古本虫がさまよう 「戦後リベラル」の墓碑銘、日本はなぜ「北朝鮮」と「中共」への賛美を止められないのか‥‥なんて本があると面白い?
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「戦後リベラル」の墓碑銘、日本はなぜ「北朝鮮」と「中共」への賛美を止められないのか‥‥なんて本があると面白い?
(2016・1・7・木曜日)




白井聡氏の『「戦後」の墓碑銘』 (金曜日)と、矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 (集英社インターナショナル)を読んだ。どちらもリベラル(左派)系と思われている人。

白井氏の前著『永続敗戦論 戦後日本の核心』 (大田出版)や、カレル・ヴァン・ウォルフレンとの対談本『偽りの戦後日本』 (KADOKAWA ・角川書店)も本欄で触れたことがあるが、「週刊金曜日」などに書いたエッセイをまとめたもの。反原発姿勢などは「なるほどね」と思いつつ一読もしたが‥‥。

「民主制は、その程度が進化すればするほど、反知性主義の危険性を高めることになるという重大な困難を根源的に抱え込んでいるのである。そして、反知性主義が権力者層による統制を超えて爆発的に噴出するとき、マッカーシズムや、文化大革命やポルポト派による知識人弾圧といった破局的事態が引き起こされる」といった筆致はちょっと「?」を感じた。

マッカーシズム(マッカーシーの告発)が必ずしも間違っていなかったというのは、ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレアの『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』 (PHP研究所)の刊行以降、日本でも常識と化している。マッカーシーがソ連のスパイであったと名指しした「知識人」の多くは、ソ連のスパイであったから。

あと、白井氏のこの筆致だと、「マッカーシズム」も「文化大革命」も「ポルポト派」も、犠牲者は「知識人」のみであると誤解されかねない。また、その「弾圧」のレベルも同じ程度だと。

文化大革命やポルポトや金王朝による粛清虐殺は数百万人単位で行なわれ、知識人のみならず一般大衆も大きな犠牲となったことは明々白々である。
一方、マッカーシズムとやらは、「告発」によって、スパイと名指しされた人が、「冤罪だ!」とうそぶきながら、ちょっと不遇の身になったり、アメリカから出て行ったりはしたが、「粛清虐殺」された例は、スパイ罪での死刑執行ならいざしらず、あまり聞いたことがない。
そういう違いがあるのを、一緒くたにして、「反知性主義」の例として論述するのは、一見、右も左も双方とも等しく批判しているように見えて、実はそうではないということになろう。

まぁ、文化大革命やポルポトの虐殺は、庇うことのできない共産主義者の戦後の汚点となり、「戦後リベラルの墓碑銘」ともなったわけで、それをナントカして埋め合わせるために、マッカーシズムなどと安易に比較しようという初歩的論理はわからないでもないが、現実としては知性的には成り立たない。このあたりは、たしか、草思社刊行のアン・コールターの『リベラルたちの背信 アメリカを誤らせた民主党の60年』でも指摘されていたかと。
「マッカーシズム」によって、何十万ものソ連のスパイが処刑されたわけでもないのだから。

また文化大革命やポルポトはもう「過去形」だから、悪い例として表示するのはいいが、「現在進行形」の北朝鮮や中共の悪い例(文革は「終焉」したものの、チベット、南モンゴル、ウイグルなどの異民族への「植民地統治」など)はなるべく例示はしないという傾向も、白井氏はともかくとして、世の進歩的文化人や容共リベラル派には共通して見られる。おかしな「反知性主義」的様相というしかない。

「反知性主義が権力層による統制を超えて爆発的に噴出するとき」にマッカーシズムが発生したとみなす考えは、まだ成り立ちうるかもしれないが、「過去形」の文化大革命やポルポト派虐殺や、白井氏は指摘していないが、当然、「現在進行形」の金日成王朝によるさまざまな人民弾圧、飢餓政策、核開発などは「権力層」そのものが「反知性主義」であり、それ故に、その権力層そのものがリードして「破局的事態」を引き起こしたと言うべきであろう。

一方、矢部氏の論考は、多岐にわたっているが、原発問題以外にも「なるほど」と思う点も多々あった。
憲法制定に関して、単細胞的な護憲論者の立場は取らず、書いたのは100%、GHQであったと認定している。制定過程の記述に関しては、保守派系の憲法学者の本などを僕は学生時代から読んでいて、矢部氏の指摘もおおむね違和感なく一読。その上で、著者は9条2項のリベラル的な「改正」を主張もしている。

どちらにせよ、9条は「国家主権制限条項」。これは打破しないと‥‥。
所詮は、自衛隊はアメリカの補助「軍」。「女性部隊」みたいなもの。だが、一歩異なれば「傭兵隊」。アメリカは、自国民の「女性部隊」なら、危険な地域への派遣は、ちょっとためらうかもしれないが(いや、最近は「女性兵士」も前線へ…)、他国人の「女性部隊(傭兵)」なら、自分たちの代わりに前線に派遣もするだろう。もちろん、その前線が尖閣だったりすれば、日本としては文句もいえない。

ただし、英国がベトナム戦争には「参戦」しなかったように、日本が少なくとも、中東アフリカ中南米などの「熱戦」「前線」には行く必要はあるまい。中東もなるべく…。そうした自主性を獲得するためにも、国家主権制限条項である9条の改正は必要。その上で、対等な日米関係を構築することが可能になるのだから。

沖縄の空域などがアメリカ軍に都合のいいように設定されているとの矢部氏の指摘に関連してひとこと。

あまりマスコミが書かないようだが、首都圏の上空も同じような状況にあったのを、『「NO(ノー)」と言える日本 新日米関係の方策』 (光文社)という本を書いてもいる石原慎太郎都知事などが改善し、そのおかげで羽田発着の民間航空便が国際線も含めて増えたという指摘が一部にあるが、そのあたりのことに関して、矢部氏の本の中ではあまり解明はされていないようだった。

ともあれ、日米共同文書に関しての「メイ MAY」の文意に関しての指摘もあるが、このあたりは、中道リベラル派の春名幹男氏の『仮面の日米同盟 米外交機密文書が明かす真実』 (文春新書)でも詳しい。両著を読み、日米安保に「冷やかではなくとも冷静な視線」を持つことも大事だろう。

右派であれ、左派であれ、反共リベラルであれ、容共リベラルであれ、負うた子であれ、ベテランであれ、子供であれ、大人であれ、事実に基づく指摘には冷静に耳を傾け、参考にすべきものは参考にし、排すべきものは排していくのが大事であろう。

江藤淳氏が、占領軍の検閲を解明するためにアメリカに旅立つ前、「家永三郎でも本当のことを言うことがある」と喝破したこともあったのだから。多様な言論を参照しつつ、自分なりの見解を持つことが肝要。
毛嫌いして読みもしないでタイトルだけ見て、わかったような顔をして批判をするのはおかしい。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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