古本虫がさまよう ニューズウィークと池上彰に学ぶ――「歴史修正主義」のどこがいけないのか? 許される「歴史修正」と許されない「歴史修正」とを見極めて知性的な思考力を磨くことが肝要
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ニューズウィークと池上彰に学ぶ――「歴史修正主義」のどこがいけないのか? 許される「歴史修正」と許されない「歴史修正」とを見極めて知性的な思考力を磨くことが肝要
(2015・10・21水曜日)







国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、旧日本軍によるとされている「南京大虐殺」に関する資料を世界記憶遺産に登録したという。
これは、おかしいというのは「歴史修正主義」になるのか? 登録するための資料として、東京裁判の判決などを援用したというが、その判決文に対して部分的な疑問を提示することは「歴史修正主義」になるのか?

「カチンの森」の虐殺者は、一時は、通説は「ナチス・ヒットラー」になっていたが、今は「ソビエト・スターリン」に確定している。中共の「大躍進」「文革」は、日本の進歩的文化人らによって、素晴らしき精神革命ともてはやされたが、大量虐殺を伴う政治闘争でしかなかった。

そもそも、スターリンは素晴らしき共産国家をつくったはずだったが、何百万(何千万)もの粛清(殺害)を行なった狂気の独裁者であったという評価がすでに定着している。

しかし一時とはいえ、「カチンの森」の虐殺者は、スターリンではなくヒトラーとされ、大躍進・文革は素晴らしき革命とされていた。

そういう認識が「多数派」「通説」だった時代に、それに疑問を提示することは、悪しき「歴史修正主義」だったのか? そうではあるまい。これは、間違った歴史認識が、正しい歴史認識に、正しく修正されたと見るべきではないのか? 

そうした「歴史修正」に役立った本は、例えば、カチンの森に関しては、ザボドニーの貢献がある。

1963年に、元朝日記者の中野五郎氏訳で『カティンの森の夜と霧』 (読売新聞社)が訳出されていた(僕はその本を探し求めて、20数年ほど前にある古本市で見つけた。長年積んどくしていたが…読了)。

その新訳・改訳・改題本として『消えた将校たち  カチンの森虐殺事件』 (みすず書房)が出た。そのほか、みすず書房からは、ヴィクトル・ザスラフスキーの『カチンの森 ポーランド指導階級の抹殺』や、ノーマン・M・ネイマークの『スターリンのジェノサイド』が出ている。いずれも本欄で刊行直後に読了し紹介ずみ。

いずれも、「反知性主義」的な進歩的文化人らの「誤解」を解く力作だ。

そのせいか(?)、「みすず」(雑誌)が毎年、1月&2月号でやっている読書アンケートで、こうした、みすず書房刊行の名著なのに、これらの本を強く推す「歴史家」は皆無だったように記憶している。これを「知性主義」といえるだろうか?

ザヴォドニーの本以前にも、1953年にはアンデルス(ポーランド将軍)の『裏切られた軍隊上下』 (光文社)、1957年には、アントニー・エカートの『跡方もなく消えぬ』 (国際文化研究所)が訳出されていた。

アンデルスは、当初ソ連の捕虜になっていたが、独ソ開戦後は、スターリンが亡命ポーラント政府と協力関係を取ることになり、アンデルスも釈放されてドイツと戦うことになる。そのために部下・将校などが必要になるのに、その「仲間」が行方不明ということで、「なぜ?」ということになる。
口を濁すソ連への不信が述べられ、英米のソ連への迎合、カティンの森に関する沈黙を批判もするが、小国ポーランド故に大国の国益の前には歴史の真実は隠蔽されてしまったのである。ドイツのカティンの森での虐殺死体発見の報も、ナチスによる捏造とされてしまう。

一市民のエカートもソ連の捕虜になり、脱出やらいろいろな体験を綴っているが、ポーランド捕虜の行方不明に関しての描写もあった。

映画の原作として集英社文庫からアンジェイ・ムラルチクの『カティンの森』も出ている。ワイダ監督の父親もソ連によって殺されたとのこと。原作(フィクション加工あり)と映画とは若干ストーリーに変更があるが、読んでほしい、見てほしい作品だ。

そのほかにも「チベット」をめぐる評価の変遷は、「歴史修正主義」になるのだろうか?
以前、岩田温氏の『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』 (オークラ出版)を紹介したことがある。


【目次】(「BOOK」データベースより)
はじめに 朝日新聞の呪縛から自由になるために/第1部 朝日新聞のチベット報道(豹変する朝日新聞(一九四五~一九五六)/無神論集団・朝日新聞の暴走(一九五六~一九五九)/口をついて出る朝日新聞の「嘘」の数々(一九六〇~一九八〇)/中立を装う悪質な偽善集団・朝日新聞(一九八〇~二〇〇八))/第2部 朝日新聞が伝えないチベット問題の真実(朝日新聞が報道しないチベット侵略の歴史/中華思想という侵略イデオロギー/中国に媚び諂う恥ずべき政治家の面々/日本が赤旗に侵略される日~長野「聖火リレー」レポート)



もっとも、この本でも、1950年代の朝日のチベット報道は中立的であったとして、1950年12月29日の社説「チベットをめぐる紛争」が引用紹介されている。
しかし、そのあと、50年代半ば以降は、中共によりチベットの開発が進むという肯定的記事が続々と掲載されるようになっていく。ダライ・ラマへのノーベル賞授与は政治的であるとして反対する社説まで書いている。まぁ、屍のような記事だ?

とはいえ、「無神論集団・朝日新聞の暴走(一九五六~一九五九)」の時期であっても、昭和34年(1959年)4月5日付け朝日社説「ダライ・ラマ亡命の背景」を読んでみると、まだマシ?
ラサを脱出したダライ・ラマを、追いかける中共のパラシュート部隊…。なんとかインドに亡命したことを冒頭指摘。

「その身辺の安全は保障されたと見てよい。これは、自由世界に安心感を与えるものであるが、チベットの最高権力者として、国民の尊敬を一身に集めているダライ・ラマを、亡命者の運命へと追込んだ背後の情勢については、われわれの疑惑は強まるばかりである」

文中では、中共のチベット解放も、カギカッコ付きの「解放」と表現し、中共は「解放」以来、さまざまな建設事業を行なっているというが、「それは、中共にとってこそ、異民族統治の上で必要であり、正しいことかも知れぬが、統治される側で、それに満足するかどうかは、まったく別問題と言わねばなるまい」「”ヒマラヤのハンガリー事件”との評さえ、すでにアメリカでは行われている。中共は、これを”国内問題”として説明を拒むことなく国際的批判に答える必要があろうと考える」と。

1959年時点の社説として「合格点」であろう。「自由世界」なんて言葉を朝日が使っているなんて?(「中共」は当時としては普通の用例?)。いや、朝日にもちゃんとした人が当時はいたんだ?

といっても、この社説は岩田氏の本では紹介されていなかったと思うが、同じ日の紙面には、森恭三氏がいろいろと解説を書いて「本当の人民の意思、あるいは外からの工作が、世界を納得させるような方法で証明されるならば中共の実力行使もやむをえなかった、という結論が出るかも知れぬ」と、ちょっとヨイショ記事を書いていたりする。やれやれ。

そして、2015・9・23の朝日社説。

平均高度4千メートルという中国西部の高原地帯チベットが、自治区成立50年の節目を迎えた。
 現地では祝賀ムードが演出されたが、習近平(シーチンピン)政権の政策は相変わらず経済成長と管理強化の組み合わせに終始している。自治の名にふさわしく、独自の民族文化を尊重する方向を明確にするべきだ。
 区都ラサで今月あった記念式典で、民族政策を担う兪正声(ユイチョンション)・全国政治協商会議主席は、50年でチベットが「天地がひっくり返るような」変化を遂げたと述べた。これまでチベットの財政の95%を中央が負担し、住民の収入は毎年10%以上伸びたという。今後も成長政策に力点を置くとしている。
 しかし、チベットの文化が大事にされてきたとは言いがたい。自治区内で漢族人口の比率が高まり、学校では標準中国語教育を浸透させている。
 何よりも、人々にとって大事な心のよりどころであるチベット仏教の寺院や僧侶への監視を強めている点が懸念される。
 宗教問題は自治区成立前からの複雑な経緯がある。1959年に起きた動乱で、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が北インドに逃れ亡命政権を樹立。以来、チベット民族の自治拡大を求めている。これに対し中央政権は、国家を分裂させるものとして非難している。
 チベットではダライ・ラマの写真や動画を所持することは取り締まりの対象だ。信仰に関する事柄も政治的に解釈される。そうした弾圧への抗議で焼身自殺する僧侶が後を絶たない。
 基本的な権利が保障されていない事実を見過ごすことはできない。兪主席は「信仰の自由は十分尊重されている」と語ったが、チベットの多くの人々はうなずけないだろう。
 チベットやウイグルの問題からうかがえるのは「中華民族」という言葉のもとで国内を一色に塗りつぶそうとする習政権の姿勢だ。
 かつて清朝はチベットを支配下に置くというよりは、その独自性を重んじる立場をとっていたと言われる。宗教や文化の多様性を尊重する包容力があってこその大国ではないか。
 中国当局と亡命政権の間では一時期、対話があったが、ここ数年途絶えている。ダライ・ラマの後継者問題も先行きが不透明だ。外国メディアが自治区に入ることは制限され、チベットの声は外に伝わりにくい。
 人々が心安らかに過ごせるよう各国が関心を寄せ、中国に対話の再開や現状の改善を働きかけ続けることが必要だ。



まぁ、何とも言えない、迫力のない、心からの怒りのない内容とはいえ、チベット解放を賛美するような内容ではない。だからといって朝日が、あしき「歴史修正主義」に陥ったわけではあるまい。でも、中共からすれば、「朝日よ、お前もか?」と思うかもしれない?
ともあれ、このように「歴史解釈」はしばしば修正されていくのではないか。


「歴史修正主義」を考える上で、参考になるのが、池上彰さんの、以下のベトナム戦争をめぐるコラムだった。

ベトナム戦争終結40年 世界は騙されていた
(2015・10・5日経朝刊)
 大学の夏休み中、私はベトナム取材に出かけました。東京工業大学での秋学期、私の講義のひとつは「現代史」です。ベトナム戦争後、大きく変化するベトナムの今を見て、講義に生かそうというわけです。
 戦後、ベトナムは南北に分断され、南ベトナムでは南ベトナム政府と、反政府勢力の解放戦線(南ベトナム解放民族戦線)の内戦状態となり、米軍が政府軍を支援して介入。一方、解放戦線は北ベトナムが支援して、泥沼のベトナム戦争が続きました。
 1973年、米軍が撤退すると、75年、北ベトナム軍が大攻勢をかけ、南ベトナム政府は崩壊。ベトナム戦争は終結し、南北ベトナムは統一されました。
 ベトナム戦争当時、南ベトナムで政府軍や米軍と戦っていた解放戦線は、「南ベトナムの人民による武装勢力」と称していました。ところが、北ベトナム軍が南ベトナムに侵攻して勝利すると、解放戦線は姿を消してしまいました。
 確かに初期の解放戦線は、南ベトナムの市民や農民などによって構成されていましたが、米軍との激しい戦闘で犠牲者が増えるとともに、密(ひそ)かに南下してきた北ベトナム正規軍が主力を担うように変化していたのです。
□ ■ □
 当時、北ベトナム正規軍に所属して南ベトナムで戦っていた元兵士に、首都ハノイで話を聞くことができました。北ベトナム正規軍なのに、南ベトナムで戦っていたと認める元兵士。私はこう聞きました。
 「当時、解放戦線は南ベトナム人民の武装勢力だと宣伝していましたが、実際は北ベトナム正規軍だったのですね?」 すると、元兵士、まったく悪びれることなく、「そうだ」と肯定。
 「では、世界を騙(だま)していたのですね?」と私。
 元兵士はニヤリと笑って、「南北ベトナムはジュネーブ条約で互いに相手を攻撃しないことになっていたから、合法性を装うために解放戦線を名乗ったんだ」と答えたのです。ジュネーブ条約に違反して、南ベトナムを攻撃したことを、あっけらかんと認めたのです。 これだから現代史は難しいですね。当時言われていたことが、その後の検証で覆される。そういう事態はしばしば起きます。ベトナム戦争も、そのひとつだったのです。これは、秋学期、学生たちに現地報告として伝えなければ。
 今回、ハノイでは「ヒルトン・ハノイ・オペラ」というホテルに宿泊しました。オペラ座の前にあるので、この名前なのですが、私には感慨深い名前でした。
 ベトナム戦争当時、米軍は北ベトナムを爆撃しました。このとき撃墜された米軍機のパイロットは、捕虜として収容所に入れられました。米軍兵士は、この捕虜収容所を“ハノイ・ヒルトン”と呼んだのです。
 米国人が海外で宿泊するホテルの定番はヒルトン。そんな認識があった上での自虐的な呼び名でした。それが、いまや本当に“ハノイ・ヒルトン”が存在するからです。米国人も宿泊していました。ベトナム戦争は遠くなったのです。



したがって、ベトナム「解放戦線」とやらは、南京大虐殺もあっと驚くかどうかは別にしても(?)「幻」だったのだ。

朝日の論説主幹だった森恭三は、 「ヴェトコンには、現在の腐敗して非能率的な南ヴェトナム政権に対抗する、よき野党であり、将来よき政権担当者となりうるような可能性があるのではないだろうか?」 (「世界」1965年5月号)と指摘(予想?)していたが、大外れ?

もっとも、そうした北ベトナムの嘘は、戦争中も指摘されていたが、幻を信じる人たちは否定していた。だからこそ、1975・4・30の夕刊で、朝日は一面トップにカギカッコなしの「解放軍」という見出しをつけたのだろう。

翌日の5月1日付けの朝日新聞社説は、 「ベトナム戦争は、徹頭徹尾、民族解放の戦争であった。それが解放勢力の勝利に終わったことは、民族主義を大国が力で抑えつける時代は終わったことを示している」と書いた。

だが、1976年5月24日付け毎日新聞「余祿」は、自社新聞に連載された北ベトナム人民軍参謀長バン・チェン・ズンの「ベトナム戦記」を読んで、以下のような驚きを記している。池上さんと同じような感慨だ(ただし、いまから40年近く前!)。

「戦記は、解放戦線が戦闘の主体であるとか、共産主義者ではないとかいう先ごろまでの日本での定説をくつがえした。つまり、ベトナム戦争の本質は、アメリカが主張していた通り、北ベトナム共産党に指導された北ベトナム軍対、南ベトナム軍・アメリカ軍の戦いであったことを、ハノイの軍事責任者が告白したものにほかならない。解放戦線に声援を送り続けてきた日本の”進歩派”の一部が、これだけの大きな事実認識の誤りについて、口をつぐんだままなのは不思議でたまらない」

こういう「解放戦線」に対する「歴史修正主義」はどう考えても正しいというしかあるまい。ベトコンの存在を今なお肯定する人がいたら、その人は、極めて「反知性主義」的な人というしかあるまい。毎日新聞の「余祿」氏が40年近く前に気づいていたのだから。いや、半世紀以上前から気づいていた人もいたが、そういう人には、「反共主義者」などというレッテルが貼られていたのだろうし。

そういう反知性主義的な人には、今からでも遅くない。タイン・ティンの『ベトナム革命の内幕』『ベトナム革命の素顔』 (めこん) を読むことをお薦めしたい。ベトナム共産党機関紙の幹部だった人による「裏切られた革命」の実態が赤裸々に書かれている。著者はフランスに亡命している。タイン・ティンの本に書かれている内容は、一部の人からするとケシカランといった「歴史修正主義」になるだろうが、これは正しい「歴史修正主義」の本といえる。

それにしても、ベトコンの存在を信じ込み、南ベトナムの民衆の「反共」意識を無視し、「陥落」後の難民発生には見て見ぬフリをした「反知性主義」の面々は、小田実以下、夏のゴキブリ並に存在していた。その実態は、稲垣武氏の『「悪魔祓い」の戦後史』 (文春文庫絶版。PHP研究所)で詳述されている。

あまりにも愚かな「だまされた人々」……。こういう「反知性主義」に沈黙する自称「知性派」はなんにたとえられるべきだろう。

ともあれ、 「ニューズウィーク」(2015・10・27号)の特集「歴史戦争 勝者なき不毛な戦い」を読んだ。在日韓国人(現在は日本国籍取得)の鄭大均氏が「慰安婦や強制労働へのこだわりは歴史の忘却ゆえ」「反日自尊派の暴走が韓国の成熟を脅かす」と指摘しているのは正論だろう。彼の著作である『在日・強制連行の神話』 (文春新書)は、「強制連行」論の神話を暴いた本だが、鄭さんが悪しき「歴史修正主義者」であるわけはないだろう。

同じく、南モンゴル出身の楊海英氏(現在は日本国籍取得)は、 「中国の虐殺も記憶遺産に登録すべきだ」として、中国の数々のジェノサイド(チベットやモンゴルやウイグルに対するもの)も登録すべきだとしている。
「戦後は民主主義国家の道を歩んでいる日本を不当に攻撃するとは本末転倒でしかない。人道に対する罪に国境の障壁はない、とジェノサイド条約を採択した以上、国連は中国が犯した犯罪も裁くべきではないか」と指摘しているが同感だ。

中共はあまりにも天に唾している。やがて、その愚かな行為による自らへの呪縛にがんじがらめになることだろう。

また、ミンシン・ペイは、オーウェルの言葉(「現在を支配する者は過去を支配し、過去を支配する者は未来を支配する」)を引用しつつ、中国共産党のそうした行動様式を分析している。

「権力を維持するために不都合な過去を検閲し、改ざんしている」と。それこそが歴史の修正であると。「孔子」を毛沢東時代には封建主義の権化として排斥したのに、今や再評価。歴史評価がコロコロと変わるのが全体主義者の特質であるということは、オーウェルもよく指摘していた(その意味で、いま、日共が必死になって安保も認めるよと言い出して「人民戦線」構築に躍起となっているのは、どういう策略からのものか、共産主義の本質を知る者からすれば、一目瞭然だろう。振り込め詐欺にも似た甘言にひっかかる手合いもいるかもしれないが?)。

だが「中国の熱狂的なナショナリズムは日本、ベトナム、フィリピン、インドなどをアメリカに接近させている」「オーウェルの歴史観も、こう修正すべきではないか。過去を支配する者は、必ずしも未来を支配しないと」。

なるほど、その通りだろう。

先日、中国にいるジャーナリストが一時帰国した時に、「中共当局は安倍首相の靖国参拝を恐れている」と伺った。僕が首相ないし外務大臣なら、かつての「敵国」の政治指導者(より肩書がビッグな人)を靖国参拝をするように工作するだろう。「現職」が無理なら、「元職」でもいい。明治神宮に参拝している、ヤルタ体制への疑問をバルト三国訪問時に表明したブッシュ(ジュニア)元大統領など最適だろう。社頭参拝でもいい。いや、靖国境内を散策するだけでもいいかもしれない。インドやフィリピンやベトナムやオーストラリア‥‥など。やればできるだろう。もちろん靖国だけでなく、広島や長崎にも寄られるといい。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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