古本虫がさまよう 民主社会主義者(民社学同・寺井融)」「向坂派(社青同・山崎耕一郎)」「共産主義者(民青・井之口政雄)」の「こころ」のどれが一番ピュアだったか?
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民主社会主義者(民社学同・寺井融)」「向坂派(社青同・山崎耕一郎)」「共産主義者(民青・井之口政雄)」の「こころ」のどれが一番ピュアだったか?
(2015・11・5・木曜日)







佐藤優氏&山崎耕一郎氏の『マルクスと日本人 社会運動からみた戦後日本論』 (明石書店)を読んだ。なかなか面白い対談本。

佐藤優による戦後日本の思想・社会運動論。対話する相手は、彼が十歳代に加盟した日本社会主義青年同盟の指導者・山崎耕一郎。向坂逸郎ら日本の理論・実践家への思い、ピケティへの評価なども交え、資本主義の問題点と、そこからの脱却の可能性について語る。




山崎氏は1940年生まれ。向坂さんの9人兄弟の6番目の弟(山崎八郎)の子供とのこと。すると、文字通り「向坂一派」の論客?「社青同」としては筋金入りだったといえようか。

向坂さんに「搾取」された体験を綴った(?)、岡崎次郎氏(『マルクスに凭れて』青土社)のことはちょっと出てくるが、「諸君」での、あの問題インタビューなどは出てこない(あれは、いまにして思えば、ちょっと認知症初期だったのかもしれない?→「後出の再録」参照))。

反向坂派になった高橋正雄氏などは出てくる。ソ連崩壊やピケティ現象など、いろいろと論じ合っている。

高橋氏は、向坂氏と訣別してからは、社会党右派、民社党系の学者となっていったが、この本では、旧同盟系の労組委員長は年収2000万円あるとか、支部長でも1000万あるとか、「それじゃあ一般組合員から遊離します」(佐藤)との指摘があった。「労働貴族」といわれる大企業の労働指導者もいるから、そのあたりを指摘しているのだろう。

また、「ネオコン」ならぬ「コレコン」があるとか(「コレコン」の詳細は本書にて?「ネオコン」も、もとを辿れば、反スターリン型社会主義に行き着くともいえようか?)。

「向坂逸郎は、ソ連の欠点についていろいろ気がついてはいたようだが、われわれには語らなかった」(山崎)とのこと。大内兵衛のハンガリー動乱に関してのソ連擁護論、ハンガリー田舎論なども両者の話題に出てくるが、向坂氏も大内氏と五十歩百歩というか、単細胞的なソ連迎合論者だったといえるのではないか。


あと、本書では、ベルンシュタインや佐藤昇氏などの評価は出てこない。佐藤昇氏の『革新の神話を超えて』 (現代の理論社)や『社会主義の再生のために』 (風媒社)などは学生時代に一読したが、名著だったと記憶している。そうした社会主義の真の再生を拒んでいたのが向坂派であったと見る向きもあろう。

山崎氏と好対照なのが寺井融氏。彼の『民社育ちで、日本が好き』 (展転社)を読んだ。
著者は元民社党の政党職員。それから新進党のスタッフ、政治家(西村眞悟氏)秘書や産経新聞記者やミニコミ紙編集長や大学非常勤講師などを勤めていたそうな。
本書は、日々の雑感と現代の動きとを巧みに交差させながらの面白いエッセイ集である。生まれは1947年だから、いわゆる全共闘世代に属する。
1960年代半ばに中央大学で学んでいるが、当然、大学紛争激化のころだ。その中で、彼は、日本民主社会主義学生同盟なる組織を大学内で造り、同志と共に活動を展開。とりわけ左翼の暴力的な手法に抵抗感を覚えていたという。中核派や民青の学生に囲まれ、首を絞められたり、足を蹴飛ばされたりしたそうな(社青同は出てこなかったか?)。

社会党&民社党、どっちも事実上「消滅」? 「社民党」はまだあるが、世界の民主社会主義政党(社会主義インター)の中にあっては、異質の極左政党というしかない。社会主義インター所属の社会主義政党は、自国の防衛力整備に反対したりNATOからの脱退などを主張したりはしないのだから(もっとも英国労働党はかなりの左派党首を選んだが)。日本の社民党は風前の灯。民社党系議員は、自民党や民主党などに散っていった感がある。旧同盟は、連合の中では主流的な民間組合として存在感を示してはいるが…。
 
引き続き、井之口政雄氏の『共産主義者のこころ』 (三一新書)を読んだ。

井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)
沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学理財科に進む。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。
1923年(大正12年)に日本共産党に入党。1925年(大正15年)の『無産者新聞』の創刊とともに記者・編集委員、記者としては最も長い間同紙に関係した一人である。1927年(昭和2年)から予備役の第二期召集で鹿児島歩兵連隊に再度入隊。1928年(昭和3年)の第1回普通総選挙に際して、労働農民党候補として沖縄県から立候補したが落選。三・一五事件に連座して同年10月に検挙され、治安維持法違反で懲役8年の判決を受ける。
戦後、共産党兵庫県委員会の再建に加わり、1946年(昭和21年)機関紙『アカハタ(赤旗)』関西総局責任者となった。1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙に、兵庫2区から衆議院に当選(1期)、共産党国会議員団長を務めた。



回想的な短文エッセイ集。

1932年にコミュニストが大量逮捕され、裁判になった時、平田検事はたいしたことはなかったが、宮城裁判長は大物で、「独、仏、英を自由にしてローマ法からゲルマン法、ラテンフランの諸法律、アングロサクソン、ドイツ法からの慣例に至るまで、つめこまれる限りの圧制手段には通暁していた人だったが、その上にマルクス・レーニンの直接諸学説を大急ぎで目を通しだした」とのこと。

そして、「この被告は共産党員の癖に、この辺の理論が怪しいなあと見当をつけると、その辺を攻撃してくる有様であった」という。

例えば、転向前の佐野学が「私はこの陳述を始めるに当りまして、階級戦でたおれた多くの同志諸君に、一分間の黙禱を捧げたいと思います」というと、裁判長は、「そうかねえ。おれは共産主義者ていうものは、無神論者であって、そんな神様をもったりなどしないものかと、思ったのに、死んだ人たちの霊魂をおがむのかねえ」と。

佐野は「コミンテルンでも、大会をひらくときには、一分間の黙禱をやるんだ」と反論すると、「ああ、そうかねえコミンテルンでやることなら、被告たちはどんなことでもやるんだねえ。つまり日本共産党は、コミンテルンの頭でつかわれていたんだねえ」と。

そういわれて、佐野は「ブツブツ‥‥‥‥‥」と。

反論できなくなってしまい、見かねた「同志」「被告」の徳田や志賀などが「何をいってやがるんだ。仏様としておがむんじゃないやい。貴い犠牲を払った同志として、その功績をしのぶんだい。そのこころざしをつぐことを誓うんだい」と喧々囂々となったそうな。

著者は、「つけ焼刃というものは、兎角実戦には役に立たぬものだ。たったこれだけのたちうちにも佐野はボロを出してしまう有様だった」と批判しているが、まぁ、佐野さんの転向に関して、宮城裁判長の一言も効いたのかもしれないね?

ウィキペディアによると、佐野氏は、「1932年に東京地裁で治安維持法違反により無期懲役の判決を受ける。1933年、鍋山とともに獄中から転向声明「共同被告同志に告ぐる書」を出した。これはソ連の指導を受けて共産主義運動を行うのは誤りであり、今後は天皇を尊重した社会主義運動(一国社会主義運動)を行う、という内容であった。1934年5月の東京控訴院判決で懲役15年に減刑されて控訴審判決が確定し、1943年10月に出獄した」「第二次世界大戦終戦後、風間丈吉ら転向者とともに労農前衛党を結成、鍋山らとは民社党の母体となる民主社会主義連盟の創設に参加し、理事を務めた。また、早稲田大学商学部教授などを務め、反ソ連・反共的な立場で『唯物史観批判』(1948年)などを著した」とのこと。

ふうむ、すると寺井氏は、佐野氏の系列にもなるのか。このあたりの社会主義陣営は、反共リベラルや容共リベラルや元共産党やら転向組やら、入り乱れて複雑怪奇なところもあるようだ。誰の生き方が一番ベターだったか? 人それぞれというしかあるまいが……。
まぁ、なるべく荒唐無稽なことを主張することなく、過去を振り返り、自分のやってきたこと、言ってきたことがなるべく矛盾を感じないで、生涯を終えられるほうがベターではあろう。

そういえば、社会党の調査部長だった上住充弘氏が、レフチェンコとロングインタビューをしたことがあり、その一問一答が掲載された雑誌(「文藝春秋」1993年6月号「私が操った社会党と新聞」)をかつて読んだことがある。

その中で、レフチェンコは、ソ連が親ソ派の社会主義協会の関係者に対して、モスクワなどに招待し、「洗脳をしたんです。彼らがソ連にいる間に、あらゆる手段を使って、そして金をばらまいた」「洗脳に次ぐ洗脳をほどこしました」と証言していた。それを受けて、上住氏が「ソ連で洗脳された『社会主義青年同盟』や『社会主義協会』の青年エリートたちが、現在、社会党の中央本部や地方県本部の幹部になって、社会党を牛耳っているのです」と語っていたものだが……。


ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!



向坂逸郎センセイはエロス本も反ソ本も愛読していた? 
(2014・9・28・日曜日)

(一部略)古書会館では、 『向坂逸郎文庫目録 Ⅰ 日本語図書分類順』 (法政大学大原社会問題研究所)なる冊子(頒価3000円)を500円で購入。
この本の隣にもう一冊同じタイトルで、番号違いのものがあったが、洋書というか外国書の文献目録だったので、そちらは購入せず。

向坂さんといえば、誰よりもソ連を熱烈に盲目的に愛した日本人として有名。ソ連のほうが日本より自由がある、社会党が政権を取れば、日本はワルシャワ条約機構に入るなんて放言したこともあった(「諸君!」1977年7月号『マルクスよりもマルクス』。インタビュアーは田原総一朗氏)。当時80歳近い高齢だったから、もしかしたら一種の認知症だったのかもしれないが? それ故に「ホンネ」を喋った?

この文庫目録、全5巻だそうな。巻頭の「はじめに」で、向坂さんの蔵書を大原社会問題研究所が譲り受けるにいたった過程が、所長の二村一夫氏によって綴られている。岩波文庫の『資本論』をはじめ多数のマルクス主義文献の翻訳者・紹介者としても大きな仕事を残されたと礼賛しているが‥‥。

この冊子は1992年の刊行。しかし、向坂さんの蔵書を譲り受けたのは1985年7月。彼が死去(同年1月)した直後に寄贈の話があったという。なるほど‥‥。
というのも、『資本論』の下訳を実質的に担った岡崎次郎氏は、たしかその自著『マルクスに凭れて六十年  自嘲生涯記』(青土社)で向坂氏を批判していた。本当は法政大学出版局から刊行される予定だったのが潰れてしまって、青土社になったという趣旨のことも述懐していたこと記憶している。
この本は、1983年の刊行だが、本当は、岡崎さん、法政大学教授だったということもあり、この本も法政大学出版局から刊行予定だったのに、なぜか出なくなって青土社にいったとか。向坂批判がいけなかった?
まぁ、学問の世界は、いろいろとあるのでしょう。岡崎さんは実際に訳出したのに、翻訳料を、よりによって「マルクスよりもマルクス」の向坂さんに搾取されたようであるが?

それはさておき、以前も紹介したが、渡部昇一氏&谷沢永一氏の『読書談義』 (徳間文庫教養シリーズ)の中で、向坂さんの書物愛について渡部氏がこんなことを書いていた。


「書物愛は不思議なものである。政治的あるいは宗教的信条を異にして、本来ならばお互いに無関心であるべき、あるいは反感を持つべき人に対しても、その人が本好きで蔵書自慢などしていると聞くと、自分と同類のように思われて、親しみを感じてしまうのである。いつか新宿のバーで谷沢さんと政治の話をしていた時のことである。二人とも当時の社会党は毛沢東や金日成の手先となって日本の国益を損なうことをやっていると憤慨した。その社会党左派の理論的支柱であった故・向坂逸郎に談が及んだ時、その蒐集癖、つまりビブリオフィリの話になって、結局、『彼は憎めないなア』ということになってしまったことがあった」

その一節を記憶していたので、高円寺古書会館で、この冊子を見て購入を決意した次第。

パラパラと移動の電車で見たが、500頁弱の冊子。1頁に20~30冊ぐらいの本が紹介されている。書名、著者、訳者、発行所、刊行年、頁数など、図書館の分類のように。二村所長によれば、向坂さん所蔵の日本語図書のすべて15001点、21390冊を分類順に配列・収録しているとのこと。

ううむ、15000点か‥‥。2万冊か‥‥。総量なら、僕の実家の書庫にもそれぐらいはありそうだが、中身がなぁ?  外国書? うん、若干ある。ふふふの本(ペーパーバック?)。向坂さんもエロス本の一冊や二冊はお読みでは?と思うのだが、ううむ、 『カサノヴ情史第1巻々2巻』 (河出書房・市民文庫)ぐらいかな(見落としもあるかも?)。

しかし、ソ連関係では、ソ連を批判していた竹山道雄氏の『まぼろしと真実 私のソビエト見聞記』 (新潮社)やソルジェニーツィンの小説なども、若干は所蔵していたようだ(読んで啓蒙されはしなかったのだろうが)。

反共リベラルな反ソ文書も若干はあるようだ。これらの資料は、大原社会問題研究所で、閲覧やコピー(資料の劣化によって制限あり)も可能なようだ。研究所は「町田市」にあるが、
杉並区立図書館のように杉並区住民でないと利用させない(もしくは隣接区民のみ)とかそういう制限はないとのこと。立派な「図書館」だ? 機会あれば訪れたいもの。(以下略)


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