、自由で多様なマスメディアが存在していない。一見、当局を追及していても、ある線を超えようとすると規制がかかる。共産党本尊への批判は許容されず、地方党幹部レベルを生贄にするのが許容される程度の言論の自由でしかない。そういう事実があるのに、日本も中国もどっちもどっちだといわんばかりの筆致はいただけない。

 英語中国語がペラペラなのは結構だが、もっと謙虚に、より足元を見つめることを期待したい。

  そもそも「日本海云々」というのは韓国と日本との架け橋云々なら分かる。そういえば、韓国でも「韓国一有名な日本人」と言われたことがある識者がいた。韓国で言論活動を展開していた水野俊平氏だ。韓国のテレビにも出演していたという。野平俊水名義(ペンネーム)で『日本人はビックリ! 韓国人の日本偽史』  (小学館文庫)を出したりもしていたが、彼はまだ韓国に対して苦言を呈していたと記憶している。そのために韓国を「追放」されたかと。彼なら文字通り、『われ日本海の橋とならん 内から見た韓国 外から見た日本――そして世界』という本を書けるかもしれないが……。

 それに、日本と中国との間を言うなら「日本海」というよりは、「東シナ海」ではないのか?
でも、『われ東シナ海の橋とならん 内から見た中国 外から見た日本――そして世界』とすると、「シナ」が出てきて拙いと判断したのかしら? 町中には、「ラーメンより美味いシナ蕎麦」なる中国礼賛(?)のうたい文句はいくらでもあるのに。



ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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