古本虫がさまよう オーウェルに救われたパク・ヨンミ(脱北女性) 「戦後(容共)リベラルの墓碑銘」としての一冊
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オーウェルに救われたパク・ヨンミ(脱北女性) 「戦後(容共)リベラルの墓碑銘」としての一冊
(2015・1・6・水曜日)






パク・ヨンミ(脱北女性)の『生きるための選択 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』 (辰巳出版)を読んだ。実に感動的なノンフィクションだ。


内容(「BOOK」データベースより)
北朝鮮では、死体が放置される道を学校に通い、野草や昆虫を食べて空腹を満たし、“親愛なる指導者”は心が読めて、悪いことを考えるだけで罰せられると信じて生きてきた。鴨緑江を渡って脱北した中国では、人身売買業者によって囚われの身になり、逃れてきた場所以上に野蛮で無秩序な世界を生き抜かなければならなかった―。「脱北したとき、私は“自由”という意味すら知らなかった」―およそ考えうる最悪の状況を生き延びた少女は、世界に向けて声を上げはじめた。



北朝鮮を礼賛した「迷著」(『私と朝鮮』筑摩書房、『北朝鮮のひとびと』潮出版社)を刊行した小田実や、そんな小田実を『われわれの小田実』 (藤原書店)で、褒めたたえる「知識人」たちに読ませたい本だ。

また、半世紀以上昔の「慰安婦」問題を必死になって蒸し返す人たちに、21世紀になっても北朝鮮&中共によって行なわれている「脱北者」(特に女性)の「慰安婦」状況にも似た「人身売買」の現状に、なぜもっと関心を寄せないのかと問いただしたくなる本でもあった。「アジアのみならず世界の人権」問題を追及する本を書いていながら、その本の中に、なぜか「日本の地震被害者」は出てきても、「脱北者」や「拉致被害者」は出てこないような不可思議な本も世の中にはあるのだが。
参考例→ 伊藤和子氏『人権は国境を越えて』 (岩波ジュニア新書)。この本の奇妙な人権感覚、国境感覚については、本欄でも指摘してきたが、アマゾンのレビューでこういう指摘をしている人がいた(同感!)


投稿者チャオチャオ・バンビーノさん2014年7月25日
この人も、この人が代表する団体も甚大な人権侵害たる、拉致事件を全く取上げない。
なぜなのだろうか?拉致被害者のみなさんの地獄の苦しみを思うとき、そのことを一番に取上げないことに、胡散臭さを感じるのは、一人わたしだけなのだろうか?



私も胡散臭さを感じます! 
(以下まずはその本に関するレビューを再録)

北朝鮮の人権擁護のために「国境を越えて」とはなぜならないのか?
(2014・1・14・火曜日)
弁護士で、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子氏の『人権は国境を越えて』 (岩波ジュニア新書)を読んだ。

「国境を越えて」といいながら、北朝鮮の人権に関しては全くのノーコメント。北朝鮮という国名は、ある箇所で一カ所だけ出てくるけど、それは単なる説明事項の中での( )内の表記として出るだけ。 中国の人権に関しては、一カ所だけ、ちょっと一言、数行程度、国内の裁判制度の問題点(汚職など)に触れているだけ。いわゆる周辺民族との軋轢などに関連しての人権問題などはまったく出てこない。
一方、3・11以降の体育館などに避難した人々の人権をとても気にしたり、北朝鮮より遠いフィリッピンやカンボジアやビルマ(ミャンマー)での人権問題には章まで立てて、現地にまででかけたりしてあれやこれや圧力をかけるように日本の駐在大使などにも働きかけたりもしているし、現地の人権活動家にもこまめに接している。
その努力は立派だと思うけど、その熱意を日本の一番近い隣国に対して全く発揮しないのはなぜなのか。不可解である。不思議である。
人権弾圧国家としては、北朝鮮は最悪なのではないのか? ビルマにしても、フィリッピンにしても、野党もあり、反体制派のリーダーもいる。
半世紀も前の「慰安婦」問題も取り上げているが、拉致問題などは何の指摘もしていない。この本では、韓国やタイは特に取り上げられていないけど、あれだけ反政府運動もあるタイや、選挙による政権交代が日常化している韓国では、ことさら取り上げるというか、初歩的な人権侵害問題はないから本の中ではことさら章をたててまでとりあげないというのはまだわかる。
しかし、北朝鮮には人権のかけらもないのが現状だということは自明。中国でも、国内の反体制派知識人の言論の自由の問題以前に、ウイグルやチベット、南モンゴルなどの人権問題、民族問題が深刻な状況であるというのはこれまた自明なのに、そういう問題は全く言及されていない。 「障害者」と書かず「障がい者」と書くぐらいの人だから、心から人権問題に関心を寄せているのだろうが…。
ジュニア新書だから、薄くて、そういう国々を取り上げる余裕が紙数の都合でなかったのかもしれない?

この本は、大学生以下の世代というか、中高生向けの本といえるかもしれない。しかし、本書だけ読んで、アジアの人権問題を理解したつもりになってもらっては困る。この本に根本的に欠如している、もう一つの人権問題を見落とすことなく、この本の若い読者は、以下の本も別途一読してほしい。
まず、同じ岩波書店から出ている楊海英氏の『墓標なき草原 上下』 (岩波書店)は必読。
また同じ著者の『植民地としてのモンゴル 中国の官制ナショナリズムと革命思想』 (勉誠出版)も重要。
中国(中共)という国家が、建国以降、周辺民族に対して、どのような人権侵害を行なってきたかが綴られている。
水谷尚子氏の『中国を追われたウイグル人 亡命者が語る政治弾圧』 (文春新書)は、ウイグルに対する中共の人権弾圧のすさまじさが綴られている。
チベット僧パルデン・ギャツォが、自ら弾圧を受けた体験記『雪の下の炎』 (新潮社)も必読。
最後に、野口孝行氏の『脱北、逃避行』 (新人物往来社・文春文庫)。
これは、伊藤弁護士などはやっていないかもしれないが、同じくNGO活動を展開している日本人青年による脱北者支援活動を綴った体験記。
北朝鮮から逃げてきた脱北者は、中国国内に辿りついただけではまだ自由になれない。
中国を横切り、ベトナムを通り抜け、カンボジアまで辿り着かないと「自由」は得られない。

野口氏は、そうした脱出路に脱北者と同行し、成功する時もあったが、中国国内で逮捕され、獄につながれたことも…。中国は好きだったのに、こんな酷いことをする国とは…と述懐する野口氏のこの本は、伊藤氏の本に比べて、はるかに重いものがある。

文字通り「北朝鮮の脱北者の人権のために国境を越えて」活動をしているのだから。
岩波ジュニア新書の読者は、こういう本も読んで、より多角的に人権問題を捉えるべきだろう。偏った認識を持たないためにも。より、大きな巨悪、一部の奇妙な思考をする人が隠したがる現実と闘う知的勇気を持つためにも。

ともあれ、全然、テーマが異なるが、秋田喜代美氏監修(稲葉茂勝氏・文)の『調べよう! 世界の本屋さん 本屋さんのすべてがわかる本1 』 (ミネルヴァ書房)を読んだ。

絵本風の薄い本であるが、世界各国の本屋さん事情が紹介されている。神保町やヘイ・オン・ワイなど古本屋街も出てくる。

また北朝鮮の国営書店も出てくるが、 「権力に反対する本などを置く本屋は、北朝鮮の社会ではまったく考えられません。権力にとって不都合な本は存在できないのです」と的確に指摘。

本屋内部の写真も出てくるが、並んでいる本の三分の一が金日成全集や労働党の書籍、三分の一はガイドブック、指導者のバッジなど、残り三分の一は金日成肖像画、祭壇の花など…であると。

「これで本屋と言えるだろうか」と手厳しい。こんな、頁数の薄い写真中心の絵本的な本でも、国境を越えた視点で、北朝鮮の問題点、人権、言論の自由について論じているというのに…。



パクさんの本に話を戻す。、ジョージ・オーウェルのアニメ映画『動物農場』が日本で公開されたとき、北朝鮮社会を描いたものだとの認識を示すことなく、ことさら、あたかも、日本の格差社会やブラック企業や管理社会などを風刺したものだと強調していた人々にも読ませたい作品だった。

というのも、著者(彼女)は、北朝鮮時代、満足に学校に行けないときもあり、また脱北して中国に不法滞在しているときは、当然教育を受ける機会もなかった。生活のために「アダルトチャット」に登録し、卑猥なことをしながら金を得ることもあった。

やっとゴビ砂漠をわたってモンゴル経由で韓国に逃亡してからも(ゴビ砂漠を越えての逃亡劇は、映画「クロッシング」をも想起させる。映画のほうは無残にも失敗してしまうのだが)、パクさんは、韓国で執拗なチェックを受ける。脱北者といいながら「スパイ」もいるから。大量のシリア難民の現状を思うと、あそこでは、こんなチェックは不可能だろうが‥‥。脱北者の言うことを検証しつつ受け入れていく‥。まぁ、当然ではあろう。

遅れた教育を取り戻すために勉強をするのが大変だった。そんなとき、図書館などで本を読む楽しみを覚えた。『ライ麦畑でつかまえて』や『蠅の王』やトルストイの短編などの世界文学やシェイクスピアなども好きだったという。


「でも、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読んだことが本当の転機になった。砂山のなかでダイヤモンドを見つけたみたいだった。私がいた場所や経験したことをオーウェルは知っていたのではないか。そうとしか思えなかった。動物農場は北朝鮮そのものであり、そこに描かれていたのは私のかつての暮らしだった。動物たちのなかには、私の祖母や母や父がいた。もちろん私も。私は理想を持たない新しい豚のなかの一匹だった。北朝鮮の恐怖をシンプルな寓話として見せられることで、私を支配していたその力が消え、そこから自由になれた」

「北朝鮮人の頭のなかでは、つねにふたつのストーリーが進行している。並行する二本の線路を走る列車みたいに。ひとつは信じろと教えられること、もうひとつは自分の目で見たこと。韓国に来て、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の韓国語訳を読んではじめて、この状態をあらわす”二重思考”という言葉を知った。これは矛盾するふたつの考えを同時に持てて、頭が変にもならない能力のことだ」(古本虫注。要は「二枚舌」。進歩的文化人などは「二重思考」「二枚舌」の天才? 自分たちが「反知性主義」なのに、相手を「反知性主義」と批判できるから?)。

脱北者や、北朝鮮支援活動を展開している人の中には、彼女と同じような証言をしている人は多々いる。北朝鮮は「動物農場」であり「1984」の世界そのものであると。

シュタージ(秘密警察)による監視社会であった東独出身のマイク・ブラツケの『北朝鮮「楽園」の残骸 ある東独青年が見た真実 』 (草思社)でも、たしか、彼が、北朝鮮はオーウェルの世界であると指摘していた(と記憶している。手許に本がみあたらず再確認していないが)。

そのほかにも、ノルベルト・フォラツェンの『北朝鮮を知りすぎた医者 脱北難民支援記』『北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告』『北朝鮮を知りすぎた医者』 (草思社)などを読めば、当然浮かぶ感慨だ。

にもかかわらず、北朝鮮を「祖国」とみなす日本の一部の反知性主義的なリベラル諸兄にとっては、こういう本で指摘されている「事実」をことさら無視するのである。遠いアフリカなどの人権抑圧には関心を抱いても‥‥。不可思議な精神構造であろう。

ネットで、著者が流暢な英語で、日本人読者に向けて「自由」の大切さを説いている映像を見た。本書でも、韓国にわたってから必死になって勉強した体験が綴られているが、「自由」を知らなかった彼女も、「家族愛」は知っていた。父や母や姉のことも詳述されている。

このパクさんの凄まじいまでの「家族愛」(「脱北」して中国領土に入ったとき、パクさんの「体」を要求する相手に対して、母親が身をもって「レイプ」され、操を救おうとする。13歳の少女のそうした「性売買」こそ、現在進行形でもあるのだから、声高に追及すべきではないのか?)。

それらに比べたら、北贔屓の在日で、朝鮮総連の幹部の父との葛藤を映画にしたと称する作品(「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」監督・脚本・撮影ヤン・ヨンヒ)など、話にもならないというしかない。ノンフィクション映画であり、アートンから『ディア・ピョンヤン--家族は離れたらアカンのや』として本にもなっている。 『兄 かぞくのくに』 (小学館)という本も書いている。

そう、たしかに「家族は離れたらアカン」。しかし、ヤン・ヨンヒさんの家族の「別離」程度など、パク・ヨンミさんの家族の「別離」とは比較にもならない。


「愛しきソナ」はその姪が三歳のころアイスクリームを美味しそうに食べるシーンから始まる。ヤンやその両親は頻繁に北朝鮮を訪問する。訪問できない時はせっせと衣服や薬などを北送。どういう商売をしているかは映画では明らかにされていないが、羽振りは良さそうだ。
北朝鮮に帰国した悲惨な一般家族たちと比べて例外中の例外でしかないこういう家族の物語を普遍的なモノと捉えられたら大変だ。別れ別れになっているが、いつでも北に行けば会えるのだから。 冗談ではない。映画では北を訪問すると、こうした幹部の家族でも劇やらいろんなものを見せられて、交流する時間が制限されているというシーンもあったが、彼らの帰国家族の家に行けば、大型冷蔵庫はあるし、中身は食べ物で一杯、テレビやピアノもある。監督の誕生日祝賀会と称して近所の主婦によるケータリングもあったそうな。
日本の親戚一同集まっての宴会と何ら変わらないようなシーンが映し出されるが、言うまでもなくこれは北朝鮮では例外中の例外でしかない。そういう事実を知らないと、外国の人は別れ別れの家族物語、お涙頂戴に騙されるだろう。所詮は自業自得、因果応報でしかあるまい。ソナは金日成賛美のフレーズを暗唱して得意になる。日本でも戦前、元号を最初から昭和まで暗唱するようなものか。

パンフレットにはこんな「嘘」も表示されている。
「日本社会における差別や貧困に苦しんでいた9万人以上の在日コリアンが北朝鮮に渡った」というが、北のその後の差別や貧困は、当時も今も日本の比ではあるまい。針小棒大。そのくせ、「日本と北朝鮮との間に国交樹立がいまだ実現されないため、帰国者たちの日本への再入国はほとんど許されていない」という書き方もアンフェア。人道的にいくらでも対処可能なはず。悪いのは北朝鮮の方ではないか。国交の有無とは関係ない。日本人妻(配偶者)は日本国籍の持ち主もいる。その自由往来は全くの自由なのに北朝鮮が人権を無視している。国交がないから帰国できない? 嘘もほどほどにすべきだ。


某進歩的文化人のレビューも相変わらず酷い。「石油がないのに戦争をした国が約一国ある。日本である」と。だから北朝鮮はそんなことをしないと言いたげである。だが、日本とて真珠湾攻撃の時にはまだ備蓄石油はあった。何を言っているのか? だがこのままでは石油がなくなる、だから開戦、インドネシアの石油を獲得しようという甘いとはいえ石油獲得のために戦争をしたともいえる。窮鼠猫を噛むこともありうるのが世の中。ネバーセイネバーが国際政治の原則である。

 この映画で描かれたのは帰国者の中の数少ない例外的な恵まれた階層の回想でしかない。なぜもっと悲惨な例を描かないのか。
 映画では、北から日本へコレクトコールかもしれないが、直接電話をかけてあれこれ話すなんて普通の帰国者で出来るかどうか、見る側はよく考えるべき。こんな特殊な恵まれている例を出して、どこに底意があるのか。前作にも北が文句を言って監督は北に行けなくなったと嘆いているというが、ソナは無事大学に進学も出来たそうな。
家にはコーヒーメーカーもある。一人で百人倒す人民軍兵士を賛美するような歌を歌っての踊り劇の類などは、軍国主義教育の最たるものじゃないのか。微笑ましくもなんともない。日本の家では親がNHKの体操番組見ながら体動かしたりしているがこちらは平和的? 脳梗塞か何かで半身付随、個室で治療を受けたりもしている。
 粗筋紹介の中で「本作では一般庶民のホームパーティーや墓参り、結婚式の様子や、ボーリングで遊ぶ姿……」「北朝鮮で暮らす人々の日常のひとコマが数多く切り取られている」と紹介されているが、「一般」ではない「特殊」な世界、きわめて例外的に物質的にも恵まれた家族の状況を「針小棒大」に描いた、真の意味でも「問題作」というしかない。

ヤンさんは、「罪滅ぼし」に、パク・ヨンミさんの作品を映像化したらいいのでは? 人間の精神は進歩したり退歩したり転進もする。


ともあれ、北朝鮮は、著者(パクさん)の若干の記憶違いなどの「証言」などを根拠に、さまざまな壮大な嘘を作り上げて、彼女の手記を捏造だと決めつけようとキャンペーンもしているそうな。「人権プロパガンダのあやつり人形」と。こういう現在進行形の「人身売買」や「人権弾圧」を無視して、半世紀以上前のそういう問題ばかりを強調する人々こそ、北朝鮮に事実上操られた「人権プロパガンダのあやつり人形」ではないのか?

パクさんの言葉に耳を傾けたい。

北朝鮮で許される「愛」は、

「最高指導者、すなわち三代にわたって北朝鮮を支配する金王朝の独裁者たちへの敬愛だけだ。政権は外部からのあらゆる情報を遮断し、映画やビデオを禁じ、ラジオの電波を妨害している。インターネットもウィキペディアもない。本も、北朝鮮が世界一素晴らしい国であるというプロパガンダの書かれたものしかない」

「自分の意見を言ったり、疑問を口にしたりしてはいけない」「とにかく、政府に命じられたとおりのことをやり、言い、考えろと教えられた。親愛なる指導者・金正日には私たちの心が読めて、悪いことを考えたら罰せられると本気で信じていた。たとえ金正日が聞いていなくても、スパイがそこらじゅうにいて、窓に聞き耳を立て、学校の校庭に目を光らせていた」「もし私が国に帰れば処刑されるだろう」

「金日成が一九九四年に死亡した時点で、北部ではすでに飢饉が広がっていた。国からの配給は大幅に減らされ、ときにはまったく届かないこともあった」「私が四、五歳のころに夢見たのは、大人になったら好きなだけパンを買って全部食べることだけだった

新本、古本、図書館の本など、12年分の教育分を埋めるかのように「ひたすら本を読んだ」「読めば読むほど、考えが深まり、視野が広くなり、感じかたも豊かになるのがわかった。韓国には、私の知らなかったたくさんの語彙があり、世界を表現する言葉が増えれば、複雑なことを考える能力もより向上する。北朝鮮では、政府が国民にものを考えさせないようにしているし、微妙さを嫌う。あらゆるものが白か黒で、灰色がない」

母とともに脱北したときはまだ13歳。その体を狙うブローカー相手に娘を助けるために自ら体を差し出した母。「終戦」後になっても、婦女暴行(強姦)をドイツと満洲の占領地でやってのけたロスケ、いやソ連兵士を想起もさせる蛮行だ。

ともあれ、大事なことは、北朝鮮などの現実は、かつての日本にも一時期あったということだ。戦前、戦時中の日本がファシズム国家であったとは思わないが、一定の独裁勢力が、国民に情報を伝えることもなく、その精神を支配し、パクさんのように、「愛国」の精神のみを教えていた。そんな空想的軍国主義者による国家支配、「洗脳」があった。短期間ではあったが。敗戦後も「民主化」といいつつも、新たなる「独裁者」(マッカーサー)による「洗脳」体制、検閲があったことも忘れてはならないが……。共産主義体制よりはゆるやかであったとはいえようが。

左派リベラルが、特定秘密保護法などを制定すると、こんな戦前戦時中の日本になる可能性があると指摘するのは一つの理屈ではあるが、だったら、ついでに、なぜもう一歩進んで、「今の北朝鮮みたいな社会になるから反対しよう…」といわないのか? いえないのか? そのあたりが、この人たちは所詮、空想的軍国主義者をルーツとする空想的平和主義者(空想的平和運動屋?)のレベルでしかないのかという疑問を抱かせる。

ソ連、中共、北朝鮮、ベトナム、キューバ‥‥など、「共産諸国」を「祖国」とみなして礼賛してきた「戦後(容共)リベラルの墓碑銘」として読むことも可能な一冊であった。

それにつけても読書が大事。自由のない国では先の本のように、本屋に行っても図書館に行ってもロクな本がない? しかし、韓国であれ日本であれ、お金はなくとも図書館に行けば大量の本がある(某千葉の図書館みたいに偏向した図書館関係者が、こんな反共右派系物書きの本は「焚書」にしてやる…なんてことがなければ?)。
一部図書館のように「区民」か「隣区の区民」でないと図書館カードを作ってやらない、本の貸し出しはしてやらないなんてといった「自殺的行為」をするところもあるが、それでも、その図書館に行って、開架の本を開館中に手にして図書館で読むことは可能。浮浪者も読書が目的でなくとも、日中図書館にて時間を過ごしていることもある。どんな形であれ、「無料」で本や情報に接する空間が保持されていることは民主主義社会にとって大事であろう(それと昨今の無料貸本屋としての図書館の「役割」への批判とはまた別次元との問題となるかもしれないが)。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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