古本虫がさまよう 「ヴェノナ」を無視したNHKスペシャル、難民軽視ルポを忘れた朝日新聞
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「ヴェノナ」を無視したNHKスペシャル、難民軽視ルポを忘れた朝日新聞
(2016・1・26・火曜日)






NHKスペシャルの特集政治番組はあまり見ないようにしている。何年か前、たまには見ようかと思ったのが、あの「台湾番組」 「アジアの“一等国”」。冒頭からまぁ、ヘンなコメントする台湾人が出てくるので、こりゃ、どうしようもない番組だと思って見るのをすぐに止めた(もっとも、あとで、その台湾人は、是々非々の日本に対するコメントの「非」ばかりをつまみ食いされたとのこと。この番組に出た台湾人たちが、NHKを訴えたようだが。裁判の結果、高裁ではNHKの敗訴になったが、つい最近、最高裁による逆転判決が出たようだが)。

ともあれ、2016・1・24夜9時からのNHKスペシャル「新・映像の世紀・冷戦・極秘映像は語る・ケネディとモンローCIA・謀略の実態」とやらを見た。米ソ双方のインテリジェンスをめぐる攻防や失敗やらを、一応、客観的に追究しているかのようではあった(新聞に載った内容紹介は、前記の通りで、偏っているけど?)。しかし、ホワイトなど、ソ連のスパイであったという事実を指摘するのはいいのだが、太平洋戦争勃発に関して、彼の役割も触れるべきだったし、「ヴェノナ」についても一言あるべきだったが、それはなかった。
ホワイトに関しては、須藤真志氏の『ハル・ノートを書いた男 日米開戦外交と「雪」作戦』 (文春新書)を参照。また、彼がソ連のスパイであったことに関しては、ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレアの『ヴェノナ』 (PHP研究所)を参照。ベン・ステイルの『ブレトンウッズの闘い ケインズ、ホワイトと新世界秩序の創造』 (日本経済新聞出版社)でも、ホワイトがスパイだった事実などは、『ヴェノナ』などに触れつつ指摘もされている。

NHKのこの番組はシリーズなのか、単独なのか知らないが、どちらにせよ、「赤狩り」や「マッカーシズム」に触れているのだから、『ヴェノナ』にも触れるべきなのに、触れないのは、ちょっと怪しい? 触れると拙いという判断があったからなのかと疑いたくもなる。

そのほか、ベトナム戦争に関しては、アメリカに協力したベトナム人が、1975・4・30のサイゴン陥落の時、空港に殺到し、逃げることの出来なかった彼らがボートピープルになったという感じのまとめ方だったが、単なる南ベトナム協力者以前の人々も収容所入りを余儀なくされ、ボートピープルにもなったのであり、その点、因果応報のごとくまとめている感じがして少し「?」を禁じ得なかった。また、仮に旧南ベトナム勢力に加担していた人々を、それだけの理由で差別し弾圧するのは、「民族解放」の美名に反するというしかない。そういう点や「ベトコン」が所詮は北ベトナムの「傀儡」でしかなかった事実も指摘していなかったのは物足りない。

この前も少し触れた、池上彰さんの、以下のベトナム戦争をめぐるコラムは秀逸だった。。



ベトナム戦争終結40年 世界は騙されていた
(2015・10・5日経朝刊)
 大学の夏休み中、私はベトナム取材に出かけました。東京工業大学での秋学期、私の講義のひとつは「現代史」です。ベトナム戦争後、大きく変化するベトナムの今を見て、講義に生かそうというわけです。
 戦後、ベトナムは南北に分断され、南ベトナムでは南ベトナム政府と、反政府勢力の解放戦線(南ベトナム解放民族戦線)の内戦状態となり、米軍が政府軍を支援して介入。一方、解放戦線は北ベトナムが支援して、泥沼のベトナム戦争が続きました。
 1973年、米軍が撤退すると、75年、北ベトナム軍が大攻勢をかけ、南ベトナム政府は崩壊。ベトナム戦争は終結し、南北ベトナムは統一されました。
 ベトナム戦争当時、南ベトナムで政府軍や米軍と戦っていた解放戦線は、「南ベトナムの人民による武装勢力」と称していました。ところが、北ベトナム軍が南ベトナムに侵攻して勝利すると、解放戦線は姿を消してしまいました。
 確かに初期の解放戦線は、南ベトナムの市民や農民などによって構成されていましたが、米軍との激しい戦闘で犠牲者が増えるとともに、密(ひそ)かに南下してきた北ベトナム正規軍が主力を担うように変化していたのです。
□ ■ □
 当時、北ベトナム正規軍に所属して南ベトナムで戦っていた元兵士に、首都ハノイで話を聞くことができました。北ベトナム正規軍なのに、南ベトナムで戦っていたと認める元兵士。私はこう聞きました。
 「当時、解放戦線は南ベトナム人民の武装勢力だと宣伝していましたが、実際は北ベトナム正規軍だったのですね?」 すると、元兵士、まったく悪びれることなく、「そうだ」と肯定。
 「では、世界を騙(だま)していたのですね?」と私。
 元兵士はニヤリと笑って、「南北ベトナムはジュネーブ条約で互いに相手を攻撃しないことになっていたから、合法性を装うために解放戦線を名乗ったんだ」と答えたのです。ジュネーブ条約に違反して、南ベトナムを攻撃したことを、あっけらかんと認めたのです。 これだから現代史は難しいですね。当時言われていたことが、その後の検証で覆される。そういう事態はしばしば起きます。ベトナム戦争も、そのひとつだったのです。これは、秋学期、学生たちに現地報告として伝えなければ。
 今回、ハノイでは「ヒルトン・ハノイ・オペラ」というホテルに宿泊しました。オペラ座の前にあるので、この名前なのですが、私には感慨深い名前でした。
 ベトナム戦争当時、米軍は北ベトナムを爆撃しました。このとき撃墜された米軍機のパイロットは、捕虜として収容所に入れられました。米軍兵士は、この捕虜収容所を“ハノイ・ヒルトン”と呼んだのです。
 米国人が海外で宿泊するホテルの定番はヒルトン。そんな認識があった上での自虐的な呼び名でした。それが、いまや本当に“ハノイ・ヒルトン”が存在するからです。米国人も宿泊していました。ベトナム戦争は遠くなったのです。



タイン・ティンの『ベトナム革命の内幕』 (めこん)や『ヴェノナ』に触れずに戦後史を論じるのはいささか奇妙というしかない。まぁ、こんなものかな、NHKのレベルでは?

「五十歩百歩」の朝日新聞も、同じ日(2016・1・24)の朝刊で「ボートピープル日本に生きる難民」「インドネシア逃れ30年超、いまシリアを憂う」「日本定住苦難の日々」といったボートピープル関連の記事が出ていた。

「難民鎖国」といわれる日本が、初めて大量に難民を受け入れたのがインドシナ難民だと指摘している。ある大学教授の「米国からの強い圧力の下、アジア安定のための国際協力という観点で受け入れが行われた。冷戦時代で、社会主義国からの難民には自由主義国の正しさを示す『価値』もあった」とのこと。ふうん?

で、あの当時、「ベトナムに平和を」と叫んでいたリベラル派の多くは、「ベトナムに自由を」とも叫ばず、ボートピープルを助けようともデモもしなかった事実をなぜ指摘しないのだろうか? インドシナ難民に連帯をと呼びかけたのは、武藤光朗さんのような反共リベラル系の一部学者たちだけだった。彼は、1981年、インドシナ難民共済委員会を組織し、日本に亡命してきた難民の支援に乗り出した。それはリアルタイムで覚えている。

稲垣武氏の『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 (文春文庫・新装版はPHP研究所刊行)には、当時のベトナム難民に対する冷やかな朝日流リベラルの惨めな認識が俎上にのせられている。

そもそもベトコンに対して、 「ヴェトコンには、現在の腐敗して非能率的な南ヴェトナム政権に対抗する、よき野党であり、将来よき政権担当者となりうるような可能性があるのではないだろうか?」 (森恭三・朝日論説主幹「世界」65年5月号)と語るようなノーテンキさであった。

1977年6月20日朝日で、編集委員の田村正男氏が、日本へ着いた貨物船のなかの難民がこざっぱりとした服装で顔色もよく、子供たちは甲板ではしゃいでいるとして、入国管理事務所の係官に「まるで観光旅行の帰りみたいやなあ」と語らせている。「着の身着のままではあるが、金の指輪をはめたり、かなりの米ドルを持っていた人もいた」との話を伝えたりして、「その実態から『難民』と表現することには、かなりの疑問を感じた」と書いていたりもする。

「政治が不安定で貨幣価値の変動が激しい途上国では、いざというときの貯えに金製品などを買い込んでおくのは常識」だと稲垣氏は指摘しているが、ベトナム当局の「彼等は難民ではなく逃亡者だ」との公式見解に沿った難民軽視ルポが、当時の朝日には散見していた(本多勝一記事なども俎上にのせられているので本を一読されるといい)。でも先入観に基づく間違いは誰にでもある。間違いは間違いとして認めればそれでいい。そういう「過去」の記事も検証すれば尚良かったのに?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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