古本虫がさまよう 『人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み、食べ、歩く800キロの旅』 があるなら、『人生に疲れたら古本屋巡礼 読み、買い、歩く一万キロの旅』があってもいいではないか? ところで、「宗教は阿片」でも、「薬石としての巡礼」
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『人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み、食べ、歩く800キロの旅』 があるなら、『人生に疲れたら古本屋巡礼 読み、買い、歩く一万キロの旅』があってもいいではないか? ところで、「宗教は阿片」でも、「薬石としての巡礼」
(2015・10・7・水曜日)






椎名誠氏の『ぼくは眠れない』 (新潮社)を読了したあとに、小野美由紀氏の『人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み、食べ、歩く800キロの旅』 (光文社新書)を読み始め、読了。

ところで、椎名氏の本の感想で書き忘れたことが一つ。

彼が作家生活の回想の中で、自分の処女作『クレジットとキャッシュレス社会』 (教育社)が手に入らない云々と書いてあって、ネットか何かが高額で出品されていると……。

「日本の古本屋」でも唯一こんな風に売りに出ていた。

『クレジットとキャッシュレス社会』 (教育社)◇入門新書
金沢文圃閣 石川県金沢市長土塀 ¥16,200
椎名誠(『本の雑誌』編集長他)、教育社、1979


金沢文圃閣という古本屋はいささか(?)強気の価格で売っている? でも品数は多そう? 「金沢・富山古本市ツアー」の時は寄ってみたいものと思っている。この前、高遠古本市ツアーをした時、蟻屋書房で、買い求めようとした古本も、蟻屋では1000円程度だったが、金沢文圃閣では3000円ぐらいしていたかと。

椎名氏の処女作は、都内の区立図書館で所蔵しているところもあるようだから、それを借りて読むので十分であろうか。教育社の新書は、当時いろんな分野のものが出ていたと記憶している。椎名氏の処女作も、あのシリーズの一冊であろうか。
あの中には、塚本哲也氏の『フィンランド化 ソ連外交の論理と現実』 (教育社)など、面白いものもあった(これもなかなか手に入らないが、十数年前に格安で購入し読了済み。今朝チェックしてみたら「日本の古本屋」にはなく、アマゾンでなんと31999円で出しているところがあった。ううむ。塚本氏のこの本をブックオフでもう一冊見つけて金沢文圃閣にもっていけば高く売れるかも。いや、自分でアマゾンに20000円ぐらいで出品すればいいのかも? 高円寺などの古書会館などで、携帯機器を駆使して「せどり」をしている人も、こういう古本を対象にしていることだろうか。ちなみに、椎名氏の本も、塚本氏の本も、どちらも杉並区立図書館は所蔵している。でも、この杉並区、近年、杉並区&周辺区しか図書カードを作成しなくなったケチケチ図書館。でも、相互貸し出しシステムはあるはずだから、嫌がらせ(?)に、杉並区民や周辺区民でなくても、リクエストして、自分の居住地の図書館まで取り寄せて一読するのもいいかも?)。

教育社新書の椎名氏の作品には気づかなかった。 『さらば国分寺書店のオババ』 (情報センター出版局)あたりか入っていったから。

ともあれ、小野美由紀氏の『人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み、食べ、歩く800キロの旅』 (光文社新書)。

小野氏は就職先でいろいろとあったり、パニック障害を起して、人生に疲れ(もしかして、椎名氏のような「不眠症」にもなったのでは?)、そして学生時代にあちこち海外旅行をして体験もあって、思い切ってスペイン巡礼の旅に出掛けたそうな。その体験を綴った旅行記(パニック障害といえば、それにかかったという医師・作家の南木佳士氏の『薬石としての本たち』 (文藝春秋)を紹介したばかり。巡礼も「薬石」となりしか)。

四国の88カ所巡りの巡礼もあるが、こちらも聖地サンティアゴを目指して歩く。安い宿泊施設があったり、語学が堪能でなくても片言の英語や身ぶり手振りでいろいろと交遊もできるそうな。巡礼するためのノウハウなどはむろんのこと、「旅」による効用なども実感から綴られている。毎日何十キロも歩けば、バタンキューと眠ることも。

スペインには出掛けたことがあるし、カトリックの教会など観光施設的なものは、サラゴサなどで拝見した記憶があるが……。そもそも「無宗教」派というのか、「宗教は阿片である」と喝破した某思想家に関して、このヒゲモジャのオッサン、これだけは正しいことを言ったのではないかと思わないでもない我が身であるが……。

(閑話休題。以下引用紹介)
2010年7月15日(木)「しんぶん赤旗」
マルクスが言った「宗教はアヘン」とは?
 〈問い〉マルクスが言った「宗教はアヘン」とは、どんな意味で、なぜ今も話題になるのですか?
 〈答え〉マルクスは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書いたことがあります。
 この文脈からも明らかなように、アヘンを単純に毒薬という意味で使っているのではありません。アヘンは乱用すれば有害ですが、アヘンの成分から作られるモルヒネは、鎮痛剤として使われています。
 アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味です。ここには、当時のヨーロッパで宗教が果たしていた歴史的な事情が反映しています。キリスト教は、国王権力と支えあう関係になって、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていました。マルクスはそうした宗教の役割を批判したのです。
 マルクスがアヘンという言葉を使った背景には、当時のヨーロッパでアヘンが話題となっていたという事情もあります。イギリスが植民地インドで製造したアヘンを中国(清)に密輸し、アヘン戦争が起こった時代でした。
 反動勢力は、「宗教はアヘン」というマルクスの言葉をわい曲して、科学的社会主義を攻撃しました。それが今も影響しているといえます。しかし、マルクスが宗教を侮蔑(ぶべつ)していないことは、宗教によって不幸に抗議している、と述べていることからも明らかです。
 科学的社会主義は、反宗教の立場ではなく、宗教が実際に果たした役割を分析し、宗教がになった民衆への奉仕の意義を重視して、世界観の違いをこえた宗教者との共同をはかってきました。
 日本共産党は、日本の宗教には、一部に反社会的、反民主主義的動向がみられるものの、宗教界の多くの人びとが社会進歩に積極的役割を果たしていると考えています。日本共産党の綱領は「信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる」と明記し、この方針をつらぬいて、宗教者との対話と共同を発展させています。(2010・7・15)



ふうん……。それで、日共は、中共や北朝鮮に於けるさまざまな宗教弾圧に関しては、どういう見解をお持ちなのか。すでに表明しているのかもしれないが、中共大使館前で、民青などが、「中共の宗教弾圧を許すな」と激しい抗議デモをしているニュースは見たことも聴いたこともない。ブルジョア新聞・テレビが、そうした義挙を報道していないのだろうか? それとも口先オンリー?

ともあれ、日本でも、四国巡礼、88カ所巡りというのがあって、これも歩くと結構な距離(1000キロ前後?)があるそうな。

早坂隆氏の『僕が遍路になった理由 野宿で行く四国霊場巡りの旅』 (連合出版)など、四国巡礼本も何冊か読んだことがあるし、スペイン巡礼も何冊か手にしたものだ。

もちろん、積んどく本も多い。山崎脩氏(写真&文)の『旅スペイン巡礼星の道』 (京都書院)も積んどくになっていたか?

四国巡礼、スペイン巡礼も、もしかしたら、僕もするかもしれない。それって、僕が共産党に入党して土浦市議になる確率よりは、はるかに高いだろう。
でも、左右の全体主義者と同じぐらい、蚊と蛇は嫌いだから、夏場の巡礼はちょっとなあ。出掛けるなら、春先か今頃の季節がベターか。

でも、宗教的な巡礼より、鉄道(駅)巡礼や古本屋巡礼のほうがおもしろい?
 
宮脇俊三氏の国鉄などの全鉄道路線走破も一種の鉄道(駅)巡礼だろうし、古本屋ツアーインジャパンさんではないが、全国の古本屋行脚をするのも、一種の巡礼といえようか。どちらも全国・全店・全駅・全路線達成は困難。
鉄道路線巡礼より、古本屋巡礼のほうが、より困難。

店に入らなくても、店前まで行けば休日で入れなくても巡礼したことになるとしても、ブックオフの全国巡礼もなかなか難しいだろう。
北海道や沖縄・奄美大島などの古本屋に出掛けるのも至難の業。誰か実行し、その巡礼記が本になれば必読の一冊となろう。それに一番近いのが、古本屋ツアーインジャパンさんや岡崎武志氏であろうか。

書名としては、『人生に疲れたら古本屋巡礼 読み、買い、歩く一万キロの旅』といったところになろうか? 全国制覇しなくても、東奔西走すれば十分かも。
でも、全国古本屋制覇は無理でも、毎週土曜日、週末古本屋行脚をするだけでも、累計で年間何百軒かの古本屋を歩き、数千キロ歩いている計算になるのでは。古本屋行脚をすると15000歩は一日で歩いているし。年間50週・50回ほど歩けば……。

古本屋(古本市)行脚で、さまざまな心の安らぎ(時には怒りや疑念? 開いているはずなのに閉まっていたとか。消費税の二重取りではないかとか?)を得たり……。高遠の古本市や名古屋や仙台の古本屋(古本市)へ、各停列車で出掛けるのも、一種の「行脚」「巡礼」といってもいいのでは?

そうか、そのおかげで、僕は、心の安寧も得られているのではないか(と納得・洗脳?)。古本屋に払うお金は寺社への「お賽銭」みたいなもの。御利益はすぐに「古本」として手に入る? ありがたきことかな。自宅に眠る古本の山も、強き信仰心故の功徳ともいえようか。古本に向けて合掌?

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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