古本虫がさまよう 1980年6月16日に書かれて学生時代に一読した江藤淳さんの論文を、35年後の2015年6月16日に再読したら何が見えてきたか?……
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1980年6月16日に書かれて学生時代に一読した江藤淳さんの論文を、35年後の2015年6月16日に再読したら何が見えてきたか?……
(2015・6・17・水曜日)






江藤淳氏の『一九四六年憲法 その拘束』 (文藝春秋・学藝ライブラリー)を読んだ(再読)。1頁から216頁まで。

「『ごっこ』の世界が終ったとき」「“戦後”知識人の破産」などはさすがにリアルタイムでは読んでないが、書名題名の論文などはリアルタイムで一読したものだ。

巻頭論文「一九四六年憲法 その拘束」より―――

「交戦権」の回復は、もとより戦争への道を歩むことを意味せず、実は核武装すら意味しない。それは主権の回復のみを意味し、日本が強制された憲法上の拘束によってではなく、自らの意思によって選択した基本的政策として、平和維持のあらゆる努力を継続することを意味するにすぎない。つまり、それは日本が通常の自由な主権国家となり、ふたたび自己の運命の主人公になるということを象徴する行為にすぎない。

保守陣営は、「交戦権」が、もし憲法の解釈と行政上の慣行によって回復可能であると主張するのであれば、そのことを委曲を尽し、納得の行くように、国民の前に明らかにしなければならない。そうでなければ憲法九条二項の虚構と現実とのあいだの乖離はますますはなはだしくなり、殊に有事に際して、実際に戦わなければならぬ若い国民のあいだの支持を得ることが、いよいよ難しくなるにちがいないからである。

以上、いまからちょうど35年前の1980年6月16日に書かれた論文の一節である。再読して、自分の憲法観やら国家観がかなりの影響を受けていたことを再発見?

それと関連して面白く読んだのが、田中慎弥氏の『宰相A』 (新潮社)だ。この本の感想は後日に……。

ともあれ、ネバーセイネバー。あとは野となれ山となれ! 
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