古本虫がさまよう 山本義隆、石井保男の回顧録に欠けるものを伊藤隆、萩原遼、タイン・ティンの回顧録で補おう
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山本義隆、石井保男の回顧録に欠けるものを伊藤隆、萩原遼、タイン・ティンの回顧録で補おう
(2015・11・24・火曜日)



1941年生まれの山本義隆氏の『私の1960年代』 (金曜日)を読んだ。


元東大全共闘代表が、これまで一切語ることのなかった「ベトナム反戦運動」「安田講堂占拠事件」そして「原発問題」等々、平和への思いを綴る歴史的書物!



この人、物理が大好きで東大理学部物理学科に学んだ人。僕は物理が赤点だった人間だから、そもそも頭の造りが大きく異なるのだろうが、「独占資本」だのなんだのといった左翼用語がよく出てくる回顧録だった。


山本氏は、安保闘争やベトナム反戦運動をいまだに正しかったとして回顧しているが、サイゴン陥落後の難民流出や、ベトコンが所詮は北ベトナムの傀儡でしかなかった事実などへの言及が全くないのには疑問を感じた。

いまはなき「ソ同盟」というか、スターリンやソ連の悪口は言えるが、北朝鮮の核開発や人権弾圧や拉致などへの関心はさほど表明したくもないようだ。本書にもまったく出てこない。

科学技術の開発が、軍事的なものがあったということで、戦前の日本はむろんのこと、ドゴールの時代も、ソ連の人工衛星の技術も、ケネディ以降の月有人着陸も毛沢東の核実験も有人衛星打ち上げも「基本的に同様です」と指摘しているのに、そこにひとこと、「北朝鮮の核開発も」と入れればいいのに、書かないのが不可思議というしかない(34頁)。

「ベトナム戦争反対! ベトナム戦争協力拒否!」とやっていたなら、サイゴン陥落後も、「ベトナム難民『排出』反対!」とやればいいのに、ベトナム反戦派は小田実以下、そんな運動もしなかった。なぜなのかは、山本氏の回顧録を読んでも分からない?

北ベトナム側の人間で、元ニャンザン副編集長でありながら、「解放」(陥落)後のベトナムの現状に絶望を感じてフランスに亡命したタイン・ティンの『ベトナム革命の内幕』 (めこん)などを読んだ記憶のある人間として、彼の身内(北ベトナム)に対する批判を無視してベトナム戦争を語ることは許されないことだと思う。

「民族解放とは結果的に占領であり、併合に近いものだった」「悲惨だったのは「再教育」キャンプに送られた旧政府の士官や公務員の姉妹や妻たちだった。「アルミを磨き尽くした」あげく、彼女たちはもはや身を売るしかなかった。そして、彼女たちを買う客の多くが北部から来た官僚たちだった」「再教育キャンプと言いながら、その実態は刑務所で、収容人数があまりにも多いため、各キャンプは劣悪な状態に置かれていた」

ベトナム反戦運動で絶叫した人たちは、この事実にきちんとしたコメントをする義務があるはずだ。

全共闘運動に冷やかだったコウモリみたいな(?)丸山真男批判や原発批判などは、なるほどとも思わぬでもないが‥‥。
日本経済の復活には、朝鮮特需やベトナム特需があった云々と批判しても、所詮は、朝鮮戦争は北朝鮮による侵略戦争。日本が主体的にどうこう責任を問われるものでもない。ベトナム戦争にしても、北ベトナムによる「解放」という名の侵略の側面もあった。

ともあれ、今のベトナムが「敵の敵は味方」といわんばかりに、アメリカにすり寄ったりしていることにも批判の目を向ければいいのにと思うが、それもない。そんな知的限界を感じる回顧録だった。

1932年生まれの伊藤隆氏の『歴史と私――史料と歩んだ歴史家の回想』 (中公新書)はこの前紹介した。共産党から転向した内容で、山本氏とは大きく異なる。双方を読み比べるといいのではないか。

1937年生まれの萩原遼氏の『北朝鮮に消えた友と私の物語』 (文春文庫)は、元赤旗平壌特派員による(そして日共除名)の萩原氏による悩み抜いた末での北朝鮮批判の回顧録だ。こちらのほうに、より感銘を受ける。

伊藤氏、萩原氏のそうした回顧録に比べて、山本氏と似た視点からの回顧録を書いているのは、元国際学生連合のメンバーとして1959年2月にチェコに行き、十年近く滞在した体験を持つ、1933年生まれの石井保男氏だ。彼の「『わが青春の国際学連 プラハ1959~1968』(社会評論社)という本は以前紹介した。以下再録的になるがここに記しておきたい。
著者は東京大学医学部生であったが卒業間際に国際学連に派遣されることになり、大学は事実上「中退」。現地で結婚もし、プラハの悲劇も体験し、その後帰国し復学し医者の資格も取っている。

全学連の一員でもあり、ブントのメンバーであり、帝国主義反対、スターリン主義反対、ソ連、中共の核実験にも反対していたという。左翼陣営の中にあって過激派でもなく日共でもなく「中庸」の立場か?
しかし、1956年のハンガリー動乱の後、自由世界の諸国の学生組織は、この国際学連から離反しているが日本は離脱しなかった(情けない!)。当時は日共もそれ以外の左翼も(石井サンも?)ソ連を根源的に批判することなどなかったからだ。


そもそもこの国際学連は反ナチの精神で結成されたもので英国の学生組織などが中心になっていたとのこと。ハンガリー動乱以降、ナチと変わらないソ連の野蛮が明白になり抗議をしようとする自由世界の学生組織と共産世界の学生組織が内部対立を起こし分裂をしたのだ。全学連は1949年に加盟していたが、結局ソ連批判に与することなく残留。したがって全学連の代表として赴任した石井氏は、国際学連にとって貴重な「人質」、いや「お客さん」というか、自由世界内の貴重な「シーラカンス」と「標本」として存在することになったようだ。

「こうして国際学連は東西両極に割れて分裂した。結果として西側のいわゆる「先進国」の中で国際学連に残ったのは日本全学連ただ一つとなった。皮肉なことだが、そのため国際学連における日本全学連の発言権は圧倒的に強まった」

本来、こういうのは「自慢」ではなく「恥」として認識すべきではないのか。そのあたりの「自虐精神」が著者には欠けているようだ。

60年安保闘争後、全共闘運動や左翼暴力活動などが日本国内で発生するが、その間、著者は外国で生活することになる。どれだけの報酬を得ていたか記されていないが、それなりにお客様として優雅な生活をしていたのではないか。加藤周一程度を「知」扱いするのは左翼陣営共通の認識だが、石井氏もベルリン自由大学に招聘する運動を展開もしている。

キューバに出かけ、ゲバラに会ったりもしている。アウシュビッツで殺害人数が大きく変動している事実(400万→150万)を見て

「その「差」はなんと「250万人」である。ここでもスターリン主義者が「人間」を「物」扱いにしている実態が浮かんでくる。要するに「解放の実績」をおおげさにして政治的に利用する目的でかかげた「数字」で、これはもはや「犠牲者の数」ではなく、政治的な「物」の数にされているのだ。スターリンにとって「250万」の違いなど「たいしたことではない、適当でいい」のだ。同じポーランドで平然と虐行した、あの「カティンの森」事件とまったく同様な「思考様式」である。「ヒトもモノも、たいした違いはない」のだ。日本共産党はこうしたスターリンを崇拝していた」

と綴るあたりはマトモではある。

だが、毛沢東以下の中共の指導者たちが「同じ思考様式」で南京大虐殺を針小棒大にしている事実を認識しているであろうか。無辜の市民を30万(以上)殺害したという嘘は、日本の左翼学者でも後ずさりするようになった。アイリス・チャンの「レイプオブナンキン」を訳出するにあたって、その問題点を日本の学者を使って指摘する本と同時に刊行しようとした出版社の思惑は挫折もした(別の出版社がチャンの本だけを訳出したようであるが)。

だが、捕虜虐待、捕虜といっても便衣兵は別か?などさまざまな視点から冷静に正視すべき歴史的事象をイデオロギーや外交手段として活用する中共の態度を批判してこそ論理的と言えるのだが、左翼の方々にそれを求めるのは八百屋で魚を買おうとするのと同じく困難であろうか。本書もカティンの森事件やワルシャワ蜂起を見捨てたソ連の悪口は書いているのだが。
毛沢東以降の中国の独裁者たちも南京事件による死者(便衣兵などもふくめて)が2万人程度だとしたら「28万人」の違いなど「たいしたことではない、適当でいい」のだと思っているのだろう。この点では、スターリンと毛沢東や彼以降の中国の指導者たちはほぼ等身大の独裁者しかない。

石井氏はこうもいう。
「いまだにソ連の崩壊を目の当たりにしても「社会主義に対する資本主義の勝利などとカラ騒ぎする向きもありますが、むなしい見当違いです。権力の集中独占で利得をむさぼり、社会主義を、特権階級の食いものに変質腐食させた、反人民的な支配政権・党官僚体制の自己崩壊にほかなりません。「社会主義の崩壊」とは全くの別物です。この違いの混同は許されません」と豪語している。

そして「一方の金融資本を本体とする世界の帝国主義勢力はどうか。マーケット至上主義のいわゆるグローバリゼーションで投機集団をのさばらせ、総合的な制御能力を喪失しつつあり、その実態はサブプライム・ローン、リーマンブラザーズ等の破たんや相次ぐ統合合併ゲームとなって露呈されつつあります」と。

東西冷戦は、経済的手法のみを観点とした資本主義と反資本主義との闘いではなく、自由民主主義と全体主義との闘いであったという事実をまだこの人は理解できていないようだ。

「権力の集中独占」「特権階級」というのも「全体主義」特有の産物であった現実を見落としはなるまい。「グローバリゼーション」といっても、コミンテルンほどの有機的なつながりがあるわけでもない。企業間の対立抗争もある。大企業の倒産もリーマン一つとってみても分かるように日常的だ。いまだに帝国主義勢力云々という言葉が出てくるあたりはお里が知れる?

アジアに於いて、アウシュビッツと同様、犠牲者・被害者数を恣意的に水増しする中共当局者の知的レベルを憂い、「権力の集中独占」を維持する体制を憎んでこそ、民主主義者と言えよう。

あと、山本氏の以前の本などに対する感想の再録(一部略あり)


レーニンから疑って何が悪いのか 歪曲されるサハロフとランダウ
• 2011/05/15(日) 05:08:12


 佐々木力・山本義隆氏・桑野隆の三氏による編訳の『物理学者ランダウ スターリン体制への叛逆』 (みすず書房)を読んだ。
こういうソ連の学者がいたことは知らなかったので一読した次第だが、本人の自叙伝かと思っていたら、ランダウに関するさまざまな人(主に海外の人)のエッセイをまとめたもの。理系の人間ではないので、ランダウの物理学での業績の類に関しては無関心故に、本書でのそうした紹介はあまり頭に入ってこない。これは僕の責任。
 だが、ランダウが「歴史的必然」として(?)スターリンのみならずかつては崇拝していたレーニンも拒否するようになって知的に成長したのに、日本人編者たちが、その転向にはいろんな事情があると、ことさら後智恵的にああだのこうだのと釈明しているのが滑稽でしかなかった。
「レーニンの政治理念をも批判した戦後のランダウを皮相と見るか、あるいは、洞察力をもったソヴェト知識人と見るかで見解は分かれるであろう。私見によれば、戦後のランダウのレーニンに関する政治的見解はおそらく両者を兼ね備えている」(佐々木力氏)とのこと……。ハイハイ。

「レーニンが最初のファシストであることは明白である」「レーニンだって悪事に加わっていたとも言える」「クロンシュタット蜂起を忘れてはいけない。汚らわしい歴史だ。ペトログラードの労働者階級やクロンシュタットの水夫たちも蜂起した。彼らは民主主義的な要求を掲げており、銃撃された……。ファシズム体制だ」「わが国の体制は、私が一九三七年から承知しているかぎり、明々白々なファシズム体制であり、変化などまったくありえない」「この体制が存在しているかぎりは、それが満足すべきものになるであろうと期待しては絶対ならないし、そもそも滑稽ですらある」「わが国の体制の平和的消滅をめぐる問題は、人類の運命の問題なのである」「ファシズムがなければ、戦争もない」「わが国の体制が平和裡に消滅しないならば、第三次世界大戦は避けられず、大惨事になりかねない。だから、わが国の体制の平和的消滅をめぐる問題は、事実上、人類の運命の問題なのである」とランダウは指摘している。おっしゃるとおりではないか。

ソ連全体主義体制を一応平和裡にというか、レーガンの「平和攻勢」「SDI構想」によって崩壊させたおかげで、束の間の「平和」を獲得し全面的戦争のような第三次世界大戦の危機は遠のいた。ランダウのいう通り現実は推移したのだから、これらの発言に加えるべきものはないと思うのだが、進歩的な学者センセイ方はあれこれ述べ立てるのである?
 
山本義隆氏も「ランダウをめぐって 個人的な回想」を記している。

「ランダウやカピーツァに加えられた弾圧をめぐって、当時のソ連社会がどれだけ非民主的で非人道的であったかをあげつらって、それで話が済むものではない。社会主義であろうが資本主義であろうが、第二次大戦後の高度に工業化された軍事大国においては、物理学をふくむ自然科学の研究全般が密接に軍事にかかわり国家の政策に組み込まれているのである。なるほどスターリン体制のような手荒な形ではないにせよ、国家による科学者の動員は巧妙にそして執拗に追求されている。むしろ現在の日本にあっては、強制されているとの意識なく科学者が軍事に協力してゆく体制のほうが現実的にはよほど深刻な問題であろう」
 
あぁ、聞き飽きた敗者の遠吠えというのか、ありふれた、どっちもどっち論を展開しつつ、実は共産圏を庇うという下村満子氏の『ソ連人のアメリカ観』 (朝日文庫)以来のサヨクナツメロでしかない。戦後の日本、「現在の日本」にあって、物理学者が政治囚にされて弾圧された「一人のサハロフ」が何処にいたのか、何処にいるのかという質問をするだけで、こういう論の嘘は喝破できよう。

 山本氏は、他にも「戦前・戦中の日本の天皇制ファシズムのもとで共産主義者や宗教家が過酷な弾圧を受けたことは知られている。しかし現実にはここに記されているように、総動員体制の確立にむけて大部分の科学者は抗うどころか自発的に協力していったのである。悪名高いスターリンの強権的政治支配のもとで、辞表を懐に忍ばせてランダウを救出し、さらには核兵器開発を敢然と拒否して野に下ったカピーツァにくらべて、あまりに落差は大きい」とも指摘している。
 だが、あの過酷な粛清を行なったスターリン体制やソ連の政治体制を「強権的政治支配」というあやふやな表現で弱める手法は、坂本義和氏などの十八番(彼の著作である岩波新書の『平和の軍縮学』を参照されたし)でもある。
「落差は大きい」という表現は、日本では「過酷な弾圧」の治安維持法で死刑になった政治犯はゼロ、一方、ソ連で殺された政治犯やデッチあげで政治犯とされて処刑された数百万(数千万?)単位の死者と比べる時に用いる表現でしかない。
 日本こそ「天皇制ファシズム」ではなく、単なる「強権的政治支配」であったのであり、ソ連こそ「強権的政治支配」ではなく「独裁制ファシズム」であったと言えよう(あれだけ「コミュニスト」やその同志を殺害した点で「反共型」ファシズムであったとみなすことも可能になるかも?)。
 「核兵器開発を敢然と拒否して野に下ったカピーツァ」がランダウのために闘ったといっても、ソ連は核兵器開発を実際にはなし遂げたのであり、例外中の例外でしかない存在をことさら崇めたところで何の意味があるのだろうか。山本氏のこういった文章は科学者にあるまじき、単なる感情論でしかなく、失笑を禁じえない。
せっかく、レーニン=スターリン主義と闘ったランダウを、結果としておとしめる結果となっている。編者たちの知的能力に疑問を呈するしかない。日本の科学者の政治的偏見と限界を物語る一冊であった。

関連書としてリワノワの『ランダムの素顔 現代物理学の万能選手』 (東京図書)、マイヤ・ベサラプの『ランダウの生涯』 (東京図書)なども手にしたが、こちらも版によって若干の異同もあるようだが、また行間に若干の工夫はあるようだが、おおねむ限界状況下における表面上の評伝でしかないようだ。みすず本などに「衝撃を受けた」という青木薫氏訳の『物理学に生きて 巨人たちが語る思索のあゆみ』 (ちくま学芸文庫)もいまひとつか?

 みすず本にも登場しているが、『別冊日経サイエンス』(148号)に掲載されたゴレリクの「獄中の天才ランダウの闘い」という論文の方が、みすず書房本の日本人論者よりはるかにまともだ。ランダウの苦悩、真の勇気と懐疑について踏み込んで論及しているではないか。日本人「科学者」の余計な序文や総論解説や訳者あとがきがなければ,もっといい本になっていただろう。もしくは、それはもう少し科学的思考のできる解説者が書けばよかったのにと思う。

かつてサハロフの書いた核兵器に関する論文の趣旨を歪めて紹介した新聞社があったかと記憶している(島上哲氏論文「朝日新聞が歪曲したサハロフ論文」諸君1983年10月号)。サハロフが核軍縮を進める上で、先ずはソ連の核軍縮が必要と説いていたのに、西側の一方的核軍縮こそが必要であると主張していると報じたのは違っているという趣旨だったと記憶している。
丸い図卵も切りようで四角にみせようとする人々の論に惑わされないようにしたいものである。




サリドマイドと放射能--原発をめぐる手塚治虫氏、小林よしのり氏、山本義隆氏、ラッキー博士……各者各様の論議から分かることとは?
• 2011/11/19(土) 05:41:59



  最新号の雑誌「サピオ」を見ていたら、小林よしのり氏が、保守派の原発容認・肯定論を批判し、放射能が身体にいいといった論を批判していた。若干、そうかな?と感じるところもあったが、おおむね、なるほどと思いつつ一読した。

 一方、山本義隆氏の『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』 (みすず書房)は、チェルノブイリやソ連のことはあまり論じなくて、もっぱらアメリカの核戦略やそれと連動した自民党内閣時代の原発推進政策をやりだまにあげている。核武装肯定の岸信介や福田信之(元筑波大学副学長・物理学者)などを批判。そして、使用済み核燃料の再処理に固執していた日本の姿勢は、「アジアの諸国にきわめて危険に映っているであろうし、まちがいなくアジアに緊張をもたらすものである」と。
 そうかな? 北朝鮮の方がもっと問題だと思うけど、そういう指摘や比較論はしたくないようだ?

 

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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