古本虫がさまよう 清原よ、覚醒剤打たずにホームランを打とう リベラルよ、中国への幻想を抱くステレオタイプをやめて真摯にみつめよう? 『革命と南京 中国人はなぜ日本のステレオタイプをつくりだすのか』という本はないのか?
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清原よ、覚醒剤打たずにホームランを打とう
リベラルよ、中国への幻想を抱くステレオタイプをやめて真摯にみつめよう?
『革命と南京 中国人はなぜ日本のステレオタイプをつくりだすのか』という本はないのか?
(2016・2・6・土曜日)





1986年生まれの張予思氏(女性)の『革命とパンダ 日本人はなぜ中国のステレオタイプをつくりだすのか』 (イースト・プレス)を読んだ。


「嫌中」の源流にあった、「親中」の時代――。開沼博氏、絶賛!
日中関係がこの上なく悪化している現在、「嫌中」の源流はどこにあったのか? 1949年に誕生した新しい共産主義国家に、日本人が最初に出会ったのは、文化大革命だった。当時の全共闘は、その「革命」に一つの理想郷を見た。その後に訪れたのは、日中国交正常化がもたらした「パンダ」ブーム。自然、平和の象徴としてのイメージが日本人に刷り込まれた。しかし、革命の中国も、パンダの中国も、「虚像」にすぎない。今日に至るまで、なぜ日本人は中国をステレオタイプとしてしか見られないのか。巻末に吉見俊哉氏の解説付き。

著者について
張 予思(ちょう よし)……1986年12月25日生まれ。中国・江蘇省南京市で育ち、中学と高校、南京外国語学校で日本語を学ぶ。名古屋の高校で半年間交換留学を経験。2005年、北京師範大学・文学部に入学。2009年に来日。外国人研究生を経て、2011年東京大学・学際情報学府修士課程に入学。2013年、修士号取得。同年、テレビ朝日入社、報道局に配属。




以前、家永真幸氏の『パンダ外交』 (メディアファクトリー新書)を大変面白く読んだことがあり、この本も、そんな流れの本かなと思って手にした次第。参考文献に家永氏の本も出てくる。戦後の、とりわけパンダブーム以降の日本の中国認識をおさらいする形で参考にはなる本。

以下、『革命とパンダ 日本人はなぜ中国のステレオタイプをつくりだすのか』を一読して、本と多少離れつつ(ときどきくっつきつつ?)中国論を。

ただ、「ステレオタイプ」といっても、今日の中共支配下に見られる対日ステレオタイプのほうがはるかに画一的であろう。国交回復時は、日本との友好を第一にしたり、江沢民時代から「反日」を強めたり‥‥。時の政権の「思惟」「意思」で、コロコロとステレオタイプを内外に仕掛けていく。

その点、日本とて、政権やマスコミの一部が、パンダをもてはやしたりして、洗脳というのか催眠にかかって、パンダ可愛い、だから中国も素敵‥なんて思い込む日本人も多かっただろうが、僕みたいに、70年代の中学生のころから、そういう中共のパンダ攻勢、及びそれを賛美する日本のマスコミ報道を胡散臭く思っていた日本人とて少数ながらもいた。自由世界のいいところはそういうところ。曽野綾子さんみたいに、当時もいまも、そうした中国報道の胡散臭さを批判している文化人もいる。

天安門事件や、チベット、南モンゴル、ウィグルでの民族差別政策、事実上の植民地統治に、かつての「日本軍」や「日本」と同じ傲慢さを感じて、「反中」「嫌中」になっている人だっている。

張氏は、かつてのパンダや昨今の「爆買い」などや、中国経済崩壊論などを、ことさら「ステレオタイプ」とみなしているようだが、人権問題の視点から「反中」「嫌中」になっている知的レベルの高い層の中国認識をさほど俎上にはのせていない。ネット右翼だのなんだの、そういうレベルの反中も嫌中もあるだろうが、そればかりではない。にもかかかわらず‥。そのあたりをきちんと区分けした考察がさほどはなく(区分けしたくないわけではないだろうが?)、家永氏の先の本と比べてもちょっと物足りない一冊だった。

元岩波書店社員で、親中派だった長島陽子氏が反中派になっていく知的変遷を綴った自叙伝『中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」』 (論創社)を張氏は読んでいないのかもしれないが、こういう本を読むと、一部の進歩的文化人たちが、単細胞的に「嫌中」「反中」を危険思想、ヘイトスピーチといった風にステレオタイプに矮小化することが、それこそが、いかに反知性主義的かということが理解もされよう。

ポル・ポトやナチスやスターリンや文化大革命に、初期の段階から嫌悪感を表明するのは健全であったといえよう。かつても、いまも、ある意味で、その思想的・暴力的流れを汲む疑いのあるものに対して警戒するのは当然のことであり、初期の段階で、一早くそうした全体主義的政治勢力の悪質な「体臭」を嗅ぎ取り、嫌悪感を表明していた人がいるとすれば、それは先見の明があったともいえよう。その意味で、昨今の日本人の「嫌中」「反中」には、遅ればせであっても、評価すべき点もあろう。

また、張氏の本の中でも、文革などに批判的だった朝日社説もあったかのようではある。ただ、これも、日本共産党的な見地からの文革批判なのかもしれない。所詮は同じ穴のムジナ? 
というのも、元朝日新聞記者の松井やより氏の『人民の沈黙』 (1980年 すずさわ書店)を以前読んだことがある。この本は北京大使館に赴任する夫(外交官?)に同行して北京にしばし定住した時の見聞を中心に綴ったエッセイ集だ。1980年の刊行で、中国滞在はその少し前。文革も終焉期以降。
周恩来や毛沢東が死んだり、四人組が追放されたりといった文革末期の時代状況下。帰国したあとも、しばしば定期的に中国を訪問した時の観察記録も収録されている。朝日記者の松井やより氏の本だから、さぞかし中共礼賛本であろうかと思って読み出したら、意外や意外、結構まともというか「正論」の数々が綴られているではないか。

当時、朝日を休職し、取材活動はしないという前提で中国に出かけたとのこと。にもかかわらず、帰国して、暇だった(?)立川支局長時代にまとめあげたようだ。とはいえ、松井氏が日本共産党寄りだったかどうかはともかくとして、その立場に近い人は、反文革的なことを主張もしていた。左翼全体主義への批判というよりは、党派的な立場の違いからの中共批判もあったことを忘れてはならないだろう。その程度の文革批判を高く評価するのは危険かもしれない。

ともあれ、左右の全体主義は共通して民主主義社会の敵ともいえるから、もちろん、ヘイトスピーチなど「ネット右翼」などへの嫌悪感もある意味で評価もできよう。だが、同様に、戦前の日本の行為を一定程度以上に反省するからこそ、1949年以降の中共によるさまざまな異民族支配統治のグロテスクに嫌悪感を覚えるという知的立場は十分ありうるではないか。いまは21世紀なのだ。

そうした指摘を十分になさないまま、著者(張氏)に、「今や「尖閣諸島」と「反日感情」なくて、中国の政治を語ることのできない日本のメディアは、2000年以降、「革命」と違う暴力的な「脅威」の中国ステレオタイプを作り出しているのだ」と言われても‥‥。
著者は「テレビ朝日報道局」勤務とあるから、どちらかといえば、親中派メディアにあって、ひしひしとそう思うのかもしれないが(しかし、テレ朝の夜10時ごろから始まるニュースショーは余り見たことがないが、中国に温かい眼差しを向けることもあるのでは?)、そういう問題(尖閣・反日感情)だけではなく、人権問題の上から、北朝鮮からの脱北者にも冷たい扱い(いや、非人道的扱いそのもの)をし、ホンコンの気に食わない出版人を拉致したりし、ウイグル、南モンゴル、チベットの異民族を弾圧し、そして周辺国家に対して軍事力で威嚇する態度を示せば、ステレオタイプもなにもなくても、嫌悪感を持たれるのは自業自得というべきではないかしら?

もともと中国に親近感を持っていたある日本人は、脱北者支援のために中朝国境からの北朝鮮の民を支援していたものの、相次ぐ中共の弾圧を体験(本人も刑務所へ)。親近感が消えた体験を綴っている。野口孝行氏の『脱北、逃避行』 (新人物往来社・文春文庫)がそれだ。
こういう人は、ヘイト・スピーチやら単細胞的な嫌中や反中ではない、高次元の人権主義的な視点からの実践家といえよう。

一方、弁護士で、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子氏の『人権は国境を越えて』 (岩波ジュニア新書)は、不思議なことに、「国境を越えて」といいながら、北朝鮮の人権に関しては、この本では全くのノーコメント。北朝鮮という国名は、ある箇所で一カ所だけ出てくるけど、それは単なる説明事項の中での( )内の表記として出るだけ。 中国の人権に関しては、一カ所だけ、ちょっと一言、数行程度、国内の裁判制度の問題点(汚職など)に触れているだけ。いわゆる周辺民族との軋轢などに関連しての人権問題などはまったく出てこない。こういう「人権派」もいるのだ。どっちが本物の人権派か? いうまでもないことだと思う。

以前も指摘ずみだが、同じ岩波書店から出ている楊海英氏の『墓標なき草原 上下』 (岩波書店)や、『植民地としてのモンゴル 中国の官制ナショナリズムと革命思想』 (勉誠出版)や、水谷尚子氏の『中国を追われたウイグル人 亡命者が語る政治弾圧』 (文春新書)や、チベット僧パルデン・ギャツォが、自ら弾圧を受けた体験記『雪の下の炎』 (新潮社)などをひもといた上で、中共を批判する人もいるのだ。
 
日本の自衛隊機が、中国の領空ギリギリに戦闘機を飛ばしてスクランブルを受けているのかしら? もちろん領空侵犯しない限り、ギリギリのラインにやってきても文句はいえないだろうが、ソ連(ロシア)にしても、中共にしても、常にそういうことをするのは、そちら側ではないのか? このこと一つとってみても、ステレオタイプに共産圏諸国を「平和勢力」とみなしてきた戦後リベラルの一部の知的貧困には唖然とするしかあるまい。

かつてのパンダブームのように、マスコミが一斉に賛美するようなことも今はなく、是々非々で、そうした中共のさまざまな姿勢を冷静に批判する日本のマスコミは70年代よりは成熟もし、多様化もしており、単細胞的なステレオタイプに陥ることも少なくなっているのではないか。朝日新聞とて、ときどき、中共批判の反体制派知識人の長めのインタビュー記事が出たりもする。
それに比べて、単なるニュースとしてのNHKの衛星放送ニュースを、中共がときどき拙いと判断すると勝手に国内でプッツンしたりすることもあるが、テレビ会社勤務の人なら、当然、こうしたバカげたステレオタイプの行為に、もっと関心を寄せるべきではないのか?

ともあれ、日本国内に一部見られるような、ネット右翼の「反中」「嫌中・韓」論などを過大評価し、一定の根拠と見識に基づく論理的な批判としての、中共の民族差別政策や人権問題や韓国の疑似民主主義批判を軽視するのも、一つの言論ではあろうが、さほどの説得力はないだろう。

あと、この本、なんで、こんなに活字を小さくしたり、二段組に一部したり、読みにくい本文レイアウトにしているのだろう。これは著者の責任ではなく、出版社の問題かもしれないが。普通に活字を組んで刊行すればいいのに‥‥。奇抜な装幀をする×××氏が本文装幀でもしているのかと思ったが、そうではなかったようで?

それはさておき、最近はタレントなどのスキャンダルが相次いでいる。見た目は可愛いけど、本当は人の亭主を平然と盗み取るようなアバズレがいたり、見た目も組長、いや番長で、やっぱり「ヤク」をやっていたり‥‥。いやいや、それでも、二十歳のころはまだまだどちらもうぶくて純情だったのだろうか、テレビを見ていたら、チラリとそのヤク男が、「覚醒剤打たずにホームランを打とう」なんて警察ポスターに登場していたのを目にした。
今後、どういうふうになるか分からないが、裁判になり、有罪となり、執行猶予はつけずに実刑で刑務所に入り、某三振奪取投手のように「更生」したあかつきには、再び、そういうポスターに登場することもありうるかもしれない。ネバーセイネバーだから。

ともあれ、以下、家永氏の書評を再録。


2011/03/29(火) 07:36:46

家永真幸氏の「パンダ外交」 (メディアファクトリー新書)を読んだ。著者は新進気鋭の歴史学者(1981年生まれ)。なんとあの家永三郎氏の孫。専門は中国近現代史。東大の博士課程で学んだという。

中国がパンダという珍獣を国益確保のためにどう活用してきたかを解明した本だ。大変面白い。

子供心に日中国交回復に反対し、佐藤内閣の親台湾路線を支持していた僕にとって、田中角栄首相や大平外相は「容共」でケシカランという印象を持っていた。当然、パンダなどに洗脳されてしまう婦女子やマスコミの愚かさには激怒していた(本当に!)。パンダ大使の如くであった黒柳某氏にいたってはあきれ果てていた。こんなデブ熊のどこが可愛いのかと。といっても学生時代だったか上京していた時にデートコースで上野動物園でパンダを「鑑賞」した記憶はある。その頃には「恩讐の彼方へ」でパンダ自身には罪はないと納得していたから? でもその時、リンリンランランリューエン、ランランカンカン動物園--と歌っていた若き女性が今の妻だが?

それはともかく中国は国民党蒋介石時代にすでにその妻宋美齢を通じて反日工作のため、1941年にアメリカにパンダを寄贈していたという。その式典で彼女は「おどけて白黒でふわふわの、この丸々とした2頭のパンダ」が「アメリカの友情が私たち中国人に喜びをもたらしてくれたのと同じように、アメリカの子どもたちに喜びを与えてくれることを願います」と語っている。
国民党の「中央宣伝部国際宣伝処」の文書によると寄贈の背景には緻密な計画があったという。
命名へ向けての画策、審査会には子どもを用意する、関連媒体に記事を載せる、クリスマス商戦に間にあわせるためにパンダのおもちゃを至急製造する、重慶のアメリカ人記者向けにリリースする、アメリカ在住華僑にパンダ歓迎会を開催させる……と。
いやはや敵ながら天晴れ。実際、日本の当時の新聞がそうした宋の贈呈を「珍獣でご機嫌とり」「見るも哀れな蒋夫妻の対米媚態」(読売新聞・1941年11月12日)と皮肉りつつも「新しい珍しい物に飛びつくアメリカ人の気質をねらった所は流石といえばさすがではある」とも評していたとのこと(しかしその記事にレッサーパンダの写真が掲載されているのには?)。

中国は国民党時代、中共時代にも「戦略的物資」としてパンダを活用していく。冷戦時代にはアメリカの民間がパンダを欲しがっても与えない。国民党時代の戦前はむろんのこと戦後も国交のある英国にはパンダは提供された。またファッション雑誌「アンアン」は創刊当時モスクワにいたパンダの名前(アンアン)にちなんで命名されたという。大橋歩のパンダのイラストもあり、今でもアンアンの裏表紙に小さくあしらわれているとのこと。アンアンはそういう思想的背景のある雑誌だったのか? 発行者・経営者の「情けない」出自がしのばれる?

著者は日本に於けるパンダ文化は自然に醸成されたものであり中国が積極的に煽った成果ではないとしつつも、そのパンダ熱を中国はうまく外交に利用したと指摘している。

黒柳氏のパンダ熱は幼少時代にアメリカで売られていたパンダのぬいぐるみを叔父から貰ったためとのこと。とても気に入り疎開先まで持参したという。イデオロギー以前だったわけだ。納得。
佐藤内閣末期、訪中する政治家(美濃部都知事・土井たか子氏など)や動物園関係者に対して、中共側は「現在の佐藤政権下ではパンダは提供できない」とコメントすることしきり。
新聞のジョーク欄にニクソン訪中後のアメリカにはパンダが贈呈されるのに「子供・日本には来ないの」「ママ・佐藤さんがしっかりしないからダメよ」「子供・ボクにぬいぐるみのパンダ買って」「ママ・パパがしっかりしないからダメ」と投書もされていたそうな?

その後希少生物の保護の機運の高まりなどがあり、パンダをそうそう外国にも渡さなくなっていく。今春上野公園に来たパンダも高額のお金を払っての貸与。その経緯なども詳述されている。反共・反中国の石原都知事の微妙なパンダに対する言い回しの分析も的確だ。
東北関東大地震の影響でパンダデビューも遅れたり目立たなくなってはいるが、中共は地震援助隊と同時に嫌がらせのためのヘリも派遣してくる非常識国家。パンダの背後にどんな思惑や画策があるかは充分知っておく必要がある。

本書は客観的に中国のパンダ外交の過去現在を扱っている。冒頭に記したように子供心にもパンダ外交のうさん臭さを少年時代から感じ取っていた我が身ではあるが、多々参考になる本だった。当時の新聞などを蒐集しながら論を進めていくのは家永三郎氏の「太平洋戦争」 (岩波書店)にも見られた。祖父にしても孫にしてもそのあたりの学問的手法は共通して真面目と言えるかもしれない。願わくば、南京事件などを研究して祖父との違いを発揮してほしいもの?



ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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