古本虫がさまよう 世界の「社会民主党」「社会党」も、中道右派から極左まで?『ムシェ 小さな英雄の物語』から『生きるための選択 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』へ
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世界の「社会民主党」「社会党」も、中道右派から極左まで?『ムシェ 小さな英雄の物語』から『生きるための選択 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』へ
(2015・12・18・金曜日)







スペインの総選挙がまもなくあるが(12月20日投票)、2015・12・17日経朝刊に、既成政党(国民党・社会労働党)が議席を減らして、今までゼロ議席の左右の新党が大幅に獲得するとの予想記事が出ていた。
それはまぁ、いいとして、隣国ポルトガルの政治事情も紹介されていた。こちらは10月に総選挙があって、社会民主党(右派)などの連立与党が最大勢力を保ったものの過半数には達せず、結局退陣。社会党(中道左派)が他の左派政党と連立政権を樹立発足したとある。

記事でおやってと思ったのが、普通、社会民主党というと「中道左派」となるのだが、ポルトガルの社民党は「中道右派」と紹介されていた。そして、今時珍しい「名称」の「社会党」がポルトガルにはあるそうで、それは「中道左派」となっていた。これって、昔の、日本の民社党と社会党みたいなものかと。民社党は「中道右派」で、社会党は「中道左派」?
今の日本の社民党は「極左」? 御国が変われば、同じ政党名でも、中味は全く異なることもありうる。 「社会党」とて、フランス社会党のように自国防衛のためには、他国を攻撃する。ソ連にも抵抗した。一方、日本社会党は「非武装中立」を唱えていたが。

ウィキペディアによると、ポルトガルの「社会民主党」は、こんな感じだという。


はじめは社会民主主義政党として結成されたが、現在は中道右派政党となっており、ポルトガルではもう一方の大政党である社会党(PS)が社会民主主義政党として存在している。1996年に自由主義インターナショナルを脱退し、以降は欧州議会において他の多くのヨーロッパの保守・キリスト教民主主義政党とともに欧州人民党(EPP)へ加盟した。また国際団体である中道民主インターナショナルに加盟している。以前は欧州自由民主改革党に加盟していた。党の機関紙は"ポーヴォ・リブレ Povo Libre"。




それはさておき、スペインと聞いて、ふとキルメン・ウリベの『ムシェ 小さな英雄の物語』 (白水社)を読もうとしたが、この作家の本は、以前『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』 (白水社)が訳出されていた。これは積んどく? それを読んで、これを読むのが正しい順番か? ということで、積んどくに…はしないでなんとか速読した。

内容紹介
バスク文学の旗手による待望の第二長篇
スペイン内戦下、ゲルニカ爆撃の直後に、約二万人のバスクの子供たちが欧州各地へ疎開した。八歳の少女カルメンチュは、ベルギーの文学青年ロベール・ムシェとその一家に引き取られ、深い絆を結ぶ。ムシェは戦争特派員として前線を取材し、ヘミングウェイや芸術家たちと親交をもつ。やがて第二次世界大戦の勃発とともに、カルメンチュたち児童は荒廃したバスクへの帰還を余儀なくされる。
その後、ムシェは進歩的な女性ヴィックと出会い、結婚。バスクの少女にちなんでカルメンと名付けた娘とともに、幸福な日々を送る。しかしまもなく、反ナチ抵抗運動に加わったムシェは、悪名高いノイエンガンメ強制収容所に移送される……。
ヴィックは愛する夫の帰還を待つが、なかなか消息は得られず、戦後、カルメンと二人で生きていく決意をする。父の記憶を持たないカルメンは、ノイエンガンメ収容所の解放五〇周年式典をきっかけに、父の足跡をたどり始める。
ノンフィクション的な記述と小説的な語りとのあいだを行き来して、ムシェとその周辺の人々を鮮やかに蘇らせてみせる。好評の『ビルバオ‐ニューヨーク‐ビルバオ』の異才による傑作長篇!



ノイエンガンメ収容所に関しては、こんな記事があった。

2005年5月7日(土)「しんぶん赤旗」
強制収容所を記念碑に
次世代に体験を継承
独ハンブルク郊外 文化担当相が決意
 【ハンブルク=片岡正明】ナチス・ドイツにより五万五千人もの収容者が殺された独ハンブルク郊外のノイエンガンメ強制収容所で四日、解放六十年記念集会がおこなわれ、生存者二百四十人を含め二千人の市民が参加しました。ドイツ政府を代表して発言したワイス文化担当国務相は「犠牲者を忘れることは新たなファシズムの勝利の一歩」と訴え、体験継承への強い決意を語りました。
 ノイエンガンメ強制収容所は一九三八年に建設され、連合軍捕虜やユダヤ人など二十カ国計十万六千人を収容し、うち五万五千人が飢えと寒さなどで亡くなりました。子どもへの生体医学実験をした収容所として知られています。戦後、ハンブルク市の刑務所が収容所跡に建設されたため、収容所跡をメモリアルとして部分的に再建したのは最近になってから。四日には、同収容所の新展示場がオープン。収容所の歴史や収容所内の武器工場などでの強制労働の状況などの資料が展示され、生存者のビデオ証言も視聴できます。
 記念集会ではワイス氏が「生き残っている最後の元収容者の人たちの証言を若い世代が引き継いでいかなければなりません。犠牲者を忘れることは古いファシズムの最後の勝利であり、新たなファシズムの勝利への一歩になる」と語りました。
 ハンブルクのフォンボイスト市長は「ほとんど忘れられた強制収容所になっていたノイエンガンメを新たに思い起こす資料展示が完成したことは大事だ」と強調しました。
 収容所生存者としてデンマークからきたトーマス・バルンセンさん(80)は「デンマークの国境警備員をしていたときに、ナチス・ドイツ軍が侵攻し捕らえられてここにきました。レンガ工場で強制労働をさせられましたが、飢えと寒さの生活は地獄のようでした」と語っていました。
 記念集会には学校のクラスぐるみで参加した若い人たちの姿も多く、あちこちで生存者から体験を聞く小さな輪ができていました。
 ハンブルクからきたクリスティーナ・ラムボーさん(21)は「収容者の人から直接、個人的な体験を聞くことはテレビで見ることとは違います。多くの生存者がまだ生きている今だからこそ、青年がその体験を継承しなくては」と話していました。




収容所は「消滅」しても、そこで生きた人の物語は、今もなお生き残っている。だからこそ、こういう文学作品が生まれてくる。

だが、大事なことは、そうした収容所が、今もなお存続しているということだ。遠いアフリカとか中南米ではなく、日本のすぐそばで。例えば、北朝鮮。

ブレイン ハーデン 、申東赫氏の『北朝鮮 14号管理所からの脱出』 (白水社)や、北朝鮮人権第3の道編の『北朝鮮 全巨里教化所 人道犯罪の現場 全巨里教化元収監者81人の証言を含む8934人による北朝鮮の国内人権状況の証言集』 (連合出版)は紹介ずみだが、現在進行形で存在する、こうしたナチスもスターリンも顔負けの(もちろん、日本の戦時中の徴用による工場などは比較の対象にもなるまいが)強制収容所に「沈黙」するような反知性派の進歩的文化人たちには、あまり信頼を置くことはできまい。

パクヨンミ氏の『生きるための選択 少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った』 (辰巳出版)は未読(積んどく)だが、こうした「亡命者」や「難民」を生みだす国家体制を、言論の力でまずは打倒する気概を我々はもつべきではないのか。「憲法9条」を守れと主張する人々は、真っ先に、こういう国家にその憲法9条の精神を「輸出」するための努力を行なうべきであろうに、なぜか、遠いどっかの小国に9条の精神が生きている‥と喜んだりする程度。これでは「知性」が疑われる? お里が知れる?
赤旗、日共にも、萩原遼さんという立派な北朝鮮ウォッチャーがいたが、除名されて久しい。

独裁者と闘うにあたって、選り好みをするのは、「反知性主義」の最たるものだろう。同じ強制収容所であっても、それがナチスによるものか、スターリンによるものかで、その評価を変えたり、片方には沈黙したりする「ナショナリスト」が第二次大戦前から存在していた。そうした知識人には信頼を置かないことが、知的に生きる上で何よりも大事なことだろう。ジョージ・オーウェルは、そういった偏狭なナショナリストを徹底的に批判した作家だった。『ムシェ 小さな英雄の物語』 (白水社)にも、彼の名前が出ていた……

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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