古本虫がさまよう いまはモラル&マナー&道徳心なき「狂気の時代」なのか?
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いまはモラル&マナー&道徳心なき「狂気の時代」なのか?
(2016・1・8・金曜日)






詩人の吉野弘氏の『詩の一歩手前で』 (河出文庫)を読んだ。吉野氏は、2年ほど前の2014年(平成26年)1月15日21時48分、肺炎のため静岡県富士市の自宅で死去したとのこと。享年87。

ちょうど読み終えてすぐそのあとで、文芸評論家の佐伯彰一氏が元旦に亡くなっていたとの報道に接した(2016・1・6各紙朝刊)。享年93。

佐伯氏は、産経の正論の執筆陣ということもあり、以前は、よく紙上で拝読したものだった。進歩的文化人などを小気味よく批判していた。翻訳小説も多く、文芸評論などの本もたくさん出していた。何冊か読んだ程度で謦咳に接したことも少しあるかないか(講演などを聴いたり…)。だが、なんといっても、『狂気の時代』 (サンケイ出版)は名著。自叙伝的な本だが、いろいろと教えてもらった。かなり昔の本なので、そのあとの人生行路も含めて『続・狂気の時代』を書いてほしかったものだが……。

ともあれ、吉野氏の本、解説者(高橋順子氏)も指摘しているけど、電車の中などでの狼藉者への批判エッセイがとても面白い。僕も日々車内で感じているのと同じような不快感を表明しているから。

例えば‥‥。

始発駅のホームに空の電車が入ってドアがひらくと、 「乗客がなだれこんで座席を争う。そのとき、なぜか、隣の人との間に少し隙間をつくって腰かける人がいる。あとからきて座席に腰かけようとする人に対して、その隙間が非常に失礼な空間であり、活かされない空間だということに当人は気付いていない」「わずかの隙間に、普通の神経の持主は割りこむことができないから、黙って見ていることになる。ところが、このわずかな隙間に尻を下ろす勇敢な人も必ずいて、両隣はひどく窮屈な形になる。見ていて、ひどく不合理な感じがする」‥‥。

そして「さて、立っている人は、座席に腰かけている人の頭上に、新聞を庇のようにひろげはじめる」「ひろげた新聞の上のほうが外側に折れて垂れ、前の人の顔をこすっていることもある」「腰かけているほうは、立っている人より楽をしているという負い目のようなものがあるから、新聞が邪魔だとは、なかなか言い出せずに耐えてしまう」‥‥。

最近はスマホも増えてきて、新聞紙よりはかさばらない分、マシなのかもしれないが、まぁ、携帯機器によるゲーム操作などで、「音声」を出したままヤッタリ(イヤホンから漏れたり)する事例も多く、通勤電車での迷惑行為は減ってはいない。

そもそも「少し隙間をつくって腰かける人」も、意識的にやっていることが多いのでは。今の電車は、首都圏では、人間の個性(体格)を無視して均一的に「二人」「三人」「二人」と区分け(「三人」と「四人」に区分けする例も)する座席が多いが、「二人」区間に一人で座ると、股を大きく(わざと?)拡げたり、脇にカバンを置いたりして、なるべく座らせないように、ほかの座席に行きな‥という感じで座っている老若男女が少なくない。もちろん、ラッシュ時にはそこに割りこむ人もいる(痩せた人ならまだしも、体格のいい人が多い? 下手に座るな…とやっていて、最後にそういう人が隣にきたらザマーミロ? でも、だからこそ、ますます隣に座らせたくなくなる? それに、区分けの棒のない7人掛けの座席もまだ時々あるけど、普通の体格だと、なんとか座れないこともない。スリムな女性もいるから。しかし、体格のいい人が座ると、股拡げなどしなくても6人が限界ということがある。にもかかわらず、若干の隙間があると、これまた体格のいい女性が強引に座ろうとする。7人掛けなんだから「権利」があるわよ?と。するといたたまれなくなって、座っていた人が立ち上がったりもする。これって、中共の海洋進出みたい?)。

「人間空間ともいうべき空間、それを感じない人が多いのは‥‥」や「個を主張するようになったが、相対的にとらえる視点が失われ‥‥」などと題したエッセイでは、

「電車の座席に隣り合って腰を下ろす。膝に載せているバッグをひらくとき、肘を平気で横に張る人がいる。隣にいる人の胸に、その肘が当ったりする。ぞういう人に限って、バッグから目当てのものを取り出すのに時間がかかり、長いこと、肘を張ったまま、ゴソゴソとバッグの中をひっかきまわし、肘で隣の人の脇腹を何度もこすっている」

「混雑している電車内だと、ちょっと傍迷惑になる。持主の背中のほうに回されたバッグが、側の人の身体を押すことになる。そのことに、ショルダーバッグの持主は殆ど気付かずにいるようだ。そういうときはバッグを持主自身の身体の前に回すのがマナーではないかと私は思う」「混雑に一役買っている自分のバッグを、自分の見えない背中の方に押しやってしまう神経である」

「大きなショルダーバッグを肩にかけたまま人ごみの隙間を乱暴にかきわけてゆく女性がいる。ムリヤリ引っ張ってゆく。もしもその女性が私の恋人だったら百年の恋もさめてしまうだろう」

「雑踏の中、煙草の火口を外側にして指にはさみ、その手を平気で振って歩く人がいる」「手をうしろに振ったときは、すぐうしろを歩いている人にふれることがある」「そこまで気をつかうのが、人間空間の意識だ」

「混んだ電車の中の二人連れが、その間に立った人の頭越しに(あるいは肩越しに)話を交わしていることがある」「混んでいて身動きもならず」「そのまま二人連れの話を拝聴させられていることが多い。こういうときの二人連れは、話をしばらくよせばいいのに、一向に、やめる気配がない。そういう様子を近くで見ていると溜息が出てくる」

「こういう無神経ぶりは、一つには、音についての鈍感さに基づいているような気がする」

「長距離電車に乗りこみ、少したって、近くの座席から俄かに音楽が鳴り出すと、それから先の受難の時間の長さを思って絶望的になる」「イヤホーンもあることだから当人だけで楽しめばよさそうなのに、音を撒き散らす」「車掌は注意しないし、周囲の人も格別うるさそうにもしていない。こうなると観念して耳に紙の栓をするしか対策がない」「不思議に思うのだが、以前の日本人の躾や会釈などは、どこへ行ってしまったのだろう」‥‥

いやはや全く同感。通勤電車などで、隣同士に座っているならまだしも、向かい合って座って、大きな声で会話する輩もよく見かける。大声での井戸端会議は電車の中でしない‥というモラルも崩壊している。車内化粧などはむろんのこと。子供が音をたててゲーム機を操作している隣で、母親がせっせと顔にクリームを塗り化粧していることも。新幹線でも、たまに乗れば、イヤホーンから大量の音漏れがあることも(車掌にメモを渡して本人に直接注意してもらったり、車内アナウンスをしてもらったこともあったが)。

道徳教育に反対するといっている日教組サンも、こういう吉野氏のエッセイなどを収録した道徳読本をつくってのモラル改善教育なら反対はしないだろう。
もう、国家のために何かするとか社会のために何か貢献するとか、そういう次元でなくていいから、日常生活の中で、他人に不快な思いをさせないための道徳教育を推進してほしい。

自宅の中でなら許されることでも(ヌード写真集を見る、オナニーをする、成人が喫煙をする、ステレオをかける‥)、公共の場所では許されないこともあり、それは「自由」とは無関係のことだという、そういった簡単なことも理解できない「低能」がいかに増えているかは、日々、通勤電車に乗れば理解できよう。

この前も、正月休みのとき、ある駅から電車に乗ったら、さほど混雑はしていなくて空席は目立ったが、すぐ入口脇の隅っこの座席がすぐ眼の前にあったのでそこに座ろうとしたら、まぁ、離れたほうのドアから入ってきたガキ(小学高学年?)がエイトマンのように疾走してきて、その座席に座ったのには呆れた。スマホかゲーム機を手にしていたが、ゲームをするとき、横肘をはるので、隅っこの座席のほうがいいと思ったのか?

ともあれ、都会では電車の座席をめぐって見苦しい争いがある。始発駅にかつて住んでいたこともあり、そうすると、一応「列」はできるものの、列の真ん中以降の人たちは、電車が到着すると我先に乗り込もうとする。学生時代、まぁ、なんとか座ったかと思ったら、膝の上に若い女性が座ってきたことがあった。車内に入ると、急降下爆撃機ではないが、お尻からドスンと座席に向かって一直線に座り込もうとしたようだ。少しでも「隙間」があれば、強引にお尻をねじ込んで、拡張し、座ろうというわけか? 中共お嬢さん?
いやはやすさまじいものだと。そうして始発駅で座って乗っていると、途中駅から乗ってくるオバサン(まだ若い?)が、これまた入るやいなやキョロキョロと索敵機のように眼をギョロリとして車内を見回し、隙間を見つけては座ろうとする。そしてなんとか座ったりするのだが、わずか一駅か二駅で下車していく。その程度、立っていてもいいじゃないか?と思ったりもしたのだが、一駅でも二駅でも座りたいのは中高年の願いなのかも?

だから、始発駅での「不作法」も無理もない面もある。座れないと、下手すると40分~一時間前後立ちっぱなしにもなるのだから。座れなければ次の電車にすればいいといっても、十分前後遅れることになるから。

とはいえ、やはりこういう電車内での公衆道徳、モラル、マナーは守るべきもの。

この文庫は、 『遊動視点 くらしとことば』 (思潮社)の後半部分だという。前半部分も文庫化されているそうな。いずれ、読むことにしたい‥‥。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!

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