古本虫がさまよう いかにしてマルクスよりベルンシュタインなのか? 『毎日がときめく片づけの計画』は、なぜ計画倒れになり実現できないのか?
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いかにしてマルクスよりベルンシュタインなのか? 『毎日がときめく片づけの計画』は、なぜ計画倒れになり実現できないのか?
(2015・7・8・水曜日)


昔、中学生のころか、この季節(夏休み前)になると、一学期の成績の悪さに直面赤面し、夏休みでの挽回を誓い(?)、中学時代や中学コースの夏休み勉強特訓特集記事を見て、勉強計画表を定規をもって、せっせと作成したりしたものだった。

その前に、まずは机の回りを片づけ、スッキリ感を漂わせる。
必要最小限度の参考書問題集を精選。筆記用具も整理。新たに万年筆やシャープペンを買っておく。真新しいハードカバーのノートブックを購入し、日記として利用し、その日の学習達成について記録を残すように決意する。
そして、朝から夜までの分刻みの勉強計画表も完璧なものができあがる。

当時はラインマーカーは売り始めたばかりだったか? ラインマーカーでなくとも、赤青緑などの鉛筆でカラー化する。
勉強時間は赤で示す。成績表も追試科目の下のラインは赤色だったが、成績表も計画表も「赤」で「真っ赤」だ。あのころから共産主義が嫌いになっていたが……。読書タイムもある。名作揃いの旺文社文庫も揃えていた。

少なくとも一日8時間は勉強だと、夏休み開始前日には誓っていたものだった。このままいけば、夏休みが終ったころには、僕は旧来とは異なる勉強人、教養人に生まれ変わっているはずだった。

そして夏休み初日、朝起きたら、まずはNHKの「(続)基礎英語」(高校生になると「英会話」講座?)を聴き、そして…午前中は学校の補習授業を受け、午後は~夕食後は~と。だが、実際夏休みが始まると、そうした机上のプランは……? なぜなんだろう? なぜ、実現できなかったのだろう? 読んだのは源氏鶏太ばかり。
 
今でも原因が分からない? 空を飛ぼうというのではない。人間の意思の力でコントロールできるはずの勉強計画表だった。
しかし、初日ないし二日目、三日目で挫折してもすぐに修正プランを作成。といっても、再スタート日を挫折した翌日に新たに設定し、さらに睡眠時間などを削って勉強時間を増やして、帳尻をあわせるようなもの? そしてまた挫折。またまた修正、またまた挫折、またまたまた修正……。修正につぐ修正で夏休みもあっという間に終っていった?

そのころから、僕は知らず知らずのうちに、ベルンシュタイ流の修正主義者になったのだろうか?

 でも、僕が偉いのは、そうした修正をしても、捏造はしなかったこと? 我が夏休み一カ月計画は、予定を超える成果を収め無事終了した…なんていうスターリン、毛沢東、金王朝のような「五カ年計画」達成なんてバカげたことはしなかった(まぁ、したくても学校の成績表は偽造捏造不可能だったからなぁ。共産国家は統計まで捏造可能だろうが)。『共産党宣言』も中学生の時読んでいたし?

まぁ、日本国政府の財政建て直し計画なども、これと似たようなものかもしれない。

爾来、数十年が経過し、還暦も近くなってくると、今度は、老後、定年後の生活やらを気にしだし、 「老前整理」がどうのこうのと計画を立てなくてはいけないような気分になってくる。マスコミの流行に毒されないことをモットーにしていながら、ついつい?

そして、40年以上も前の中学生前後のそうした計画のナンセンスさを思い出せばいいのに、また、せっせと計画を立てたり、その関連書(昔の「中学時代」「中学コース」の類に相当するような本)を手にしたりするのである。
定年までに〇〇〇〇円貯蓄する、再就職して年収200万をいかにして確保するか……等々?
人間は成長しないというか、生涯無駄なことを学び続けるというか……。

ということで、TIME誌の2015年版で「世界で最も影響力 のある100人の人物」に選ばれ、今や世界的に有名になったといわれる「片付けコンサルタント」の近藤麻理恵さんの『毎日がときめく片づけの魔法』 (サンマーク出版)を読んだ。

こういう本は一昔前に、辰巳渚氏の『「捨てる!」技術』 (宝島社新書)を一読して、そうだ、捨てるぞと夏休み直前のような思いを抱いたことがあったはずだが……。

近藤さんも、「こんまり」流の片づけノウハウを本書で綴っているし、彼女も、中学生の時に辰巳氏の本を読んで開眼したそうな。ううむ、同じ本を読んでも、ベストセラーを生み出す人と、相も変わらず、モノ(とりわけ本)を捨てられず、にっちもさっちもいかなくなる人もいる。

本を片づける魔法とは?

「本棚にあるすべての本を一冊残らず、床に並べてください」と近藤さんは指摘する。でも、それがそもそも不可能なのだ。万単位の本を床に並べることはできない。

ともあれ、近藤節はそのあと、こう続く。

積み上げた本を一冊一冊手にとり、残すか捨てるか、判断します。もちろん基準は、「触ったときにときめく」かどうか。その際、中身はけっして読まないでください。なぜなら、読んでしまうと、時間はかかるし、ときめくかどうかではなく、必要かどうかで判断してしまうから。読んだ本も読んでいない本も、「いつか読むかもしれない」と思いがちですが、その「いつか」は永遠に来ないのです。自分にとって大切な「殿堂入りの本」はたとえ読むことがなくても、手元において、大事にするとよいでしょう……。
ううむ、本の整理に関する魔法・提言は、これだけなのだが……。

「真理」をついたお言葉ではあるのだが……。迷える羊として、本書を手にした僕にとっては、ううむ……と呻くしかない? ほとんど読んでいないし、ほとんど「殿堂入り」の本ばかりだから?

先日紹介した日経記者による「終活」コラムの夕刊連載(2015・7・6~)を見ると(7・7付)、自宅にたまった本の処分をやったとのこと(「流行の整理術は歯が立たず」「廃棄本約760冊 久々に床見えた」)。
「50歳を超えた人間には、情報よりも時間の方が大事だ。そう思ったら、自分でも不思議なほど、本や切り抜きを捨てることへの抵抗が吹き飛んだ」とのこと。その心境は分かる……。

半日以上かけて「整理できた本は全体の四分の一の約900冊だけで内訳は廃棄約760冊、保存約140冊。ほかにも街歩きなどの雑誌もすべて廃棄」「これをあと三回か四回繰り返せば、かなりすっきりする」とのこと。廃棄した本を古本屋にもっていっても二束三文にしかならないようで、「やはり資源ゴミとして捨てるのが一番、時間がかからないと知った」とのこと。

この人の場合、蔵書は4000冊ぐらいということになる。ううむ……。かなり昔に僕もガードナーの小説などはたいがい捨てたし、「本の雑誌」も売ったし、エロ本もほんの少々捨てたし(後悔!)……。まぁ、定年になってから「処分」「粛清」すればいいか?

ということで、次に手にしたのが坂岡洋子氏の『老前整理のセオリー』 (NHK出版新書)だ。

幸か不幸か、僕の場合、もう両親も亡くなり(妻のほうはまだ……)、老親の面倒は、さほどの負担ではなくなった。「実家」の問題があるが、弟にすべて任せている(?)ので気楽? 妻のほうは、施設に委託したり、いろいろとあるのだが……。

帯には「定年後では手遅れです」とか不安を煽るような文句が書いてある(こういう言葉に騙されていけない。惑わされてはいけない?)。
著者への相談事では、夫の蔵書が多すぎて不安だとか、春本を沢山所有していて、死後それが家族にばれると困るといったものもあるそうな。ううむ……。

「夫が次から次へと本を買ってきて廊下や階段にまで積み上げている。地震でもあれば危ないから『なんとかしてほしい』と頼んでも、『忙しいからそのうち片づける』と言って何年も過ぎてしまいました。最近では本のことを言うと、『うるさい』と怒ります。どうすればよいのでしょうか」と。

僕が相談された講師なら、 「どうせ、何を買ったか覚えていないのですから、こっそり古本屋に売ってしまいなさい。真新しい本なら、駅前のブックオフへ。ちょっと黄ばんでいる本なら、お出かけついでに昔ながらの古本屋さんにもっていけばいいでしょう。お近くにそんな古本屋はありませんか? 最近、オレの本減っていないなんて言われたら、あら、何いってんのよ、この前、まとめて私の実家に送ったでしょうと誤魔化せばいいのです」と。

さぁ、どうなるか? なるようになる、ニーチェーボーでいいのだ。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ!
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