古本虫がさまよう 「奴らを通すな!」から「アベ政治を許すな」へ? ならば、真のリベラル的なゴンザレス的精神で、「アベ政治を許すな」から「シュウ&キム政治を許すな」になるべきだろう
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「奴らを通すな!」から「アベ政治を許すな」へ? ならば、真のリベラル的なゴンザレス的精神で、「アベ政治を許すな」から「シュウ&キム政治を許すな」になるべきだろう
(2016・1・12・火曜日)





スペイン内戦のころ、共産主義者たちが、 「奴らを通すな」(¡No pasarán!)とよく叫んでいた。スペイン共産党のドロレス・イバルリなんかの本『奴らを通すな―スペイン市民戦争の背景』 (紀伊国屋書店)もあるぐらいだ。このスターリン従属のバカ女めが?

ウィキペディアによると……。

On Ne Passe Pas!
モーリス・ニューモントによるプロパガンダポスター
「奴らを通すな!」(やつらをとおすな、英語: They shall not pass、フランス語: Ils ne passeront pas/On ne passe pas、スペイン語: ¡No pasarán!)とは自分の立場を敵対するものから守る決意を示すために使用されるスローガンである。フランスのロベール・ニヴェル中将が第一次世界大戦のヴェルダンの戦いで使用したのが最も有名である。第二次マルヌ会戦(英語版)後にモーリス・ニューモントが描いたものといったプロパガンダポスターで使用されるようになり、マジノ線に配属された兵士の制服バッジにも使用された。戦後、マラシェシュティの戦い(英語版)に従軍したルーマニア人兵士も使用した(ルーマニア語表記は「Pe aici nu se trece」)。

スペイン内戦でも使用されており、1936年7月18日にスペイン共産党員のドロレス・イバルリがマドリード包囲戦(英語版)で行った「奴らを通すな!(No Pasarán)」という演説が有名である。これに対しナショナリスト派のリーダーであるフランシスコ・フランコ大元帥がマドリード陥落の時に「Hemos pasado」(我々は押し通した)と発言している(以下略)



ともあれ、北朝鮮の金王朝による自称とはいえ「水爆実験」を前にして、「反核リベラル」な方々は、単なる声明や「聖地(広島)」での座り込みだけでなく、朝鮮総連が事実上の「大使館」なのだから、その前でも、沖縄米軍基地に対する抗議デモと同様の「正当なデモ」をすべきなのに、なぜしないのか?(もちろんあまりにも威嚇的になってはいけないだろうが)。

その点で参考にすべき事例がスペイン内戦にある。
スペイン内戦を反フランコ派としてドロレス・イバルリらと共に戦い、敗れ、ソ連に亡命したバレンティン・ゴンザレス『農民英雄』 (二つの世界社)という面白い本を書いている。この本は以前も本欄で紹介したことがある。以下再録的(若干加筆などあり)になるが‥‥。

ボロテンの『スペイン革命 全歴史』『スペイン内戦』 (晶文社)でもしばしば登場するが、スペイン人民兵で共産党員でありながら最後にはソ連に絶望したことで知られるバレンティン・ゴンザレスの『農民英雄』 (二つの世界社・取材構成は風媒社刊『トロツキーの暗殺』の著者でもあるフリアン・ゴルキンが担当し共著の形になっている)は傑作である。
 
彼は、農民の伜で、一九二九年に共産党に入党。その後、民兵を率いて内戦で「エル・カンペシノ」(土百姓)と称せられる軍人として活躍する(勿論、反フランコ側)。
内戦の敗北後、一九三九年五月、ソ連に亡命する。「内戦の英雄」として、デラックスな宿舎を用意され、そこには美女が侍り、好きなようにしていいとの色仕掛け工作も受ける。

「遠慮してはいけませんよ。あの子たちは、それが仕事なのだから(浴室で体を洗ってもらうこと)。やってもらいなさい。あなたの全身の毛孔からは、いつも、共産主義がにじみ出ているのを見せてやるといい。しかし、気をつけなさいよ。あなたの一挙手一投足も、みんな、記録されているのですからね」と。

さらに専属の小間使いの香水プンプンの女性もついているのだ。
日本からの著名亡命者もソ連で似たような体験をしたことだろう?
 
しかし、ゴンザレスは、モスクワ内の市民の生活ぶりを見て、その貧しさなどに衝撃も受ける。さらに、党による共産主義学習(洗脳教育)を受けるのだが、一番強い軍隊はと聞かれて、ソ連軍と言わずにドイツ軍であると言ったりする。

 「スペインの内乱の際にわれわれのところへ派遣してくれた将校は、ソ連でも一番質の劣る将校にちがいないとわたしは思ったのです。ところが、実際にここへきてみると、あれ以上優秀な将校はほとんどいないってことがわかりましたよ。あのときの将校たちは、人民の接触をすっかり失っていましたね。彼らが考えていることは、爪をきれいに磨き立てて、ダンスのステップを習って、立派な作法を身につけようということだけです。彼らはそういう使命で外国へ派遣されるのでしょう」「ソ連では、偵察隊の主なる仕事は、鶏を盗んだり、指揮官のためにきれいな女の子を探すことにある」   

こういう反ソ的言辞故に、トロツキー主義者だとして処罰を受けるのだ。
 だが、ゴンザレスはソ連共産党は「スペイン内乱に勝利を収めることには、必ずしも深い関心を持たず、彼らの道具であるスペイン共産党の立場を強化することにだけ専念していた」と喝破している。
 
その後、彼は各地の収容所生活を強要され、脱出を試みては捕まり、また脱出したりする。ようやく、戦後になってペルシャに逃げ込み、自由世界にて自叙伝を書いて、ソ連の全体主義的悪の実態を知らしめることに成功するのである(監獄では女囚が強姦されもする。中共のウイグル支配を告発したラビア・カーディルなどの証言でも似たような事実が暴露されているが、二〇世紀に於いても二一世紀に於いても、野蛮な共産主義者のやること(ヘイトアクション)に変わりはないようだ。「こんな野蛮なやつらをなんとかしなくては」?)。
 
  ボロテンの訳者・渡利三郎氏によれば、ゴンザレスは、ソ連脱出後はフランスで独自にゲリラ隊を組織しスペインへの侵入を図ったりし、フランコ死後の総選挙では、ソ連共産主義やプロレタリア独裁に反対し社会党を支持するアピールをフランスから発したという。ということは民主社会主義者的な思想の持ち主になっていたのかもしれない。晩年、スペインに帰国しマドリードで死去したという(『スペイン革命 全歴史』訳者解説参照)。
 
  ちなみに、ボロテンによると、ゴンザレスの自叙伝を貶める歴史研究者(ハーバート・サウスワース)と、評価するソ連研究家のロバート・コンクェストと論争があったという。

「無数にあるスペイン内戦に関する本同様、この本も不正確かつ歪曲された点は多々あるが、にもかかわらず文句なく歴史的に貴重で伝えるに値する資料が含まれている」(ボロテン)のは間違いなかろう。

ともあれ、今日、ゴンザレスやボロテンの分析評価を多として、スペイン内戦を、単純に人民とファシストの戦いであったとみなす「通説」を批判したら、それは「歴史修正主義」になるのだろうか? フランコに一定の評価を与え、その統治と、戦後のソ連による支配下の東欧と比較考察することは「歴史修正主義」になるのだろうか? そうはなるまい。

何かあると、マルクスやレーニンはこう言った‥‥といった単細胞的な「人民史観」を是とする「空虚な学問体系」にいつまでも拘束されることなく、論理的に歴史研究は進めていくべきであろう。

ということで、「アベ政治を許すな」というのなら、少なくとも同じ声量で「シュウ政治を許すな」「キム政治を許すな」ともいうべきであろう。彼らのやっている「人権弾圧(中共の場合は、さらに異民族弾圧統治)」「軍拡」は、かつての日本の軍国主義者を上回る。なぜ、それがいえないのやら? 情けない?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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