古本虫がさまよう 「ドイツで96年、生きてきて」――さらば、真のリベラルのシュミットよ
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「ドイツで96年、生きてきて」――さらば、真のリベラルのシュミットよ
(2015・11・11・水曜日)





むのたけじ氏の『日本で100年、生きてきて』 (朝日新書・聞き手-水瀬公二氏)をいま読み進めている。「はてな?」と感じるところもあるなと思いつつ、百歳まで生きるとはご長寿だなと感心していた。

海外で、これぐらいの長寿で、言論界で元気に活躍しているといえば、ドイツのヘルムート・シュミットさんぐらいかなと。
80年代、ソ連と戦った自由世界の政治家といえば、レーガン、サッチャー、そしてシュミットだった(中曽根さんも辛うじて入るかな? そういえば、中曽根さんも100歳近い?)。

シュミットはアジアに関してはいささかノーテンキなところがあるなとは思ったが、少なくとも欧州においてソ連のSS20に論理的に対抗する政治家だった。ソ連に操られた感のある反核運動に屈することもなく「二重決定」を主張し、テロに対してもどっかの腑抜け政治家と違って毅然たる対応をしていた。だからこそ、好きな政治家だった。
その回顧録が岩波書店から出ると一読したものだった。

そのシュミットが‥‥。今朝起きてメールをチェックしたら、某新聞社のニュースメールでシュミットが96歳にて逝去したと知った。ネットでも確認。以下のように‥‥。


シュミット元西独首相死去=危機管理に手腕発揮
時事通信 11月10日(火)23時23分配信
 【ベルリン時事】「西独最強の宰相」といわれたヘルムート・シュミット元西独首相が10日、北部ハンブルクで死去した。
 96歳だった。主要国首脳会議(サミット)構想を提唱する一方、国内で頻発したテロには屈しない姿勢を堅持。経済、外交、安全保障に通じ、特に危機管理にその手腕を発揮した。
 シュミット氏は9月初めに脚の血栓を除去する手術を受けた後、感染症にかかり、体調を崩していた。
 1974年5月にスパイ事件で辞任したブラント首相の後任として、戦後2人目の社会民主党政権の首相に就任。75年に第1回会合が開かれたサミット構想をフランスのジスカールデスタン大統領と提唱し、世界的な経済危機に対処する上で他の西側首脳への良き助言者となった。79年3月に導入され、欧州通貨統合への第一歩となった欧州通貨制度(EMS)の生みの親だった。
 極左組織・ドイツ赤軍派による77年9月のシュライヤー経団連会長誘拐では、犯人の要求に屈しない決然たる態度を取った。続いて起きたモガディシオでのルフトハンザ機乗っ取り事件で、特殊部隊を強行突入させて人質全員の保護に成功し、国民の信頼を不動のものとした。
 軍縮問題にも精通し、早くからソ連の中距離核ミサイルの脅威に警鐘を鳴らし、米中距離核の欧州配備とソ連との軍縮交渉をセットにした北大西洋条約機構(NATO)の「二重決定」採択に尽力した。しかし、二重決定は反核に傾斜した社民党内での立場を弱め、経済政策の対立と相まって自由民主党が社民党との連立政権から離脱する事態を招き、82年10月、不信任案可決により8年間にわたる政権は幕を閉じた。
 首相辞任後の83年から週刊紙ツァイトの共同発行人となり、健筆を振るった。同紙を通じて内外の政治家に辛口のメッセージを発信。政界のご意見番として第一線で活動を続けた。



ヘビースモーカーであったようだが、ともあれ、ご冥福を。合掌。
以下、シュミットのような本当の「リベラル」とはちょっと違う、日本のリベラル派について論評したブログを再録することによって、シュミットをあらためて追悼したい。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!


むのたけじさんと品川正治さんは、そんなに立派な「リベラル」なのか?(2014・7・19・土曜日)

2014・7・4朝日朝刊一面に「政権追随物言わぬ経済人」というコラムが掲載されていた(安井孝之編集委員名義)。

経済同友会の終身幹事であった品川正治さん(故人)をヨイショした内容。戦争体験のある品川氏は「9条死守の覚悟」を終生見せていたとのこと。ところが、法人税減税を推進する安倍政権に対して、経済界は遠慮しているようだと見ている。かつて品川氏は「おねだりするな」と政権に近づく経済人らを批判したという。
「だが、今や減税や規制緩和を進めてくれる安倍政権に苦言を呈する経済人は見あたらない」と結語。

このコラムを読んで、経済人の中にだって、思想信条心情から、集団的自衛権行使容認論者だっているだろうに、単純に、企業としての利益(減税?)故にそれを覆い隠している人ばかりと読めるような議論は、ちょっとおかしいのではないかと感じた。
逆に労働界にだって、旧同盟系労組のリーダーの中には、集団的自衛権容認論者だっているだろう。朝日新聞出身者だって、川村二郎さんのように、慰安婦問題、朝日が謝りなさいという人だっている(「正論」2014年8月号)。所詮は、個々人の思想信条。集団的思考というか、単純に組織の論理で、物の見方考え方を単純化すべきではあるまい。

それ以上に、品川さんって、そんなに立派? というのも、以前、彼の本を読んで、その「容共リベラル」的な、共産主義に甘い認識は、ちょっとおかしいのではないかと指摘したことを思い出したからだ(それを以下再録する)。

また、品川氏と関連して、むのたけじさんが、リベラル左派系の日本ジャーナリスト会議の特別賞を受賞したとの報道に接した(2014・7・17東京新聞朝刊)。99歳。戦争責任を受け止め朝日を退社したあと、現在に至るまで戦争のない平和な社会の実現に向け、ジャーナリズムの姿勢を正させる活動を展開してきたことを表彰したとのこと。

しかし、むのたけじさんにも「容共リベラル」色が濃厚だということは、彼の本を何冊か読んだらすぐに分かることだ。本当の意味での「リベラル」なのかどうか、僕には疑問である。彼の本を評したコラムも以下再録する(一部略。文中の「後註」は、2014・7・19の時点での加筆部分)。




「ハンガリー進駐」と表記する経済人の自叙伝に、さほどの読後感を感じることはない… 取り戻すべきは「平和憲法の精神」か「日本の正気か」(2013・12・26・木曜日)

品川正治氏の『戦後歴程 平和憲法を持つ国の経済人として』 (岩波書店)を読んだ。リベラルというのか、いい意味での「リベラル」の範疇を越えて、「容共リベラル系」というしかない、左派経済人による自叙伝。

ウィキペディアによると、こういう履歴の人。
品川 正治(しながわ まさじ、1924年7月26日 - 2013年8月29日)は、元・日本火災海上保険(現日本興亜損害保険)会長で、経済同友会終身幹事、財団法人国際開発センター会長。新自由主義的な経済政策への批判、平和主義・護憲の立場から発言や運動を行っていた。「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人。

この略歴を見ても、単なるリベラルではなく、「容共リベラル」といっても差し支えないだろう。経済同友会終身幹事という肩書もあるけど、寺尾五郎の北朝鮮ヨイショ・トンデモ本(『三十八度線の北』)を刊行したことでも知られる新日本出版社からも本をだしているそうだし。

自分自身の戦争体験を絶対視して、「9条」を死守すべきという堅い信念を持って戦後を生きてきたようだ。それはそれで立派である。それはまだ尊重すべき一つの考えだと思う。

三校時代に同級生が軍部を揶揄する発言をして、退学になるのを見て、自らも退学して陸軍の一兵卒に志願するという正義感の持ち主でもあったようだ。それはそれで、これまた立派な態度だと思う。

中国戦線の前線で戦い、生き残り、戦後、帰国船の中で、9条を報じる新聞を読み、感動したという。その気持ちもまだ分かる。当時として、そういう考えを持つことはありうる。

日本に戻り、運良く東京大学に復学というか進学し、下宿するのだが、その下宿先の奥さんは彼より9歳年上で3人の子供がいた…というあたりを読んで、ふうむ、もしかして…と思ったら、何と、品川さん、ご主人からその奥さんを奪い取るのだ! 奥さんは、夫と3人の子供を捨てて、年下の学生と結ばれてしまう(1948年5月1日に結婚)。
戦後は姦通罪もないのだから、人妻を奪うのも「合法」だ。遠慮することはない!?(後註→NHKの村岡花子物語でも、いま、リベラル学生と有閑マダムが駆け落ちに成功するかどうか、興味津々の山場を迎えている。がんばれ!?)。

フランス書院文庫には、よくあるパターンだが、現実の世界で、昭和20年代にもこういう世界があったとは…。
中里恒子の小説『綾の鼓』 (文春文庫)にも匹敵する人妻ドキュメントともいえる? いや、思わずオーエンの『人妻だけに恋した男』 (戸山書房)を思いだした(もっともオーエンの作品は共産圏を風刺した小説であるが)。

急に品川氏に対する評価が上がってしまった?

といっても、奥さんも超リベラルな方だったそうだ。官僚の亭主の保守性に物足りなさを感じていた時に、リベラルな学生の情熱に目覚めたのかもしれない。なにしろ、結婚してから、夫婦一緒に左派系の労働学校に通ったりもしたそうな。

また著者の当時の友人に小森良夫という共産党の中央委員にまでなる人がいるのだが、その息子さんが、なんと、あの小森陽一さん。なるほどね…。そういう知的というか左翼リベラルサークルがあったのだ。

奇跡的な試験の受け方(?)で、大学をギリギリながらも無事卒業し、日本火災に就職。資本主義の典型な組織に属することになるのだが、まぁ、そのあたりは軽く触れて葛藤というほどの悩みを持つことはなかったようだ(結局社長にまでなってしまうし…この背景に何か戦略的なものがあるのやら?)。

会社員として仕事をしつつ、労働運動にも従事。組合専従にまで一時なってしまう。その時、1956年11月。当時、ハンガリー動乱が発生しているが、本の中ではなんと 「ソ連軍のハンガリー進駐」(51頁)と表現している。ふうむ…。「進駐」とは…。 「侵攻」とは表記したくなかったのだろう。このあたりは、やはり「容共リベラル」の限界見たり!というしかあるまい。

スターリン批判もあったというのに、それへの感想は特にない。内心動揺したであろうに…。

56年のハンガリーの悲劇も見て見ぬフリなのかどうかは知らないが、反米の信念はますます強くなり、組合専従時代に日米安保改定反対闘争に奔走したとのこと。

「私はこの六〇安保闘争に、ただ参加したというのではなく、その闘いの先頭に立った一人であると自負している」とまで書いているから、ただ者ではない?

しかし、安保が改定されてしまい「この敗北がもたらした、対米従属から抜け出せないこの国の姿、日米安保から日米軍事同盟に深化していった歴史、全土の基地化、さらには沖縄の人たちをアメリカ軍の奴隷のような状態に置きつづけたこの国の非情を考える時、あの六〇年安保闘争での敗北の重さを否定しえない」と綴る。このあたりはいささかステレオタイプではないだろうか。

ここまで、単純な反米観を提示されると、唖然とするしかない。

この人、今年の夏に亡くなっているけど、ソ連や中共の「植民地支配」の実態(バルト三国、中央アジア、チベット、ウイグル、南モンゴル…)をどう評価していたのか?
チベット侵略も「チベット進駐」と見る人なのであろう。「ハンガリー進駐」というぐらいだから。
普通、「進駐」というのは、戦争が終わって(敗北して)、占領軍がやって来るのを「進駐」というのであって、戦争するために侵攻するのを普通の言語感覚を持っている人なら「進駐」とはいわない。戦争でなくても「話し合い」で双方納得同意してなら「平和進駐」という言葉もありうる。日本も「仏印進駐」をしている。あれはたしかに「進駐」の範疇に入るだろう。

しかし、ソ連に愛を感じる人でないと「ハンガリー進駐」といった、そんな特別な言葉の使い分けはしないだろう。知的に不正直でないと使えない用語だ。
日本が、中国に「進出」したか「侵攻」「侵略」したかで問題になるのに、ソ連だと「進出」や「進駐」でいいことになるのだろうか。

日本の教科書でも、以前、独ソ協定でポーランドを相互に侵攻し分割した時、ナチスドイツがポーランドに攻めていくと「侵攻」で、スターリンソ連がポーランドに攻めていくことを「領土を得た」とか使い分けしたものがたしかあったが、その教科書執筆者と同じ精神構造の持ち主であるというしかないだろう。こういう人を、知的に尊敬することは僕にはできない。

ちなみに『岩波国語辞典第三版』では「進駐」とは「他国の領土に進軍し、そこにとどまること」となっている。

「進軍」とは「軍を進めること。軍隊が進むこと」となっている。
「侵攻」とは「他国、他の領土を攻めおかすこと」となっている。
「進攻」とは「(遠くまで)進んで行って攻めること。攻めこむこと」となっている。
品川氏の筆致だと、日本軍も中国に「進駐」したことにもなるのだろうか?

品川氏は、仕事の関係で、 「東欧経済研究所」を作り、東欧諸国の人々との交流もあったそうな。ワレサとも面識があったというが、民主化闘争が起こっていた時の回想時にも、ワレサが「ポーランドの民主化、ソ連邦からの完全独立を唱えた時、ソ連軍がワルシャワに進駐するには、その土地を通らなければならない…」といった風に表記しているところがあった。本当に共産圏相手には「進駐」という言葉を使うのがお好きなのだ。裏切られたとはいえ、かつての愛する「祖国」への思いからなのか?

「東欧人民社会主義の政治、経済は『人間の目』から見れば、結局、失敗であった」と思ってはいるのだが、 「アメリカに従属する日本にとって、チトーに率いられたユーゴスラビアがソ連邦とどう対決したかは、今でも顧みられるべきことであり、ハンガリー事件、ポーランド事件、プラハ事件では、国家の主権を人民が取り戻すことの難しさをも知った」(82頁)と書いている。

東欧諸国を「ソ連邦、その衛星国」と書いている(82頁)が、 「衛星国」というのはこれまた「進駐」同様に、まだ表面を繕う筆致。日本がアメリカに従属しているというのなら、東欧諸国など、 超従属国家のはずなのに?

ハンガリーなどの民衆の抵抗に関しては「蜂起」や「反革命」のみならず「動乱」という言葉さえあまり使いたくないようだ(51頁には「ハンガリー動乱」という言葉が辛うじて出てくるが…)。「事件」? ふうむ?

それにチトー、ユーゴには「憲法9条」だの「非武装中立」だのといった暢気なものはなかった。武装国家として、ソ連に対峙し、その分、国内の言論の自由とて、基本的にはない国家だった(とはいえ、学生たちが自由世界に留学したりするのは、ソ連東欧諸国よりはまだ自由だったかと)。ただ、民族的にソ連に楯突いただけではないのか? 楯突くために、何が必要だったのかを冷静に見ていないのはおかしい。

中国の文革にしても、 「私には、簡単にあれは独裁政権特有の現象であり権力争いだとは思えなかった」そうな。「革命を起こした以上、それは永久に革命を続けなくてはならない」とのこと。こういった信念は、普通のリベラル派の感覚を超えている。お里が知れる?

品川氏と同じように中国文革に憧れた元岩波社員の長島陽子氏の『中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」』 (論創社)は読んだことがないのだろうか? 長島氏のほうが、少なくともこの点では、品川氏より、はるかに知的であり、冷静であり、素直であり、正直である。月とスッポンというしかない。

品川氏は、西ドイツのシュミット首相との交友を強調もしているが、反核運動に冷淡で、そうした抗議を無視してパーシングⅡの配備を行なった彼の行為に関しては、回り廻った表現(アメリカを批判しつつ?)で、中距離核全廃を実現したとして評価しているのにも苦笑を禁じ得なかった(155頁あたりの筆致)。ご苦労さまというしかない。

ジョナサン・カー『超大国のはざまで 西独の名首相ヘルムート・シュミット』(メディアハウス出版)を見てもわかるように、彼は政治家になってから国防軍に志願して予備役の「兵士」になった体験もある。「9条死守」を唱える品川氏とは、軍事観や共産主義観に関して根本的な思想の違いがあることを見落とすわけにはいかない。
二重決定を品川さんは当時肯定していたのだろうか? シュミットが反核運動に迎合していたら、あの軍縮は実現しなかっただろう。その意味でも、僕は、シュミットは尊敬する(ヘビースモーカーである点は評価しないけど、それと政治的見識とは別次元)。

西独社民党が、東独の共産党などに対してどのような嫌悪感を歴史的に持っているのか、品川氏はご存じなのだろうか。
だからこそ、これから先は分からないが、少なくとも、ドイツ統一後も、地方政府は別にして、国政レベルでは、ドイツ社民党は、東独系の共産党、旧共産党とは連立政権を組んだことが一度もないのである。「緑の党」や「保守党」と連立を組んでいるのにである。なぜか? 共産主義と社会主義(社会民主主義・民主社会主義)とは全く異なる政治思想だからである。

そのあたりの西独社民党の東独共産主義者に対する嫌悪感や、東独の歴史、東独に於ける社会民主主義(民主社会主義)弾圧の歴史は、仲井斌氏の『もうひとつの ドイツ ある社会主義体制の分析』 (朝日新聞社)、 『西ドイツの社会民主主義』(岩波新書)、 『激動の東西ドイツ』 (毎日新聞社)、 『現代ドイツの試練 政治・社会の深層を読む』 (岩波書店)や佐瀬昌盛氏の『戦後ドイツ社会民主党史 政権への歩み』 (富士社会教育センター)に詳しい。

品川氏は岩波書店刊行の雑誌「世界」を創刊から愛読しているとのことだが、仲井氏の論文や著作などは目にとまらなかったのだろうか?

容共リベラルだった筑紫哲也氏などもワレサを賞賛したりしたことがあったが、品川氏の自叙伝を一読し、「容共リベラル」派たちの知的限界を見る思いだ。

数年前に公開されたソ連のハンガリー「進駐」を描いた映画「君の涙ドナウに流れ」でも紹介されていたハンガリーのマライ・シャンドールの詩が、下村徹氏の『ドナウの叫び ワグナー・ナンドール物語』(幻冬舎)本書の冒頭に引用紹介されている。

「自由の国に生まれた者には、理解出来るまい。私たちが、繰り返し噛みしめる自由は、全てに勝る贈り物であることを」

品川氏には、日本程度の自由すらも、ソ連東欧中国などでは存在しないことを知らなかったのだろうか。政府批判や米国に従属するとか、あれこれ煽動的な言葉を書き殴るのも言論の自由であるからいいのだが、もう少し井の中の蛙になることなく、広い視野をもって「平和」を追求すべきだったと思う。

平和を保つためには、単純な非武装ではなく、もっと戦略的に行動することも必要だ。そして、そんなに「平和憲法」を愛するなら、なぜ、中国や北朝鮮にまっさきに「輸出」し定着させる努力を、あなたがたのようなリベラルな人はしないのだろうか。それが不思議でならない。

ところで、品川氏の本にはそういう欠陥があるものの、企業人としての体験談など、いろいろと「へぇ?」と面白く読めるところもある。糸川英夫氏を個人的な顧問にしたことがあったそうだが、なんと一分間の話を聞くのに一万円払う契約をしたとか。十分話したら十万円! いやはや?




ソ連を愛するあまりに、ハンガリーへの侵攻は、「進撃」「進駐」になるのだろうか? (2014・1・1・水曜日)

昨日の大晦日、近所を少し歩いただけで、古本屋に寄ることもなく、むのたけじ氏の『99歳一日一言』 (岩波新書)を読んだ。

著者は、戦前戦中朝日記者だったが、1945・8・15、戦争責任を取る形で朝日を退社。その後、週刊新聞「たいまつ」などを創刊し、 『たいまつ十六年』 (現代教養文庫)などを刊行している。
「リベラル」なジャーナリストとして知られる。最近も特定秘密保護法批判者として、東京新聞(2013・11・28)に顔写真入りで大きく登場していた。

しかし、 「秘密保護法を制定する目的は戦争以外考えられない。米国の国際戦略で日本、自衛隊が利用されるということ」「かつての戦争突入時に似ている」と感じているそうな…。

このあたり、同じく秘密保護法に批判的だった保阪正康氏でさえ、半藤一利氏との対談本『そしてメディアは日本を戦争に導いた』 (東洋経済新報社)で、むの氏の戦後の生き方を批判的に捉えていたものだった。

また同じくリベラルで憲法96条改正などに反対しているにもかかわらず、特定秘密保護法制定には賛成している東大教授の長谷部恭男氏は、2013・12・ 20の朝日新聞で「特定秘密保護法で日本が戦前に戻るというのは非常におかしな議論です。今にも戦争が起きると言わんばかりの報道で人々をおびえさせるのはそろそろやめて、次のステージに移った方がいいと思います」と指摘していた。

この皮肉なコメントは、むの氏に東京新聞でのコメントに向けられた言葉といえるかもしれない。

『たいまつ十六年』 はかなり昔に読んだ本なので細かいことは覚えていないが、やはり「容共リベラル」臭さの残る本だったと記憶している。

久しぶりに取り出して見ると、昭和25年の項目では「六月二十五日朝鮮戦争が勃発した」「いま必要なことは、先に手を出した者をたしかめることではない。いまその議論をすれば、水かけ論でなくて油かけ論になる」…と。

しかし、お言葉であるが、当時から北朝鮮が南に侵攻・侵入したのは明々白々だったと思うが、仕掛けたのが北朝鮮・ソ連の側だと、いろいろと拙いので、確かめたくなかっただけなのではないかと思えるのだが…。

昭和31年の項目では、スエズ運河国有をめぐって「英仏軍のスエズ侵入」との表記もあり、これには深い関心を寄せているようだが、ソ連のハンガリー侵攻に関しては、 「二個師団以上といわれるソ連軍がハンガリアへ再進撃していた」と記す程度。

そして続けては、 「歴史が動くときはこういうものだろうが、一番問題なのは、英国がなぜ唐突な武力行動に出たかということだ」「英仏軍が強大な武力でどんなにエジプトの国土をふみにじっても、彼らの力は政治的にはもう限界にきてしまった。蛮勇をふるっても、追われるものは英仏である。言葉を換えていえば大国主義の崩壊だ。どんな大国であっても、理に合わないふるまいをしたのでは、どんな弱小国をも決して屈伏させることはできないのだ。そういう歴史が、スエズで明確に証明されたことが、日がたつにつれて一層思いかえされることであろう」と、英仏批判オンリーに徹していた。

この項目、なぜか会話体で記されているが、むの氏のホンネを綴ったものであろう。しかし、不可思議である。ハンガリーについてはほんの一言触れているが、 「再進撃」とは? 「再侵攻」「再侵入」となぜ表記できないのだろうか。

そして延々と英仏、英軍のスエズ「侵入」「武力行動」「領土をふみにじっても」「理にあわないふるまい」「決して屈伏させることはできない」と何度も批判しているのに、ソ連相手にはそんなコメントはないのだ。

少なくとも、当時の、むの氏は、ほぼ同じ時期に発生したソ連の蛮勇と英仏の蛮勇、ソ連のハンガリー侵攻と、英仏のスエズ侵攻とを同じ比重で等しく批判しなかったのは、まぎれもない歴史的事実というしかないだろう。

しかし、英仏は未だに存在しているが、「ソ連」はなくなった。

ハンガリー以降も、ベルリンの壁構築やチェコ「進撃」やポーランド危機などを引き起したソ連は消滅した。

ハンガリ-反革命というか、ハンガリー動乱の時に、 「大国主義の崩壊だ。どんな大国であっても、理に合わないふるまいをしたのでは、どんな弱小国をも決して屈伏させることはできないのだ。そういう歴史が、ハンガリーで明確に証明されたことが、日がたつにつれて一層思いかえされることであろう」と、むの氏が指摘していれば、ノストラダムスも驚く大予言適中となっていたことだろう。残念至極!?


こういうふうに、同じ侵略、侵攻であっても、相手によって「再進撃」「進駐」と平気で言い換える人を、僕は「リベラル」とも思わないし、尊敬することもできない。

こういう人たちと、「退却」「敗退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」と言い換えた戦時中の「空想的軍国主義者」と、その精神構造性において、何処がどう違うのだろうか?

単細胞的な空想的平和主義者も空想的軍国主義者も「同根」というしかない。その証拠が、こういう言葉の奇妙な言い換えであろう。

とはいえ、今回の本の少し前の2008年に刊行した『戦争絶滅へ、人間復活へ 九三歳・ジャーナリズトの発言』 (岩波新書)では、むの氏は「レーニンと毛沢東を裁く」と題して、両者を批判はしている(少し遅すぎるが一歩前進?)。





2011/10/24(月) 04:19:55
 1915年生まれの、むのたけじ氏の『希望は絶望のど真ん中に』 (岩波新書)を読んだ。著者は敗戦の日に朝日新聞を退社したことで知られるジャーナリスト。その点はケジメをつける人として立派にも感じるが、以前『たいまつ十六年』 (現代教養文庫・岩波現代文庫)を読んだ時に、その左翼的体質にいささか辟易とした覚えがある。
 
 中国に対しても本書(岩波新書)では一党独裁をいましめる提言などは若干なされてはいるが、著者の本質はさほど変化はしていないように思える。

「日本軍に殺された中国人民は2000万人であった、と中国政府は発表したが、これに対して日本国と日本国民はどのような償いをしたか」と大上段に構えている。

 だが、2000万人という数字を鵜呑みにしたり、6兆円のODAなどの援助が償いにならないと考えているのだろうか?
 戦前の日本の軍国主義体制などを批判するのは当然としても、それと同じような体制を今日でも確立している北朝鮮に関しては無関心のようだし、それと五十歩百歩の中共の一党独裁・植民地支配体制に関しては、おおらかな見解を表明しているだけ。物足りない?

「私は中国に人口と面積だけでなく、何よりも心の働きの大きな、おおらかな国になってほしい。それが中国の天地に最もふさわしい姿ですな。そのために一党独裁の解消です。西欧流の間接デモクラシーのくたびれて腐った政治方式への移転なんかではない。まだどこでもやっていない直接デモクラシーの、人民が真に主人公である直接デモクラシーの実現へ進んでほしい。もう一つ、少数民族の問題です。五五の少数民族が中国の全人口の六%ということですね。その人たちに100%でなく一五〇%の行動の自由を保障し、その営みの中で新しい連合体を組むべきではありませんか。この改革を中国は必ずやれますね」

 自由世界からの圧力なしでは、やれないでしょうね。民族自決の原則尊重はむろんのこと、周辺国家の領土領海領空侵犯・武力の威嚇による外交推進などもやめない国に、こんな甘言を言ってもナンセンスであろう。

 むのたけじ氏の本と、以前紹介したこともある元岩波書店社員の長島陽子氏の『中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」』 (論創社)と読み比べるといい。同じ長老で中国に幻想を抱いた人でも、目覚める人目覚めない人、さまざまな人生模様を知ることができる。どちらを参考にすべきかは言うまでもない。ソ連中共北朝鮮キューバベトナム(北欧)などに夢を紡ぐのももうほどほどにすべきだろう。

 以前も紹介したフランク・ディケーターの『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災1958▷↑1962』 (草思社)によれば、1958年から1962年にかけて大躍進政策によって4500万人が本来避けられたはずの死を遂げたという。むのたけじ氏は、その頃毛沢東の来日を望んでいたかもしれないが、確かに彼が中国を離れたら、人民はひといきついていたかもしれない。日本軍が殺したという(?)2000万の2倍以上を毛沢東が殺戮した「事実」を直視すべきだろう。
 こうした事実を無視する進歩的文化人の氏の本と同時に、長島氏の本やこういう本も手にすべきであろう。歴史を学ぶためには複眼的視野を持つことが必要なのだから。



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